第34話 レッドキャップ
祭りから数日後。
人類居住区の外縁部にある監視所から、蓮へ連絡が入った。
『来訪者です』
「誰?」
『ゴブリンです』
蓮は手を止めた。
「何人?」
『一人です』
「一人?」
『はい。荷車を引いています』
「武装は?」
『短剣らしきものはありますが、抜いてはいません。それと……少し変わった格好をしています』
蓮は嫌な予感というより、興味を覚えた。
「どんな?」
『丸眼鏡を掛けています』
「眼鏡?」
『それと、赤い帽子を』
少し離れたところにいたリーネが反応した。
「レッドキャップ?」
蓮が振り返る。
「知ってるの?」
「ゴブリンの商人だ」
「商人?」
リーネは頷いた。
「赤い帽子は、彼らの間で商人であることを示す印だ。少なくとも、その帽子を被っている間は商売を目的としている」
「信用できる?」
リーネは少し考えた。
「ゴブリンだから、では答えられない」
「だよな」
「ただ、レッドキャップの商人が商談の最中に客を襲うことは少ないと聞く。そんなことをすれば、二度と誰も取引してくれなくなるからな」
「なるほど」
蓮は通信へ答えた。
「通していい。ただし武器は預かれ」
『了解しました』
リーネが言う。
「私も行く」
「なんで?」
「ゴブリンと人間だけで話をさせる方が不安だ」
「それ、どっちを心配してる?」
「両方」
「正しい判断だと思う」
◇
人類居住区の門をくぐってきたゴブリンは、蓮が想像していたよりもずっと小柄だった。
背丈は人間の成人男性の胸ほど。緑がかった肌、大きな耳、やや尖った鼻。その鼻の上に小さな丸眼鏡が乗っている。
そして何より目立つのが、頭に被った鮮やかな赤い帽子だった。
旅装は質素だがよく手入れされている。背後には小型の荷車があり、布や小箱、金属製品、乾燥食品らしきものまで積まれていた。
ゴブリンは居住区を見渡し、建物、道路、照明、行き交う人間を順番に観察した。
驚いているようには見えない。
むしろ、何かの値段を頭の中で計算しているような顔だった。
蓮が近づく。
「ようこそ、と言えばいいのかな」
ゴブリンは蓮を見る。
「お前が人間の長か」
「一応」
丸眼鏡の奥の目が細くなる。
「一応とは?」
「説明すると長い」
「長い説明は値段が高い」
「何の話?」
ゴブリンは答えなかった。
代わりに右手を差し出す。
「ガルク」
「名前?」
「そうだ」
蓮も手を出す。
「蓮」
握手。
ガルクは一瞬だけ蓮の手を見る。
「柔らかいな」
「悪かったな」
「戦士ではない?」
「戦うこともある」
「商人?」
「違う」
「王?」
「違う」
「では何だ」
蓮は少し考えた。
「……責任者」
「一番割に合わない役だな」
蓮は思わず笑った。
「それは同意する」
◇
会議室へ移動すると、ガルクは椅子へ座る前に部屋を一周した。
壁。
机。
椅子。
照明。
窓。
床。
一通り見てから、ようやく座る。
「珍しい?」
蓮が聞く。
「珍しい」
「もっと驚かないの?」
「驚くと値が上がる」
「何の?」
「相手の商品だ」
蓮は少し黙った。
「……筋金入りだな」
ガルクは丸眼鏡を押し上げた。
「商人なのでな」
リーネが赤い帽子を見る。
「そのレッドキャップ、本当に商人の証なの?」
ガルクが彼女を見る。
「本物だ」
「偽物もある?」
「いる」
「どうなる?」
「長生きしない」
「怖いな」
「信用を盗む者は、金を盗む者より嫌われる」
ガルクは帽子の縁を軽く触った。
「この帽子そのものに価値があるわけではない。だが、これを被る者が約束を守るから価値が生まれる」
蓮の表情が少し変わった。
「信用か」
「そうだ」
「最近よくその話してるな……」
「何のことだ?」
「こっちの話」
◇
本題に入る前に、蓮は聞いた。
「そもそも、なんでここへ来た?」
ガルクは即答しなかった。
荷物から小さな包みを取り出し、机の上へ置く。
中には金属片が入っていた。
「これを知っているか」
蓮が手に取る。
「何これ」
「エルフの町で最近よく見る」
よく見る。
その言葉で嫌な予感がした。
ガルクが続ける。
「人間が持ち込んだものと交換された品が、市場を回り始めている。インク壺のいらない筆記具、曇りのない鏡、爪を切る奇妙な道具、折り畳める雨除け」
蓮が頭を抱えた。
「もうそこまで広がってんのかよ」
ガルクの目が光る。
「知っているな」
「うちの連中がやった」
「そうか」
ガルクは満足そうに頷いた。
「では話が早い」
「何の話?」
「商売だ」
蓮は予想していた答えだったが、それでも聞く。
「ゴブリンと人間で?」
ガルクは眉をひそめた。
「人間は商売を種族でするのか?」
「……いや」
「なら問題ない」
リーネが小さく笑う。
蓮も肩をすくめた。
「ごもっとも」
◇
ガルクは机の上へ三枚の貨幣を並べた。
銅貨。
銀貨。
そして金貨。
「この辺りで広く使われている」
蓮が銀貨を手に取る。
「エルフの金?」
「エルフだけのものではない」
「ゴブリンも使う?」
「使う」
「他の種族も?」
「場所によるが、使う」
ガルクは金貨を指先で弾いた。
「金を作った者が誰かなど、多くの者は気にしない。大事なのは、次の相手も受け取るかどうかだ」
「つまり信用」
「そうだ」
蓮は椅子にもたれた。
「俺たち、独自通貨を作るかって話してたんだよ」
ガルクが鼻で笑った。
「なぜ?」
「外と取引するには必要かなって」
「必要なのは貨幣であって、お前たちの貨幣ではない」
「まあ、それはそうなんだけど」
ガルクは銀貨を蓮の前へ滑らせる。
「既に信用されているものを使え」
蓮の手が止まる。
「……簡単に言うな」
「簡単な話だからだ」
「でも、俺たちにはその貨幣がない」
「売れば手に入る」
「何を?」
ガルクは蓮を見た。
「何でも作れるのだろう?」
部屋の空気が少し変わった。
蓮が目を細める。
「どこで聞いた?」
「市場」
「誰から?」
「商人に情報源を聞くな」
「商人らしいね」
「当たり前だ」
ガルクは続けた。
「お前たちの問題は金がないことではない」
「じゃあ何?」
「何でも作れてしまうことだ」
蓮は黙った。
ガルクは机を軽く指で叩く。
「筆記具を五千本作ったそうだな」
「なんで本数まで知ってんだよ」
「売り手は一人でも、買い手は千人いる。噂は速い」
「まだ全部市場には出してない」
「だから来た」
ガルクは丸眼鏡を押し上げる。
「止めるために」
「……商売しに来たんじゃないの?」
「同じことだ」
蓮が眉をひそめる。
ガルクは淡々と説明した。
「お前たちが一日で作れるものを、エルフの職人が一年かけて作るとする。お前たちがそれを大量に売れば、エルフの職人はどうなる?」
「売れなくなる」
「その職人から材料を買っていた者は?」
「困る」
「その職人が銀貨で買っていた食料は?」
「売れなくなる」
ガルクは頷いた。
「一つの商品を安くしただけで、関係のない者まで倒れることがある」
蓮は少し笑った。
「ゴブリンに経済の講義される日が来るとは思わなかった」
ガルクの目が細くなる。
「また種族の話をするのか?」
「悪かった」
「二度目だ」
「数えてんの?」
「借りも貸しも数える」
「商人だなぁ……」
◇
ガルクはさらに荷車から一枚の紙を取り出した。
正確には、紙に似た薄い素材だった。
文字と印がびっしり書かれている。
蓮が見る。
「何これ」
「預かり証」
「誰の?」
「私の」
「何の?」
「金」
「金貨持ち歩いてないの?」
ガルクが呆れたような顔をした。
「金貨百枚を袋に入れて山道を歩くほど、私は勇敢ではない」
「確かに」
「商人組合へ預ける。別の町でこの証を見せれば、手数料を引いた金額を受け取れる」
蓮の表情が変わった。
「……為替みたいなことやってるの?」
「カワセとは知らん」
「いや、こっちの言葉」
ガルクは証書を机へ置く。
「金そのものを運ぶ必要はない。信用を運べばいい」
蓮は紙を見つめた。
想像していたより、ずっと高度だ。
銀行と呼べるほど体系化されてはいないかもしれない。
だが少なくとも、信用取引や送金に近い仕組みは存在している。
「誰でも使える?」
「信用のある者なら」
「俺たちは?」
「まだない」
「即答かよ」
「会ったばかりだ」
「まあそうだよな」
ガルクが続ける。
「だから、私が間に入る」
「……はい?」
「お前たちが作った物を私が買う。私が市場へ流す。数量も調整する。代金は貨幣で払う」
蓮はガルクを見る。
「当然、手数料取るんだろ?」
初めて。
ガルクが少し笑った。
「ようやく商人らしい質問をしたな」
「いくら?」
「それをこれから決める」
「高く取るつもりだろ」
「安くする理由がない」
「そこは否定しろよ」
「嘘はレッドキャップの価値を下げる」
蓮は笑った。
「嫌いじゃないな、お前」
◇
話し合いは数時間続いた。
人類製品を無制限に流さない。
現地産業と競合する商品は慎重に扱う。
武器や軍事転用可能な技術は原則として取引しない。
医療品については別途協議する。
日用品は数量を決めて試験的に流通させる。
ガルクは一つ一つ条件を確認した。
時には異常なほど細かい。
「鏡は?」
「月に百枚くらいなら」
「五十」
「少なくない?」
「まず五十。値崩れを見て増やす」
「爪切り」
「百」
「七十」
「なんで全部下げるんだよ」
「お前は売りたい。私は高く売りたい。同じ商品でも目的が違う」
「なるほどね」
「分かったなら鏡四十」
「減ってんじゃねえか!」
リーネは途中から黙って二人を見ていた。
蓮が気づく。
「何?」
「いや」
「何だよ」
「お前、楽しそうだな」
「俺が?」
「ガルクも」
二人が同時に彼女を見る。
「どこが?」
声まで重なった。
リーネは笑った。
「息ぴったりじゃないか」
◇
夕方。
ようやく話が終わった。
ガルクが立ち上がる。
「腹が減った」
「何か食う?」
「食事も取引か?」
「うちでは基本無料」
ガルクが止まった。
「……無料?」
「そう」
「なぜ?」
「今の人類社会では金使ってないから」
「食材は?」
「共同体から出る」
「作る者の対価は?」
「生活そのものが保障されてる」
ガルクは黙った。
「何?」
「理解し難い」
「まあ、お前とは相性悪そうな社会だと思う」
「値のないものは信用できん」
「飯くらい素直に食えよ」
「無料ほど値段の分からんものはない」
蓮は少し考えた。
「面白い店あるよ」
「高いのか?」
「無料」
ガルクが露骨に嫌な顔をした。
◇
ラーメン地球家。
引き戸が開く。
「らっしゃいせー」
ガルクが止まった。
店主を見る。
店主もガルクを見る。
「……」
「……」
蓮が先に座った。
「好きなの頼め」
「値段は?」
「ない」
「気に入らん」
「そう言うと思った」
ガルクは品書きを見る。
「これは何だ」
「ラーメン」
「種類が多い」
「適当に頼め」
「商人に適当を勧めるな」
少し考えた末、ガルクは店主を見る。
「肉が多いもの」
「あいよ」
「……今ので通ったのか?」
「通った」
しばらくして、チャーシューメンが置かれた。
「あいよ」
ガルクは匂いを嗅ぐ。
麺を一本持ち上げる。
口へ。
止まった。
もう一口。
次にスープ。
さらにチャーシュー。
無言で食べ続けた。
蓮が笑う。
「どう?」
ガルクは丼から顔を上げない。
「悪くない」
「気に入ってるじゃん」
「悪くないと言った」
「はいはい」
やがて完食した。
ガルクは荷物から銀貨を一枚取り出し、カウンターへ置いた。
店主が見る。
「代金だ」
店主は銀貨を見た。
ガルクを見る。
「ありやっしたー」
次の客の注文を取り始めた。
ガルクが止まる。
「待て」
店主は振り返らない。
「釣りは?」
返事なし。
「この料理はいくらだ?」
「あいよ」
「値段を聞いている」
「あいよ」
「銀貨一枚で足りるのか?」
「あいよ」
「高すぎるのか?」
「あいよ」
ガルクの額に青筋が浮いた。
「どっちだ!」
蓮は腹を抱えて笑い始めた。
「諦めろ! 俺たちも分かんねえんだ!」
ガルクは本気で困惑していた。
「こんな店が存在していいのか?」
「存在してる」
「商売になっていない!」
「だから商売じゃないんだって」
「ではなぜ営業している!」
店主が麺を湯切りする。
「あいよ」
ガルクは頭を抱えた。
◇
店を出たあと。
ガルクはしばらく無言だった。
やがて丸眼鏡を押し上げる。
「人間は妙だ」
「よく言われる」
「金を使わずに社会を動かし、無料で料理を出し、空には火の花を咲かせる」
蓮が振り向いた。
「見てたの?」
「遠くからな」
「祭り」
「ああ」
「それで来た?」
ガルクは少し考えた。
「半分は」
「もう半分は?」
「お前たちが何を売るか確かめるためだ」
「徹底してるな」
「商人なのでな」
しばらく歩いたところで、ガルクが足を止めた。
「蓮」
「何?」
「一つ忠告しておく」
ガルクの声から少しだけ軽さが消えた。
「人間の作る物は便利すぎる」
「それ、褒めてる?」
「警告だ」
蓮も表情を変えた。
「便利な物は売れる。売れる物は欲しくなる。欲しい者が増えれば、それを持つ者に力が集まる」
ガルクは人類居住区の建物を見上げる。
「お前たちはまだ、自分たちがどれほど巨大な商人になれるか分かっていない」
「商人になる気はないけど」
「それを決めるのは、お前たちだけではない」
蓮は黙った。
買いたい者がいる。
欲しがる者がいる。
その時点で、人類は既に経済の一部になっている。
ガルクは再び歩き出した。
「だから私が間に入る」
「親切だね」
「違う」
「じゃあ何?」
ゴブリンは振り返らずに答えた。
「儲かるからだ」
蓮は笑った。
「安心したよ」
ガルクも、ほんの少しだけ笑った。
その頭には。
夕日の中でもよく目立つ、鮮やかなレッドキャップがあった。
――第三十四話 レッドキャップ 了




