第46話 プロトンビーム
「走れ!」
蓮の声と同時に、三人が散った。
リヴァイアサンの全身では逆立った鱗の隙間から熱が放出され、周囲の空気が揺らいでいる。
その巨体は、今までとはまるで違って見えた。
光をほとんど返さなかった鱗が逆立ったことで、全長百三十八メートルを超える海竜の姿が完全に露わになっている。
そして、その口腔の奥。
小さな光が収束を続けていた。
「イザナミ! あれ何だ!」
『解析中です』
「だから何なんだよ!」
『荷電粒子を検出。粒子密度上昇』
蓮は走りながら振り返った。
光が強くなる。
巨大な炎でもなければ、魔法陣のようなものもない。
ただ一点。
リヴァイアサンの口の奥で、異様なほど純粋な光が形成されている。
『陽子です』
「……は?」
『高密度の陽子流を確認。加速を継続しています』
蓮の足が一瞬止まりそうになった。
意味を理解するまで、ほんの僅かな時間が必要だった。
「陽子って……」
そして理解した。
「プロトンビーム!?」
『その可能性が極めて高いと判断します』
「そんなもん生物が撃っていいのかよ!」
『撃とうとしています』
「そういう意味じゃない!」
アルベルトが通信に割り込む。
「危険なのか?」
「危険なんてもんじゃない! とにかく隠れろ!」
「この鎧では?」
「たぶん無理!」
『訂正します』
イザナミが即座に言った。
『直撃した場合、防御性能を評価する意味はありません』
「ほら!」
「なるほど」
「納得してないで走れ!」
巨大な柱が前方にある。
三人が左右へ分かれる。
ネレウスも三叉槍を通常の一本槍へ戻しながら走っていた。
その背後。
リヴァイアサンが頭を動かした。
光が三人を追う。
「まずい!」
『発射兆候!』
蓮が床を蹴った。
パワーアーマーの脚部が最大出力。
身体が宙へ飛ぶ。
その瞬間だった。
◇
音は、ほとんどなかった。
蓮には一瞬、白い線が見えたように思えた。
リヴァイアサンの口から放たれた何かが、つい先ほどまで蓮がいた場所を通過する。
そして。
そのまま遥か後方へ。
巨大空間の壁へ突き刺さった。
一瞬。
何も起こらなかった。
「……外した?」
次の瞬間。
壁が光った。
轟音。
人工構造物と、その向こうの岩盤がまとめて爆ぜた。
蓮の身体が衝撃波に吹き飛ばされる。
「うわああっ!」
パワーアーマーが床を転がった。
壁。
床。
天井。
あらゆる方向から破片が飛ぶ。
『装甲損傷!』
「アルベルト! ネレウス!」
「生きている!」
「こちらも!」
二人の声。
蓮は起き上がった。
そして、言葉を失った。
「……なんだよ、これ」
壁がない。
さっきまで巨大な人工壁があった場所。
そこに大穴が開いていた。
『外壁構造、重大損傷』
「どこまで抜けた?」
『岩盤を含め、外部海域まで貫通しています』
蓮の顔色が変わった。
ここは海底。
「……まずい」
穴の奥。
最初に見えたのは、一本の水だった。
高圧の海水が細い噴流となって内部へ吹き込んでくる。
それが数本。
十数本。
亀裂が広がる。
ミシッ。
嫌な音。
「全員、壁から離れろ!」
次の瞬間。
壁が崩壊した。
◇
海が入ってきた。
水という言葉では足りなかった。
巨大な質量そのものが、深淵内部へ雪崩れ込んでくる。
「走れえええっ!」
三人が逃げる。
だが、人間が走って逃げられるものではない。
背後から巨大な海水の壁が迫る。
ネレウスが振り返った。
「これは……」
「格言いらないから走れ!」
「まだ何も言っておりませぬ!」
激流が三人を呑み込んだ。
◇
視界が回転した。
床。
天井。
壁。
もう上下すら分からない。
蓮のパワーアーマーが瓦礫とともに流される。
『水中活動モードへ移行』
推進器が作動。
姿勢が戻る。
「アルベルト!」
『ここだ!』
「ネレウス!」
返事がない。
「ネレウス!」
横から何かが飛んできた。
蓮の身体を掴む。
「こちらですぞ」
「うわっ!」
ネレウスだった。
先ほどまでとは動きが違う。
尾ヒレが大きく開き、激流の中を自在に泳いでいる。
人間側の耐圧装備を身につけているにもかかわらず、蓮のパワーアーマーより遥かに滑らかだ。
「急に元気になったな!」
「海ですので!」
「嬉しそうだな!」
「我らの領域です!」
ネレウスが蓮を引っ張り、巨大な瓦礫を避ける。
アルベルトも推進器で追いついた。
「全員いるな!」
「いる!」
『深淵内部への浸水継続。完全水没まで――』
イザナミが計算を止めた。
『訂正。既に主要区画の大部分が水没しています』
「潜水艇は!?」
『係留地点を確認中』
数秒。
『反応ありません』
「流された?」
『あるいは破壊された可能性があります』
「最悪だ」
その時。
ネレウスが振り返った。
「創造神様」
「何?」
「あれを」
暗闇。
大量の海水が流れ込んだことで照明の多くが消えている。
その中に。
一つ。
眼があった。
第三の眼。
「……嘘だろ」
リヴァイアサン。
海の王が、水中にいた。
◇
動いた。
蓮には、それしか分からなかった。
第三の眼が消えた。
「どこ行った!?」
『右後方!』
振り返る。
何もない。
『距離百二十!』
「見えない!」
『九十!』
「速っ――」
巨大な何かが通過した。
衝撃。
水そのものに殴られた。
蓮たち三人がまとめて吹き飛ばされる。
「ぐっ!」
『対象速度、陸上時とは比較になりません』
「そりゃ海の王だもんな!」
陸上での鈍重さが嘘のようだった。
百三十八メートルの巨体。
それが深海を自由自在に動く。
巨大な尾が水を捉えるたび、異常な加速を見せる。
しかも鱗は既に閉じていた。
再び光をほとんど返さない。
見えない。
『上方!』
「また!?」
蓮が推進器を噴射する。
巨大な顎が通過した。
牙。
一瞬だけ見えた。
「こんなのどうやって戦うんだよ!」
ネレウスが槍を構える。
三叉ではない。
水中では電撃を使えない。
「創造神様」
「何?」
「先ほどより遥かに強うございますな」
「見れば分かる!」
アルベルトが剣を握る。
「面白い」
「お前はなんで嬉しそうなんだよ!」
「強い方が戦い甲斐がある」
「俺は帰りたい!」
『同意します』
「イザナミまで!?」
◇
『アマテラスへ救難要請を送信しました』
「救援は?」
『高速水中艇を投下します』
蓮が一瞬、聞き間違えたと思った。
「……どこから?」
『アマテラスからです』
「軌道上だぞ!?」
『大気圏突入用外殻を装着して投下します。着水後、外殻分離。無人制御にて当地点へ潜航させます』
「何分?」
『現在計算中』
「早く!」
その時。
『接近!』
第三の眼。
今度は正面。
「散れ!」
三人が分かれる。
巨大な顎。
アルベルトが左。
ネレウスが右。
蓮は下へ。
だが。
リヴァイアサンが軌道を変えた。
「なっ!?」
追ってくる。
蓮を。
第三の眼が、明確に蓮だけを見ている。
『管理者権限を認識している可能性があります』
「だから俺狙い!?」
『可能性があります』
「迷惑すぎる!」
全速。
パワーアーマーの水中推進器を最大出力。
それでも。
『距離五十』
「もっと出ない!?」
『最大出力です』
『四十』
後ろを見る。
暗闇。
その中に第三の眼。
『三十』
巨大な口が開いた。
『二十』
牙。
上下から迫る。
「まずい!」
蓮が方向を変えようとする。
遅い。
『回避不能』
「イザナミ!」
その時。
横から何かがぶつかった。
◇
「ぐっ!」
蓮の身体が弾き飛ばされた。
「何――」
ネレウス。
ネレウスが蓮を突き飛ばした。
その代わり。
彼自身が、リヴァイアサンの正面に残った。
「ネレウス!」
巨大な顎。
その中にネレウスがいる。
逃げない。
一本槍を構えている。
「何やってんだ! 逃げろ!」
ネレウスは蓮を見た。
不思議なくらい穏やかな顔だった。
「創造神様」
「何だよ!」
「古き言葉にございます」
「今じゃないだろ!」
巨大な牙が迫る。
ネレウスは槍を構え直した。
「生きる理由を知る者は――」
リヴァイアサンの顎が閉じ始める。
「ほとんどあらゆる生き方に耐える」
「ネレウス!!」
蓮が推進器を噴射する。
間に合わない。
巨大な上顎。
下顎。
ネレウスの上下から迫る。
「くそっ!」
蓮が手を伸ばす。
届かない。
ネレウスは最後まで槍を構えていた。
そして。
巨大な顎が閉じようとした、その瞬間。
ドゴォォォォォン!
横から何かが突っ込んだ。
◇
リヴァイアサンの頭部が弾かれた。
「――!?」
巨大な船体。
高速水中艇。
猛烈な速度で突入してきたそれが、リヴァイアサンの下顎へ体当たりした。
巨体が横へ流れる。
ネレウスも衝撃波で吹き飛ばされた。
「ネレウス!」
蓮が追う。
掴んだ。
「生きてる!?」
「もちろん」
「もちろんじゃないだろ!」
「少々危のうございましたな」
「少々!?」
『救援艇、到着しました』
イザナミの声。
蓮は高速水中艇を見る。
船首が大きくへこんでいる。
「……よく壊れなかったな」
『深海作業用です』
「丈夫すぎるだろ」
『設計要求を満たしています』
アルベルトが追いついた。
「良い登場だったな」
「感想はあと! 乗るぞ!」
高速水中艇のハッチが開いた。
三人が向かう。
その背後。
リヴァイアサンが体勢を戻す。
第三の眼が開く。
「急げ!」
アルベルト。
ネレウス。
蓮。
最後に蓮が船内へ飛び込む。
『ハッチ閉鎖』
直後。
巨大な牙が艇体を掠めた。
轟音。
船体が大きく傾く。
『外殻損傷。航行能力に問題なし』
「海面へ!」
『了解』
高速水中艇が加速した。
◇
上昇。
暗い深海を、高速水中艇が海面へ向かって突き進む。
蓮は座席へ身体を固定した。
ネレウスも無事。
アルベルトもいる。
「助かった……」
『まだです』
イザナミ。
「言うと思った」
後方映像。
暗闇。
何もない。
「追ってきてる?」
『はい』
「どこ?」
『距離六百二十』
「見えないけど」
『五百九十』
「縮まってるじゃん!」
『五百五十』
アルベルトが笑う。
「速いな」
「感心してる場合か!」
『このままでは海面到達前に追いつかれます』
蓮が艇の装備を確認する。
「武装は?」
『最低限です』
「何がある?」
『小型魚雷。近接防御用デコイ。機雷』
「機雷!」
蓮が即答した。
「撒け!」
『了解』
高速水中艇の後部から、小型機雷が次々と放出された。
◇
一発目。
爆発。
水中艇まで衝撃が届く。
『命中』
「効いた?」
『対象速度低下』
二発目。
三発目。
爆発。
リヴァイアサンが進路を変える。
「嫌がってる!」
『距離拡大。六百八十』
「よし!」
さらに機雷。
爆発。
『七百二十』
蓮が笑った。
「いける。このまま海面まで――」
そこで。
イザナミが黙った。
「……何?」
返事がない。
「イザナミ?」
『対象に生理的変化』
後方映像。
暗闇の中。
リヴァイアサンが止まっている。
「諦めた?」
『いいえ』
鱗が動いた。
蓮の表情が固まる。
一枚。
二枚。
そして。
カラカラカラカラ――。
水中で。
全身の鱗が逆立ち始めた。
「……おい」
アルベルトも気づいた。
「あれは先ほどの」
「分かってる」
鱗が開く。
低反射構造が崩れる。
探照灯の光を受け、百三十八メートルの巨体が再び姿を現した。
『対象体温、急上昇』
「待て待て待て」
リヴァイアサンが口を開く。
光。
「水の中だぞ?」
『高密度陽子流を検出』
蓮は信じられないものを見る目で後方映像を見た。
「撃つ気かよ……」
『そのようです』
「自分もただじゃ済まないだろ!」
『推定不能』
「普通やらないだろ!」
『対象の自己保存能力が正常である保証はありません』
第三の眼が開いた。
蓮は理解した。
穢れている。
正常ではない。
痛みも。
損傷も。
自分自身の生存すら。
どこまで意味を持っているのか分からない。
「全速!」
『既に最大速度です』
「じゃあもっと!」
『不可能です』
「そこをなんとか!」
『物理法則に交渉してください』
「今それ言う!?」
光が収束する。
アルベルトが後方映像を見る。
「来るぞ」
蓮が座席を掴んだ。
「全員、何かに掴まれ!」
『発射兆候!』
リヴァイアサンの口から。
プロトンビームが放たれた。
◇
光は、遠くまで伸びなかった。
代わりに。
海が爆発した。
リヴァイアサンの正面から一直線に、海水が白く弾けた。
水そのものが膨張し、巨大な気泡が生まれる。
崩壊。
再び発生。
連続する衝撃。
途中に漂っていた機雷が次々と誘爆する。
爆発。
爆発。
爆発。
白い泡と閃光が深海を埋め尽くした。
「うわああああっ!」
高速水中艇が衝撃波に呑まれた。
船体が回転する。
警報。
照明が消える。
復旧。
また回転。
ネレウスが座席へしがみつく。
「これは!」
「格言はいい!」
「まだ言っておりませぬ!」
さらに衝撃。
『姿勢制御不能!』
「耐えろ!」
『艇体外殻に複数損傷!』
「浸水は!?」
『ありません』
「丈夫だな本当に!」
『深海作業用です』
「それさっき聞いた!」
やがて。
衝撃が収まった。
高速水中艇が姿勢を戻す。
蓮は荒い息を吐いた。
「……生きてる?」
「私は」
「私もですぞ」
『全員の生命反応を確認』
「リヴァイアサンは?」
後方映像が復旧する。
蓮は黙った。
海中に巨大な気泡が漂っている。
その向こう。
リヴァイアサン。
生きている。
だが無傷ではない。
逆立った鱗の一部が剥がれている。
体表から黒い体液が流れていた。
『対象にも重大な損傷』
「やっぱり……」
『水中での高出力攻撃に伴う自己損傷と推定』
「撃てないんじゃない」
蓮は第三の眼を見る。
「撃ちたくないだけだったのか」
『その表現が適切です』
それでも。
リヴァイアサンは動いた。
追ってくる。
「まだ来るのかよ……」
『対象接近』
蓮は前方を見る。
「海面まで?」
『九百メートル』
「上がれ!」
高速水中艇が再び加速した。
◇
九百。
七百。
五百。
後方。
リヴァイアサン。
自己損傷によって速度は落ちている。
それでも追ってくる。
三百。
周囲が少しずつ明るくなる。
二百。
百。
「行け!」
海面。
高速水中艇が突き破った。
ドォン!
大量の海水を巻き上げ、船体が海上へ飛び出す。
一瞬だけ宙を舞う。
着水。
巨大な波。
蓮は外部映像を見る。
空。
太陽。
「出た……」
だが。
海面が盛り上がった。
「来るぞ!」
次の瞬間。
海が割れた。
巨大な黒い頭部。
長い首。
そして百メートルを超える巨体。
穢れた海の王が、海面を突き破って姿を現した。
大量の海水が滝のように鱗から流れ落ちる。
第三の眼が開く。
蓮を見る。
高速水中艇の上で、蓮はゆっくり立ち上がった。
「……しつこいな」
アルベルトも立つ。
ネレウスが槍を握る。
海上。
空気。
ネレウスは槍の留め具へ指をかけた。
カチリ。
一本の穂先が三つへ開く。
三叉。
その間に青白い電光が走った。
バチッ。
ネレウスが笑う。
「これで、また使えますな」
蓮も海の王を見上げる。
「第二ラウンドってことか」
その時。
イザナミが告げた。
『アマテラスとの通信、完全復旧』
蓮が空を見る。
遥か上。
肉眼では見えない軌道上。
そこには人類の船がいる。
「……そっか」
今度はこちらにも。
空がある。
蓮はリヴァイアサンへ視線を戻した。
第三の眼がこちらを睨んでいる。
「イザナミ」
『はい』
「アマテラスとのデータリンク維持」
『了解』
「まだ殺さない。第三眼を狙う」
ネレウスが三叉槍を構える。
アルベルトが高振動ブレードを抜く。
海の王が咆哮した。
その声が、海原を震わせる。
戦いは。
まだ終わっていなかった。
――第四十六話 プロトンビーム 了




