第33話 もう一度、誰かと
祭りの翌朝、人類居住区はいつもより少し静かだった。
夜遅くまで騒いでいた者が多かったせいだろう。中央広場にはまだ屋台の骨組みが残り、道路の端には片付けを待つ椅子や机が積まれている。祭りの名残である提灯も、いくつかは取り外されないまま朝の風に揺れていた。
相沢直人は、その下で黙々と机を運んでいた。
三十一歳。
地球にいた頃は産業機械メーカーの技術職だった。特別に屈強な男ではないが、身体を動かすことには慣れている。
「相沢、それ終わったらこっち頼む」
「了解」
短く答え、机を運ぶ。
昨日の祭りにも参加していた。
焼きそばを食べ、酒も少し飲んだ。盆踊りにも半ば強引に参加させられた。
花火も見た。
楽しかった。
楽しかったからこそ、部屋へ戻ったあとが辛かった。
直人は机を置くと、無意識に空を見上げた。
青い空だった。
昨夜、そこには花火が咲いていた。
◇
地球にいた頃、直人には妻がいた。
二歳年下の妻と、五歳の息子。
三人で移民船に乗った。
三人で新しい惑星へ行くはずだった。
地球を離れることに妻は最後まで不安を感じていたが、息子は違った。
新しい星には恐竜がいるのか。
宇宙人はいるのか。
学校はあるのか。
海はあるのか。
毎日のように質問してきた。
直人はそのたびに答えた。
「行ってみなきゃ分からない」
それが家族三人の合言葉のようになっていた。
そして到着した。
直人だけが。
妻と息子の冷凍睡眠装置は正常に蘇生処理を完了できなかった。
原因を説明された。
理解もした。
機械の技術者だったから、説明された内容が嫌になるほど理解できた。
理解できたところで、二人が戻ってくるわけではなかった。
◇
「これ、どこに持っていけばいい?」
声を掛けられ、直人は振り返った。
エルフの女性が立っていた。
年齢は分からない。
人間とは老化の速度が違うため、外見だけで判断するのは難しい。ただ、少女ではないことだけは分かる。落ち着いた顔立ちをした女性だった。
その隣には、小さな女の子がいる。
直人の視線が、一瞬だけ少女へ向いた。
褐色の肌。
白い髪。
長い耳。
ダークエルフの子供だった。
「それなら向こうです」
直人が指差した。
「手伝いますよ」
「大丈夫。これくらい持てる」
「いや、俺もそっち行くんで」
女性は少し迷ったあと、持っていた箱の片側を直人へ渡した。
「ありがとう」
二人で箱を運ぶ。
少女が後ろをついてきた。
「お母さん」
「何?」
「昨日の花、今日もやる?」
「花?」
「空の」
「ああ、花火か」
直人が思わず答えた。
少女が直人を見る。
「ハナビ?」
「昨日、空で光ってたやつ」
「今日も?」
「今日はないよ」
少女は露骨に残念そうな顔をした。
「なんで?」
「なんでって……毎日やるものじゃないからな」
「毎日やればいい」
「金が……」
言いかけて、直人は止まった。
今の人類社会に、花火の製造費という概念がほぼ存在しない。
「……資源がもったいないから」
少女は考え込んだ。
「でも綺麗」
「それはそうだな」
「じゃあやればいい」
「子供の理屈は強いな……」
女性が小さく笑った。
「すみません。この子、気になったことは何でも聞くので」
「子供なんてそんなもんでしょう」
何気なく答えた。
その瞬間。
直人の頭の中に、別の声が蘇った。
――お父さん、新しい星に恐竜いる?
足が止まりそうになった。
だが、そのまま歩いた。
◇
荷物を運び終えたところで、女性が頭を下げた。
「ありがとう。私はエレナ」
「相沢直人です。相沢でいいですよ」
「アイザワ」
「そう」
少女が直人を見上げる。
「私はミア」
「ミアか」
「うん」
「よろしく」
直人は普通に答えた。
それだけだった。
だが、エレナは一瞬だけ直人の顔を見た。
直人は気づかなかった。
ミアは気づいた。
「お母さん」
「何?」
「この人、私を見ても何も言わないね」
直人が首を傾げた。
「何を?」
ミアが自分の腕を見せる。
「黒い」
「うん」
「怖くない?」
「なんで?」
「……」
直人には質問の意味が分からなかった。
エレナが静かに言う。
「ミア」
「だって」
直人はようやく事情を察した。
ダークエルフがどう扱われてきたのか。
全部ではないが、話は聞いている。
「別に肌の色くらいで怖がらないよ」
「でも、私はダークエルフ」
「知ってる」
「普通のエルフより強いよ」
「らしいな」
「変なこともできる」
「俺たちもできる」
ミアが黙った。
直人は少し笑った。
「手から火を出すくらいなら、こっちにもいるからな」
「飛べる?」
「それは……できる奴もいる」
正確にはナノマシンと重力制御の補助があれば可能だが、説明すると長い。
「じゃあ同じ?」
「だいたい同じじゃない?」
ミアが母親を見る。
エレナは何も言わなかった。
ただ、その表情が少しだけ柔らかくなっていた。
◇
数日後。
直人は学校施設の修理をしていた。
教育設備の一部が不調を起こし、呼ばれたのだ。
修理自体は大したものではない。
端末を開き、故障箇所を調べる。
「相沢さん」
声を掛けられた。
振り返る。
エレナだった。
「あれ?」
「娘を迎えに来たの」
「ああ、学校通ってるんですね」
「まだ正式に全部の授業を受けているわけではないけれど、人間の文字と算術を習いたいって」
「へえ」
そこへミアが走ってきた。
「アイザワ!」
「おう」
「何してる?」
「修理」
「壊したの?」
「なんで俺が壊した前提なんだよ」
「直してるから」
「誰かが壊したものを直す人もいるんだよ」
ミアは納得していない顔をした。
「見ていい?」
「危ないところ触らなければ」
「見る!」
エレナがため息をついた。
「邪魔になるでしょう」
「別にいいですよ」
直人は作業を続けた。
ミアは隣にしゃがみ、工具を眺めている。
「それ何?」
「ドライバー」
「何する?」
「ネジ回す」
「それは?」
「テスター」
「何する?」
「電気を見る」
「電気は見えないよ」
「そういう意味じゃなくて――」
質問が止まらない。
直人は一つずつ答えた。
面倒だとは思わなかった。
むしろ。
懐かしかった。
だからこそ、怖かった。
◇
修理が終わる頃には夕方になっていた。
「終わり」
「直った?」
「たぶん」
「たぶん?」
「技術者は簡単に絶対って言わないんだよ」
ミアには意味が分からなかったらしい。
直人が工具を片付けていると、エレナが言った。
「あなた、子供の相手に慣れているのね」
直人の手が止まった。
ほんの一瞬だった。
「……まあ」
それ以上言わなかった。
エレナも聞かなかった。
三人で学校を出る。
途中まで同じ方向だった。
ミアは前を歩き、石を蹴っている。
エレナが言った。
「ありがとう」
「何が?」
「ミアのこと」
「俺、何かした?」
「普通に話してくれた」
直人は少し困った。
「普通に話しただけですよ」
「だから」
その一言で、直人は何も言えなくなった。
しばらく歩いた。
やがて直人が尋ねた。
「旦那さんは?」
エレナの表情は変わらなかった。
「いない」
「死別?」
「違う」
それだけだった。
直人は頷いた。
「そうですか」
エレナが横を見る。
「聞かないの?」
「話したくなったら話せばいいでしょう」
「変な人」
「よく言われます」
「本当に?」
「今初めて言われました」
エレナが吹き出した。
直人も少し笑った。
◇
それから三人は、時々会うようになった。
約束したわけではない。
ミアが学校へ通う。
直人が設備関係の仕事で学校へ来る。
顔を合わせる。
話す。
それだけだった。
ある日、ミアの鞄の肩紐が切れた。
「アイザワ」
「今度は何だ?」
「壊れた」
「また俺が壊したみたいな言い方するなよ」
「直せる?」
直人は鞄を受け取った。
ナノマシンを使えば一瞬で直せる。
だが、何度も補修された跡があった。
古い鞄だった。
「これ、大事なやつ?」
「うん」
「じゃあ、ちゃんと直すか」
工具を取り出す。
「ナノマシン使わないの?」
「使ってもいいけど、これは手でやった方がいい」
「なんで?」
「元の形を残せるから」
ミアは隣に座って見ていた。
やがて直人が鞄を返す。
「ほら」
「直った!」
「しばらく使えると思う」
ミアが笑った。
その笑顔を見た瞬間。
直人の中で何かが止まった。
違う。
分かっている。
髪の色も違う。
顔も違う。
声も違う。
性別すら違う。
それなのに。
「……悠斗」
口から名前が出た。
ミアが首を傾げた。
「誰?」
直人の顔から血の気が引いた。
「……ごめん」
「アイザワ?」
「ごめん」
鞄を渡すと、直人は立ち上がった。
少し離れた場所にいたエレナがこちらを見ている。
「相沢さん?」
「仕事思い出した」
「でも――」
「またな、ミア」
逃げるようにその場を離れた。
◇
その日から、直人は学校へ来なくなった。
正確には、担当を他の技術者と交代した。
ミアは何度か尋ねた。
「アイザワは?」
「仕事でしょう」
「いつ来る?」
「分からない」
エレナには分かっていた。
あの日。
直人が口にした名前。
悠斗。
そして、それを口にした瞬間の顔。
だから探しに行かなかった。
◇
一週間ほど経った夜。
エレナは一人で人類居住区を歩いていた。
ミアは学校の宿泊行事でいない。
特に目的があったわけではない。
気づけば、祭りが行われた広場まで来ていた。
屋台も提灯もない。
ただの広場に戻っている。
そこに一人の男がいた。
ベンチに座っていた。
相沢直人だった。
エレナは少し迷ったが、隣へ座った。
「久しぶり」
直人が驚いて顔を上げる。
「……どうも」
「元気?」
「まあ」
会話が続かない。
しばらく二人で黙っていた。
やがて直人が言った。
「俺、子供がいたんです」
エレナは黙って聞いた。
「五歳の男の子。悠斗って名前でした」
「そう」
「妻もいた」
「……そう」
「二人とも死にました」
夜風が吹いた。
直人は前を向いたまま話し続ける。
「三人でここに来るはずだった。冷凍睡眠に入る前も、起きたら何をしようって話してた。息子は新しい星で恐竜を探すって言ってた」
少し笑う。
「本当にドラゴンがいるとは思わなかったけど」
エレナは何も言わない。
「ミアを見てたら、思い出したんです」
「悠斗を?」
「はい」
直人は両手を組んだ。
「最低ですよね。あの子はミアなのに」
「なぜ?」
「違う人間だから」
「当たり前でしょう」
直人がエレナを見る。
「ミアは悠斗ではない。あなたもそれを知っている。それなのに思い出した。それの何が悪いの?」
「……」
「私もミアを見て、別の人を思い出すことがある」
直人は聞かなかった。
誰を、と。
エレナはそれに気づいた。
「あなたは聞かないのね」
「話したくなったら話せばいい」
以前と同じ答えだった。
エレナは少し笑った。
「本当に変な人」
「それ二回目です」
「数えていたの?」
「技術者なんで」
「関係ある?」
「ないです」
二人とも少し笑った。
◇
しばらくして、エレナが立ち上がった。
「帰る」
「送りますよ」
「大丈夫」
「夜だし」
「私はエルフよ?」
「知ってます」
「あなたより強いかもしれない」
「それでも送ります」
エレナは呆れたような顔をした。
「頑固ね」
「よく言われます」
「それも今初めて?」
「……二回目くらい」
「嘘」
並んで歩き始めた。
途中、祭りの時に花火を打ち上げた場所が見えた。
エレナが空を見上げる。
「綺麗だった」
「花火?」
「ええ」
「地球では毎年いろんなところでやってました」
「あなたも家族と見た?」
直人は少しだけ黙った。
「見ました」
「そう」
それ以上、エレナは何も言わなかった。
直人も黙って歩いた。
やがてエレナが言う。
「今度、ミアに会って」
直人の足が少し遅くなる。
「……いいんですか?」
「なぜ私に許可を求めるの?」
「いや……」
「あなたが来なくなってから、うるさいの」
「何て?」
「アイザワはいつ来る、アイザワはどこだ、アイザワならこれを直せるか、アイザワなら――」
「そんなに?」
「とても」
直人は困ったように笑った。
「じゃあ……今度」
「ええ」
少し歩く。
直人が何気なく言った。
「今度、三人で飯でも食べません?」
エレナが横を見る。
「三人で?」
「ミアと、あなたと、俺」
「いつも学校で一緒に食べていたでしょう?」
「いや、そうじゃなくて」
「何が違うの?」
直人は言葉に詰まった。
エレナの口元が少しだけ緩んだ。
分かっていて聞いている。
「……分かってるでしょう」
「何のこと?」
「性格悪いな」
「三回目ね」
「何が?」
「変な人って言いたくなった回数」
「言ってないじゃないですか」
エレナが笑った。
「いいわ」
「え?」
「食事。三人で行きましょう」
直人は少しだけ安心したような顔をした。
「じゃあ、地球家でも」
「そこしか知らないでしょう?」
「バレました?」
「ミアが喜ぶわ」
「じゃあ決まりで」
二人はまた歩き始めた。
手を繋ぐことはない。
好きだとも言わない。
失った人を忘れたわけでもない。
直人の中には今も妻と悠斗がいる。
エレナにも、まだ話していない過去がある。
それでよかった。
失ったものを消さなければ、次へ進めないわけではない。
忘れなくてもいい。
抱えたままでも、人は誰かの隣をもう一度歩くことができる。
その夜。
二人の間にあった距離は、ほんの少しだけ短くなった。
――第三十三話 もう一度、誰かと 了




