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第1話 星間移民船アマテラス

地球は、死んでいなかった。


だからこそ、人類は地球を捨てた。



海はまだあった。


大気もあった。


雨も降った。


場所によっては森さえ残っていた。



だが、人間が文明を維持できる惑星ではなくなっていた。



二十二世紀後半。


人類は地球環境を制御する技術を手に入れていた。



ナノマシンによる大気浄化。


人工微生物による土壌再生。


海洋生態系の再構築。


二酸化炭素固定。


気象制御。


遺伝子設計された植物。


重力制御さえ実用化されていた。



かつての人類なら、それを奇跡と呼んだだろう。



手のひらから炎を出すことさえできた。


空気中へ散布されたナノマシン群を制御し、可燃性分子を集め、点火し、燃焼領域を限定する。



昔の人間が見れば、魔法としか思わなかったはずだ。



それほどの科学力を持ちながら。


人類は地球を救えなかった。



理由は一つではない。



気候変動。


海洋酸性化。


生物多様性の崩壊。


永久凍土から放出された温室効果ガス。


戦争による化学物質汚染。


自己増殖型工業ナノマシンの事故。


そして、環境修復用として大量投入された人工微生物群。



それぞれなら対処できた。



問題は、それらが互いに干渉したことだった。



人類が一つを修復すると、別のシステムが変化する。


大気中の炭素を減らせば海洋微生物相が崩れる。


海を修復すれば人工藻類が異常繁殖する。


人工藻類を抑えれば酸素循環が変化する。


土壌を再生すれば、眠っていた工業ナノマシンが再活性化する。



地球全体が、複雑すぎる人工生態系になっていた。



何十億もの生物。


人工生命。


ナノマシン。


化学物質。


気候。


海流。



それらが相互作用し続ける。



人類には地球を変える力があった。



だが。


地球を壊さずに変える方法が分からなくなった。



大規模テラフォーミングを強行すれば、残された生態系まで連鎖崩壊する可能性が高い。



人類は最終的に結論を出した。



地球は、技術的に修復不能なのではない。



安全に修復するための初期状態を、もう誰にも把握できない。



だから。



一部の人類は外へ出ることを選んだ。



恒星間移民船アマテラス



全長四・八キロメートル。



乗員十二万一千六百八十四名。



目的地は、地球から約四十光年離れた恒星系。



そこには事前観測によって、テラフォーミング可能と判断された惑星が存在していた。



アマテラスは、人類が作った巨大な方舟だった。



居住区。


工場。


農業区画。


遺伝子バンク。


生態系データ。


文化データベース。


そして、新しい惑星を作り変えるための大量のナノマシン。



乗員の大部分は、長期休眠状態に入っていた。



俗称。



《カーボン凍結》。



その中に、一人の日本人青年がいた。



天城蓮。



二十七歳。



推進・重力制御系統技術者。



専門は重力場制御とナノ機械工学。



そして。



かなり重度のオタクだった。



休眠前に個人端末へ保存したデータの大半が、アニメ、漫画、ゲーム、小説だった。



本人は知らない。



それが数千年後、とんでもない形で人類へ返ってくることを。



その日。



蓮は予定より遥かに早く目を覚ました。



最初に感じたのは痛みだった。



全身が重い。



喉が焼けるように乾いている。



視界がぼやける。



「……最悪」



声が出ない。



蓮は休眠槽の中で何度か瞬きをした。



透明なカバーが開く。



冷たい空気。



機械音。



『覚醒処置を完了しました』



女性の声。



船のマザーコンピューター。



イザナミ。



蓮は身体を起こそうとした。



「……何年?」



『航海開始から百八十三年四か月十二日』



蓮の動きが止まった。



「早くない?」



本来なら、まだ眠っているはずだった。



『緊急事態です』



「先に言えよ」



『覚醒直後の神経系への負荷を考慮しました』



「じゃあ今から優しく教えて」



『主推進システムに重大な異常が発生しています』



「全然優しくない」



蓮は休眠槽から降りた。



足に力が入らない。



壁へ手をつく。



「故障?」



『破壊工作の可能性九十九・七パーセント』



蓮の顔から眠気が消えた。



「……誰が?」



『移民計画反対派の構成員が、乗員として潜入していた可能性があります』



地球を捨てることに反対した者たちは多かった。



人類は地球で滅びるべきだと考える者。



移民計画そのものを富裕層の逃亡だと批判する者。



新惑星への生態系持ち込みを宇宙規模の侵略と考える者。



その一部は過激化していた。



「状況」



蓮は歩きながら聞く。



『重力推進器の前方場発生装置は稼働中』



「後方制御は?」



『応答なし』



蓮が足を止める。



「待て」



アマテラスの推進原理は単純だった。



船の前方に人工的な高重力領域を作る。



船はそこへ向かって落下する。



だが、重力源そのものも船とともに前進する。



結果として、船は延々と前方へ落ち続ける。



俗に《重力落下推進》と呼ばれる方式。



加速は容易。



問題は減速だった。



目的地へ近づけば、重力場を反転させる必要がある。



その制御系が死んでいる。



「このままだと?」



『目的恒星系を通過します』



「あとどれくらい?」



『現在の速度および復旧所要時間によります』



「推進区画まで何分?」



『徒歩で十一分』



「警備ドローンは?」



『一部使用可能』



「起こせる技術者は?」



『現在、安全に即時覚醒可能な推進技術者は天城蓮のみです』



「……だから俺か」



『はい』



蓮は走った。



身体が重い。



覚醒直後。


最悪のコンディション。



それでも行くしかない。



途中。



船内放送が入った。



『警告。推進区画に武装した人員を確認』



蓮は止まった。



「何人?」



『四名』



「俺、技術者なんだけど」



『把握しています』



「戦闘訓練は?」



『基礎訓練のみ』



「分かってるなら何とかしてくれ」



『警備ドローン二機を派遣します』



天井の格納部が開く。



小型の球形ドローンが二機降りてきた。



非致死性装備。



電撃弾。


拘束ワイヤー。



「殺すなよ」



『可能な限り』



「その言い方怖いな」



推進区画へ到着した。



扉が開く。



銃声。



蓮は反射的に壁へ身を隠した。



「うおっ!」



弾丸が壁を叩く。



「本物撃ってきたぞ!」



『確認しました』



「確認じゃなくて何とかしろ!」



警備ドローンが飛び出した。



電撃弾。



一人が倒れる。



二人目が発砲。



ドローン一機が撃ち落とされた。



爆発。



残ったドローンが拘束ワイヤーを射出。



二人目の腕へ絡みつく。



壁へ叩きつける。



残り二人。



蓮は床を見る。



整備用ナノマシン。



作業区画なら大量に存在する。



「イザナミ。整備ナノ群、俺に制御渡せ」



『技術者権限では人体への干渉命令は許可されません』



「人体じゃない。床を作れ」



『形状を指定』



「足元を固定しろ」



床が変形した。



灰色のナノ材料が一人の足へ絡みつく。



「何だ!?」



男が転倒する。



蓮は走った。



作業用外骨格の腕を起動。



人間を殴るための機械ではない。



重量物を持ち上げる装置。



だから。



出力を最低まで落とした。



「寝てろ!」



外骨格の腕が男の腹へ入る。



身体が数メートル飛んだ。



「……最低でもこれかよ」



死んではいない。



ナノマシンが生命反応を確認。



残り一人。



その男は推進制御盤の前にいた。



手に起爆装置。



「来るな!」



蓮が止まる。



「それ何につながってる?」



「この船を止める」



「止めるっていうか壊す気だろ」



「人類は地球から逃げるべきじゃなかった」



「その議論、今やる?」



「俺たちは地球と一緒に死ぬべきだった!」



「俺を巻き込むなよ!」



男が起爆装置を押した。



蓮は同時に床へ飛び込んだ。



爆発。



推進区画が揺れる。



破片。



熱。



衝撃。



蓮の身体が壁へ叩きつけられた。



一瞬、何も聞こえなくなった。



視界が白い。



やがて音が戻る。



警報。



火災。



蓮は床に倒れていた。



腹部が熱い。



見る。



金属片が刺さっている。



「……マジかよ」



『天城蓮。重度外傷を確認』



「見れば分かる……」



過激派の男も倒れていた。



意識はない。



『敵性人員四名、全員無力化』



蓮は息を吐いた。



「結局……誰が倒したことになるんだ、これ」



『警備ドローンおよび天城蓮の共同対処です』



「律儀だな……」



立とうとする。



激痛。



無理だった。



『動かないでください』



「推進器……」



『医療を優先します』



「でも……」



『死亡した場合、修理できません』



「……正論」



意識が遠のいた。



次に目を覚ました時。



蓮は手術台の上にいた。



身体が動かない。



視界に大量の情報が流れている。



「……生きてる?」



『はい』



イザナミ。



「どれくらい?」



『負傷から十九時間』



「怪我は?」



『腹部臓器損傷。脊椎損傷。右肺穿孔。大量出血』



「よく生きてたな」



『通常医療のみでは死亡していました』



「じゃあ何した?」



『外科処置および医療ナノマシンによる組織再構築』



蓮は自分の腹を見る。



傷がない。



完全ではない。



だが閉じている。



「……すごいな」



『追加事項があります』



「嫌な予感する」



『緊急事態規定に基づき、天城蓮へ船内最高管理者権限を付与しました』



蓮は黙った。



「……なんで?」



『船長死亡』



「副船長は?」



『死亡』



「航海責任者」



『休眠槽損傷により死亡』



「他の上級管理者」



『現在即時覚醒可能な者はいません』



「だからって俺?」



『非常時継承順位および現在の生存・覚醒状況を照合した結果です』



「俺、推進技術者だぞ」



『現在は最高管理者です』



「返上」



『非常事態解除まで不可能です』



「そんな」



『おめでとうございます』



「絶対めでたくない」



この瞬間。



天城蓮は、恒星間移民船アマテラスの最高責任者になった。



そして。



数千年後。



その権限が、彼を《創造神》にする。



もちろん。



この時の蓮は知る由もない。



治療開始から四日後。



蓮は推進区画へ戻った。



まだ完全には回復していない。



だがナノマシンによる修復のおかげで、普通なら数か月かかる傷が急速に治癒している。



破壊された推進制御系を見る。



「ひどいな」



爆発で制御回路が焼けている。



重力場発生器そのものは生きている。



だが減速側へ切り替えるための同期制御装置が死んでいた。



「交換部品は?」



『ありません』



「製造」



『可能ですが、工作設備の一部も破壊されています』



「じゃあ工作設備から直す」



『推定所要時間、二十六日』



「やるしかない」



そこから。



蓮は働いた。



一日目。



ナノマシンで破損配線を再構築。



三日目。



工作設備の一部を復旧。



六日目。



重力場同期装置の試作品完成。



失敗。



九日目。



二号機。



焼損。



「なんでだよ!」



『位相制御誤差です』



「分かってる!」



十三日目。



三号機。



動いた。



「よし!」



『三十七秒後に停止しました』



「知ってる!」



十八日目。



四号機。



安定。



二十三日目。



推進系との接続。



二十七日目。



重力場反転試験。



船体が震えた。



蓮は制御席へしがみつく。



「出力!」



『十二パーセント』



「上げろ!」



『二十』



人工重力が乱れる。



工具が浮く。



床へ落ちる。



『三十五』



「同期は!?」



『許容範囲』



「五十まで!」



船の前方に存在していた高重力領域が消える。



今度は後方。



アマテラスの進行方向とは逆側に人工重力井戸が形成される。



船が後ろへ落ち始める。



つまり。



減速。



『推進制御復旧』



蓮は椅子へ倒れ込んだ。



「……やった」



一か月近くかかった。



だが直した。



「目的地までの距離は?」



イザナミが答えなかった。



蓮が顔を上げる。



「イザナミ?」



『当初目的惑星は、すでに通過しています』



「……どれくらい?」



星図が表示される。



蓮は黙った。



「嘘だろ」



『事実です』



修理している間。



アマテラスは減速できないまま飛び続けた。



しかも異常が発生してから蓮が覚醒するまでにも時間が経っている。



本来の目的地は。



遥か後方。



「戻れる?」



『可能です』



「じゃあ――」



『ただし現在速度から完全反転し帰還する場合、推進系負荷、エネルギー消費、航行時間を考慮すると推奨できません』



蓮は星図を見る。



「他の候補は?」



『検索中』



数分。



数十の恒星。



数百の惑星。



大気。



重力。



水。



恒星活動。



資源。



テラフォーミング可能性。



候補が消えていく。



そして。



一つ残った。



『候補惑星を発見』



蓮が見る。



現在航路の比較的近く。



地球よりやや大きい。



重力〇・九八G。



液体の水。



大気あり。



ただし。



「酸素濃度低いな」



『現状、人類の恒久居住には不適』



「テラフォーミングは?」



『可能』



「期間」



『初期推定、六百年から千二百年』



蓮は笑った。



「長いな」



『休眠設備を使用すれば主観時間上の問題は限定的です』



「設備、壊れてるんだろ」



『全体の九十一・三パーセントは現時点で稼働可能』



「現時点では、ね」



蓮は惑星を見る。



地球を出た。



目的地を失った。



人も死んだ。



船も壊れた。



それでも。



まだ行ける場所がある。



「ここにしよう」



『最終決定ですか?』



蓮は少し考えた。



そして頷いた。



「目的地変更」



「候補惑星へ向かう」



『最高管理者権限を確認』



『航路を再設定します』



星図上に、新しい線が引かれる。



アマテラスがゆっくりと進路を変える。



蓮はそれを見ていた。



「今度こそ着こうぜ」



『努力します』



「そこは『必ず』って言ってくれよ」



『未来の確定的保証はできません』



「AIってこういう時ほんと夢ないな」



『安全性を優先しています』



「はいはい」



蓮は椅子にもたれた。



この時。



彼はまだ知らなかった。



この惑星へのテラフォーミングが、想定以上に長期化することを。



人類が眠っている間も。



ナノマシンが大地を作り。



海を変え。



植物を広げ。



動物を作り。



そして。



人類の遺伝子から作られた環境適応型デザインヒューマンたちが。



その世界で生き始めることを。



彼らが子を産み。



村を作り。



国を作り。



歴史を作り。



やがて。



自分たちを作った者たちの記憶を。



神話へ変えていくことを。



そして何より。



最高管理者となった天城蓮の個人データが。



惑星設計システムへ、思いもよらぬ影響を与えることを。



数千年後。



蓮が再び目を覚ました時。



そこには。



彼がよく知っているようで。



まったく知らない世界が待っていた。



――第一話 了。

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