第36話 冒険者コース野外実習
「諸君。今日から教室で学んだ知識を、実地で使ってもらう」
朝、人類とエルフの子供たちが通う学校の校庭に、冒険者コースを選択した生徒たちが集まっていた。
その前に立つのはアルベルト。腰には剣、背には必要最低限の装備。口髭は今日も完璧に整えられている。
「今回向かうのは、古くから冒険者たちに利用されてきた地下迷宮だ。内部には魔物、罠、そして探索者を惑わせる仕掛けが存在する。今回は第五層までを予定している」
一人の生徒が手を挙げた。
「先生」
「何かな?」
「ミミックは出ますか?」
アルベルトの眉がわずかに動いた。
「可能性はある」
別の生徒も手を挙げる。
「先生は前にミミックに蹴られたんですよね?」
「……誰から聞いた?」
「みんな知ってます」
「誤解があるようだな。あれは予想外の攻撃に対して、戦術的に距離を――」
「サッカーボールキックだったって聞きました」
「出発するぞ」
「まだ説明の途中ですよ」
「出発だ!」
アルベルトはさっさと歩き始めた。
◇
目的地は山岳地帯にある巨大な地下迷宮だった。
エルフたちは数千年前からこの場所を知っている。
しかし、その正体については現在では判明していた。
地球由来。
正確には、惑星の環境整備を行うため人類が遥か昔に送り込んだ自律システムが建造した施設の一つである。
問題は、なぜ環境整備システムが地下迷宮など作ったのかということだった。
後に人類が調査した結果、かなり馬鹿馬鹿しい理由が判明している。
自律システムが、移民船のデータベースに保存されていた大量のゲーム、映画、小説、漫画などを参考資料として読み込み、この惑星に暮らす知的生命体のための「訓練施設」を設計したのだ。
その結果。
魔物。
罠。
宝箱。
階層。
安全地帯。
そして時々、宝箱から手足が生えて殴りかかってくる理解不能な存在まで実装された。
蓮が一連の記録を確認した際、
「……俺じゃねぇか」
と頭を抱えた施設群の一つである。
もっとも、エルフたちはそんな事情を知らないまま数千年間、この場所を「古代迷宮」として攻略してきた。
◇
第一層へ入ると、アルベルトの雰囲気が変わった。
普段のキザったらしい講師ではない。
床を見る。壁を見る。空気の流れを見る。
突然、片手を上げた。
「止まれ」
生徒たちが止まる。
アルベルトは足元を指した。
「何が見える?」
「床です」
「それは私にも見える」
別の生徒がしゃがみ込んだ。
「この石だけ少し色が違う」
「正解だ」
アルベルトが長い棒で石を押す。
ガコン。
直後、壁から槍が飛び出した。
生徒たちから悲鳴が上がる。
「覚えておきたまえ。迷宮で最も危険なのは魔物とは限らない。罠は眠らない。腹も減らない。そして数千年前に作られたものでも、動くものは動く」
さっきまで笑っていた生徒たちが真剣な顔になった。
「冒険とは勇気を証明する行為ではない。生きて帰る技術だ」
「先生、格好いい」
「当然だ」
「でもミミックには蹴られた」
「先へ進むぞ」
◇
第二層では小型の魔物が現れた。
アルベルトは剣を抜かなかった。
「前衛、構えろ。後衛は距離を取れ。これは授業だ。私が倒しては意味がない」
生徒たちは訓練通りに動いた。
多少の混乱はあったものの、連携は悪くない。
ダークエルフの生徒が弓を構える。矢筒はない。
指が弦へ触れると、何もなかった空間から一本の矢が形成された。
隣のエルフが思わず見る。
「それ、どうやるの?」
「知らない。できる」
「ずるい」
「知らないってば!」
「戦闘中に雑談するな!」
アルベルトの怒声が飛ぶ。
数分後、魔物は倒された。
怪我人はいない。
アルベルトは生徒たちを集める。
「悪くない。しかし敵だけを見るな。仲間の位置を常に把握しろ。前衛は攻撃後に止まるな。倒したと思っても確認するまで近づくな。そして後衛」
「はい」
「珍しい技を見ても戦闘中に質問するな」
「はい……」
冒険者としてのアルベルトは、やはり一流だった。
◇
第三層。
そこには古くから冒険者たちに知られている場所があった。
広い石室。
中央には台座があり、壁には淡く光る紋様が走っている。
そして何より、この部屋には魔物が入ってこない。
「ここで休憩する」
アルベルトが荷物を下ろした。
「この部屋は安全地帯として知られている。少なくとも過去三千年以上、ここで魔物に襲われたという記録はない。負傷者の手当てや食事、夜営にも使われてきた」
すると、人間の生徒が部屋を見回した。
「これ、セーブポイントじゃん」
アルベルトが振り返る。
「何?」
「セーブポイント」
今度はエルフの生徒まで頷いた。
「あ、本当だ。授業で見た」
アルベルトは嫌な予感を覚えた。
「何の授業だ?」
「地球文化史です。昔のゲーム」
「ゲーム……」
アルベルトにとって、あまり良い思い出のある言葉ではない。
マッチョな身体に宝箱の頭を乗せた化け物が脳裏をよぎった。
「それが何だ?」
人間の生徒が台座を指した。
「ダンジョンの途中に安全な部屋があって、真ん中にこんなのがあったら普通セーブポイントですよ」
「普通と言われてもな。我々は三千年前からここを休憩所として利用している」
「セーブしないんですか?」
「何を?」
「だから、セーブ」
「意味が分からん」
生徒は台座へ近づいた。
「こういうのって触って……セーブ」
何も起きない。
アルベルトが腕を組む。
「ほら見たことか」
「発音かな?」
別の生徒も集まってくる。
「SAVE?」
「セェーブ?」
「記録?」
「冒険の記録を保存する?」
ピコン。
小さな音がした。
全員が止まった。
台座の表面に文字が浮かび上がる。
《探索記録を保存しました》
「……」
アルベルトが台座を見る。
生徒を見る。
もう一度、台座を見る。
「今、何をした?」
「セーブしました」
「何が起きた?」
「セーブされました」
「だから何が!」
生徒も困った。
「ゲームなら普通なんですけど」
「ここは現実だ!」
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
部屋の奥から重い音が響いた。
何千年もの間、ただの壁だと思われていた部分が左右へ開いていく。
その奥に、細い通路が現れた。
アルベルトの口が開いた。
「……何だ、これは」
生徒たちは逆に興奮している。
「やっぱり!」
「帰還路じゃない?」
「セーブポイントから出口に戻れるやつだ!」
アルベルトが振り返る。
「待て。なぜ分かる」
「ゲームならよくあります」
「またゲームか!」
通路を調べる。
罠はない。
魔物もいない。
生徒たちを安全地帯に待機させ、アルベルトが慎重に進んだ。
しばらくすると。
光が見えた。
外へ出る。
「……」
鳥が鳴いている。
目の前には、先ほど入った迷宮の入口。
第三層から地上へ続く専用帰還路だった。
後からついてきた生徒が言った。
「やっぱり出口だった」
アルベルトは動かなかった。
「先生?」
「三千年だぞ」
「はい?」
「我々は三千年間、この部屋を使っていた」
「そうですね」
「負傷者を担いで何時間もかけて帰った者もいる。魔物に襲われ、帰還途中で命を落とした冒険者もいる」
「……はい」
アルベルトは迷宮を振り返った。
「なぜ誰もセーブと言わなかった!」
「知らなかったからじゃないですか?」
「分かっている!」
山にアルベルトの声が響いた。
◇
それだけでは終わらなかった。
もう一度第三層へ戻り、安全地帯を調べることになった。
今度は生徒たちの目つきが違う。
ゲームで見たことのある機能を片っ端から試し始めた。
「先生」
「今度は何だ」
「ステータスって見られないんですか?」
「何だ、それは」
「自分の能力を見るやつ」
「自分の能力なら自分で分かる」
「ステータスオープン」
ピコン。
アルベルトの前に半透明の表示が現れた。
《ALBERT》
《LEVEL 87》
沈黙。
「先生、レベル87!」
「高っ!」
「さすが先生!」
「ミミックに蹴られても87!」
「なぜ毎回ミミックを入れる!」
アルベルト本人は、それどころではなかった。
「レベルとは何だ?」
「強さみたいなものです」
「私は八十七なのか?」
「たぶん」
「百が最高なのか?」
「ゲームによります」
「では私は強いのか?」
「ゲームによります」
「役に立たんな、その知識!」
しかし、生徒の一人が表示を覗き込んで妙なものを見つけた。
「先生、下に何かありますよ」
《未選択レベルアップ特典:8》
アルベルトの顔が固まった。
「……未選択?」
人間の生徒が目を輝かせる。
「先生、特典選んでないんですか!?」
「特典とは何だ」
「レベルが上がった時にもらえる能力ですよ!」
「私はそんなものを一度も選んだことがない!」
当然だった。
アルベルトだけではない。
エルフたちは数千年間、レベルという概念そのものを知らなかった。
身体能力が徐々に高まる現象は知られていた。しかし、それは長年の戦闘経験による成長だと思われていた。
実際には、ダンジョン管理システムが探索者の活動を記録し、一定条件を満たした者へ環境ナノマシンによる身体能力補助を与えていたのである。
基本的な強化は自動。
しかし節目のレベルで与えられる追加特典だけは、自分で選択する必要があった。
そして誰も、その選択画面の出し方を知らなかった。
生徒たちがアルベルトの周囲へ集まる。
《選択可能特典》
《疲労耐性Ⅱ》
《毒耐性Ⅱ》
《暗視補助》
《危険察知補助》
《装備重量軽減》
《宝箱発見補助》
《自己修復促進》
「すごい!」
「先生、八個も選べますよ!」
アルベルトも真剣な顔になる。
「……毒耐性は有用だな」
「危険察知も絶対いいですよ」
「待て。これは慎重に――」
「あ、まだ下があります」
「何?」
表示を送る。
《野営時睡眠快適度+15%》
《料理成功率+10%》
《口笛音量+20%》
アルベルトの表情が険しくなった。
「最後のものは誰が必要とするんだ」
「まだあります」
《決め台詞発声時、外套演出補正》
全員が黙った。
そして、ゆっくりアルベルトを見る。
「先生」
「取らんぞ」
「まだ何も言ってません」
「顔に書いてある」
「絶対先生向けですよ」
「取らん」
「外套が格好よくなびくらしいですよ」
「必要ない」
「先生いつも格好つけてるじゃないですか」
「校庭十五周」
「横暴だ!」
「十六周」
「増えた!」
アルベルトは表示を閉じた。
「特典については学校へ戻ってから慎重に検討する。勝手に選択することは禁止する」
「はーい」
生徒たちは不満そうだった。
◇
報告を受けた蓮が迷宮へ到着したのは、それから数時間後だった。
「セーブポイント?」
「そうだ」
「ステータス?」
「そうだ」
「レベルアップ特典?」
「そうだ!」
アルベルトの機嫌はかなり悪い。
蓮は安全地帯へ入り、台座を見た。
そして一言。
「うわ、セーブポイントじゃん」
アルベルトの額に青筋が浮かんだ。
「お前も一目で分かるのか」
「分かるよ。どう見てもそうだろ」
「我々は三千年間分からなかった!」
「ゲーム知らないんだから仕方ないだろ」
蓮は表示されたシステム情報を確認した。
イザナミも接続して解析する。
しばらくして回答が出た。
『当該施設は初期惑星環境整備システムによって建造された訓練施設であることを確認しました』
アルベルトが蓮を見る。
「つまり、お前たちのものなのだな?」
「まあ、人類由来ではある」
『設計時、移民船内の娯楽データベースが訓練施設のユーザーエンゲージメント向上の参考資料として使用されています』
蓮の顔が引きつった。
「……娯楽データベース?」
『はい。ゲーム関連データが多数参照されています』
「誰がそんなデータ大量に積んだ?」
『移民計画最高責任者の個人アーカイブに由来するデータが相当数――』
蓮は天井を見た。
「俺じゃねぇか」
アルベルトが詰め寄る。
「では聞こう。なぜ宝箱に手足を生やす必要があった?」
「知らん!」
「なぜミミックが格闘技を使う!」
「昔やってたゲームにいたんだよ!」
「なぜそんなものを保存した!」
「好きだったからだよ!」
生徒たちが後ろで笑っている。
アルベルトは頭を抱えた。
◇
だが、今回の発見は笑い話だけでは済まなかった。
地球由来のダンジョンには、エルフたちが数千年間知らずにいた機能が大量に残されている可能性がある。
セーブポイント。
帰還路。
ステータス表示。
レベルアップ特典。
他にもまだ何かあるかもしれない。
ただし、レベルシステムはあくまで地球由来のダンジョン管理機能だった。
野山で魔物を倒してもレベルは上がらない。
地球産ダンジョン内部で管理システムに探索者として認識され、戦闘や探索などの活動を行った場合のみ、その成果が記録される。
アルベルトは説明を聞きながら腕を組んだ。
「つまり、我々が魔法だと思っていた迷宮内での成長も、人間の技術だったと?」
「そうなるな」
「数千年間?」
「うん」
「知らずに?」
「うん」
アルベルトは長く息を吐いた。
「……次学期からゲームを必修科目にしろ」
蓮が吹き出した。
「そこまでしなくてもいいだろ」
「今日、ゲームを知っている子供が三千年分の謎をいくつ解いたと思っている!」
「それはそうだけど」
「必修だ!」
生徒たちから歓声が上がった。
◇
夕方。
学校へ戻ったアルベルトは、一人で次回の授業計画を作っていた。
『冒険者コース・迷宮探索論』
その下に、新しい項目を書き加える。
『地球製迷宮におけるゲーム文化の応用』
アルベルトはしばらく文字を見つめた。
自分がこんなものを授業計画へ書く日が来るとは思わなかった。
だが仕方がない。
実績がある。
三千年間見つからなかった帰還路を、子供たちは数分で発見した。
アルベルトがため息をついていると、生徒が職員室から顔を出した。
「先生」
「何かな?」
「レベルアップ特典、決めました?」
「まだだ」
「外套のやつ取ります?」
「取らん」
「絶対似合いますよ」
「帰りなさい」
「じゃあ明日聞きます」
生徒は逃げていった。
アルベルトは再び一人になった。
しばらくして周囲を確認する。
誰もいない。
アルベルトは小さな声で呟いた。
「ステータスオープン」
ピコン。
《未選択レベルアップ特典:8》
表示を送る。
《決め台詞発声時、外套演出補正》
アルベルトは腕を組んだ。
「……」
五秒。
十秒。
そして誰にも見られていないことを、もう一度確認した。
ピッ。
《取得しました》
翌朝。
校庭。
風はほとんどなかった。
アルベルトが生徒たちの前に立つ。
「諸君。昨日の実習についてだが――」
バサァッ。
なぜかアルベルトの外套だけが、美しく風になびいた。
生徒たちが一斉に見る。
アルベルトは何事もなかったように続けた。
「冒険者に最も必要なのは、生きて帰るための知識だ」
バサァッ。
「先生」
「何かな?」
「取りましたよね?」
「何のことかな」
「外套」
「知らんな」
バサァッ。
「めちゃくちゃなびいてますけど」
「今日は風が強い」
生徒が隣を見る。
木の葉一枚、揺れていなかった。
「先生」
「授業を始めるぞ」
「先生!」
「始めるぞ!」
その日から学校では、アルベルトが格好いいことを言うたび、どこからともなく風が吹くようになった。
――第三十六話 冒険者コース野外実習 了




