第38話 廃冒険者 天城蓮
地球由来の地下迷宮で、数千年間誰にも知られていなかった機能が発見されてから一週間が過ぎた。
セーブポイント。
帰還通路。
ステータス表示。
そして、レベルアップ特典。
学校では早くも「地球製迷宮におけるゲーム文化の応用」を冒険者コースの授業へ組み込むべきだという話が出ていた。
その最大の推進者が、つい先日まで「ゲームなど知らん」と言っていたアルベルトなのだから、世の中は分からない。
もっとも、アルベルトには十分な理由があった。
数千年間、エルフの冒険者たちは迷宮の機能をほとんど理解せず利用していたのである。
安全地帯はただの休憩所。
セーブポイントは謎の台座。
帰還通路は壁の向こう。
そしてレベルアップ特典に至っては、存在そのものを知らなかった。
これまでの常識が一週間でひっくり返った。
そしてもう一人。
この発見によって人生を少々狂わせ始めた男がいた。
◇
「イザナミ」
『はい』
「これ、本当に上限ないの?」
『先ほどから三度同じ質問をされています』
「確認だよ」
蓮は迷宮第三層の安全地帯に立っていた。
目の前には半透明の表示が浮かんでいる。
《AMAGI REN》
《AUTHORITY:ADMINISTRATOR》
《LEVEL:N/A》
《取得特典数:12》
《取得可能特典上限:NONE》
蓮は腕を組んだ。
「やっぱりない」
『ありません』
「一般探索者は?」
『個体ごとに設定されたアクセスレベルに応じて上限が存在します。特典取得によって環境ナノマシンに対する限定的な利用権限が追加されます』
「俺は?」
『最高管理者です』
「だから上限なし?」
『その理解で概ね正しいです』
蓮の口元が少しだけ緩んだ。
イザナミは見逃さなかった。
『楽しんでいますね』
「何を?」
『特典一覧を表示してから心拍数が上昇しています』
「余計なところ見るな」
蓮は表示を送った。
《未取得特典》
《毒性物質処理補助Ⅰ》
《熱環境適応Ⅰ》
《低温環境適応Ⅰ》
《動体視覚補助Ⅰ》
《運動制御補助Ⅰ》
《危険検知補助Ⅰ》
《生体修復補助Ⅰ》
《疲労回復補助Ⅰ》
《近接戦闘動作補助Ⅰ》
《射撃演算補助Ⅰ》
まだまだ続く。
蓮はさらに送った。
まだある。
さらに送った。
「……結構あるな」
『本施設は探索者の長期訓練を目的として設計されています。特典はその成果に応じ、環境ナノマシンへの限定的なアクセス権を付与するためのものです』
「つまり、本当に能力が生えるわけじゃないんだな」
『当然です』
イザナミは淡々と説明した。
例えば《毒性物質処理補助》なら、体内へ侵入した有害物質をナノマシンが検出し、分解あるいは隔離する。
《動体視覚補助》なら、視覚情報と周囲の環境ナノマシンが取得した情報を統合し、高速移動する対象の認識を補助する。
《危険検知補助》も未来予知などではない。周辺のナノマシン群が取得した音響、振動、熱源、物体移動などの情報を解析し、危険と判断した情報を探索者へ伝達する機能だ。
近接戦闘補助や射撃補助も同じ。
身体の動き、相手の位置、武器の軌道などを解析し、必要な動作を補助する。
すべてナノマシン技術。
魔法ではない。
瞬間移動もできなければ、時間を止めることもできない。
存在しない物質を無から生み出すこともできない。
「じゃあ俺なら、管理者権限で直接同じことできるんじゃないの?」
『可能です』
「だよな」
『しかし、戦闘中に数十種類の処理を意識的に並列実行することは推奨できません』
蓮の指が止まった。
「……ああ」
理解した。
「これ、自動化プリセットなのか」
『その表現が適切です』
毒物が入れば自動的に処理。
攻撃が迫れば自動的に検知。
暗所へ入れば視覚補助。
身体へ大きな衝撃が加われば保護。
怪我をすれば修復処理。
いちいち蓮が環境ナノマシンへ命令する必要がない。
一度取得すれば、必要な状況で自動的に処理される。
蓮はもう一度、特典一覧を見た。
「……便利じゃん」
『便利です』
「しかも俺だけ取得数に上限なし」
『はい』
「全部取れる?」
『理論上は』
蓮の目が変わった。
『ただし』
「何?」
『管理者であっても、各特典に設定された取得条件を満たす必要があります』
表示が切り替わる。
《毒性物質処理補助Ⅰ》
《取得条件:規定以上の毒性環境における累積活動時間達成》
《近接戦闘動作補助Ⅰ》
《取得条件:指定された近接武器による戦闘評価達成》
《危険検知補助Ⅰ》
《取得条件:危険攻撃回避評価達成》
《疲労回復補助Ⅰ》
《取得条件:規定運動負荷下における累積活動時間達成》
蓮は黙って読んでいた。
『管理者権限による条件変更も可能ですが――』
「いや」
即答だった。
『……はい?』
「それやったら面白くないだろ」
『面白いかどうかで判断する機能ではありません』
「こういうのは自分で取るから意味があるんだよ」
『蓮』
「何?」
『これはゲームではありません』
「分かってるよ」
その顔は、まったく分かっていない人間の顔だった。
◇
三日後。
アルベルトは迷宮第四層で妙なものを見つけた。
毒沼だった。
冒険者なら可能な限り避ける場所である。
そこに人がいた。
「……何をしている?」
蓮だった。
膝まで毒沼に浸かっている。
「おう」
「おう、ではない。何をしていると聞いている」
「毒耐性上げてる」
アルベルトは黙った。
「出ろ」
「あと二十七分」
「何がだ」
「取得条件」
蓮の前には表示が浮かんでいる。
《毒性物質処理補助Ⅱ》
《進捗:93.8%》
アルベルトは額を押さえた。
「蓮」
「何?」
「迷宮とは、危険を避けながら攻略する場所だ」
「違う」
「何?」
蓮は真顔で答えた。
「迷宮は周回する場所だ」
アルベルトは数秒間、何も言えなかった。
「……お前とは分かり合えない気がする」
「そう?」
「少なくとも冒険者としてはな」
そう言いながらアルベルトは毒沼から離れた。
そして十分後。
また戻ってきた。
「まだいるのか」
「あと十七分」
「そうか」
さらに十分後。
「まだか」
「あと七分」
「……なぜ私は気になって見に来ているのだ」
蓮にも分からなかった。
◇
それから蓮の迷宮探索は加速した。
もちろん、最高責任者としての仕事を放棄したわけではない。
行政上の承認。
エルフ側との調整。
拠点整備。
惑星環境管理。
学校関係の報告。
必要な仕事はきちんと片付ける。
問題は、その後だった。
「蓮は?」
「第五迷宮です」
翌日。
「蓮は?」
「第二迷宮です」
さらに翌日。
「蓮は?」
「第七迷宮です」
アルベルトが眉をひそめた。
「昨日も第七迷宮ではなかったか?」
「昨日は第五です」
「一昨日は?」
「第二です」
「……何をしている?」
イザナミが答えた。
『周回しています』
「シュウカイ?」
『同一あるいは類似した経路を繰り返し攻略し、目的とする報酬の取得効率を高める行為です』
アルベルトは少し考えた。
「つまり修練か」
『本人はそう主張しています』
「違うのか?」
『判断を保留します』
◇
第七迷宮。
蓮は走っていた。
背中には、わざわざ重い装備を背負っている。
右手には剣。
左腕には小型の盾。
そして後ろから十数体の魔物が追ってくる。
『蓮。現在、運動負荷補助、疲労回復補助、近接戦闘補助、危険検知補助、動体視覚補助、装備重量補助の取得条件を同時進行しています』
「効率いいだろ」
『さらに三十七秒後、毒性環境区域へ入ります』
「そこで毒耐性も稼ぐ」
『七種類です』
「一周で七つ進む」
『本施設は、そのような利用方法を想定していません』
「できるんだろ?」
『可能です』
「じゃあ仕様だ」
『……』
蓮が角を曲がる。
床の一部が沈んだ。
壁から矢が飛んできた。
蓮は身体を捻る。
一本目を回避。
二本目も回避。
三本目だけが盾に当たった。
《危険攻撃回避評価+1》
「よし」
『喜ぶところではありません』
「進んだんだからいいだろ」
そのまま毒性ガスが漂う区画へ突入する。
後ろから追ってきた魔物も入ってくる。
蓮は振り返った。
「まとめて来い!」
『楽しんでいますね』
「修練だよ」
『心拍数と脳活動を見る限り、娯楽として認識しています』
「だから余計なところ見るなって!」
剣を振るう。
魔物の攻撃を避ける。
毒性物質をナノマシンが処理する。
重い装備を背負ったまま動き続ける。
一つの戦闘で、複数の条件が同時に進んでいった。
かつて地球にいた頃。
蓮には、同じ場所を何十回も周回して僅かな能力上昇を積み重ねることに何の苦痛も感じない時期があった。
本人は忘れていた。
周囲も知らなかった。
だが、長い眠りを経て。
異世界としか思えない惑星へ辿り着き。
最高責任者になり。
創造神と呼ばれ。
文明そのものを動かす立場になった男の奥底には、まだ残っていた。
廃ゲーマーの魂が。
◇
さらに二週間後。
アルベルトは再び蓮と迷宮で遭遇した。
「またお前か」
「おう」
「今日は何をしている?」
「射撃補助と遠距離認識補助」
蓮は銃を構えていた。
遥か先の標的へ撃つ。
命中。
《射撃演算補助Ⅱ:進捗+1》
「……お前、剣を使っていなかったか?」
「剣は昨日終わった」
「昨日?」
「近接戦闘補助Ⅲまで取った」
アルベルトが眉をひそめた。
「少し見せろ」
「何を?」
「取得特典だ」
蓮が表示する。
《取得特典数:43》
アルベルトは目を疑った。
「四十三?」
「うん」
一覧が表示される。
毒性物質処理補助。
熱環境適応。
低温環境適応。
暗所視覚補助。
動体視覚補助。
危険検知補助。
生体修復補助。
疲労回復補助。
近接戦闘動作補助。
射撃演算補助。
装備重量補助。
衝撃緩和補助。
運動制御補助。
平衡感覚補助。
まだ続く。
アルベルトが画面を送る。
まだある。
さらに送る。
「……お前」
「何?」
「いつ寝ている?」
「寝てるよ」
「いつ仕事をしている?」
「普通にしてるよ」
「では、いつ迷宮に潜っている?」
「空いた時間」
「空いた時間がおかしい!」
蓮は首を傾げた。
「そうかな」
「私は長年冒険者をやっているが、お前ほど迷宮に潜ることそのものを目的にしている人間を初めて見た」
「だから目的は特典だって」
「それを何に使う?」
蓮が黙った。
アルベルトは続ける。
「毒への耐性。熱への耐性。寒さへの耐性。近接戦闘、射撃、危険察知、身体保護、修復、疲労軽減……それほど大量の能力を集めて、お前は何と戦うつもりだ?」
蓮は少し考えた。
本当に考えた。
そして答えた。
「別に?」
「……別に?」
「使う予定なんかないよ」
「なら、なぜ取る!」
蓮は不思議そうな顔をした。
「取れるから」
「答えになっていない!」
「上限ないんだぞ?」
「だから何だ!」
「全部取れるなら、全部取りたいだろ」
「思わん!」
アルベルトの声が迷宮に響いた。
◇
その日の夜。
蓮は自室で特典一覧を眺めていた。
取得済み、四十三。
取得可能な特典はまだ大量にある。
しかも一部の特典には、さらに上位段階が存在する。
《毒性物質処理補助Ⅲ》
《取得条件――》
蓮は読む。
「……これ面倒だな」
『諦めますか』
「いや」
即答。
『では?』
「効率のいい場所探す」
イザナミは数秒沈黙した。
『蓮』
「何?」
『あなたは、この惑星の最高責任者です』
「知ってる」
『複数の民族から創造神として認識されています』
「知ってる」
『軌道上には移民船があり、地上には都市が建設され、現在も文明間の調整が進んでいます』
「それも知ってる」
『その最高責任者が、休日の大半を地下迷宮の周回に費やしています』
蓮は特典一覧を見ながら答えた。
「仕事はちゃんとしてるだろ」
『しています』
「じゃあいいじゃん」
イザナミは否定できなかった。
蓮が次の特典を選ぶ。
《危険検知補助Ⅲ》
取得条件が表示された。
蓮の目が輝く。
「これ、毒耐性Ⅲと同時に進められるな」
『……可能です』
「明日行こう」
『休日です』
「だから行けるんだろ」
『そうですね』
もはや止める意味もなかった。
◇
翌朝。
迷宮入口。
アルベルトが生徒たちを連れて実習に来ていた。
その横を、大量の装備を背負った蓮が通り過ぎる。
「おはよう」
「……おはよう」
生徒が蓮を見る。
「蓮さん、今日は何階まで行くんですか?」
「九層まで行って戻る」
「攻略ですか?」
「いや、七周」
「七周?」
「夕方までには終わると思う」
生徒たちがざわつく。
アルベルトは目を閉じた。
「諸君」
「はい」
「よく見ておきたまえ」
蓮が迷宮へ消えていく。
「一流の冒険者とは、危険を理解し、必要な準備を整え、生きて帰る者のことだ」
生徒たちが頷く。
アルベルトは迷宮の奥を見る。
「そして今入っていった男は――」
少し考えた。
適切な言葉が見つからない。
「……あれは参考にするな」
「なんでですか?」
「分類が違う」
「何なんです?」
アルベルトは深いため息をついた。
「廃冒険者だ」
その頃。
迷宮の奥から、蓮の声が聞こえていた。
「よし、一周目!」
イザナミの声が続く。
『本日の予定周回数は七回です』
「余裕あったら八周する」
『昨日も同じことを言って九周しました』
「行ける時に行っとかないと」
アルベルトは額を押さえた。
生徒の一人がぽつりと言った。
「楽しそうですね」
「……それだけは否定できん」
天城蓮。
人類移民団最高責任者。
惑星環境ナノマシン最高管理者。
一部のエルフからは、創造神とさえ呼ばれる男。
そして現在。
地球由来迷宮、累計周回数第一位。
本人に、いつかあるかもしれない未知との戦いへ備えているつもりなど微塵もなかった。
ただ、空欄が残っているのが気に入らなかっただけである。
――第三十八話 廃冒険者 天城蓮 了




