第2話 新天地
9月9日 第二話を書き直しました。ストーリーの変更点はありません。
天城蓮が、その惑星を自分の目で見たのは初めてだった。
巨大な観測窓いっぱいに、青い星が浮かんでいる。
雲の切れ間から覗く海。その青を縁取る緑の大陸。極地には白い氷床まで見えた。
似ている。
あまりにも、地球に。
「……綺麗だな」
思わず声が漏れた。
『惑星環境最終評価を表示します』
静かな女声とともに、蓮の視界に情報が展開された。
大気組成。平均気温。海洋塩分濃度。磁場。重力。生態系安定度。病原体リスク。
どの項目にも、居住可能を示す表示が並んでいく。
そして最後に、一際大きな文字が浮かび上がった。
《TERRAFORMING STATUS:COMPLETE》
蓮は瞬きもせず、それを見つめた。
「終わったのか」
『はい』
「本当に?」
『人類の恒久居住に必要な基準をすべて満たしています』
「……長かったな」
『主観時間においては、そうでもないはずですが』
「そういう問題じゃない」
蓮は苦笑した。
確かに、自分が感じた時間だけなら大したものではない。
旅のほとんどを《カーボン凍結》の中で眠っていたのだから。
数千年の航海に耐えるための長期休眠技術。
それでも、完全ではなかった。
「最終的な覚醒可能人数は?」
返事がない。
ほんの数秒。
だが、イザナミが即答しなかったという事実だけで、蓮には十分だった。
「……何人だ」
『三千七百四十二名です』
蓮は目を閉じた。
「……そうか」
地球を発ったとき、この船には十二万人がいた。
家族もいた。子供たちもいた。
新しい星へ降りるはずだった十二万人が、三千七百四十二人になった。
「原因は?」
『複合的です。初期航行時の破壊工作による電力系統損傷。その後の航路変更。想定を大幅に超えた航海期間。そして、テラフォーミング完了待機期間中に発生した長期休眠設備の経年劣化』
一つ一つは、蓮も知っていた。
知らなかったのは、それらが最後にどれほどの数字になったのかだけだ。
『生命維持が不可能となった休眠槽については、可能な限り人格情報および遺伝情報を保存しました』
「人格情報も?」
『完全ではありませんが』
蓮は少しだけ黙った。
「……分かった」
今は、それ以上聞かなかった。
観測窓の向こうでは、青い星が静かに浮かんでいる。
本当なら十二万人で降りるはずだった世界。
それでも。
ゼロではない。
「起こそう」
『全員をですか?』
「いや。段階的に。まず医療班、技術班、生態系調査班、建設班。それから食料生産関係」
『了解しました』
◇ ◇ ◇
「頭痛い……」
「吐きそう」
「立つな。まだ平衡感覚戻ってないぞ」
「ここどこだ?」
「船だろ」
「何年経った?」
「誰か服くれ!」
数時間後。
長いあいだ機械音しか存在しなかった覚醒区画に、人間の声が飛び交っていた。
休眠槽の蓋が開くたび、医療スタッフが駆け寄る。毛布に包まれた者が床に座り込み、立とうとした男が盛大によろけて看護用機械に支えられていた。
泣いている者もいる。
笑っている者もいる。
状況を理解できず、呆然としている者もいた。
その光景を入口から眺めていた蓮は、ふっと笑った。
「人間って感じするな」
「数千年ぶりに起こされて最初の感想が『服くれ』ですからね」
隣から声がした。
神崎美冬。
船の技術部門を統括する技術者の一人だ。
「大事だろ、服」
「そこですか?」
美冬は呆れた顔をした。
もっとも、その顔にはまだ血の気が戻りきっていない。覚醒してから、わずか二時間だ。
「それで」
美冬の表情が変わる。
「本当に着いたんですか?」
「ああ」
「住める?」
「イザナミ判定では問題なし」
「テラフォーミングは?」
「完了」
美冬の肩から、目に見えて力が抜けた。
「じゃあ……成功したんですね」
蓮はすぐには答えなかった。
美冬も気づいたらしい。
「三千七百四十二人」
「ああ」
少しの沈黙。
やがて美冬は覚醒区画を振り返った。
「……降りましょう」
美冬が言った。
「そのために来たんでしょう?」
「ああ」
◇ ◇ ◇
最初の降下隊には、二百八十六名が選ばれた。
医師、技術者、建設要員、生態学者、警備要員。それに多数の自律作業機。
彼らを乗せた降下艇が母船を離れていく。
巨大な船体が、窓の向こうでゆっくり遠ざかっていった。
地上への移住が始まっても、母船は軌道上に残る。
三千七百四十二人しかいない以上、すべてを地上へ賭けるわけにはいかなかった。
「降下開始」
美冬が告げた。
惑星が急速に大きくなっていく。
青。
白。
緑。
やがて降下艇は雲を抜けた。
「……うわ」
誰かが声を漏らした。
眼下に海が広がっていた。
その先には、どこまでも続く森林。
巨大な川が大地を裂くように蛇行し、遥か遠方には山脈が霞んでいる。
「……地球みたい」
誰かが呟く。
蓮もそう思った。
思った直後だった。
「十二時方向。大型飛行生物」
光学映像が拡大された。
巨大な翼。
爬虫類を思わせる胴体。
後方へ伸びる長い尾。
蓮は数秒、それを眺めた。
「……ドラゴン?」
「分類名があるはずです」
美冬が言った。
「いや、どう見てもドラゴンだろ」
「見た目で分類しないでください」
「ドラゴンでいいじゃん」
「駄目です」
「夢がないな」
「技術者なので」
「俺も技術者なんだけど」
「知ってます」
巨大生物は降下艇を避けるように進路を変え、そのまま遠ざかっていった。
「イザナミ。あれ、自然進化?」
『否定します。テラフォーミング生態系構築計画において作成された種の派生型と推定』
「人工種か。……こんなのいたっけ?」
「蓮さん、計画責任者でしょう」
「全生物の設計まで覚えてるわけないだろ」
「本当に?」
「……たぶん」
「たぶん?」
そのとき、別の生物が地表に捉えられた。
白い毛。長い耳。
そして額に、一本の角。
蓮と美冬が揃って黙った。
「……角ウサギ」
「勝手に名前を付けないでください」
「人工種?」
『祖先種は該当します』
「やっぱりか」
美冬がじっとこちらを見る。
「何?」
「いえ」
「その目やめて」
◇ ◇ ◇
降下艇が大地へ触れた。
振動が止まる。
数千年の航海の果てに辿り着いた世界が、ハッチ一枚を隔てた向こうにある。
外気の安全確認を終え、ハッチが開いた。
風が入ってきた。
蓮は最初に外へ出る。
一歩。
靴底が地面に触れた。
草が風に揺れている。
地球を発った移民たちが、ようやくこの星の大地を踏んだ。
何か言うべきなのかもしれない。
歴史に残るような言葉を――。
「蓮さん、どいてください。後ろ詰まってます」
「……はい」
美冬に追い出された。
蓮は脇へ避けた。
足元には地球のものとよく似た草が生えている。
一本くらい――。
「触らない」
手首を掴まれた。
「手袋してる」
「最高責任者が最初に未知の植物をむしらないでください」
「ただの草だろ」
「まだ調査前です」
「慎重だな」
「あなたが不用心なんです」
その間にも、自律作業機が次々と降下艇から運び出されていく。
蓮は平原を見渡した。
「始めよう」
その一言で、機械群が動き始めた。
数時間後には医療センターが完成した。
三日後には電力と水が通り、一週間後には道路沿いに建物が並んだ。
二週間後。
蓮が建物の上階から見下ろしたものは、もう野営地ではなかった。
ガラスと金属、複合素材で作られた建築群。その間を自律車両が行き交い、上空をドローンが飛んでいる。
そのすぐ向こうには、手つかずの草原が広がっていた。
地球を発った人類は、この星に新たな居場所を築き始めていた。
◇ ◇ ◇
周辺調査が進むにつれて、妙な報告も増えていった。
《大型飛行爬虫類を確認》
もう見た。
《一角小型草食獣を確認》
それも見た。
《一角を持つ大型馬型生物を確認》
「……ん?」
映像には、額から螺旋状の長い角を伸ばした白馬が映っていた。
「美冬」
「何ですか?」
「ユニコーン」
「……そう見えますね」
今度は否定されなかった。
それが逆に怖い。
蓮は次の報告を開いた。
《人型知的生命体の可能性がある生物を確認》
「……知的生命体?」
森の中を、数人の人影が歩いていた。
人間より小柄で、緑がかった皮膚に大きな耳。
全員が服を着ている。道具を持ち、何かを話しながら歩いていた。
美冬が腕を組む。
「言いたくありませんけど」
「何?」
「ゴブリンですよね、これ」
「……だよな」
ドラゴン。
角ウサギ。
ユニコーン。
そして、ゴブリン。
蓮はしばらく画面を見つめた。
「イザナミ。テラフォーミング計画の生物設計データを洗い直してくれ。文化データの参照履歴も」
美冬がこちらを見る。
「やっぱり心当たりあるんじゃないですか」
「……ちょっとだけ」
「どのくらい?」
「俺、地球にいた頃、かなりオタクだったんだよ」
「知ってます」
「なんで知ってるの?」
「個人記録」
「見るなよ」
「最高責任者になった人間の適性評価です」
『照合結果の一部が出ました』
イザナミの声に、蓮は嫌な予感を覚えた。
『テラフォーミング初期段階において、惑星生態系設計AIが複数の文化データベースを参照した記録を確認』
「文化データ?」
『神話。伝承。文学。映像作品。ゲーム。漫画。アニメーション等』
蓮は固まった。
「……おい」
『さらに、最高管理者の嗜好データが一部の設計優先度へ影響した可能性があります』
「待て」
美冬がゆっくりと蓮を見る。
「蓮さん」
「俺は悪くない」
「まだ何も言ってません」
「でもその顔は俺が悪いって言ってる」
「だいたい合ってると思います」
蓮は両手で顔を覆った。
「まさか本当に……」
『現時点では因果関係を確定できません』
「頼むから偶然であってくれ」
ここまで揃えば、偶然と言い張る方が難しい。
蓮は報告画面を閉じた。
◇ ◇ ◇
街が形になり始めた頃。
『広域観測データより、人工構造物の可能性が高い地形を検出しました』
蓮は作業の手を止めた。
「場所は?」
『本都市より東方、約四百キロメートル』
卓上に地形図が浮かび上がった。
平野を横切る不自然な直線。
規則正しく区切られた土地。
その先には、建造物らしきものが密集している。
「道路と農地か?」
『その可能性が高いと判断します』
「確認しよう。偵察機を出してくれ」
『了解しました』
詳しい映像が届いたのは、それから数時間後だった。
「……街だな」
偵察ドローンから送られてきた映像には、城壁に囲まれた都市が映っていた。
石造りの建物が並び、中央には城らしき大きな建造物がある。街の外には畑が広がり、街道を馬車が行き交っている。
市場には人が溢れていた。
「これ、集落って規模じゃないですね」
「ああ」
美冬の声から、いつもの軽さが消えていた。
そして、その住民の多くに共通する特徴があった。
「……耳、尖ってない?」
「尖ってますね」
長い髪の間から、細長く伸びた耳が覗いている。
蓮はその姿に、妙な既視感を覚えた。
「イザナミ。旧テラフォーミング計画のデザインヒューマン記録を検索」
『検索します』
古い資料が表示された。
その中の一つで、蓮の目が止まる。
《ELF――》
「……あった」
「ELF?」
美冬が画面を覗き込む。
「形式番号に入ってますね」
「ああ」
蓮はもう一度、街の住人を見る。
「エルフの子孫か?」
『身体的特徴は記録と一致します。ただし、遺伝情報を取得していないため確定はできません』
「十分だ」
生き残っただけではない。
彼らは都市を築いている。
「他にもあるのか?」
『広域観測で同様の人工構造物を複数確認しています』
地図上に印が増えていく。
一つ。
二つ。
五つ。
十。
さらに増える。
一つの集落が偶然残っていた、という話ではなかった。
「そもそも、なんでデザインヒューマンなんて投入したんです?」
美冬が尋ねた。
「初期環境じゃ普通の人間は長期間活動できなかった。それで、現地環境に適応させた作業要員を投入したんだ」
「それが、このエルフ?」
「その一つだろうな」
『テラフォーミング期間は当初予定を大幅に超過しています。その間、複数の管理設備が機能停止。管理ネットワークとの接続を喪失したデザインヒューマン集団が多数存在します』
蓮は映像の街を見た。
数千年の断絶の先に、あれがある。
「……俺たち」
美冬が呟いた。
「ものすごく面倒な世界に着いちゃったんじゃないですか?」
蓮は答えなかった。
否定する材料が一つもなかった。
「接触は?」
「まだしない。まず観察する。言語、文化、政治、宗教。分かるところから調べよう」
「了解」
「こっちの街も、できるだけ目立たないように――」
言いながら窓の外を見る。
数十メートル級の建物が並び、建設ドローンが飛び回っている。
ちょうどそのとき、銀色の輸送艇が低空を横切った。
蓮は黙った。
美冬も外を見た。
「……無理だな」
「無理ですね」
「とりあえず、向こうから来るまでは接触しない」
「来ますかね?」
「これ見つけたら来るだろ」
「でしょうね」
◇ ◇ ◇
建設開始から二か月。
平原には、白と銀の街が広がっていた。
夜になれば明かりが灯り、空には輸送艇が飛ぶ。
もはや隠しようがない。
そして、その日の朝。
『現地住民と思われる人物を確認』
蓮は端末から顔を上げた。
「映して」
森の映像が開いた。
一本の太い木。
その陰から、誰かが人類の街を窺っている。
若い女性だった。
銀色の長い髪。
手には弓。
腰には短剣。
そして髪の間から、細長く尖った耳が覗いていた。
「エルフか?」
『身体的特徴は一致します』
「一人?」
『現在まで同行者は確認されていません』
少女は弓を手にしていたが、こちらへ向ける様子はない。
ただ木陰に身を潜め、人類の街を見つめている。
こちらから接触するつもりはなかった。
だが、街そのものを隠せない以上、こうなるのは時間の問題だった。
蓮は椅子から立ち上がった。
「……来たか」
――第二話 了
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