第3話 森で出会った人
リシェル・アルフェリアには、昔から悪い癖があった。
気になったことを放っておけない。
本人はそれを悪い癖だとは思っていなかったが、周囲の評価は違う。
子供の頃、森の奥で見つけた奇妙な石を調べるため、一人で夜まで森を歩き回った。
十三歳の時には、古代遺跡の壁に刻まれた文字が気になり、立入禁止区域へ入り込んで神官に三時間説教された。
昨年は「なぜ火の術は燃える物がない場所では長く続かないのか」という疑問を抱き、自宅の物置で実験して壁を焦がした。
だから今回も。
彼女は行った。
始まりは、森で狩りをしていた猟師の話だった。
「西の平原に、変なものができてる」
村の酒場で、猟師はそう言った。
「変なものって?」
リシェルはすぐに食いついた。
「建物だよ」
「誰か住んでるの?」
「知らん」
「どれくらい大きい?」
「知らん」
「何でできてる?」
「知らん」
「いつできたの?」
「知らん!」
猟師が苛立った。
「俺は遠くから見ただけだ!」
「役に立たない」
「お前な……」
リシェルはすでに別のことを考えていた。
西の平原。
あの辺りに大きな集落はない。
まして新しい都市が作られているなど聞いたことがない。
「どんな建物?」
「白いのとか銀色のとか。見たことない形だ」
「石?」
「知らん」
「木?」
「だから知らん!」
「高さは?」
「自分で見てこい!」
リシェルは立ち上がった。
「そうする」
「待て」
「何?」
「今から行くなよ」
「明日行く」
「そういう意味じゃない!」
翌朝。
リシェルは西へ向かった。
森を抜けるまで三時間ほどかかった。
その先にある丘へ登る。
頂上へ出た瞬間、リシェルは足を止めた。
「……何、あれ」
平原の向こう。
確かに何かがある。
建物。
しかも一つではない。
何十。
何百。
白。
銀。
灰色。
見慣れた石造建築とはまるで違う。
形が異様に整っている。
直線。
平面。
同じ形の構造物が正確に並んでいる。
そして、その周囲では何かが動いていた。
「ゴーレム?」
遠すぎてよく見えない。
だが、人ではない何かが建物を作っている。
さらに上空を、小さな物体が飛んでいた。
鳥ではない。
翼がない。
「……面白い」
リシェルの目が輝いた。
近づく。
当然だった。
見つけた以上、調べる。
一方。
人類植民都市。
中央管制室。
「また来ましたね」
美冬が言った。
蓮は建設進捗を確認しながら顔を上げる。
「何が?」
「現地人です」
空中に映像が表示された。
森の中。
一人の若い女性が歩いている。
長い銀髪。
尖った耳。
弓。
腰には短剣。
「……エルフ」
蓮が呟いた。
「エルフですね」
「本当にエルフだ」
「昨日から何人も確認してますよ」
「いや、こうやって近くで見ると……」
蓮は映像を拡大した。
整いすぎている。
顔の左右対称性。
皮膚。
骨格。
体型。
遺伝子設計されたデザインヒューマンである可能性は、すでに解析班から報告されていた。
「美人だな」
美冬が横を見る。
「第一声がそれですか?」
「いや、客観的に」
「そういうことにしておきます」
「本当に遺伝子レベルで容姿が調整されてるっぽいな」
「個体差はありますが、これまで確認した全員で顔貌に関係する有害形質がかなり除去されています」
蓮は映像を見る。
「エルフは美男美女っていう俺の趣味まで反映されてたりしないよな?」
「可能性は否定できません」
「やめてくれ」
蓮は本気で嫌そうな顔をした。
数千年前。
テラフォーミング計画の初期設定。
生態系設計。
デザインヒューマン。
最高管理者となった蓮の個人データ。
文化資料。
娯楽作品。
ゲーム。
アニメ。
漫画。
ファンタジー小説。
それらがどこまで惑星設計AIに参照されたのか。
まだ調査中だった。
「で、どうします?」
美冬が聞く。
「何が?」
「この人」
映像の中のエルフは、明らかに都市へ向かっている。
「放っておく?」
「たぶん無理ですね」
「だよな」
蓮は少し考えた。
人類側はまだ現地文明との本格接触を行っていない。
観測のみ。
干渉は最低限。
その方針だった。
だが。
「このまま来たら建設区域に入るぞ」
「危険ですね」
大型作業機。
自動運搬車。
建設用ナノマシン。
事故が起きる可能性がある。
蓮は立ち上がった。
「俺が行く」
美冬が眉を上げる。
「最高責任者が?」
「だからこそ」
「普通は部下を行かせると思いますけど」
「最初に変なこと言って戦争になったら嫌だろ」
「蓮さんが変なことを言わない保証は?」
「ひどくない?」
「事実です」
蓮は答えなかった。
リシェルは森の端まで来ていた。
ここから先は平原。
そして、その向こうに謎の都市がある。
近くで見ると、さらにおかしい。
建物が増えている。
本当に増えている。
昨日見た猟師の話ではない。
今、彼女の目の前で作られている。
巨大な機械が地面を整地する。
銀色の蜘蛛のようなものが壁を作る。
小さな飛行物体が資材を運ぶ。
そして。
「何、あれ……」
灰色の物質が地面を流れていた。
液体のように見える。
それが一定の場所へ集まり、盛り上がり、形を変える。
数分後には壁になった。
リシェルは茂みの陰から夢中で見ていた。
「魔法?」
違う。
少なくとも、自分の知っている魔法ではない。
エルフたちが使える術は、それほど強力ではない。
火を灯す。
少量の水を作る。
風を起こす。
傷の治りを少し早める。
生活の助けになる程度。
もちろん訓練次第では多少大きな現象も起こせる。
だが、街を作るような魔法など存在しない。
もう少し近くで見たい。
リシェルは茂みから出た。
その瞬間。
声がした。
「そこから先、入らない方がいいよ」
リシェルは飛び退いた。
弓を構える。
「誰!」
木の陰から男が出てきた。
若い。
黒い髪。
見たことのない服。
耳が短い。
武器らしいものは持っていない。
「ごめん。驚かせるつもりはなかった」
リシェルは弓を下ろさない。
「誰?」
「天城蓮」
「アマギ……レン?」
「そう」
聞いたことのない名前。
「あなた、どこの民?」
蓮は少し考えた。
「人間」
リシェルが眉を寄せる。
「見れば分かる」
「あー……そうなるか」
「何?」
「いや、こっちの話」
蓮は自分の耳を指した。
「君たちとは少し違う種類の人間」
リシェルは蓮の耳を見る。
確かに短い。
「短耳族?」
「その呼び方はちょっと嫌だな」
「じゃあ何族?」
「ホモ・サピエンス」
「ホモ……?」
「人類」
「私たちも人だけど」
「そうだよな……」
蓮は頭を掻いた。
説明が難しい。
リシェルは弓を少し下げた。
少なくとも、いきなり襲ってくる相手ではなさそうだ。
「この街、あなたたちが作ったの?」
「そう」
「いつから?」
「二か月くらい前」
リシェルが止まった。
「何?」
「二か月」
「嘘」
「本当」
「街よ?」
「街だね」
「あれ全部?」
「全部」
リシェルは遠くの都市を見る。
もう一度蓮を見る。
「嘘」
「なんで二回言うの」
「二か月で街が作れるわけない」
「俺たちの技術なら作れる」
「技術?」
「うん」
また知らない言い方だった。
だが、意味は分かる。
道具や知識を使って物を作る方法。
「魔法じゃなくて?」
「魔法じゃない」
「じゃあ、あれは?」
リシェルが建設ナノ群を指す。
「ナノマシン」
「ナノ……マシン?」
「ものすごく小さい機械」
リシェルは首を傾げる。
「キカイ?」
「そこからか……」
蓮が困った顔をする。
リシェルは少し笑った。
その時。
森の奥から獣の唸り声がした。
二人が同時に振り向く。
茂みが揺れる。
出てきたのは大型の獣だった。
四本脚。
全長三メートル近い。
猫科に似ている。
だが、頭には二本の角。
背中には硬い鱗。
リシェルの表情が変わる。
「角牙獣……」
蓮の目が輝いた。
「何それ、格好いい」
「馬鹿! 逃げて!」
獣が飛びかかった。
リシェルは矢を放つ。
命中。
肩に刺さる。
だが止まらない。
二本目。
外れた。
「レン!」
蓮は動かなかった。
右手を前へ出す。
「停止」
何も起きない。
少なくとも、リシェルにはそう見えた。
次の瞬間。
角牙獣の身体が地面へ叩きつけられた。
轟音。
土が飛ぶ。
獣が吠える。
だが立ち上がれない。
リシェルは固まった。
「……何したの?」
「重力を少し強くした」
「ジュウリョク?」
「説明すると長い」
蓮が手を下げる。
角牙獣の身体が少し浮く。
そのまま森の方向へ移動していく。
リシェルの口が開いたままになる。
「……何してるの?」
「殺す必要ないだろ」
数十メートル先。
角牙獣が地面へ降ろされる。
重力拘束が解除された。
獣は一目散に森の奥へ逃げていった。
リシェルは蓮を見る。
「今の、魔法?」
「科学」
「魔法でしょ」
「科学」
「何も唱えてない」
「唱える必要ない」
「魔力も感じなかった」
「魔力使ってないから」
「じゃあ何を使ったの?」
「重力制御」
「だから、それが分からない」
蓮は少し考える。
「物が地面に落ちる力を操作した」
リシェルが眉を寄せる。
「そんなもの、操作できるの?」
「できる」
「……あなたたち、おかしくない?」
「よく言われる」
リシェルは蓮の右手を見た。
「他には?」
「何が?」
「何ができるの?」
蓮は嫌な予感がした。
「なんでそんな目を輝かせてるの」
「いいから」
「色々」
「例えば?」
「火を出したり」
リシェルが即座に手を出した。
指先に小さな炎が灯る。
「それなら私もできる」
「へえ」
今度は蓮が興味を持った。
「ちょっと見せて」
「これくらいなら誰でもできる」
炎が消える。
蓮の視界には別の情報が表示されていた。
リシェルの体内に存在する微小機械群。
極めて古い。
自己修復を繰り返しながら、数千年間世代間継承されている。
《LOCAL NANOMACHINE NETWORK DETECTED》
《ACCESS LEVEL:RESTRICTED》
蓮の表情が変わった。
「……やっぱり」
「何?」
「君たちもナノマシン使ってる」
リシェルが自分の手を見る。
「これが?」
「たぶん、君たちが魔法って呼んでるものの一部はそうだ」
「意味分からない」
「俺も詳しく調べないと分からない」
リシェルは少し考えた。
「レンも火を出せる?」
「できるよ」
「見せて」
蓮は手を出した。
掌の上に小さな炎が灯る。
リシェルが少し得意そうに笑う。
「同じじゃない」
「まあね」
蓮が出力を上げる。
炎が大きくなる。
リシェルの笑顔が消えた。
三十センチ。
五十センチ。
一メートル。
「ちょっと待って」
炎がさらに広がる。
だが、周囲の木々には燃え移らない。
空気中に分散している環境ナノマシンが燃焼領域を完全に制御している。
「レン」
「何?」
「もういい」
「まだいけるけど」
「もういい!」
炎が消えた。
リシェルは蓮から一歩離れた。
「……何でそんなに違うの?」
「権限」
「ケンゲン?」
「君たちの体内にあるナノマシンには制限があるみたいだ。できることが最初から決められてる」
「レンは?」
「制限なし」
正確には、人類側のナノマシンを完全制御できる。
そして蓮の場合は、それだけではない。
最高管理者。
惑星環境中に存在するナノマシン群。
大気。
水。
土壌。
建設。
医療。
生態系管理。
それらの多くへ直接命令できる。
この惑星において、蓮の周囲にある空気そのものが巨大な道具と言ってよかった。
「ずるい」
リシェルが言った。
「何が?」
「私もそれ使いたい」
「無理」
「なんで?」
「安全制限」
「外して」
「嫌だ」
「どうして?」
「危ないから」
「私、子供じゃない」
「そういう問題じゃない」
「ケチ」
「ケチで結構」
リシェルは頬を膨らませた。
蓮は少し笑った。
「君、面白いな」
「何が?」
「普通、さっきの見たらもっと怖がると思うけど」
「怖いわよ」
「そう見えない」
「怖いけど、それより気になる」
「何が?」
リシェルは蓮を指差した。
「全部」
「全部?」
「あなた。街。飛んでるもの。ナノマシン。重力。短い耳。服。どこから来たのか。なんでここに来たのか」
次々に出てくる。
蓮は途中から笑っていた。
「多いな」
「まだある」
「まだあるの?」
「ある」
「今日は勘弁してくれ」
「じゃあ明日」
「来る気?」
「駄目?」
蓮は少し考えた。
「都市の中はまだ危ない。建設中だから」
「じゃあここに来る」
「本当に来そうだな」
「来る」
即答だった。
リシェルは一度村へ戻ることにした。
森へ入る前、振り返る。
「レン」
「何?」
「明日もいる?」
「たぶん」
「じゃあ来る」
「分かった」
「逃げないでね」
「なんで俺が逃げるんだよ」
リシェルは少し笑った。
「じゃあ、また明日」
「ああ。また明日」
森へ入っていく。
姿が見えなくなったところで、蓮の耳に美冬の通信が入った。
『ずいぶん仲良くなりましたね』
「聞いてたの?」
『安全管理上、当然です』
「趣味悪いぞ」
『それより、彼女のナノマシンの解析結果が出ました』
蓮の視界にデータが表示される。
《DESIGN-HUMAN SUPPORT NANOSYSTEM》
《GENERATION:UNKNOWN》
《ESTIMATED OPERATION PERIOD:4,000+ YEARS》
《ADMINISTRATOR ACCESS:AVAILABLE》
蓮の表情から笑みが消えた。
「四千年以上……」
『彼女たちの祖先へ、人類が組み込んだものと考えて間違いないでしょう』
「生活魔法は?」
『ナノマシン群による現象制御と推定。出力制限が極めて強く設定されています』
「やっぱり俺たちが作ったのか」
『遺伝子情報も、人類由来のデザインヒューマンであることを強く示しています』
蓮はリシェルが消えた森を見る。
エルフ。
魔法。
角を持つ獣。
そして、平原の向こうを飛んでいる翼竜。
あまりにもファンタジーだった。
偶然にしては出来すぎている。
「……まさかな」
蓮は呟いた。
『何か?』
「いや」
自分の古い個人データ。
ゲーム。
漫画。
アニメ。
小説。
その中には、当然ファンタジー作品も大量にあった。
もし惑星設計AIがそれらを参考資料として使用していたなら。
「俺のせいだったりしないよな……」
イザナミは数秒沈黙した。
『現時点では否定できません』
「そこは否定してくれよ」
その頃。
森を歩いていたリシェルは、今日の出来事を頭の中で整理していた。
謎の都市。
アマギ・レン。
短い耳。
重力を操る技術。
ナノマシン。
知らないことばかりだった。
楽しい。
明日は何を聞こう。
考えながら歩いていると、ふと足が止まった。
「……あれ?」
何かがおかしい。
レンが言っていた言葉を思い出す。
ナノマシン。
デザインヒューマン。
重力制御。
ホモ・サピエンス。
どれも今日初めて聞いた言葉だ。
それなのに。
「なんで私、意味が分かったの?」
もちろん、説明された言葉もある。
だが、それだけではない。
会話の途中。
知らない言葉を聞いた瞬間、その意味が頭の中へ滑り込んできたことが何度もあった。
まるで。
誰かが耳とは別の場所で、意味だけを教えていたような。
リシェルは自分の頭へ触れた。
「……ナノマシン?」
その瞬間。
新しい疑問が生まれた。
そしてリシェルという少女にとって。
疑問が生まれるということは。
調べる理由ができたということだった。
彼女は少しだけ笑った。
明日。
聞くことが、また一つ増えた。
――第三話 了




