第2話 新天地
天城蓮が、その惑星を自分の目で見たのは初めてだった。
巨大な観測窓の向こうに、青い星が浮かんでいる。
海。
雲。
緑の大陸。
極地には白い氷床。
地球によく似ている。
だが、地球ではない。
「……綺麗だな」
蓮は思わず呟いた。
『惑星環境最終評価を表示します』
船のマザーコンピューター、イザナミの声が響く。
蓮の視界に情報が展開された。
大気組成。
平均気温。
海洋塩分濃度。
磁場。
重力。
生態系安定度。
病原体リスク。
そして。
《TERRAFORMING STATUS:COMPLETE》
蓮は、その文字をしばらく見つめた。
「終わったのか」
『はい』
「本当に?」
『人類の恒久居住に必要な基準をすべて満たしています』
「……長かったな」
『主観時間においては、そうでもないはずですが』
「そういう問題じゃない」
蓮たちは、その大部分を眠って過ごした。
人間の身体をそのまま数千年間維持することは難しい。
そこで移民船では、代謝を極限まで停止させた上で全身を特殊保護材に封入する長期休眠技術が使われていた。
俗に言う《カーボン凍結》。
実際には単純な冷凍ではない。
細胞損傷を抑えるナノマシン。
神経構造の常時監視。
遺伝情報の補修。
必要に応じた部分的再生。
それらを組み合わせ、人間を時間から切り離す。
それでも、永遠に眠れるわけではない。
そして機械もまた、永遠には壊れないわけではなかった。
蓮は尋ねた。
「最終的な覚醒可能人数は?」
イザナミは即答しなかった。
それだけで、良い数字ではないと分かった。
『三千七百四十二名です』
蓮は目を閉じた。
「……そうか」
十二万人。
地球を出た時、移民船には約十二万人が乗っていた。
技術者。
医師。
科学者。
農業従事者。
教師。
子供。
家族。
新しい世界で、人類文明をもう一度始めるための人々。
そのうち。
新天地へ到着できたのは、三千七百四十二人。
「原因は?」
『複合的です。初期航行時の破壊工作による電力系統損傷。その後の航路変更。想定を大幅に超えた航海期間。そして、テラフォーミング完了待機期間中に発生した長期休眠設備の経年劣化』
蓮は黙って聞いていた。
『生命維持が不可能となった休眠槽については、可能な限り人格情報および遺伝情報を保存しました』
「人格情報……」
『完全ではありません』
「分かってる」
蓮は窓の向こうを見る。
青い惑星。
十二万人で降りるはずだった世界。
三千七百四十二人しかいない。
それでも。
ゼロではない。
「起こそう」
『全員をですか?』
「いや。段階的に」
蓮は息を吐いた。
「まず医療班。技術班。生態系調査班。建設班。それから食料生産関係」
『了解しました』
数時間後。
移民船の一画に、久しぶりに人の声が戻った。
「頭痛い……」
「吐きそう」
「立つな。まだ平衡感覚戻ってないぞ」
「ここどこだ?」
「船だろ」
「何年経った?」
「誰か服くれ!」
蓮は覚醒区画の入口から、その光景を見ていた。
少し笑った。
「人間って感じするな」
隣に立つ女性が蓮を見る。
神崎美冬。
船の技術部門を統括する技術者の一人だった。
「数千年ぶりに起こされて最初の感想が『服くれ』ですからね」
「大事だろ、服」
「そこですか?」
美冬はまだ少し顔色が悪い。
覚醒から二時間しか経っていない。
「それで」
美冬が蓮を見る。
「本当に着いたんですか?」
「ああ」
「住める?」
「イザナミ判定では問題なし」
「テラフォーミングは?」
「完了」
美冬の表情が緩んだ。
「じゃあ……成功したんですね」
蓮はすぐには答えなかった。
「移民計画そのものはな」
美冬も意味を理解した。
三千七百四十二。
説明を受けている。
「……降りましょう」
美冬が言った。
蓮を見る。
「そのために来たんでしょう?」
「ああ」
惑星降下計画が始まった。
母船そのものを地表へ降ろす案は、最初から存在しない。
全長数キロメートルに及ぶ恒星間移民船を惑星表面へ降ろす意味がない。
母船は軌道上へ残す。
居住施設。
工場。
データバンク。
長距離通信設備。
軌道上製造施設。
そして万一の際の避難場所。
母船はこれからも、人類文明の中枢として使われる。
地上へ降りるのは小型降下艇。
小型といっても、恒星間移民船と比較して小さいというだけだ。
一隻で数百人を運べる。
重力制御によって大気圏へ進入し、滑走路なしで離着陸できる。
最初の降下隊は二百八十六名。
蓮。
美冬。
医師。
技術者。
建設要員。
生態学者。
警備要員。
そして大量の自律機械。
降下地点は、大陸西部の広大な平原が選ばれた。
理由は単純。
水源が近い。
地盤が安定している。
洪水リスクが低い。
地下資源にもアクセスしやすい。
そして周辺に、大規模な知的生命体の居住地が確認されていない。
ただし。
《確認されていない》だけだった。
「降下開始」
美冬が言った。
窓の向こうで惑星が大きくなる。
青。
白。
緑。
降下艇は大気圏へ入った。
炎は上がらない。
重力制御によって機体周囲の加速度場を操作し、大気との激しい摩擦を抑えている。
それでも外殻温度は上昇する。
船体表面を冷却ナノ群が循環する。
雲を抜けた。
最初に見えたのは海だった。
その先。
巨大な森林。
川。
山脈。
「……地球みたい」
誰かが呟いた。
蓮もそう思った。
だが。
すぐに違うものが見えた。
「十二時方向」
操縦担当が言う。
「大型飛行生物」
映像が拡大される。
巨大な翼。
長い尾。
爬虫類に似た身体。
蓮は画面を見た。
「……ドラゴン?」
美冬が横から言う。
「違うと思います」
「いや、どう見てもドラゴンだろ」
「生物学的分類名があるはずです」
「ドラゴンでいいじゃん」
「駄目です」
「夢がないな」
「科学者なので」
「俺も技術者なんだけど」
「知ってます」
巨大生物は降下艇を警戒したらしく、距離を取って飛び去った。
蓮はその姿を見送る。
「イザナミ」
『はい』
「あれ、自然進化?」
妙な間があった。
『否定します』
蓮が嫌そうな顔をした。
「じゃあ人工?」
『遺伝子記録との照合を実行。テラフォーミング生態系構築計画において作成された大型飛行生物の派生種と推定』
「誰が設計した?」
『初期設計データの一部が破損しています』
「逃げたな?」
『質問の意味を理解できません』
「絶対分かってるだろ」
美冬が蓮を見る。
「何か心当たりでも?」
「ない」
「今、目を逸らしましたよ」
「ないって」
「蓮さん」
「昔のことだぞ。数千年前だぞ」
「何をしたんです?」
「俺じゃない。たぶん」
「たぶん?」
「……後で調べよう」
降下艇は平原へ向かった。
着陸直前。
今度は別の生物が見つかった。
小型四足動物。
白い毛。
長い耳。
「ウサギ?」
蓮が言う。
「似てますね」
美冬が映像を拡大する。
額に角が生えていた。
一本。
「……角ウサギ」
「正式名称を確認します」
「角ウサギでいいだろ」
『該当生物の遺伝系統を確認』
イザナミが割り込んだ。
『初期生態系構築用小型草食動物から派生した種です』
「人工?」
『祖先種は人工設計されています』
蓮は頭を抱えた。
「嫌な予感しかしない」
美冬が冷たい目を向ける。
「何をしたんです?」
「だから俺じゃないって」
降下艇が着陸した。
静かだった。
数千年間、人類を待ち続けた世界。
ハッチが開く。
外気が入る。
蓮はヘルメットを装着したまま外へ出た。
最初は防護装備を外さない。
大気が安全でも、未知の微生物や毒性物質まで完全に把握できているわけではない。
地面を踏む。
草。
普通の草に見える。
蓮はしゃがんだ。
一本摘もうとして、美冬に止められた。
「触らない」
「手袋してる」
「最高責任者が最初に未知の植物をむしらないでください」
「ただの草だろ」
「そういう人が最初に死ぬんです」
「映画の見すぎじゃない?」
「あなたに言われたくありません」
周囲では自律機械が次々と降ろされていた。
四脚型作業機。
多脚型建設機。
飛行ドローン。
地質調査機。
資源採掘機。
最後に、ナノマシン散布装置。
蓮は平原を見渡した。
「始めよう」
『建設区域を指定してください』
イザナミが聞く。
蓮は視界上に表示された地形図を見る。
川。
森林。
丘。
地下水脈。
「ここから半径三キロ。自然環境への影響は最低限。川は触るな。森も必要以上に伐採しない」
『了解』
「まず居住区。医療施設。発電。水処理。食料生産設備」
『了解』
「それから軌道との物資輸送拠点」
『了解』
地面が動き始めた。
正確には、地面へ散布された建設ナノマシンが活動を開始した。
土壌から必要元素を分離。
不足する物質は降下艇から供給。
基礎が形成される。
その上へ壁が伸びる。
自律機械が構造材を運ぶ。
数時間後。
平原に最初の建物が完成した。
白い直方体。
医療センター。
夕方までに、さらに十棟。
翌日には道路ができた。
三日後。
発電設備が稼働。
一週間後。
平原には小さな街が生まれていた。
二週間後には、遠くからでも人工物だと分かる規模になった。
石でもない。
木でもない。
コンクリート。
金属。
複合素材。
ガラス。
数千年の時間を経て。
この惑星に、再び人類文明の都市が現れた。
その頃。
生態系調査班から、妙な報告が上がり始めた。
《大型飛行爬虫類を確認》
《一角小型草食獣を確認》
《翼を持つ大型馬型生物を確認》
《高再生能力を持つ粘菌状生物を確認》
《人型小型雑食種を確認》
蓮は最後の項目で止まった。
「人型?」
『映像を表示します』
森の中。
小さな人型生物が数匹歩いている。
緑色の皮膚。
大きな耳。
粗末だが、道具を持っている。
蓮は嫌な顔をした。
「……ゴブリン?」
美冬が隣で腕を組む。
「言いたくありませんけど」
「何?」
「ゴブリンですね」
「だよな」
次の映像。
白い馬。
大きな翼。
「ペガサス」
「そう見えます」
次。
巨大な爬虫類。
「ドラゴン」
「……そう見えます」
次。
角のあるウサギ。
「角ウサギ」
「もう好きに呼んでください」
蓮は椅子にもたれた。
「イザナミ」
『はい』
「テラフォーミング計画の生物設計データを全部調べろ」
『すでに照合中です』
「特に俺の個人データとの関連」
美冬が蓮を見る。
「やっぱり心当たりあるんじゃないですか」
「いや……」
蓮は頭を掻いた。
「俺、地球にいた頃、かなりオタクだったんだよ」
「知ってます」
「なんで知ってるの?」
「個人記録」
「見るなよ」
「最高責任者になった人間の適性評価です」
「プライバシーどこいった」
イザナミが報告する。
『テラフォーミング初期段階において、惑星生態系設計AIが複数の文化データベースを参照した記録を確認』
蓮の表情が固まる。
「文化データ?」
『はい』
「例えば?」
『神話。伝承。文学。映像作品。ゲーム。漫画。アニメーション等』
「……おい」
『さらに、最高管理者の嗜好データが一部の設計優先度へ影響した可能性があります』
「待て」
美冬が蓮を見る。
「蓮さん」
「俺は悪くない」
「まだ何も言ってません」
「でもその顔は俺が悪いって言ってる」
「だいたい合ってると思います」
蓮は両手で顔を覆った。
「まさか本当に……」
『現時点では因果関係を確定できません』
「頼むから偶然であってくれ」
だが、問題はそれだけではなかった。
建設開始から二十七日目。
軌道上の母船が、人工構造物を発見した。
都市から東へ約四百キロ。
最初は岩石地形と判断されていた。
だが詳細観測の結果、明らかに人工物と判明した。
道路。
建物。
城壁。
農地。
そして。
人。
蓮は観測映像を拡大した。
街道を歩く人影。
長い髪。
細身。
そして。
尖った耳。
「……エルフ」
誰も否定しなかった。
別の映像。
都市。
城。
神殿。
畑。
馬車。
市場。
明らかに文明がある。
それも。
昨日今日できた文明ではない。
『複数の都市国家および集落を確認』
イザナミが報告する。
『建築物年代推定および遺跡分布から、現地文明は少なくとも数千年の歴史を有する可能性があります』
蓮はしばらく何も言えなかった。
「待て」
ようやく声が出る。
「テラフォーミング中に作業させてたデザインヒューマンは?」
『記録を検索』
数秒。
『存在します』
「やっぱりか」
『初期環境では人類の長期活動が困難だったため、環境適応型デザインヒューマンが投入されています』
「用途は?」
『生態系監視。植生管理。設備保守。危険生物管理。環境データ収集』
「その後は?」
『テラフォーミング期間が当初予定を大幅に超過したため――』
イザナミが続ける。
『管理ネットワークとの接続を喪失した集団が多数存在します』
蓮は観測映像を見る。
城。
街。
農地。
神殿。
数千年前。
人類が仕事をさせるために作った者たち。
その子孫が。
国を作った。
歴史を作った。
文化を作った。
おそらく宗教も。
「……俺たち」
美冬が言う。
「ものすごく面倒な時期に帰ってきたんじゃないですか?」
蓮は答えなかった。
否定できなかったからだ。
「接触は?」
美冬が聞く。
「まだしない」
蓮は即答した。
「まず観察する。言語、文化、政治、宗教、人口、技術水準。全部調べる」
「了解」
「こっちの街も、できるだけ目立たないように――」
蓮は窓の外を見る。
すでに高さ数十メートルの建物が何棟も立っていた。
建設ドローンが飛び回っている。
銀色の輸送艇が空を横切る。
「……無理だな」
美冬も外を見る。
「無理ですね」
二人は黙った。
やがて蓮が言った。
「とりあえず、向こうから来るまでは接触しない」
「来ますかね?」
「これ見つけたら来るだろ」
「でしょうね」
そして。
建設開始から二か月。
人類の都市は、平原に完全な異物として存在していた。
その日の朝。
監視ドローンが一人の現地人を発見した。
銀色の長い髪。
弓。
腰には短剣。
尖った耳を持つ若い女性。
彼女は森の中から、人類の都市をじっと見つめていた。
『現地知的生命体を確認』
イザナミの報告を聞き、蓮は映像を見る。
少女は隠れているつもりらしい。
だが。
監視網から見れば、丸見えだった。
「……来たか」
蓮は立ち上がった。
まだ誰も知らなかった。
この好奇心旺盛な一人のエルフとの出会いが。
人類と、この世界の歴史を再び結びつける最初の一歩になることを。
――第二話 了




