第4話 創造神の紋章
9月10日 加筆修正しました。
翌朝、リシェルは昨日と同じ草原にいた。
森を抜けた先。
遠くには、人間たちが造っている奇妙な街が見える。
昨日、レンから「ここより先には勝手に入るな」と言われた場所より、少し手前。
今日はきちんと約束を守っている。
もっとも、約束の時間にはまだ少し早かった。
「……まだかな」
リシェルは背伸びをして街の方角を眺めた。
待ちきれなくて早く来たのは自分なのだから、レンに文句を言う筋合いはない。
分かってはいる。
それでも落ち着かなかった。
昨夜は、ほとんど眠れなかった。
巨大な角牙獣を、触れもせず地面へ押さえつけたレン。
人間。
科学。
そして、森の向こうに突然現れた街。
どれも知らないことばかりだった。
帰宅してから思いつくまま帳面に疑問を書き続けた結果、途中で頁を一枚追加することになった。
今日こそ聞く。
聞いて、確かめる。
そして分からなければ、また聞けばいい。
そう考えていたときだった。
「……ん?」
何かが飛んでくる。
鳥にしてはおかしい。
羽ばたいていない。
それどころか翼らしいものさえ見当たらない。
リシェルは反射的に弓へ手を伸ばしかけ――やめた。
小さなそれは街の方角から飛んできて、リシェルの数歩前で静止した。
「……何、これ」
近づいてみる。
空中に浮いている。
音もほとんどしない。
どう見ても生き物ではない。
『おはよう、リシェル』
「わっ!」
飛び退いた。
聞こえてきたのはレンの声だった。
リシェルはしばらく目の前の物体と睨み合った。
「……レン?」
『そう』
「入ってるの?」
『入ってない』
「じゃあ、どこ?」
『街の中』
リシェルは目の前の機械を見る。
街を見る。
もう一度、機械を見る。
「ここにいるのに?」
『俺の声をそっちへ送ってる』
「どうやって?」
『説明すると長い』
「聞く」
『即答すると思った』
警戒心はあっという間に好奇心へ追いやられた。
リシェルは機械の周囲を回った。
「これ、どうして浮いてるの?」
『朝一番の質問がそれか』
「だって浮いてる」
『浮いてるな』
「羽もない」
『ないな』
「魔法?」
『違う』
「じゃあ科学?」
『まあ、そうだな』
リシェルはしゃがみ込み、下から覗き込んだ。
風が吹き出している様子もない。
「触っていい?」
『壊さないなら』
恐る恐る指先で触れる。
硬い。
金属に似ている。
だが、鍛冶屋で見る鉄とはずいぶん違う。
「中を見てもいい?」
『見るだけなら』
「開けても?」
『駄目』
「まだ何もしてないでしょう」
『今、継ぎ目を探してただろ』
リシェルの手が止まった。
「……よく見てるわね」
『こっちからも見えてるからな』
その言葉で、リシェルは再び機械を凝視した。
「どこから?」
『それは秘密』
「なんで?」
『分解されそうだから』
「しないわよ」
『今の間は何だ』
「気のせい」
リシェルは機械から手を離し、鞄から帳面を取り出した。
『何だ、それ』
「昨日から分からないことを書いてきたの」
『……どれくらいある?』
「数えてない」
『数えたくない量なんだな』
「まず、人間って――」
『もう始めるのかよ』
「聞いていいって言ったでしょう?」
『言ったけどさ』
そこから、しばらく質問が続いた。
人間とは何なのか。
なぜ耳が短いのか。
あの街は何のために造っているのか。
昨日レンが角牙獣に使った力は何なのか。
どこから来たのか。
答えてくれるものもあれば、曖昧に濁されるものもあった。
特に最後の質問になると、レンは急に慎重になった。
『とても遠いところから来た。それくらいで勘弁してくれ』
「どのくらい遠いの?」
『かなり』
「森の向こうより?」
『もっと』
「山の向こう?」
『もっと』
「海の向こう?」
『もっと』
「じゃあ――」
『その話はいったん終わり』
「どうして?」
『今説明しても、たぶん別の質問が百個くらい増える』
「そんなに増えないわよ」
『信用できない』
リシェルは少し不満だったが、帳面に印をつけて先へ進んだ。
答えてもらえないなら、あとで聞けばいい。
そして一通り質問したところで、リシェルは遠くの街へ目を向けた。
「ねえ、レン」
『ん?』
「あそこ、近くで見たい」
『……やっぱり言うと思った』
「駄目?」
『今、相談してる』
「誰と?」
『こっちの人たちと。昨日会ったばかりの相手を、いきなり街の中へ入れていいかって』
「レンが決めるんじゃないの?」
『俺一人で勝手に決めることじゃないよ』
「そうなんだ」
リシェルは帳面に何かを書いた。
『今度は何を書いた?』
「レンは何をしてる人なのか」
『また増えたのか』
「だって知らないもの」
『それはそのうちな』
「今じゃなくて?」
『まずは街へ入っていいかどうかの返事待ち』
そう言われれば待つしかない。
もっとも、黙って待つ必要はない。
リシェルは次の頁を開いた。
『まだ聞くのか』
「待ってるだけじゃ暇でしょう?」
『俺は仕事中なんだけどな……』
それからも会話は続いた。
リシェルが質問し、レンが答える。
答えられないものには答えない。
そうしているうちに、リシェルにも少しずつ分かってきた。
レンは何でも教えてくれるわけではない。
でも、誤魔化すときと、本当に答えられないときは少し違う。
その違いを見つけるのも面白かった。
しばらくして、レンの声が途切れた。
数秒後。
『リシェル』
「何?」
『入っていいってさ』
リシェルの長い耳がぴんと立った。
「本当?」
『ただし俺たちと一緒にいること。勝手にどこかへ行かない。危ない場所へ近づかない。それから、触るなと言われたものには触らない』
「……分かった」
『最後のだけ返事が遅かったぞ』
「気のせいよ」
『じゃあ迎えに行く。そこで待っててくれ』
「これに乗るの?」
『無理だろ』
リシェルは目の前の小さな機械を見る。
「無理ね」
『もう少し大きいので行く』
やがて機械は街へ向かって飛んでいった。
リシェルはその姿が小さくなるまで見送った。
◇
さらにしばらくして。
空から、聞いたことのない音がした。
リシェルは顔を上げた。
「……何?」
街の方角から、大きな白いものが飛んでくる。
鳥ではない。
竜でもない。
翼のようなものは見えるが、羽ばたいてはいない。
低い唸りのような音を響かせながら、それは空を進んでくる。
リシェルは呆然と見上げた。
やがて白いものが速度を落とした。
それにつれて音も弱くなっていく。
そして――消えた。
落ちる。
そう思った。
だが、落ちなかった。
大きな白いものは空中に静止した。
「……え?」
そこから、真下へ降りてくる。
音はしない。
強い風も起こらない。
草原へ静かに降りた白いものを、リシェルは言葉もなく見つめた。
一部が開いた。
中からレンが姿を見せる。
「待たせたな」
リシェルはレンではなく、その背後を見ていた。
「これ……飛んでた」
「飛んでたな」
「どうして?」
「それは乗ってから」
レンが中を示す。
「ほら」
リシェルは一歩近づき、そこで止まった。
中にもう一人いたからだ。
黒い髪の女性。
当然だが、耳は短い。
女性の方もリシェルを興味深そうに見ていた。
「初めまして。神崎美冬」
「……カンザキ、ミフユ?」
「美冬でいいわ」
「私はリシェル」
「ええ。蓮から聞いてる」
リシェルの視線が蓮へ移った。
「私のこと話したの?」
「そりゃ話すよ。森からエルフが一人でやって来たんだから」
「何を?」
「いろいろ」
「いろいろって?」
「乗らないなら置いてくぞ」
「あ、待って!」
話を逸らされた。
リシェルはそう思ったが、今は目の前の乗り物の方が気になった。
中へ入る。
見たことのないものばかりだった。
「そこに座って」
美冬に言われた場所へ腰を下ろす。
リシェルが周囲を見回している間に、入口が閉じた。
直後。
身体がわずかに浮くような感覚があった。
窓の外で、地面が遠ざかっていく。
「……!」
音がしない。
さっきの唸りもない。
ただ静かに、地面だけが離れていく。
リシェルは窓に顔を寄せた。
「レン」
「何?」
「昨日のあれと、何か関係ある?」
「あれ?」
「角牙獣を押さえつけた、見えない力」
蓮が少しだけ目を見開いた。
「よくそこに気づいたな」
「関係あるの?」
「ある」
「どういう――」
「それは後で見せた方が早い」
また答えを先延ばしにされた。
だが今回は許すことにした。
見せてくれると言ったからだ。
やがて低い音が再び始まった。
白い乗り物が前へ進み始める。
森が後ろへ流れていく。
リシェルは窓から離れられなかった。
怖い。
地面が遠い。
もし落ちたら、と考えれば背中が冷たくなる。
それでも見たかった。
森を上から見ることなど、生まれて初めてだった。
やがて街が近づいてくる。
上から見ると、昨日遠くから眺めたときより、さらに異様だった。
まっすぐな道。
規則正しく並ぶ建物。
動き回る機械。
そして、あちこちで今も何かが造られている。
「……これ、全部人間が造ったの?」
「ああ」
「こんなに?」
「まだ途中だけどな」
リシェルは窓の外を見たまま黙った。
昨日までなら、こんな話を聞かされても信じなかっただろう。
今は目の前にある。
信じるしかなかった。
◇
街へ降りてからも、リシェルは忙しかった。
右を見る。
左を見る。
上を見る。
振り返る。
「前も見ろ。ぶつかるぞ」
「だって見るものが多すぎるのよ」
「逃げないから」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
リシェルはレンを睨んだが、すぐに別のものへ気を取られた。
街には人間がいた。
耳が短いことを除けば、自分たちと驚くほどよく似ている。
こちらを見る者も多い。
どうやら珍しいのはお互い様らしい。
その中を歩いているうちに、リシェルは少し妙なことに気づいた。
「天城さん、ちょっといいですか」
通りかかった男がレンを呼び止める。
何かを短く話し、レンが答える。
少し先でも別の人間が声をかけてきた。
今度は女だった。
レンは話を聞き、何かを確認してから返事をする。
命令しているわけではない。
皆が頭を下げているわけでもない。
けれど、何人もがわざわざレンに話をしに来る。
三度目を見たところで、リシェルは隣を歩いていた美冬へ少し近づいた。
「ねえ、ミフユ」
「なに?」
リシェルは声を落とした。
「レンって、もしかして偉い人?」
前を歩いていた蓮が振り返る。
「聞こえてるぞ」
「本人に聞くと誤魔化すでしょう?」
「昨日会ったばっかりなのに扱いがひどくないか?」
美冬が口元を押さえて笑った。
「偉い人、というのとは少し違うわね」
「違うの?」
「蓮にしか扱えないものや、蓮にしか判断できないことがあるの」
「ミフユには?」
「私には私の仕事があるわ」
「じゃあ、レンがみんなの王様ってわけじゃない?」
「違う違う」
蓮が即座に否定した。
「王様じゃないし、なりたくもない」
「じゃあ何?」
「だから説明すると長いんだって」
リシェルは帳面を取り出した。
「何してる」
「あとで聞くことにした」
「増やすなよ」
「無理」
リシェルは書き終えると、満足して帳面をしまった。
まだよく分からない。
でも、少なくともレンがただの人間ではない――という言い方をすると本人が怒りそうなので、ただの一般人ではないらしい。
それだけは分かった。
◇
少し開けた場所まで来たところで、リシェルは思い出した。
「レン」
「今度は何?」
「さっき、見せてくれるって言った」
「ああ。昨日のやつか」
「そう」
蓮は足元から小さな石を一つ拾った。
「これでいいか」
「何するの?」
「見てろ」
軽く放り上げる。
石は上がり――落ちてくる。
その途中で止まった。
「……!」
リシェルが息を呑む。
石は空中に浮いたまま動かない。
蓮が指先を少し動かす。
石がゆっくり上昇した。
横へ動き、リシェルの目の前まで来る。
「触っていい?」
「いいよ」
リシェルは石へ指を伸ばした。
押す。
普通の石だ。
離すと、また同じ場所に浮いている。
上下へ手を動かす。
糸はない。
風もない。
「昨日、角牙獣を押さえたのもこれ?」
「そう」
「さっき飛んだのも?」
「これと同じ仕組みを使ってる」
「何ていうの?」
「重力制御」
「じゅうりょく……せいぎょ」
「物が落ちる力を利用して――」
「待って」
「ん?」
「それ以上聞くと、たぶん分からない」
「珍しく自分で止めたな」
「分からないまま聞いても仕方ないもの。あとで聞く」
「結局あとで聞くのか」
リシェルは浮いている石へ視線を戻した。
「これも科学?」
「ああ」
「魔法じゃない?」
「俺たちはそうは呼ばない」
蓮が手を出す。
石はその掌へ戻った。
リシェルはしばらく考えた。
「……変」
「お前に言われたくないな」
「私は普通よ」
「角牙獣が出た場所へ次の日も一人で来る奴が?」
「それとこれは別」
「別なのか?」
「別」
言い切った。
美冬が後ろで笑っていた。
◇
その後、二人に案内されて入ったのは、街の人間たちが休憩や食事にも使っている大きな共用施設だった。
まだ街そのものが造りかけだからだろう。
内部は飾り気が少ない。
それでも壁の一角だけは少し違っていた。
写真。
絵。
見たことのない街並み。
山。
海。
花。
奇妙な服を着た人々。
リシェルは足を止めた。
「これは?」
「俺たちの故郷にあったものの写真とか、昔から残ってる文化資料だよ」
蓮が答える。
「故郷……」
また聞きたい言葉が増えた。
だが、そのとき。
リシェルの視線が、一枚の展示物で止まった。
白地に赤。
中央の赤い太陽から、何本もの光が外へ伸びている。
身体が固まった。
「……え?」
蓮が数歩進んでから、リシェルがついてきていないことに気づいた。
「どうした?」
返事がない。
リシェルは展示された旗を見つめている。
見間違えるはずがない。
細かな形は、神殿で見るものとは少し違う。
けれど同じだ。
幼い頃から何度も目にしてきた。
祭礼でも使われる。
創造神を表す印。
「レン」
さっきまでとは違う声だった。
「これ……何?」
蓮はリシェルの視線を追った。
「ああ、旭日旗」
「キョクジツキ?」
「昔から使われていた旗の一つ」
「昔って?」
「俺が生まれるより、ずっと前」
リシェルは旗から目を離せなかった。
「レンたちが作ったものじゃないの?」
「俺たちっていうか……俺が考えたものじゃないのは確かだな」
「ずっと昔からあった?」
「ああ」
リシェルはようやく蓮を見る。
「これ、創造神アマレインの紋章よ」
「……創造神?」
蓮が眉を寄せた。
その反応は、どう見ても知らない人間のものだった。
「アマレインを知らないの?」
「知らない」
「本当に?」
「本当に」
「この世界を創った神様よ」
「……へえ」
今度は蓮の方が旗を見る。
美冬も隣まで来た。
「これと同じなの?」
美冬が尋ねる。
「同じ。少し形は違うものもあるけど、これはアマレインを表す印よ」
リシェルには理解できなかった。
人間たちは創造神アマレインを知らない。
なのに、その紋章を持っている。
しかも、レンが生まれるよりずっと前から。
リシェルは旗を見る。
蓮を見る。
もう一度、旗を見る。
「……レン」
「何?」
「名前、もう一回言って」
「名前?」
「全部」
「天城蓮」
「アマギ・レン……」
口に出してみる。
アマギ・レン。
アマレイン。
似ている。
今までなら、それだけだった。
名前が少し似ている。
ただの偶然。
それで終わったはずだった。
だが今日は、終わってくれない。
「どうした?」
「……別に」
「絶対何かあるだろ」
「考えてるの」
「何を?」
「レンが本当に神様じゃないのか」
「違う」
返事が速かった。
「でも空を飛ぶ」
「乗り物がな」
「見えない力で石を浮かせる」
「科学」
「あんな街も造る」
「俺一人で造ってない」
「創造神の紋章まで持ってる」
「だから俺たちには旭日旗なんだって」
全部に答えがある。
なのに、聞けば聞くほど怪しくなる。
リシェルは蓮をじっと見つめた。
「神様じゃないって言ってる人が、一番神様みたいなことしてる」
「してないって」
「怪しい」
「何でだよ」
困ったように頭を掻く蓮を見ていると、確かに神様には見えない。
そのことが、かえってリシェルを混乱させた。
◇
帰りの空では、リシェルは珍しく静かだった。
窓の外を眺めながら、ずっと考えている。
「疲れた?」
今日初めて会ったばかりの美冬が尋ねた。
「ううん」
「じゃあ、どうしたの?」
「分からないことが増えすぎたの」
「それは大変ね」
「楽しいけど」
美冬が笑った。
「そういう子なのね」
草原へ戻ると、白い乗り物は音もなく真下へ降りた。
リシェルは外へ出る。
「レン」
「ん?」
「また来てもいい?」
「勝手に街へ入らないならな」
「ここで待ってればいい?」
「毎日来るつもりか?」
「駄目?」
蓮は少し考えた。
「……連絡する方法は、そのうち考えよう」
「分かった」
何をどうするのかは知らない。
でも、来るなとは言われなかった。
「じゃあ、またね。レン」
「ああ」
リシェルは少し迷ってから、もう一人にも顔を向ける。
「ミフユも」
「ええ。またね、リシェル」
白いものが静かに浮き上がる。
高度を取る。
やがて低い音が聞こえ始め、街の方角へ飛んでいった。
リシェルは見えなくなるまで見送った。
◇
村へ戻る途中。
リシェルは何度も、二つの名前を口にした。
「アマギ・レン」
少し間を置く。
「アマレイン」
やはり似ている。
でも、それだけなら偶然で済む。
問題は、あの旗だ。
人間たちは創造神アマレインを知らなかった。
なのに、アマレインの紋章と同じものを、はるか昔から持っているという。
それが分からない。
分からないものを、そのままにはしておけない。
村へ戻ったリシェルは、自宅へ向かわず神殿へ足を向けた。
神殿の資料室には、以前から何度も出入りしている。
子供の頃から古い記録を見せてほしいと頼み込み、神官を困らせ続けた結果、今では壊れやすいものへ勝手に触れないことを条件に閲覧を許されていた。
「また何か調べものかい?」
顔馴染みの老神官が呆れたように尋ねた。
「創造神アマレインについて、一番古い写本を見たいの」
「またずいぶん大きなものを調べ始めたね」
「気になることができたの」
「お前さんは、いつもそれだな」
老神官は苦笑しながらも、資料室の鍵を開けてくれた。
リシェルは古い写本をいくつか机へ運んだ。
創造神アマレインの名は珍しいものではない。
エルフなら誰でも知っている。
世界を創り、生命に恵みを与えた神。
幼い頃から何度も聞かされてきた話だ。
だからこそ、今まで疑ったことなどなかった。
頁をめくる。
古い祈り。
祭礼の記録。
創世神話。
知っている話ばかりだ。
それでも読み続けた。
やがて、一つの古い祈祷文で指が止まった。
――天の光とともに降りしアマレイン、大地に恵みを与えたもう。
よくある一節だった。
似た言葉なら何度も聞いたことがある。
昨日までなら、何も感じなかっただろう。
神は天から来るもの。
神話とはそういうものだ。
けれど今日、リシェルは見てしまった。
空を飛ぶ人間を。
見えない力を操る人間を。
短い間に街を造り上げる人間を。
そして。
創造神の紋章と同じ旗を持つ人間たちを。
「……まさか」
呟いてから、自分で首を振る。
証拠にはならない。
何一つ分かっていない。
人間たちがどこから来たのかさえ、レンは教えてくれなかった。
それでも。
昨日まで神話だった文章が、今日は少しだけ違って見える。
リシェルは帳面を開いた。
新しい頁に炭筆を走らせる。
――アマレインとは、本当は何者?
その下にもう一つ。
――人間たちは、どこから来た?
少し考える。
さらに一つ書き加えた。
――どうして人間たちは、アマレインの紋章を昔から持っている?
そこで手を止めた。
三つとも、今は答えがない。
リシェルの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
答えがない。
なら、調べることができる。
分からないことが、また増えた。
――第4話 了
【作者よりお願い】ここまでお読みいただきありがとうございます!もし「続きが気になる」「おもしろい」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、評価の【☆☆☆☆☆】をタップして応援していただけると、執筆の大きな励みになります!




