第48話 深海へ
リヴァイアサンの口腔に、再び光が生まれていた。
海上を吹き抜ける風の中、マリスの戦士たちがヴェルカを駆る。
先ほどまで数十騎が整然と海神を包囲していた陣形は、三百六十度に放たれたプロトンビームと、それによって生じた巨大な環状波によって完全に崩されていた。
それでも戦士たちは戻ってきた。
一騎。
また一騎。
ネレウスの三叉槍に青白い電光が走る。
アルベルトも、すでにヴェルカをかなり自在に操れるようになっていた。
そして蓮は、リヴァイアサンの額にある第三の眼だけを見ていた。
『対象体温、再上昇』
「分かってる」
『現在の損傷状態で再度プロトンビームを使用した場合、リヴァイアサン自身が致命的な損傷を受ける可能性があります』
「それでも撃つんだろ」
『第三眼からの異種ナノマシン活動は増大しています』
「……完全に使い潰す気だな」
リヴァイアサンの身体には、先ほどの水蒸気爆発によって大量の鱗が失われた箇所がある。
黒い体液が海へ流れている。
それでも止まらない。
額の第三眼だけが、異様なほど強く輝いていた。
蓮は通信を開いた。
「みんな聞いて」
ネレウスが振り返る。
アルベルトも蓮を見る。
「次を撃たせたらまずい。狙うのは眉間の眼だけ」
「承知!」
ネレウスが答える。
「殺すなよ」
アルベルトが笑った。
「難しい注文だ」
「だから頼んでる」
「分かった」
蓮は息を吸った。
「行くぞ!」
ヴェルカたちが一斉に加速した。
◇
最初に動いたのはマリスの戦士たちだった。
右から十騎。
左から十二騎。
残りが背後へ回る。
海面を白く切り裂きながらリヴァイアサンを包囲する。
「御無礼!」
ネレウスが先頭を走る。
三叉槍を突き出した。
バヂィッ!
電撃がリヴァイアサンの首を走った。
反対側。
別の戦士たちも槍を突き立てる。
青白い電光。
海神が吠えた。
巨大な前肢が海面を叩く。
水柱が上がる。
ヴェルカたちは散開。
潜る。
跳ぶ。
その隙間をアルベルトが抜けた。
「ここだ!」
ヴェルカが海面から飛び出す。
高振動ブレード。
リヴァイアサンの眉間。
第三眼を守る硬質化した組織へ叩き込む。
ギィィィン!
火花。
「硬いな!」
「退け、アルベルト!」
蓮が飛んできた。
パワーアーマーの推進器を最大出力。
拳を握る。
『衝撃強化』
「吹っ飛べ!」
拳が第三眼の縁へ叩き込まれた。
轟音。
リヴァイアサンの頭部が大きく揺れる。
第三眼の周囲に亀裂が入った。
「もう一発!」
リヴァイアサンが蓮を見た。
左右の眼ではない。
第三眼。
その瞳孔が蓮を捉える。
「……気持ち悪いな」
巨大な顎が開く。
「蓮!」
アルベルト。
リヴァイアサンが噛みつく。
蓮が急上昇。
牙が足元を通過する。
その瞬間。
ネレウスが来た。
ヴェルカが波を蹴る。
跳躍。
「目には目を!」
三叉槍を振りかぶる。
「刃には刃を!」
蓮が嫌な予感を覚えた。
「それ続きないだろ!」
「力こそパワー!」
「やっぱりそれかよ!」
三叉槍が第三眼へ突き刺さった。
バヂィィィィィッ!!
最大出力。
第三眼が大きく開く。
リヴァイアサンが絶叫した。
「アルベルト!」
「任せろ!」
反対側から高振動ブレード。
亀裂。
ネレウスが槍を抜く。
アルベルトが斬る。
そして。
蓮が飛び込んだ。
「これで!」
拳。
第三眼へ。
「終わりだ!」
叩き込んだ。
グシャッ。
第三眼が潰れた。
◇
リヴァイアサンの動きが止まった。
一瞬。
完全に。
蓮は空中で停止する。
「……やった?」
誰も答えない。
リヴァイアサンの巨体が傾く。
力が抜けていく。
海面へ倒れる。
巨大な波。
マリスの戦士たちが距離を取る。
ネレウスは槍を下ろした。
「海神様……」
蓮も息を吐く。
「イザナミ」
返事がない。
「どう?」
『……駄目です』
蓮の表情が変わった。
「何が?」
『異種ナノマシン活動、停止していません』
「眼は潰したぞ」
『第三眼は中枢ではありません』
「じゃあ何だった?」
『外部器官。あるいは制御端末と推定』
「本体は?」
『リヴァイアサンの体内です』
「どこまで?」
数秒。
『全身』
「……マジか」
リヴァイアサンが痙攣した。
巨大な身体が海を打つ。
『異種ナノマシンが神経系へ深く侵入しています』
「全部消せる?」
『危険です』
「なんで?」
『異種ナノマシンの一部が、既にリヴァイアサン自身の生命維持機能を代替しています』
蓮は黙った。
「つまり?」
『全てを一度に排除すれば、リヴァイアサンも死亡する可能性があります』
「じゃあどうする」
『置換します』
「……俺のナノで?」
『異種ナノマシンを少しずつ排除し、同時に人類製ナノマシンで失われる機能を代替します』
「できる?」
沈黙。
「イザナミ?」
『分かりません』
蓮は眉を寄せた。
イザナミがそう答えることは珍しい。
『人類の技術体系ではありません。通信規格、命令体系、演算方式、全て不明です』
「それでもやるしかない?」
『リヴァイアサンを生存させるのであれば』
蓮は海神を見る。
力なく海面に浮いている。
ネレウスが近づいてきた。
「創造神様」
「ちょっと行ってくる」
「何を?」
「治してくる」
ネレウスは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「……治す?」
「たぶん」
「たぶん!?」
蓮は推進器を噴かした。
「蓮!」
アルベルトが呼ぶ。
「何?」
「危険なんだろう?」
「まあね」
「なら私も――」
「これは無理」
蓮はリヴァイアサンを見る。
「俺じゃないとできない」
アルベルトは何も言わなかった。
蓮は海神の眉間へ降りた。
◇
潰れた第三眼。
そこから黒い体液が流れている。
蓮は膝をついた。
「ここから?」
『最も異種ナノマシン密度が高い領域です』
「了解」
蓮は右手をかざした。
掌から人類製ナノマシンが放出される。
潰れた組織へ入り込む。
「接続」
反応。
しかし。
いつもの感覚とは違った。
人類のナノマシンなら、蓮の命令は絶対だ。
最高管理者権限。
だが。
これは違う。
「停止」
反応なし。
「制御権移譲」
反応なし。
「強制停止」
何も起きない。
「……本当に通じないな」
『命令体系が存在しないのではなく、我々が理解できないものと推定します』
「外国語みたいな?」
『それより遥かに深刻です』
「だよね」
蓮は息を吐く。
「じゃあ予定通り」
『物理的隔離を開始します』
人類製ナノマシンが異種ナノマシンを包む。
一つ。
また一つ。
生体組織から切り離す。
その直後。
蓮のナノマシンが同じ場所へ入り込み、失われた機能を代替する。
神経。
血管。
筋組織。
少しずつ。
少しずつ。
『置換率、一パーセント』
「……遅くない?」
『対象規模を考慮してください』
「百三十八メートルだもんな……」
『はい』
二パーセント。
三パーセント。
その時だった。
潰れた眼の奥。
何かが動いた。
「……ん?」
肉。
赤黒い組織が盛り上がる。
細いものが伸びてきた。
一本。
二本。
蓮の右手首へ絡みつく。
「何これ」
『蓮、離脱してください』
「え?」
さらに増えた。
十本。
二十本。
触手のような肉芽。
それらが一斉に蓮の腕へ絡みついた。
「うわっ!」
蓮が腕を引く。
抜けない。
「イザナミ!」
『異種ナノマシン活動急増!』
「切れ!」
パワーアーマーの腕部が動く。
だが。
ボロッ。
装甲が崩れた。
「……は?」
表面が砂のように崩れていく。
『外装侵食!』
「侵食!?」
『異種ナノマシンがアーマーへ侵入しています!』
「離脱!」
推進器。
動かない。
触手が肩へ。
胸へ。
腰へ。
リヴァイアサンの組織が蓮を捕らえていく。
「くそっ!」
『推進器出力低下!』
ボロボロと。
装甲が崩れる。
その破片すら途中で細かく分解され、触手の中へ消えていく。
『訂正』
「何!?」
『破壊しているのではありません』
「じゃあ何してる!」
『アーマー構成材を取り込んでいます』
「もっと悪いじゃん!」
◇
「創造神様!」
ネレウスが叫んだ。
ヴェルカを走らせる。
だが。
『接近しないでください!』
イザナミの声が全員の通信へ流れた。
「なぜです!」
『未知のナノマシンが蓮の装備を侵食しています! 生体への影響は不明!』
「しかし!」
ネレウスがリヴァイアサンを見る。
その巨体が沈み始めている。
ゆっくりと。
海の中へ。
そして額には蓮。
「創造神様が!」
「ネレウス!」
アルベルトが叫ぶ。
「止まれ!」
「離せ!」
「今行けばお前まで巻き込まれる!」
「ならば共に!」
「駄目だ!」
リヴァイアサンが沈む。
蓮も一緒に。
海面から姿が消えた。
「創造神様!!」
ネレウスも潜った。
だが一定距離で止まる。
いや。
止められた。
ヴェルカが嫌がっている。
その先へ行こうとしない。
本能。
何かを感じている。
ネレウスは歯を食いしばった。
深海へ沈んでいく巨大な影を、ただ見ているしかなかった。
◇
暗くなる。
海面の光が遠ざかる。
蓮はリヴァイアサンの額に張り付いたまま沈んでいた。
『深度二百』
「まだ余裕」
『三百』
触手が増える。
脚にも絡む。
胸部装甲が崩れる。
『アーマー外殻残存率六十八パーセント』
「置換は?」
『十一パーセント』
「割に合わないな!」
『離脱を推奨します』
「できるならやってる!」
『その通りです』
「冷静だな!」
『私が取り乱しても状況は改善しません』
「正論!」
さらに沈む。
『深度五百』
暗い。
もうほとんど光がない。
アーマーの照明だけ。
リヴァイアサンは動かない。
ただ沈んでいる。
『置換率十六パーセント』
「遅い!」
『接触領域が限定されています』
「分かってるけどさ!」
蓮は右腕を見る。
触手。
侵食。
崩れていく装甲。
「くそー……」
思わず漏れた。
「猫の手も借りたいわ」
一瞬。
イザナミが黙った。
『――それです!』
「何が!?」
『手です!』
「は?」
『接触面積!』
蓮は眉を寄せた。
『現在の置換速度を制限しているのは演算能力ではありません。蓮と対象の接触境界です!』
「つまり?」
『手だけではなく、可能な限り接触面積を増やしてください!』
「もっと触れってこと?」
『はい!』
「先に気づいてよ!」
『猫の手を要求したのは蓮です!』
「猫いないけどな!」
蓮は左手もついた。
『置換速度上昇!』
「本当に!?」
『約二倍!』
両膝。
『三・一倍!』
「マジか!」
蓮は身体を倒した。
胸。
腕。
脚。
リヴァイアサンの額へ抱きつくように身体を密着させる。
『六倍……七倍!』
「いける!」
だが。
警告。
『アーマー侵食速度も上昇!』
「そこも!?」
『当然です!』
「先に言え!」
触手が蓮の全身へ絡みつく。
パワーアーマーへ侵入。
装甲が崩れる。
『外殻残存率四十九パーセント』
「置換!」
『二十九パーセント』
「まだまだ!」
『深度八百』
「続ける!」
触手が胸部装甲を剥がす。
右腕。
左脚。
背部。
次々と崩れていく。
『外殻三十八パーセント』
『置換三十七パーセント』
「追いついてきた!」
さらに。
崩れる。
そして。
蓮の右手を覆っていた装甲が完全に消えた。
素手。
皮膚。
その掌が。
直接。
リヴァイアサンの組織へ触れた。
◇
『――!』
イザナミが言葉を失った。
「何!?」
『置換速度、急上昇!』
「どれくらい!」
『十一倍……十三倍……まだ上がります!』
「なんで!?」
『直接接触です!』
蓮自身。
その体内。
その皮膚。
そこには大量の人類製ナノマシンが存在する。
アーマーという一層がなくなった。
蓮そのものが。
リヴァイアサンへ接続された。
『接触効率が桁違いです!』
「じゃあ……」
蓮は残ったアーマーを見る。
「全部邪魔だったってこと?」
『生命維持には必要です!』
「そうだった!」
だが。
異種ナノマシンは待ってくれない。
装甲を侵食する。
崩す。
そして。
蓮の皮膚が露出するたび。
置換速度がさらに上がる。
『四十六パーセント』
『五十二』
『五十九』
「いける……!」
『しかし生命維持装備が!』
「どっちが先!?」
『計算中!』
「急いで!」
『深度千二百』
圧力。
冷気。
暗闇。
残った装甲が軋む。
『外殻残存率二十一パーセント』
『置換率六十八パーセント』
「まだ!」
『蓮、これ以上は――』
「続ける!」
『外殻十五パーセント』
『置換七十四』
蓮の呼吸が荒くなる。
「くそ……」
『意識レベル低下』
「まだ平気」
『平気ではありません』
「最高責任者は俺」
『現在その肩書きに意味はありません』
「ひどい……」
胸部装甲が崩れた。
残された生命維持機能が警告を発する。
『外殻九パーセント』
『置換八十三パーセント』
蓮の視界がぼやける。
「……眠い」
『眠らないでください』
「ちょっとだけ……」
『駄目です』
「横暴……」
『蓮!』
残った装甲が崩れる。
『置換九十一パーセント』
「あと……ちょっと……」
『蓮!』
「……頼む」
誰に言ったのか。
イザナミか。
リヴァイアサンか。
それとも。
自分自身か。
蓮にも分からなかった。
最後の装甲が。
崩れた。
◇
海上。
探索チームの艇が到着していた。
《深淵》周辺海域で待機していた人類側の調査班。
海上戦が始まってから安全距離を取りつつ移動し、ようやくアルベルトたちと合流した。
船上では技術者たちが観測装置を見ている。
「天城さんの信号は!?」
「追跡中!」
モニター。
深度。
数値が増えていく。
「千三百!」
ネレウスはヴェルカの上で海中を見つめている。
「救助艇を出してください」
「無理です!」
「なぜ!」
「未知のナノマシン反応が強すぎる! 接近した機体まで侵食される可能性があります!」
「ならば私が!」
「ヴェルカが近づこうとしないんでしょう!」
ネレウスは言葉を失った。
その通りだった。
海を恐れたことなどないヴェルカが。
震えている。
アルベルトも黙って海を見ていた。
技術者が叫ぶ。
「アーマー信号、急速低下!」
「残存率は!?」
「測定不能!」
数秒。
「……信号消失」
誰も喋らなかった。
ネレウスがゆっくり振り返る。
「生体反応は」
技術者は答えない。
「創造神様の、生体反応は」
「……拾えません」
海。
静かだった。
つい先ほどまで巨大な海神が暴れ。
光が走り。
海が爆発し。
巨大な波が生まれた場所とは思えないほど。
静かだった。
マリスの戦士たちが槍を下ろしていく。
一人。
また一人。
ネレウスは動かない。
「創造神様……」
返事はない。
アルベルトだけが海を見ていた。
「……まだだ」
技術者が見る。
「アルベルトさん」
「蓮は死んでいない」
「ですが――」
「確認できないだけだ」
「深度は既に――」
「それでもだ」
アルベルトは海から目を逸らさない。
「死体を見るまで、私は認めん」
ネレウスも再び海を見る。
しかし。
何も上がってこない。
一分。
二分。
時間だけが過ぎる。
そして。
深海。
人類の観測機器すら届かなくなった場所で。
最後の一片。
蓮のパワーアーマーが。
静かに崩れた。
――第四十八話 深海へ 了




