第41話 惑星EDEN
「嫌だよ」
天城蓮は即答した。
「嫌だよ、ではありません」
「今日は予定がある」
「確認しました」
「じゃあ分かるだろ」
「第七迷宮周回、とありますが」
「予定入ってるじゃん」
「それを世間では趣味と言います」
蓮は黙った。
人間とエルフの子供たちが共に学ぶようになった学校。その教師が、朝から蓮の執務室まで押しかけてきていた。
今日の授業は歴史。
題材は、人類によるこの惑星の発見とテラフォーミング開始までの経緯である。
当然、記録映像も資料も残っている。イザナミに尋ねれば、日時から投入された資材の量まで正確に答えてくれる。
しかし教師が求めていたのは記録ではなかった。
「実際に経験した人から話を聞かせたいんです」
「イザナミも経験してるだろ」
『私は経験者というより記録者に近い存在です』
「裏切ったな」
『事実を述べただけです』
教師が続ける。
「当時を直接知っている人間なんて、ほとんどいないんですよ。その一人が毎日のようにダンジョンへ潜っているんですから、協力してください」
「暇だから潜ってるんじゃないんだけど」
「では何を?」
「特典集め」
「それを暇と言うんです」
「違うだろ」
「行きますよ」
「ちょっと待て。俺、一応ここの最高責任者――」
「知っています」
「午後から仕事も――」
「それまでには終わります」
反論の余地を一つずつ潰され、惑星最高責任者は学校へ連行された。
◇
教室には、人間とエルフの生徒がほぼ半数ずつ座っていた。
以前なら考えられなかった光景である。
エルフの子供が人間の文字を読み、人間の子供がアルセリアの歴史を学ぶ。同じ机で計算問題を解き、昼になれば同じ食堂へ行く。
選択科目には冒険者コースまである。
その講師には、あのアルベルトがいる。
学校そのものが、人間たちがこの惑星へ降り立った頃とは別物になりつつあった。
教室前方の壁面に今日の題目が表示されている。
《歴史――惑星EDENの発見とテラフォーミング》
エルフの生徒たちにとっても、最近ではEDENという言葉は珍しいものではなくなっていた。
人間側の地図にはEDENと書かれている。
交易書類にもEDEN。
学校の教材にもEDEN。
市場ではガルクをはじめとするゴブリン商人まで、
「EDEN北部産」
「EDEN人間居住区向け」
などという言葉を使い始めている。
《EDEN名物を目指す!》
などと書かれた札を店先に掲げたラァメン屋まで現れた。
もっとも、エルフたちは今でもこの世界をアルセリアと呼ぶ。
EDENという言葉は、それを塗り替えるのではなく、もう一つの名前として少しずつ生活の中へ入り込んでいた。
「今日は特別講師に来ていただきました」
教師が言う。
生徒たちが一斉に蓮を見る。
蓮は教壇の横に立っていた。
居心地が悪そうだった。
「天城蓮さんです」
「知ってます」
人間の生徒が言った。
「……だよね」
エルフの生徒たちも当然知っている。
むしろ人間側より反応が大きい。
一部ではいまだに創造神として扱われる人物本人が、歴史の授業に連れてこられたのだから無理もない。
「えー……天城蓮です」
「知ってます」
今度はエルフの生徒が言った。
「うん。さっき聞いた」
教室から笑いが起きた。
蓮は教師を見る。
「俺いらなくない?」
「必要です」
帰してくれそうにはなかった。
◇
最初に映し出されたのは、現在のEDENだった。
青い海。
大陸を覆う森林。
雲。
山脈。
夜になれば都市の灯りも見える。
次に映像が切り替わった。
同じ惑星。
しかし、まるで違う。
エルフの生徒たちが静かになった。
緑がほとんどない。
現在なら森林が広がっている地域も、荒涼とした大地が続いている。
海の色も違う。
大気組成も現在とは異なり、生命が豊かに繁栄できる環境ではなかった。
「これが……アルセリア?」
一人のエルフが呟いた。
蓮が答える。
「そうだよ」
「木がない」
「ほとんどなかったからね」
「動物は?」
「今いるようなのはいない」
生徒たちが画面を見る。
彼らにとって森は、最初から存在するものだった。
川も。
動物も。
自分たち自身も。
だが、そのすべてが存在しない時代を知っている人間が、目の前にいる。
教師が説明する。
「人類は地球を離れた時、この惑星へ来る予定だったわけではありません」
一人の生徒が手を挙げた。
「最初からここを目指していたんじゃないんですか?」
「違うよ」
蓮が答えた。
「俺たちも、どこへ行けるか分からなかった」
「目的地がなかった?」
「候補はいくつもあった。でも、実際に住めるかどうかは行って調べないと分からなかったから」
長い航海だった。
探査。
観測。
計算。
候補となる恒星系を調べ、可能性がなければ次へ向かう。
しかし、推進器の破壊からの修理。
行く当てがなくなり、そうして見つけたのが、この惑星だった。
「最初に見た時、どう思いました?」
人間の生徒が尋ねた。
蓮は少し考えた。
「……ここなら、いけるかもしれないと思った」
「嬉しかったですか?」
「いや」
意外な答えだったらしく、生徒たちが蓮を見る。
「怖かったかな」
「怖い?」
「俺たちには、もう地球へ帰るって選択肢がなかったから」
教室が静かになる。
蓮は荒涼とした惑星の映像を見る。
「テラフォーミングできる可能性は高い。でも絶対じゃない。失敗したら次を探せばいいって簡単に言える状況でもなかった」
あの時代。
この惑星は楽園などではなかった。
むしろ、人類が生きられるかどうかすら分からない未知の世界だった。
「だから決めたんだ」
蓮が言う。
「ここを変えようって」
◇
映像が進む。
軌道上から投下される無数の機器。
大気改変設備。
環境ナノマシン。
海洋環境調整。
微生物。
植物。
生態系を一段ずつ構築していく。
人間の生徒たちは知識として知っている。
だがエルフの生徒たちには、自分たちの世界が作られていく映像だった。
やがて一人が手を挙げた。
「先生」
「はい」
「さっきからEDENって書いてありますけど」
画面の端には、
《EDEN TERRAFORMING PROJECT》
という文字が表示されている。
「EDENって、どういう意味なんですか?」
教師は蓮を見た。
「せっかくなので本人に聞きましょう」
「また俺?」
「当時いたでしょう」
「いたけどさ」
蓮は少し考える。
「大昔の地球の物語に出てくる名前だよ」
「物語?」
「宗教とか神話とか、そういうのに近いかな。簡単に言えば――楽園って意味」
エルフの生徒たちが小さくざわついた。
「楽園……」
「この世界が?」
「そう」
蓮が頷く。
「ここをテラフォーミングするって決めた時に、新しい故郷になるんだから名前を付けようって話になった」
一人のエルフの少女が目を輝かせた。
「蓮様が考えたんですか?」
「いや」
即答だった。
教師が妙な笑顔を浮かべた。
蓮がそれに気づく。
「おい」
「せっかくですから、命名時の話もしていただきましょう」
「必要ない」
「歴史の授業です」
「歴史には残さなくていいこともあるだろ」
教師が端末を操作した。
「当時の会議記録が残っています」
「消せない?」
『できません』
イザナミが答えた。
「聞いてないよ」
教室の生徒たちが期待した顔になる。
教師が読み上げた。
「天城蓮さん、第一案――ニューガイア」
沈黙。
エルフたちが首を傾げる。
「どういう意味ですか?」
「新しい大地、くらいですね」
教師が答える。
蓮が腕を組む。
「悪くないだろ」
人間の生徒たちは微妙な顔をしている。
教師が続けた。
「第二案――ネオチキュー」
人間側の生徒から笑い声が漏れた。
エルフには意味が分からない。
「チキューって?」
「人間たちの故郷の名前です」
「じゃあ、新しい地球?」
「そうです」
エルフの少女が考える。
「……EDENの方が綺麗」
「だよな」
人間の生徒が言った。
「お前らな」
教師は容赦しなかった。
「第三案、第二地球」
「それは普通だろ!」
「第四案、地球2」
「それは冗談で言った!」
教室が笑いに包まれる。
「第五案――」
「まだあるの!?」
「シン・地球」
「もうやめろ!」
教師が笑いながら端末を閉じた。
エルフの少女が恐る恐る手を挙げる。
「……EDENになって良かったと思います」
「私も」
「僕も」
「ニューガイアもそんな悪くないだろ」
誰も賛同しなかった。
「なんでだよ」
最高責任者の威厳が少しだけ失われた。
◇
笑いが収まった後、教師が実際に採用された案を表示した。
《EDEN》
「これは当時のテラフォーミング担当者の一人が提案した名称です。人類が新しい故郷として作る世界。その願いを込めて、古い地球の伝承にある楽園の名が採用されました」
蓮が画面を見る。
「当時はちょっと大げさだと思ったんだけどな」
「そうなんですか?」
「だって見てみろよ」
蓮がテラフォーミング前の映像を指差す。
荒野。
灰色の空。
生命の乏しい海。
「これ見て『楽園』って言われてもな」
生徒たちが笑う。
蓮も笑った。
だが、ふと教室の窓へ目を向けた。
外には木々がある。
人間とエルフの生徒が校庭を歩いている。
遠くには新しく建てられた建物。
その向こうには、古いエルフの町並み。
人間の技術で造られた乗り物の横を、荷物を積んだ獣が歩いている。
ゴブリン商人が店を広げている。
どこからか食べ物の匂いまで漂ってきた。
ラーメンなのかラァメンなのかは分からない。
「でも」
蓮が言った。
「今なら、悪くない名前だったと思う」
教室が少し静かになった。
「楽園になったから?」
エルフの少女が尋ねる。
蓮は少し考えた。
「そこまでは言わない」
「違うんですか?」
「問題だらけだろ、この世界」
魔物もいる。
危険な迷宮もある。
ゴブリンとの関係だって完全に安定したわけではない。
人間とエルフの価値観にも、まだ大きな違いがある。
そして、この惑星には人類にも理解できない場所が残されている。
「でもまあ」
蓮は窓の外を見る。
「住みたいって思える場所にはなったんじゃないかな」
それで十分だった。
◇
授業も終わりに近づいた頃、一人のエルフの少年が手を挙げた。
「質問があります」
「どうぞ」
「僕たちは、この世界をアルセリアって呼びます」
「うん」
「人間はEDENって呼びます」
「そうだね」
少年は少し考えてから尋ねた。
「どっちが本当の名前なんですか?」
教師が蓮を見る。
蓮は今度は迷わなかった。
「どっちも」
少年が首を傾げる。
「二つあっていいんですか?」
「いいんじゃない?」
蓮は簡単に答えた。
「俺たちはここをEDENって呼び始めた。でも、お前たちは何千年もアルセリアって呼んできたんだろ」
「はい」
「じゃあ両方本物だよ」
少年はまだ少し納得していない。
「でも、最初に名前を付けたのは人間ですよね?」
「だからって後から別の名前を付けちゃいけない理由にはならないだろ」
「そういうものですか?」
「地球だって、同じ場所を違う言葉で別の名前で呼んでたしな」
蓮は肩をすくめた。
「名前なんて、そこで生きてる奴が呼ぶためにあるんだから」
教師は何も補足しなかった。
必要なかった。
◇
授業終了の音が鳴った。
「それでは今日はここまでです。天城さん、ありがとうございました」
「はいはい」
蓮が立ち上がる。
生徒たちも席を立った。
「蓮様」
先ほどのエルフの少女が呼び止める。
「何?」
「ニューガイアも、私は少しだけ格好いいと思います」
蓮の顔が明るくなった。
「だろ?」
少女が続ける。
「でもEDENの方が好きです」
「……そう」
教師が笑いを堪えている。
蓮は教室を出た。
廊下を歩きながら端末を開く。
「よし」
『どちらへ?』
「第七迷宮」
『午後から会議があります』
蓮の足が止まった。
「何時?」
『十四時です』
「今は?」
『十三時二十二分』
「三十八分ある」
『移動時間を考慮してください』
「一周くらい――」
『できません』
「じゃあ途中まで」
『何の意味があるのですか』
「進捗は残るだろ」
『会議へ向かってください』
「……はい」
後ろから教室を出てきた生徒が言った。
「蓮様、暇じゃなかったんですか?」
蓮が振り返る。
「暇じゃないって最初から言ってるだろ!」
笑い声が廊下に響いた。
◇
その日の夕方。
学校から見える丘の向こうへ、恒星が沈んでいった。
人間がEDENと名付けた惑星。
エルフがアルセリアと呼んできた世界。
どちらかが間違っているわけではない。
長い時間を経て、この惑星には二つの名前が生まれた。
そして今、その二つを同時に使う子供たちが育ち始めている。
かつて人類は、生き延びるためにこの星を作り変えた。
その人類が眠っている間に、この星で新しい人々が生まれ、国を作り、歴史を積み重ねた。
そして今度は、その両方が同じ場所で暮らし始めている。
楽園というには、問題が多すぎる。
争いもある。
危険もある。
理解できないものも、まだこの世界には残っている。
それでも。
市場には声が溢れ。
学校には子供たちの笑い声があり。
人間とエルフが同じ机で学び。
ゴブリンが商売をし。
二軒のラーメン屋が、今日もどちらがうまいかで客を争っている。
惑星EDEN。
その名はもう、テラフォーミング計画の記録にだけ残る言葉ではなかった。
少しずつ。
本当に少しずつ。
この世界に暮らす者たちの言葉になり始めていた。
――第四十一話 惑星EDEN 了




