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星間移民船アマテラス〜人類が眠っている間に、移住先がファンタジー世界になっていた件〜  作者: 只野屍


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第43話 マリスの民

海底都市との接触から、数日が過ぎていた。


蓮たちはすぐに信号源へ向かったわけではない。


理由はいくつかある。


まず、相手が未知の種族だったこと。


次に、その未知の種族が人類の古い海洋施設を何千年も使い続けていること。


さらに、その施設の奥にある《深淵》と呼ばれる場所について、彼らが何らかの知識を持っていること。


そして何より。


「創造神様!」


「はいはい」


「こちらを!」


「今行く」


「創造神様!」


「今度は何?」


「我が家の子供にお手を!」


「俺そういう御利益ないよ?」


「ありがとうございます!」


「まだ触ってないんだけど」


蓮は完全に捕まっていた。


海底都市を歩けば、誰かが頭を下げる。


店へ入れば食べ物を渡される。


子供に囲まれる。


年寄りに拝まれる。


最初の日こそ、


「俺は神じゃない」


と一人ずつ訂正していた。


二日目には、


「違うんだけどね」


くらいになった。


三日目。


「……もう好きにして」


諦めた。


少し離れたところを歩いていたアルベルトが、口髭を撫でる。


「神ともなると大変だな」


「他人事だと思って」


「私は神ではないのでね」


「じゃあ今日から神の従者一号な」


「断る」


「即答かよ」


そんなやり取りをしながら、二人は海底都市の居住区を歩いていた。



      ◇



彼らは、自分たちを海エルフとは呼ばなかった。


そもそも、エルフという言葉そのものを知らなかった。


外界との交流がほとんどなかった彼らにとって、自分たちは最初から自分たちでしかない。


長老格の男が、蓮たちにそう説明した。


「我らはマリスの民」


男の名はネレウス。


見た目だけなら、人間換算で五十代後半ほど。


アルベルトより少し年上に見える。


しかし身体は衰えていない。


むしろ無駄な脂肪のない引き締まった体格で、肩や腕には長年槍を扱ってきた者特有の筋肉がついている。


男性の海の民らしく、上半身は裸。


腰には水中での動きを妨げないビキニアーマー状の防具。そこから左右の太腿を部分的に覆う垂れが伸びている。


背には長槍。


装飾品ではない。


手入れの状態を見ただけでも、実際に使われている武器だと分かる。


一方、女性たちは基本的にビキニアーマーを身につけていた。


胸部と腰部を守る最低限の硬質防具。


装飾的なものもあれば、明らかに戦闘用と思われるものもある。


人間側の女性調査員が、少し困惑した顔で海の民の女性を見ていた。


「……あれが普通の服装なんですか?」


蓮が答える。


「みたいだね」


「防具ですよね?」


「たぶん」


「かなり……軽装ですが」


近くにいた海の民の女性が逆に首を傾げた。


「あなた方は、なぜそんなに布をまとっているのです?」


「え?」


「泳ぎにくくありませんか?」


「私たちは普段泳ぎませんから」


海の民の女性はさらに首を傾げる。


「……なぜ?」


人間側の調査員が詰まった。


「なぜと言われても……」


蓮が笑う。


「向こうから見たら、こっちの方が変なんだよ」


アルベルトは男性たちの装備を興味深そうに見ていた。


「なるほど。合理的だ」


蓮が振り向く。


「真似するなよ」


「何をだ?」


「今、自分もこの格好なら似合うとか考えただろ」


「私はもう少し装飾を加える」


「やる気じゃん」



      ◇



マリスの民の身体は、陸上で暮らすエルフとはかなり違っていた。


耳の後方には大きなヒレ。


首には鰓。


指の間には水かき。


皮膚は滑らかで、青白い。


さらに、水中へ入ると脚部に沿って畳まれていた大きな尾ヒレが展開する。


蓮は初めてそれを間近で見た時、素直に感心した。


「すごいな、それ」


若いマリスの女性が振り返る。


「これですか?」


「陸では邪魔じゃないの?」


「畳んでいますから」


「泳ぐ時だけ?」


「はい」


言うなり、水路へ飛び込む。


尾ヒレが大きく開いた。


次の瞬間。


消えた。


「速っ」


蓮が水路を見る。


遠くで水面が揺れる。


もう数十メートル先まで行っていた。


『水中活動用デザインヒューマンとして極めて合理的な形質です』


イザナミが解析する。


『筋組成、骨格、肺機能、鰓機能、血中酸素運搬能力。いずれも水中活動を強く意識した設計です』


「やっぱり俺たち由来なんだな」


『ほぼ間違いありません』


「創造神様?」


近くにいた子供が蓮を見上げる。


「何?」


「その耳、どうしてそんなに小さいの?」


「人間はこれが普通なんだよ」


「ヒレもない」


「ないね」


「鰓も」


「ない」


「かわいそう」


蓮が固まった。


「かわいそうなの、俺?」


子供は真剣だった。


「泳げないのでしょう?」


「泳げるよ」


「マリスくらい?」


「……それは無理」


「やっぱりかわいそう」


アルベルトが後ろで笑っている。


「お前も同じようなもんだろ」


「私は泳げる」


「こないだ流されたじゃん」


「環境が特殊だった」


そこへ別の子供がアルベルトの耳を見る。


「あなたもマリス?」


「いや」


アルベルトは少し胸を張る。


「私はエルフだ」


「エルフ?」


「そうだ」


「それは何?」


アルベルトが止まった。


蓮が笑う。


「通じなかったね」


「……妙なものだな」


アルベルトは自分の耳に触れた。


「我々の方では、これが普通なのだが」


子供が聞く。


「鰓がないのに?」


「ない」


「尾ヒレも?」


「ない」


「泳ぐの遅い?」


「……陸上では私の方が速い」


「負け惜しみだ」


「誰が教えた、その言葉」



      ◇



その日の昼。


蓮たちは再び、マリスの民の食事に招かれた。


魚。


貝。


海藻。


甲殻類。


深海で取れる、地上では見たこともない生物。


料理法そのものは意外と多彩だった。


焼く。


蒸す。


煮る。


塩漬け。


乾燥。


発酵。


蓮は魚のような白身を食べる。


「これうまい」


アルベルトも頷いた。


「悪くない」


次に海藻を使った料理。


これもうまい。


貝もいい。


そして、あの小さな壺が置かれた。


蓮とアルベルトの動きが止まる。


蓋が開く。


猛烈な匂い。


「……また来た」


蓮が呟く。


マリスの女性が笑顔で言う。


「お好きだと聞きました」


「誰から?」


「前回、全部召し上がったと」


蓮がアルベルトを見る。


「お前言った?」


「私は言っていない」


「俺も言ってない」


「では誰が?」


分からない。


壺が二つ置かれた。


逃げ道がなくなった。


ネレウスが隣で平然と食べている。


「滋味深いものですぞ」


蓮が一口。


「…………」


アルベルトも一口。


「…………」


ネレウスが尋ねる。


「いかがです?」


蓮とアルベルトが同時に答えた。


「個性的だ」


「個性的ですな」


ネレウスは満足そうに頷いた。


「おかわりを」


「いらない」


二人の声が重なった。



      ◇



食事の後。


蓮たちは都市の記録庫へ案内された。


本来の目的を忘れていたわけではない。


深海から発せられる人工的な信号。


マリスの民が《深淵》と呼ぶ場所。


彼らが何千年も海底で暮らしているなら、何かしらの記録が残っている可能性が高い。


実際、その通りだった。


石板。


貝殻に刻まれた記録。


古い金属板。


さらに、人類施設の一部を利用した記録保管庫。


長い年月の中で形式は変わっているが、深淵に関する記録だけは特別に保存されていた。


蓮が尋ねる。


「なんで深淵って呼ぶの?」


ネレウスが答える。


「古くからそう呼ばれております」


「意味は?」


「底知れぬ場所」


「そのままだな」


「ですが、単に深いからではございません」


ネレウスの声が少し低くなる。


「我らの祖先は、あの場所へ何度も入りました」


アルベルトが前へ出る。


「中へ?」


「はい」


「海中を進むのか?」


「いいえ」


「?」


ネレウスは古い記録を取り出した。


「入り口を越えれば、水はないと伝えられております」


蓮が眉をひそめる。


「海底なのに?」


「はい」


「空気は?」


「あると」


アルベルトの目が輝き始めた。


蓮が横を見る。


「嬉しそうだな」


「未知の海底施設。内部には空気。帰還しなかった探索者」


「だからダンジョンって言いたいんだろ」


「違うのか?」


「たぶんもうダンジョンでいいよ」


アルベルトが満足そうに頷いた。


「ようやく理解したか」


「負けた気がする」



      ◇



ネレウスが一枚の古い板を取り出した。


表面には絵が描かれている。


蓮は覗き込んだ。


「……何これ」


イカに似ている。


しかし胴体がない。


長い触手だけ。


中央には円形の穴。


その内部に、歯のようなものが幾重にも描かれている。


「これ生き物?」


「深淵に住むものと伝えられております」


「水ないんだよね?」


「はい」


「じゃあ、どうやって動くの?」


ネレウスが答える。


「空を泳ぐそうです」


蓮がアルベルトを見る。


アルベルトも蓮を見る。


「……空を泳ぐイカ?」


「胴体ないけど」


「イカではないのでは?」


「じゃあゲソ?」


「ゲソとは?」


「忘れて」


ネレウスは真面目な顔で続ける。


「帰還した者の記録では、この生き物は触手で獲物を捕らえ、中央の口で噛み砕くとあります」


「歯あるんだ」


「鋭いそうです」


アルベルトは完全に冒険者の顔になっていた。


「面白い」


「噛まれるの俺らだからね」


「噛まれなければいい」


「簡単に言うなよ」



      ◇



さらに記録を調べる。


深淵へ入った者。


戻った者。


戻らなかった者。


そして、戻った後に様子がおかしくなった者。


「これは?」


蓮が記録の一部を指す。


ネレウスが少し黙った。


「古い話です」


「どれくらい?」


「正確には分かりませぬ」


深淵から帰還した一人の探索者。


身体に大きな傷はなかった。


しかし、帰還後から海を怖がるようになった。


マリスの民にとって、海を恐れるというのは異常なことだった。


やがて彼は、何度も同じ言葉を口にするようになったという。


「何て?」


ネレウスは古い文字を読む。


「『海の王は、もう海の王ではない』」


蓮の表情が変わった。


「海の王?」


「我らには、古くから巨大な海の守護者についての伝承がございます」


アルベルトが尋ねる。


「生物か?」


「そう伝えられております」


「名前は?」


ネレウスが古語を口にした。


翻訳ナノマシンが意味を組み替える。


蓮の視界に表示が出た。


《適訳候補――LEVIATHAN》


蓮が呟く。


「……リヴァイアサン」


「知っているのか?」


アルベルトが尋ねる。


「地球の古い伝承にも似た名前があった」


ネレウスが僅かに目を細める。


「やはり、創造神の世界にも」


「その創造神設定はいったん置こう」


「なぜです?」


「長くなるから」



      ◇



記録調査が一段落した頃。


ネレウスは槍を持って立ち上がった。


「創造神様」


「何?」


「本当に深淵へ向かわれるおつもりですかな」


「そのために来たからね」


「昨日の鳴き声を聞いても?」


「むしろ行かないと何なのか分からない」


ネレウスは蓮を見た。


いつもの、どこか訳知り顔。


「ならば、一つ」


「何?」


「古き言葉にございます」


蓮の眉が僅かに動いた。


「また?」


ネレウスは気にしない。


「怪物と戦う者は、その過程で自らも怪物とならぬよう心せよ」


蓮の表情が止まった。


アルベルトは静かに聞いている。


ネレウスは続けた。


「そして――」


視線を記録庫の向こうへ向ける。


その先には厚い壁。


さらにその外側には、深い海。


そしてその遥か下に《深淵》がある。


「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」


蓮は完全に黙った。


ネレウスが尋ねる。


「いかがなされました?」


「いや」


「創造神様?」


「それ……誰から聞いた?」


「我が師より」


「その人は?」


「さらにその師より」


「一番最初は?」


ネレウスは少し考えた。


「分かりませぬ」


蓮が額を押さえた。


「だよね……」


アルベルトが首を傾げる。


「知っている言葉なのか?」


「地球にいた哲学者の言葉だよ」


「ほう」


ネレウスが僅かに驚く。


「やはり創造神の世界の賢者のお言葉でしたか」


「いや、なんでここに残ってんの?」


『伝播経路は確認できません』


イザナミまで分からない。


蓮はますます納得できなかった。


「誰だよ、昔これ持ち込んだ奴……」


ネレウスは満足そうに頷いた。


「古き言葉とは、時を越えるものですな」


「便利な結論だな」



      ◇



その後、蓮たちは都市の水路へ案内された。


調査だけではなく、マリスの民の移動方法を実際に確認するためだ。


マリスの若者たちが次々と水へ飛び込んでいく。


尾ヒレが開く。


水面が弾ける。


あっという間に見えなくなる。


アルベルトが腕を組んだ。


「なるほど」


蓮が振り向く。


「やるなよ」


「何を?」


「泳ぐ気だろ」


「私は冒険者だ」


「答えになってない」


アルベルトは上着を脱いだ。


「ほら!」


「生態を理解するには、体験が一番だ」


「絶対負けず嫌いなだけだろ」


アルベルトは水へ飛び込んだ。


マリスの若者も飛び込む。


数秒後。


若者は遥か先。


アルベルトはまだ手前。


「……」


蓮は黙って見ていた。


数分後。


アルベルトが戻ってくる。


呼吸が荒い。


「どうだった?」


「……水中では、彼らに分がある」


「完敗って言えよ」


「陸上なら私が勝つ」


「誰も陸上の話してないから」


近くにいた子供がアルベルトへ言った。


「遅かった」


「君」


「なに?」


「陸へ来たまえ」


「泳がないの?」


「走る」


「なんで?」


アルベルトは答えられなかった。


蓮は腹を抱えて笑った。



      ◇



夕方。


蓮は都市の観測区画から海を眺めていた。


隣にはネレウス。


その手には長槍がある。


「ネレウス」


「はい」


「その槍、飾りじゃないよね?」


ネレウスが少し笑う。


「昔は、これで深海獣をよく仕留めました」


「昔?」


「今でも仕留められますぞ」


蓮は槍を見る。


「深淵に詳しいのも、それが理由?」


「一部は」


「一緒に来る気?」


ネレウスは暗い海を見た。


「創造神様が深淵へ向かわれるというのに、道を知る者がここに残る理由がありましょうか」


「危ないよ」


「存じております」


「帰ってこなかった人もいる」


「存じております」


「リヴァイアサンとかいうのもいるかもしれない」


「だからこそです」


ネレウスは槍を軽く床へ突いた。


乾いた音が響く。


「古き言葉にございます」


蓮が身構えた。


「今度は何?」


ネレウスは真顔で答えた。


「目には目を、歯には歯を」


「うん」


「そして力こそパワー」


蓮がゆっくり振り向いた。


「最後の誰だよ」


ネレウスは真剣だった。


「古き言葉にございます」


「絶対途中で誰か足してるだろ!」


少し離れたところにいたアルベルトが頷く。


「なるほど。深い」


「お前まで納得するな!」


ネレウスは静かに笑った。


蓮も呆れながら笑う。


だが、その視線が再び海へ向いた時、表情は少し変わった。


暗い。


どこまでも暗い。


その奥に、信号源がある。


空を泳ぐ異形。


帰還しなかった探索者。


海を恐れるようになった者。


そして。


もう海の王ではないという、リヴァイアサン。



数日間の交流で、蓮たちはマリスの民について多くのことを知った。


彼らもまた、何千年という時間をこの惑星で生きてきた人々だった。


そして同時に。


彼らが何千年も避け続けてきたものが、海の底にはある。



マリスの民は、それをただ一つの名で呼ぶ。



――深淵。



――第四十三話 マリスの民 了

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