第47話 海の騎兵
海面を割って現れた巨体から、滝のように海水が流れ落ちていた。
全長百三十八メートル。
光をほとんど返さない漆黒の鱗に覆われた海竜。
その額では、穢れの証である第三の眼が開いている。
リヴァイアサン。
マリスの民が遥かな昔より崇めてきた海神。
その姿を見上げながら、蓮は高速水中艇の上に立っていた。
「……しつこいな」
『対象、浮上を継続』
リヴァイアサンの巨大な胴体がさらに海上へ姿を現す。
だが全身ではない。
巨体の半分近くは、まだ海中に沈んでいる。
アルベルトが高振動ブレードを抜いた。
「さて」
「さて、じゃないよ」
蓮は横目で見る。
「どうする気?」
「斬る」
「どうやって近づくんだよ」
「泳ぐ」
「百三十八メートルの海竜相手に?」
「では蓮は?」
「俺にはアーマーがある」
「不公平だな」
「装備の問題だよ!」
その横で、ネレウスは海を見ていた。
「……来ましたな」
「何が?」
蓮も視線を向ける。
何かが高速で接近していた。
一頭ではない。
三頭。
五頭。
流線形の身体が海面を切り裂きながら近づいてくる。
「生き物?」
『マリスの都市周辺で確認されていた大型水生生物と一致』
「ああ!」
蓮も見覚えがあった。
マリスの民が移動に使う水生生物。
全長四メートルほど。
魚とも海獣ともつかない流線形の身体に、発達した胸鰭と尾。
マリスの民は、それをヴェルカと呼んでいた。
一頭が高速水中艇の横へ来る。
ネレウスが笑った。
「よい子です」
「知り合い?」
「私の足です」
ネレウスは躊躇なく海へ飛び込んだ。
「ネレウス!?」
次の瞬間。
ザバァッ!
ヴェルカが海面から飛び出した。
その背にネレウスが乗っている。
手綱などない。
ネレウスは片手を背に添え、身体を僅かに傾ける。
それだけ。
ヴェルカが加速した。
「うおっ」
水上バイクなどというものではない。
海面を滑るように疾走し、そのまま波を蹴って跳ぶ。
空中。
ネレウスが槍の留め具を操作した。
カチリ。
一本だった穂先が三つへ開く。
三叉。
バチッ。
青白い電光が走った。
「海の上なら使えるのか!」
ネレウスは答えなかった。
そのままリヴァイアサンへ向かう。
巨大な尾が薙ぎ払われた。
ヴェルカが潜った。
一瞬で海中へ消える。
尾が頭上を通過。
数秒後。
別方向。
ザバァッ!
ヴェルカが飛び出す。
その背からネレウスが三叉槍を突き出した。
「御無礼!」
穂先がリヴァイアサンの首へ突き刺さる。
バヂィィィッ!
電撃。
海神が咆哮した。
ネレウスはすぐに槍を抜く。
着水。
離脱。
一撃離脱。
完全に海で戦う者の動きだった。
蓮は呆然と見ていた。
「……爺さん、めちゃくちゃ格好いいな」
『本人へ伝えますか?』
「絶対やめて。調子乗るから」
◇
アルベルトが隣を見る。
残ったヴェルカ。
「蓮」
「嫌な予感する」
「私も乗る」
「やめとけ」
「なぜ?」
「乗ったことないだろ」
「ネレウスを見た」
「見ただけで乗れるなら苦労しないんだよ!」
アルベルトは既に剣を背へ固定していた。
「物は試しだ」
「今、百三十八メートルの怪物と戦ってる最中なんだけど!」
アルベルトが飛び乗る。
ヴェルカが動いた。
「おお」
直後。
ドボン。
蓮は無言で海を見る。
数秒後。
アルベルトが浮いてきた。
「なるほど」
「何が?」
「難しいな」
「当たり前だ!」
アルベルトは再び乗る。
ヴェルカが加速。
ドボン。
三回目。
今度は五十メートルほど進んだ。
曲がろうとする。
ドボン。
「アルベルト!」
「分かってきた!」
「絶対分かってないだろ!」
四回目。
今度は落ちなかった。
ヴェルカの動きに逆らわず、身体を合わせる。
「そうか」
アルベルトが呟く。
「操ろうとするから駄目なのか」
ヴェルカが曲がる。
アルベルトも自然に身体を傾けた。
「おお!」
「戦闘中に上達するなよ!」
五回目。
既にそれなりに乗れていた。
「蓮!」
「何!?」
「これはいいぞ!」
「気に入ってる場合か!」
ヴェルカが加速した。
「行ってくる」
「待て! まだ初心者――」
遅かった。
アルベルトが海面を疾走していく。
「自由すぎるだろ、あいつら……」
◇
ネレウスがリヴァイアサンの周囲を回る。
右。
左。
潜水。
浮上。
ヴェルカは彼の身体の一部であるかのように動いていた。
海神の爪が海面を叩く。
巨大な水柱。
ネレウスはその直前に潜る。
反対側から飛び出す。
三叉槍。
電撃。
バヂッ!
リヴァイアサンが頭を振る。
そこへ。
「私もいるぞ!」
アルベルト。
「もう来たのか!」
蓮が叫ぶ。
アルベルトのヴェルカが波を蹴る。
空中へ。
アルベルトが高振動ブレードを抜いた。
「そこだ!」
斬撃。
黒い鱗が一枚飛ぶ。
着水。
危なっかしく揺れる。
だが落ちない。
「やったぞ!」
「初心者が片手運転するな!」
「手綱などない!」
「そういう問題じゃない!」
アルベルトが笑った。
明らかに楽しんでいる。
リヴァイアサンの尾が迫る。
「アルベルト!」
「分かっている!」
ヴェルカが潜る。
だが判断が僅かに遅い。
尾が掠める。
「ぐっ!」
アルベルトとヴェルカが吹き飛ばされた。
「アルベルト!」
二つの影が海面へ落ちる。
だが、すぐにヴェルカが浮上。
アルベルトも背へ戻る。
「危なかった」
「だから言っただろ!」
「次は避ける」
「そういう問題じゃない!」
それでも。
次は本当に避けた。
◇
その時だった。
『蓮』
イザナミ。
「何?」
『複数の生体反応が高速接近』
「どこから?」
『マリスの都市方面』
蓮が振り返る。
遠く。
海面に白い筋が見えた。
一つ。
二つ。
十。
さらに増える。
「……まさか」
海面からヴェルカが飛び出した。
その背。
人影。
マリスの戦士。
次々と現れる。
男たちは上半身を晒し、腰部を守る防具と垂れを身につけている。
女たちはマリス伝統の軽装鎧。
全員が槍を持っていた。
数十騎。
海の騎兵。
蓮は思わず声を上げた。
「来た……!」
ネレウスも振り返った。
だが。
笑わなかった。
戦士たちの視線は、巨大なリヴァイアサンへ向けられていた。
動揺。
畏怖。
そして。
恐怖。
一人の若い戦士が呟く。
「海神様……」
別の者が槍を下げた。
「本当に……海神様なのか……?」
無理もない。
彼らはリヴァイアサンを怪物として教えられてきたのではない。
海を守る神。
マリスの民を見守る存在。
その伝承と共に育ってきた。
それが今。
第三の眼を開き、彼らの前にいる。
「槍を……向けるのか?」
誰かが言った。
ネレウスがヴェルカを旋回させた。
戦士たちを見る。
「聞け!」
声が海上へ響いた。
「我らの前におられるのは、確かに海神リヴァイアサン!」
戦士たちがネレウスを見る。
「されど、あの御姿を見よ!」
第三の眼。
漆黒の身体。
理性を失った海神。
「穢れに蝕まれ、御心を失っておられる!」
誰も動かない。
ネレウスは槍を掲げた。
カチリ。
三叉。
青白い電光。
「我らは海神を討つのではない!」
ネレウスが叫ぶ。
「お救いするのだ!」
沈黙。
やがて。
一人。
槍を掲げた。
カチリ。
三叉。
電光。
二人目。
三人目。
次々と。
カチッ。
カチッ。
カチッ。
数十本の槍が三叉へ変形する。
青白い電光が海上に並んだ。
「行くぞ!」
ネレウスがヴェルカを走らせた。
戦士たちが続く。
◇
そこから戦況が変わった。
海神は巨大だった。
圧倒的だった。
だが。
相手が多すぎる。
右から三騎。
左から五騎。
背後から七騎。
ヴェルカが海面を疾走する。
潜る。
跳ぶ。
三叉槍。
電撃。
一撃。
すぐ離脱。
リヴァイアサンが一頭を追えば、反対側から別の戦士が攻撃する。
尾を振れば潜る。
爪を振れば跳ぶ。
海を知り尽くした者たち。
蓮はパワーアーマーで飛びながら、その光景を見ていた。
「すごいな……」
『マリス戦士団の戦闘能力を上方修正します』
「だろうな」
青白い電撃が次々と海神の身体を走る。
アルベルトまで混じっている。
「そこだ!」
斬る。
着水。
今度は完璧。
「もう普通に乗ってるじゃん!」
『学習速度は高いようです』
「本人には言うなよ。調子乗るから」
『蓮も同様の評価対象ですが』
「俺の話はいいの!」
◇
リヴァイアサンが咆哮する。
苦しんでいる。
確実に。
蓮は第三眼を見る。
「イザナミ」
『はい』
「行けそう?」
『第三眼周辺の防御行動が低下しています』
「なら今度こそ」
パワーアーマーの推進器を最大出力。
飛ぶ。
海面すれすれ。
リヴァイアサンへ。
ネレウスたちが注意を引く。
アルベルトが首を斬る。
「蓮! 今だ!」
「分かってる!」
距離百メートル。
八十。
六十。
第三眼が蓮を見る。
「今度は逃がさない!」
四十。
二十。
その時。
カラ。
蓮の表情が変わった。
「……え?」
カラ。
カラカラ。
聞いたことのある音。
「待て」
鱗。
リヴァイアサンの鱗が立ち始めている。
「まずい」
『対象体温上昇』
「まずいまずいまずい!」
蓮が急停止した。
マリスの戦士たちは知らない。
初めて見る。
光を吸収していた鱗が立ち上がる。
黒い輪郭が消え、本当の姿が現れていく。
戦士たちが息を呑む。
「海神様が……」
「なんと……」
中には見惚れる者さえいた。
「離れろ!!」
蓮が叫んだ。
戦士たちが振り返る。
「全員、離れろ!!」
意味が分からない。
当然だった。
彼らは知らない。
ネレウスが蓮を見る。
そして。
蓮の表情を見ただけで理解した。
「全騎!」
ネレウスが叫ぶ。
「散開!!」
ヴェルカたちが一斉に方向を変える。
「何が起きるのです!?」
戦士の一人が叫ぶ。
「分からぬ!」
ネレウスが答えた。
「だが創造神様が逃げろと仰っておる! ならば逃げろ!」
「雑!」
蓮が思わず叫ぶ。
「今はそれでいいけど!」
リヴァイアサンが頭を上げた。
口が開く。
光。
蓮は見間違えない。
『高密度陽子流を確認』
「来るぞ!」
マリスの戦士たちは、それでも何が来るのか分からない。
リヴァイアサンが海面へ顔を向けた。
「……何する気だ?」
ビームが放たれた。
◇
閃光。
だが。
誰もいない方向だった。
蓮が目を見開く。
「外した?」
『いいえ』
リヴァイアサンが首を動かした。
横へ。
光が海面を走る。
「……おい」
さらに首が回る。
九十度。
「まさか」
百八十度。
「全員もっと離れろ!!」
二百七十度。
細い閃光が水平線を薙ぐ。
そして。
三百六十度。
リヴァイアサンを中心として。
プロトンビームが海面を一周した。
一瞬。
何も起きなかった。
異様な静寂。
蓮は海を見る。
白い筋。
遥か遠く。
海面に巨大な円が描かれている。
「……何だ?」
次の瞬間。
ドン。
一点が爆発した。
ドドッ。
その隣。
ドドドドドドドドドドド――!
爆発が円周を走った。
「うわっ!?」
海が持ち上がる。
数十メートル。
さらに。
巨大な水柱が円を描くように次々と立ち上がっていく。
海面そのものが爆発していた。
マリスの戦士たちが言葉を失う。
「な……」
「なんだ、これは……」
彼らは知らない。
そんな攻撃を。
伝承にもない。
海神がこのような力を持っていたなど。
誰も知らない。
そして。
ネレウスが気づいた。
「……潜れ」
蓮が振り返る。
ネレウスは遠方を見ていた。
爆発によって持ち上げられた莫大な海水。
それが崩れ始めている。
外側へ。
巨大な環状波となって。
「全騎、潜れ!!」
マリスの戦士たちが一斉に反応した。
蓮が叫ぶ。
「分かるの!?」
「あの光は知りませぬ!」
ネレウスがヴェルカの頭を押さえる。
「されど!」
巨大な波が迫る。
「波ならば知っております!」
ヴェルカが潜った。
一頭。
二頭。
次々と海中へ消える。
「アルベルト!」
「分かっている!」
アルベルトもヴェルカと潜る。
蓮は高速水中艇へ指示を送る。
「潜航!」
『了解』
水中艇が海中へ。
蓮も飛び込んだ。
◇
海中。
上が暗くなった。
巨大な水塊。
環状波が頭上を通過する。
深く潜った。
それでも水が動く。
凄まじい流れ。
ヴェルカたちが翻弄される。
マリスの戦士たちは身体を伏せ、必死にしがみつく。
高速水中艇も傾く。
『強い水流を確認』
「見れば分かる!」
蓮も推進器で姿勢を維持する。
やがて。
流れが弱まった。
「全員いる?」
『生命反応を確認中』
数秒。
『複数名が散開していますが、重大な生命反応消失は確認されません』
「よかった……」
蓮が息を吐いた。
その時。
ドン。
鈍い爆発音。
「……何?」
もう一度。
ドン。
今度は近い。
蓮がリヴァイアサンを見る。
「嘘だろ……」
海神の身体。
海中に沈んでいる部分。
そこで。
爆発が起きていた。
◇
ドン。
ドドン。
ドドドドドドドッ!
巨大な気泡が次々と発生する。
『急激な相変化を確認』
「水蒸気爆発!?」
リヴァイアサンはプロトンビームを撃った。
膨大な熱。
そして全身の鱗を開いて排熱している。
空気中へ出ている首や背ならいい。
だが。
海中部分。
逆立った鱗の隙間へ入り込んだ海水が、猛烈な熱を受ける。
蒸気。
膨張。
圧力。
そして。
バンッ!
巨大な黒い鱗が吹き飛んだ。
一枚。
二枚。
十枚。
さらに。
ドドドドドドドッ!
数十枚の鱗が海中へ舞う。
リヴァイアサンが絶叫した。
水を通して、その振動が蓮の身体まで届いた。
「自分まで……!」
『海中部分に重大な損傷』
黒い体液が流れ出す。
海中へ広がる。
『水中でプロトンビームを使用した際と同様です』
「撃つこと自体じゃない」
蓮は理解した。
「撃った後の熱を逃がせないんだ」
『正確には、排熱速度が急激すぎます。周囲の水を瞬間的に相変化させています』
「だから水中じゃ使いたくない……」
『そのようです』
「なのに撃った」
蓮は第三眼を見る。
「自分が壊れるのに」
返答はない。
◇
海面へ戻る。
ザバッ。
蓮が飛び出した。
少し離れた場所から、ネレウスたちも次々と浮上する。
ヴェルカ。
マリスの戦士。
アルベルト。
全員が散り散りになっている。
そして中央。
リヴァイアサン。
海中にあった胴体部分の鱗が大量に失われている。
黒い装甲の下。
本来なら見ることのできなかった組織が露出していた。
アルベルトがそれを見る。
「蓮」
「分かってる」
「斬りやすくなった」
「お前、こういう時だけ本当に頼もしいな」
ネレウスも海神を見る。
その顔には苦しみがあった。
「自らを傷つけてまで……」
蓮は第三眼を睨む。
「あれはもう、リヴァイアサン自身の意思じゃないのかもしれない」
『可能性があります』
イザナミが告げる。
『第三眼からのナノマシン活動がさらに増大しています』
「やっぱり」
蓮は拳を握る。
「本体を使い潰す気か」
その時。
リヴァイアサンが動いた。
ゆっくり。
頭を持ち上げる。
「……まさか」
カラ。
鱗。
残っている鱗が動いた。
『対象体温、再上昇』
蓮の顔色が変わる。
「また撃つ気だ」
アルベルトも笑わなくなった。
ネレウスが三叉槍を握る。
『現在の損傷状態で同規模攻撃を実行した場合、対象自身への損傷は先ほどを上回ると推定』
「死ぬ?」
『可能性があります』
「それでも止まらない?」
第三眼が開いた。
答えだった。
蓮は海神を見上げる。
「……分かったよ」
パワーアーマーの推進器が唸る。
ネレウスが横へ並ぶ。
アルベルトもヴェルカを寄せる。
離散していたマリスの戦士たちも、一騎、また一騎と戻ってくる。
傷ついている。
疲れている。
それでも。
誰一人、槍を捨てていない。
蓮は彼らを見る。
「次を撃たせない」
ネレウスが頷いた。
「御意」
「リヴァイアサンは殺さない」
三叉槍に電光。
「もちろんです」
アルベルトが剣を構える。
「ならば狙う場所は一つだな」
蓮は第三眼を見る。
「ああ」
穢れの眼。
海神を蝕み。
その身体を壊してまで戦わせているもの。
「今度こそ、あれを潰す」
海上に。
再び青白い電光が並び始めた。
マリスの戦士たちが海神を囲む。
リヴァイアサンの口腔に、再び小さな光が生まれる。
時間はない。
蓮は前を向いた。
「行くぞ!」
海の騎兵たちが、一斉に走り出した。
――第四十七話 海の騎兵 了




