第42話 創造神、再び
「で、とうとう直接行くわけだ」
蓮は会議室の中央に浮かぶ海底地形図を眺めていた。
惑星EDENの海底から発せられている、正体不明の信号。
最初に発見されたのは、海洋環境を再調査していた無人探査機によるものだった。一定の周期を持ち、自然現象とは考えにくい。発生源を絞り込んだところ、かなりの深海にあることまでは判明している。
問題は、その先だった。
「これが信号源?」
『正確には推定位置です』
イザナミが海底地形を拡大する。
岩盤の一部に、不自然な直線が見える。
『周辺へ無人探査機を送りましたが、一定距離まで接近すると通信状態が急激に悪化します。二機を喪失しました』
「壊された?」
『原因不明です』
「内部は?」
『不明です』
「大きさは?」
『不明です』
「何がある?」
『不明です』
蓮の口元が僅かに上がる。
『蓮』
「何?」
『楽しんでいませんか』
「まさか」
楽しんでいた。
未知の場所。
内部構造不明。
無人探査機が二機消失。
しかも人工物らしき構造まで確認されている。
かつて廃ゲーマーであり、現在は暇を見つけては地球由来のダンジョンへ潜り続けている男にとって、これほど好奇心を刺激される案件も珍しい。
「たださ」
蓮は腕を組んだ。
「俺、一応最高責任者なんだけど」
『はい』
「こういう正体不明の危険な場所に、最高責任者本人が行くのって組織としてどうなの?」
『推奨できません』
「だよね」
『専門の海洋調査班を派遣すべきです』
「でも俺が行った方が早いよね?」
『蓮』
「何か人類由来の設備だったら、管理者権限が必要になるかもしれないし」
『蓮』
「ナノマシンへのアクセス権も俺が一番高い。それにダンジョンで取った特典も――」
『行く気ですね』
「まあね」
最初からそのつもりだった。
◇
深海調査に使用されるのは、有人の深海潜水艇だった。
通常は潜水艇から出る必要はない。
しかし信号源が人工施設だった場合、内部へ直接侵入する可能性がある。
そのため格納庫には、深海用の装備も用意されていた。
蓮はその一つを見上げる。
「……ゴツいな」
人間一人を完全に覆う重装甲。
一般的な潜水服とはまるで違う。
耐圧殻と強化外骨格を組み合わせた深海作業用パワーアーマーだった。
背部には推進装置と生命維持装置。緊急浮上機構、照明、ソナー、各種センサー。装甲内部にはナノマシンとの接続機構まで組み込まれている。
万一潜水艇が故障しても、一定時間なら深海で単独行動が可能だった。
『信号源周辺の状況が不明である以上、必要な装備です』
「これ着て歩ける?」
『地上では重量がありますが、強化外骨格によって問題ありません』
「戦える?」
『本来は作業用です』
「戦える?」
『……可能です』
「よし」
『何が「よし」なのですか』
その時だった。
格納庫の扉が開く。
「話は聞かせてもらった」
蓮は振り返った。
嫌な予感は当たった。
「……なんでいるの?」
アルベルトだった。
整った顔立ち。綺麗に整えられた口髭。そして本人が最高に似合っていると信じている冒険者装備。
「海底に正体不明の人工信号源があるそうだな」
「誰から聞いた?」
「冒険者には独自の情報網というものがある」
「学校の生徒?」
アルベルトは黙った。
「学校の生徒だな」
「情報源を明かすことはできない」
「当たってるじゃん」
アルベルトは深海用パワーアーマーを見上げた。
「無人探査機が二機消失。内部構造不明。そして人工物である可能性が高い」
「ずいぶん詳しく聞いたな」
アルベルトが口髭を撫でる。
「つまり、ダンジョンだ」
「まだ決まってないよ」
「ならば確かめればいい」
「俺たちがね」
「私たちが、だ」
「増えてるんだけど」
アルベルトは当然のように同行者となった。
もっとも、蓮も本気で止めるつもりはなかった。
アルベルトの冒険者としての実力は本物である。
性格に若干――いや、かなり面倒なところがあるだけだ。
そしてアルベルトは自分用として準備された深海用パワーアーマーを見た。
「…………」
「何?」
「私はこれを着るのか?」
「当たり前だろ」
「断る」
「なんでだよ」
「美しくない」
「深海だぞ」
「もう少し細身にはできないのか?」
「できない」
「外装を白くするとか」
「色の問題なの?」
「冒険者というものは、未知の世界へ挑む時ほど――」
「水圧はお前の美学に配慮してくれないからな」
アルベルトはしばらくアーマーを睨んでいた。
◇
潜水艇はゆっくりと海へ沈んだ。
最初は青い世界だった。
太陽の光が海中へ差し込み、魚の群れが窓の外を横切る。
深度が増す。
青が濃くなる。
光が減る。
やがて完全な暗闇になった。
潜水艇の照明だけが、深海を切り取る。
「美しいな」
窓の外を眺めていたアルベルトが呟いた。
「こういうところは素直なんだな」
「私は常に素直だ」
「嘘つけ」
『信号強度が上昇しています』
イザナミの声で、蓮の表情が変わった。
前方の立体表示に波形が現れる。
一定の周期。
間違いない。
例の信号だ。
「近い?」
『まだ距離があります。ただし――』
イザナミの声が止まった。
「どうした?」
『人工構造物らしき反応を確認』
蓮が前を見る。
「信号源?」
『違います』
「じゃあ何?」
『信号源より手前です』
潜水艇が進む。
最初に見えたのは光だった。
蓮が眉をひそめる。
「……光?」
一つではない。
二つ。
十。
数十。
暗黒の海底に、無数の光が浮かび上がっていく。
やがて、その全貌が見えてきた。
巨大なドーム。
塔。
連絡通路。
複数の構造物が海底に広がっている。
都市だった。
「イザナミ」
『確認しています』
「俺たちが作った施設?」
『基本構造に一致する部分があります。テラフォーミング初期に建造された海洋環境管理施設である可能性があります』
「じゃあ遺跡か」
『……蓮』
「何?」
『動体反応』
窓の前を何かが横切った。
速い。
「今の何?」
アルベルトも立ち上がる。
もう一つ。
今度は見えた。
人だった。
水中を泳いでいる。
潜水装備など何もない。
細い身体。
長い手足。
そして耳。
「……エルフ?」
アルベルトが呟いた。
しかし違う。
耳は陸上のエルフより幅が広く、ヒレのように薄い。
首筋には鰓らしき裂け目。
手足の指には水かき。
青白い皮膚。
それが潜水艇の窓へ近づいた。
向こうもこちらを見ている。
「……人?」
蓮が言った。
『少なくとも人類型生命体です』
一人。
二人。
さらに増える。
水中を泳ぐ者たちが、潜水艇を取り囲み始めた。
槍のような武器を持っている者もいる。
「歓迎されてる感じではないな」
アルベルトが言う。
「そりゃそうだろ。いきなりこんなの来たら俺でも警戒するよ」
彼らにとっては、巨大な金属の怪物が突然現れたようなものだ。
蓮は通信手段を考えた。
だが、その必要はなかった。
『蓮。施設側から接続要求を受信』
「施設から?」
『はい』
蓮は少し考えた。
「受けて」
『了解』
次の瞬間。
暗かった海底都市の一部に、一斉に光が灯った。
水中の者たちが動きを止める。
「……え?」
都市のさらに奥。
何千年も使われていなかったと思われる巨大なドッキング施設が開き始めた。
『管理者権限を要求されています』
「俺の?」
『はい』
「認証」
『実行します』
表示が浮かぶ。
《ADMINISTRATOR AUTHENTICATION》
《REN AMAGI》
《ACCESS GRANTED》
「まだ俺の権限残ってるんだ」
水中にいた者たちの様子が変わった。
武器を下ろしている。
いや。
何人かは、海中で頭を下げていた。
◇
潜水艇は海底都市へ入った。
巨大な気密扉が閉じる。
海水が排出される。
空気が満たされる。
蓮たちは念のため簡易防護装備を身につけ、外へ出た。
「空気は?」
『呼吸可能です』
「すごいな。まだ環境維持設備が動いてる」
通路の基本構造には見覚えがある。
金属製の壁。
配管。
隔壁。
旧人類の海洋施設だ。
しかし、そこには明らかに別の文化が根付いていた。
壁には貝殻。
海を模した彫刻。
古い制御盤の上には花が供えられ、祭壇のようになっている。
そして通路の向こうから、先ほど水中にいた者たちが現れた。
蓮は初めて間近で見る。
「やっぱりエルフに似てるな」
アルベルトが一歩前へ出た。
向こうもアルベルトを見る。
耳を見る。
ざわめきが起きた。
一人がアルベルトの耳を指差す。
そして自分のヒレ状の耳に触れる。
「親戚か?」
蓮が言った。
「少なくとも遠い血縁ではありそうだな」
アルベルトも興味深そうに彼らを見る。
翻訳ナノマシンが言語解析を開始する。
完全ではない。
しかし短いやり取りを重ねるうちに、意味が通じ始めた。
彼らもまた、自分たちを「人」と認識していた。
海に生きる民。
水中と空気中の双方で生活する者たち。
人類側の調査員が小声で言った。
「海のエルフ……」
その呼び名が、妙にしっくりきた。
◇
しばらくすると、海エルフたちの中から高齢の男が現れた。
長老らしい。
蓮たちは都市中央部へ案内された。
途中、蓮は何度も足を止めた。
「これ……まだ動いてる」
壁の亀裂が淡く光り、ゆっくり塞がっていく。
『自己修復ナノマシンです』
海エルフの一人が言った。
「都市は傷ついても、自ら治ります」
「そうだね」
「私たちは、この都市も生きていると教えられてきました」
蓮は壁を見る。
科学的には、ただの自己修復機構だ。
だが数千年間、この施設は彼らを深海から守り続けてきた。
それを生きていると呼ぶことを、蓮は否定しなかった。
やがて一行は大きな広間へ入った。
正面の壁に巨大な紋様が刻まれている。
蓮はそれを見上げた。
「……これ何?」
海エルフたちが一斉に静かになった。
中央には、人の姿。
その人物が海へ手を伸ばし、その周囲を魚や海獣、人々が泳いでいる。
上には星。
下には海。
長老が言った。
「創造の神です」
蓮が止まった。
アルベルトが蓮を見る。
「ほう」
「見るな」
長老が続ける。
「世界がまだ死んでいた時、天より降り、海へ命を与えた方」
蓮は嫌な予感がした。
「ちなみに……名前とかある?」
長老が答える。
「アマギ・レン」
蓮は目を閉じた。
「またか……」
アルベルトが口髭を撫でる。
「創造神殿」
「やめろ」
長老が怪訝そうに二人を見る。
「あなた方は、創造神をご存じなのですか?」
「まあ……知ってるというか」
その時、広間の奥にある古い端末が反応した。
蓮が近づく。
「これも生きてるな」
手を触れる。
端末が点灯した。
《ADMINISTRATOR》
《REN AMAGI》
長老の目が見開かれた。
「…………」
蓮は表示を見る。
「これ俺の名前」
「…………」
「いや、正確には名字と名前の順番が――」
長老が震え始めた。
「あなたの……名を」
「え?」
「あなたの名を、お聞かせください」
嫌な予感しかしない。
「天城蓮」
長老が息を呑んだ。
「アマギ……レン」
「はい」
長老が跪いた。
「え?」
周囲の海エルフたちも次々と膝をつく。
「ちょっと待って」
「創造神……」
「いや」
「創造神が」
「違うって」
「海へ帰還された!」
「だから違う!」
広間に歓声が響いた。
蓮は天井を見上げた。
「なんで陸でも海でもこうなるんだよ……」
『歴史的経緯を考慮すれば自然な結果です』
「イザナミまで」
アルベルトは肩を震わせている。
「笑ってるだろ」
「いや」
「絶対笑ってるだろ」
「創造神殿に対して失礼なことはできん」
「殴るぞ」
◇
海エルフの伝承は、陸上のエルフに残るものとは少し違っていた。
創造神アマギ・レンは天より降り、死んだ海へ生命を与えた。
海底から大地を持ち上げ、海へ光を灯し、最初の海の民を生み出した。
「俺、海底から大地なんて持ち上げてないよ」
『惑星規模の地殻調整は実施されています』
「俺が直接やったわけじゃないだろ」
『最高責任者でした』
「そういうの全部俺のせいになるの?」
さらに伝承では、創造神が手を振るだけで海が二つに割れたことになっていた。
「割ってない」
『大規模な海流制御は――』
「もういい」
アルベルトは楽しそうだった。
「なかなか豪快ではないか」
「俺じゃねえって」
しかし、笑っていられたのはそこまでだった。
蓮は本来の目的を思い出した。
立体地図を表示する。
「俺たちは、これを調べに来た」
信号源の推定位置を示す。
海エルフたちの表情が変わった。
長老も笑みを消した。
「……そこへ行かれるのですか」
「そのつもり」
「創造神であっても?」
「創造神じゃないけどね」
長老は地図を見る。
「おやめください」
アルベルトの目が僅かに細くなる。
蓮が尋ねた。
「何か知ってる?」
長老はしばらく答えなかった。
やがて静かに口を開く。
「私たちも、あの場所が何なのかは知りません」
「行った人は?」
「はるか昔には」
「戻ってきた?」
「戻った者もおります」
その言い方で分かった。
戻らなかった者もいる。
「何がある?」
「分かりません」
「じゃあ、なんで行くなって?」
長老は広間の奥を見る。
その先には、厚い観測窓。
窓の向こうには深海の闇が広がっている。
「時折、聞こえるのです」
「何が?」
「声が」
蓮が眉をひそめる。
「信号?」
「あなた方が信号と呼んでいるものとは違います」
長老は暗い海を見つめた。
「鳴き声です」
広間が静かになった。
『蓮』
イザナミの声が入る。
「何?」
『低周波振動を検出しました』
蓮の表情が変わった。
「海底地震?」
『違います』
「発生源は?」
数秒。
『推定信号源とほぼ同一方向です』
次の瞬間だった。
――――ォォォォォォォォォ……。
低い。
あまりにも低く、耳で聞くというより身体で感じる音だった。
都市の壁が僅かに震えた。
海エルフたちの顔から表情が消える。
長老が呟いた。
「……これです」
アルベルトはもう笑っていなかった。
蓮は観測窓の向こうを見る。
何も見えない。
ただ、深い闇だけがある。
その闇のさらに下。
人類が知らない何かが、今も存在している。
人工的な信号を発しながら。
時折、海を震わせる声を上げながら。
アルベルトが静かに口髭へ触れた。
「蓮」
「何?」
「やはりダンジョンではないか?」
蓮はしばらく黙った。
そして、ほんの少し笑った。
「……明日、行ってみようか」
『蓮』
「調査だよ。調査」
『嬉しそうですね』
「気のせい」
最高責任者としては、危険な場所へ自ら赴くべきではない。
そんなことは蓮自身が一番よく分かっていた。
だが。
未知の海底。
正体不明の信号。
帰還しなかった探索者。
そして、闇の奥から響く巨大な鳴き声。
これだけ揃っていて行かないという選択肢は、天城蓮には最初から存在しなかった。
――第四十二話 創造神、再び 了




