第32話 祭り
「祭りをやりませんか?」
会議の最中、突然そう言ったのは美咲だった。
蓮は手元の資料から顔を上げる。
「祭り?」
「はい」
「何の?」
「何のって……祭りです」
「いや、だから何を祝うんだよ」
美咲は少し考えた。収穫祭というには時期が違う。建国記念日でもない。人類がこの惑星へ降り立った日を祝うというのも、何か違う気がする。
やがて、少し自信なさそうに答えた。
「……生きてること、とか」
会議室が静かになった。
美咲は急に恥ずかしくなり、「いや、今のなしで――」と撤回しようとしたが、蓮が先に口を開いた。
「いいんじゃないか?」
「え?」
「生きてることを祝う。それで十分だろ」
十二万人が地球を出発し、この惑星で目覚めることができたのは三千七百余名。家族を失った者がいる。子供を失った者、両親を失った者、友人も恋人も同僚も、目覚めることなく死んだ者がいる。
生き残ったことを喜んでいいのか。
そんな感情を今も抱えている者は少なくない。
だが、生き残ったからこそできることもある。
蓮は椅子から立ち上がった。
「やろう」
「本当に?」
「ただし俺は仕切らないぞ。言い出した奴が実行委員長」
「え?」
「よろしく、実行委員長」
「ちょっと待って! そういうところだけ地球の悪い文化を残さないでくださいよ!」
こうして、人類がこの惑星へ降り立ってから初めての祭りが開催されることになった。
◇
準備は予想以上の騒ぎになった。
「屋台は必要だろ」
「焼きそばは?」
「作れる」
「たこ焼き」
「タコいないぞ」
「似た生物ならいる」
「それ本当に食えるのか?」
『可食です』
イザナミが即答した。
「味は?」
『地球産のタコとは異なります』
「じゃあ、たこ焼きじゃないだろ」
「丸く焼けば、だいたいたこ焼きだ」
「全国の大阪人に謝れ」
その言葉が出たところで、一瞬だけ空気が止まった。
地球を出発した十二万人のうち、どれだけの大阪出身者が生き残っているのか。そう考えてしまったからだ。
一人が慌てて口を開いた。
「……じゃあ、生き残ってる大阪人に試食してもらおう」
「何人いる?」
『出生地を大阪府に限定した場合、現在確認できる生存者は――』
「イザナミ、いい! 数字を出すと重くなる!」
『了解しました』
「とにかく作ろう。美味けりゃ何とかなる」
そうして、正体不明の海産生物を入れた「たこ焼きに似た何か」の開発が始まった。
◇
祭りを開催するという噂は、すぐにエルフたちにも伝わった。
「我々も参加してよいのか?」
代表者からそう尋ねられた蓮は、むしろ不思議そうな顔をした。
「来ないの?」
「よいのか?」
「祭りなんだから、人が多い方がいいだろ」
「我々は人ではなくエルフだが」
「そういう意味じゃねえよ」
結果、予想をはるかに上回る参加希望が集まった。
人類居住区の中央広場だけでは足りず、周辺の道路まで会場として使うことになる。エルフだけではなく、ダークエルフたちも参加することになった。
もちろん、それだけで過去が消えるわけではない。
ダークエルフを避けるエルフもいれば、エルフに対して警戒心を隠さないダークエルフもいる。同じ屋台の列に並びながら、一言も交わさない者たちもいた。
それでも、同じ祭りへ来ている。
今はそれで十分だった。
◇
祭り当日。
中央広場を訪れた蓮は、思わず足を止めた。
「おお……思ったより祭りだな」
両側には屋台が並んでいる。焼きそば、焼き鳥に似た串焼き、正体不明のたこ焼き、綿あめ、かき氷。エルフ側からも様々な料理の店が出ていて、人間には見たこともない料理の匂いが漂っていた。
そんな中、やたら目立つ男がいた。
「なんでお前が一番着こなしてるんだよ」
「何か問題でも?」
アルベルトだった。
紺色の浴衣に帯。肩まで伸びた髪と綺麗に整えられた口髭、そしてエルフとしては珍しく年齢を感じさせる顔立ちが妙に浴衣と合っている。
「誰に着せてもらった?」
「説明書を読んだ」
「一人で?」
「服を着るのに他人の助けが必要なのかね?」
「初見で浴衣を完璧に着るなよ」
アルベルトは袖を軽く広げ、自分の姿を確認した。
「悪くない。地球の衣服もなかなか美しい」
「気に入った?」
「私が着れば、大抵のものは美しく見える」
「はいはい」
「嫉妬は見苦しいぞ、蓮」
「してねえよ」
近くを通ったエルフの女性たちがアルベルトを見つけ、声を上げた。
「アルベルトさん、似合ってる!」
「ありがとう。君の装いも素敵だ」
蓮は何も言わず、その場を離れた。
◇
「美咲!」
振り返ると、浴衣姿のリーネが走ってきた。ただし帯が少し曲がっている。
「待って。帯おかしい」
「そうなのか?」
「誰に着せてもらったの?」
「自分でやった」
「説明見た?」
「見た」
美咲は帯を直しながら言った。
「アルベルトは一人で完璧だったよ」
リーネの表情が変わった。
「……腹が立つな」
「分かる」
「私は何が間違っている?」
「ここ。あと少し締めるよ」
「もう十分苦しいぞ。人間はなぜ祭りの日に自ら身体を締め上げるんだ?」
「私に聞かないで」
「人間だろう?」
「人間でも知らないことくらいあるの!」
二人は笑いながら屋台へ向かった。
◇
射的はエルフたちに異常な人気を博した。
弓を使う文化があるため、彼らは「狙って当てるだけなら簡単だ」と考えたらしい。
「これは子供の遊びだろう?」
若いエルフが余裕の表情で銃を構えた。
パン。
外れた。
「……」
もう一発。
パン。
また外れた。
「この武器、曲がっていないか?」
「曲がってない」
「では照準がおかしい」
「そういうもんなんだよ」
「どういうものだ!」
別のエルフが挑戦しても外れ、その横では人間の小学生が一発で景品を落とした。
エルフたちの目つきが変わった。
「もう一度だ」
「今日は無料だから何回やってもいいけど、後ろ並んでるぞ」
「ならば最後尾へ行く!」
妙なところで真面目だった。
◇
一方、綿あめは理解されるまで少し時間がかかった。
リーネが棒に巻き付いた白い物体を不審そうに見る。
「これは?」
「食べ物」
「蜘蛛の巣に見える」
「それ言うと食べたくなくなるからやめて」
恐る恐る口へ入れる。
リーネの目が見開かれた。
「消えた」
「溶けたの」
もう一口。
「また消えた」
「だから溶けてるんだって」
さらに口へ運びながら、リーネは真剣な顔で言った。
「美咲。これは危険だ」
「何が?」
「いくらでも食べられる」
「それを食べ過ぎっていうの」
◇
祭り会場の一角には、ひときわ長い行列ができていた。
看板には『ラーメン地球家』。
「なんで祭りでもラーメンなんだよ」
蓮が呟く横で、店主はいつも通り黙々と麺を茹でている。
「あいよ」
丼が出る。
次の客。
「あいよ」
そして一人のエルフが、妙に真剣な顔でカウンターの前へ立った。
「ニンニクヤサイアブラカラメマシマシ」
「あいよ」
次のエルフも同じ注文をする。
「ニンニクヤサイアブラカラメマシマシ」
「あいよ」
さらに次も。
「ニンニクヤサイアブラカラメマシマシ」
「あいよ」
蓮がとうとう耐えられなくなった。
「なんで全員同じなんだよ!」
行列の中から声が返ってくる。
「これが地球式だと聞いたぞ!」
「誰だ教えた奴!」
誰も名乗り出なかった。
◇
夕方になると、広場の中央で音楽が流れ始めた。
「次は何だ?」
リーネが尋ねる。
「盆踊り」
「ボンオドリ? 何のために踊る?」
美咲が黙った。
「美咲?」
「……知らない」
「知らないのか?」
「盆踊りは盆踊りなの!」
「人間は自分たちの文化を知らないのか?」
「そういうこと結構あるんだよ!」
太鼓の音が響き、最初は人間だけだった踊りの輪に、やがてエルフたちも混ざり始めた。見よう見まねで手を動かし、少しずつ振り付けを覚えていく。
ダークエルフも加わった。
そして当然のように、アルベルトもいた。
しかも上手い。
「なんで踊れるの!?」
美咲が叫ぶ。
アルベルトは涼しい顔のまま答えた。
「見れば分かる」
「一回しか見てないでしょ!」
「身体能力の差かな」
「ムカつく!」
隣にいたリーネが急に真剣な顔になった。
「美咲、教えろ」
「何を?」
「あの男より上手く踊る」
「盆踊りで対抗心燃やさないでよ!」
踊りの輪はどんどん大きくなっていった。
人間もエルフもダークエルフも、同じ音楽に合わせて踊っている。少し離れて見れば、誰がどこから来たのかなど分からない。
ただ、大勢の人々が笑っていた。
◇
夜。
突然、会場の照明が落ちた。
事情を知らないエルフたちがざわめいた。
「何だ?」
「故障か?」
「違うよ」
美咲は空を見上げた。
人間たちはこれから何が始まるのか知っている。エルフもダークエルフも知らない。
少し離れたところではアルベルトが腕を組んでいた。
「夜空を使った催しだと聞いているが」
「まあ見てろよ」
蓮も空を見上げる。
やがて、ヒュルルルル――という音とともに小さな光が夜空へ昇っていった。
ドン。
腹の底へ響く大きな音。
何人かのエルフが反射的に身構えた。
だが次の瞬間、夜空いっぱいに巨大な光の花が開いた。
ざわめきが消えた。
赤い光が広がって消え、次は青、その次は金色。次々と打ち上げられる花火を、エルフの子供たちは口を開けたまま見上げている。
一人のダークエルフの少女が、母親の袖を引いた。
「お母さん、空に花が咲いてる」
「そうね」
「魔法?」
母親が答えに迷っていると、近くにいた人間が笑った。
「火薬だよ」
「カヤク?」
「……説明すると長くなるな」
また一発上がり、夜空が昼間のように明るくなった。
◇
美咲も空を見上げていた。
綺麗だった。
だからこそ、地球のことを思い出した。
夏の夜、人混みの中を家族と歩いたこと。父の声。母の浴衣。隣で笑っていた友人。
もう誰もいない。
夜空の光が少し滲んだ。
美咲が目元を擦ると、隣からリーネの声がした。
「煙が目に入ったか?」
「……そう」
「ここまで煙は来ていないぞ」
「うるさい」
「そうか」
リーネはそれ以上何も聞かなかった。
二人はしばらく黙って花火を眺めた。
やがてリーネが口を開く。
「美咲」
「何?」
「来年もやるのか?」
その言葉に、美咲は少し驚いた。
来年。
自分が来年のことをほとんど考えていなかったことに、初めて気づいた。
「……やるんじゃない?」
「なら、もっと大きいものを上げよう」
「これ以上?」
「もっと高く上げれば、もっと遠くから見える」
「危ないって」
「人間なら作れるだろう?」
「そういう問題じゃないよ」
リーネが笑った。
美咲も笑う。
「でも……来年も見たいね」
「ああ」
その時、今日一番大きな花火が夜空に開いた。
◇
少し離れた場所で、蓮もその光景を眺めていた。
祭りの会場には人間だけでなく、エルフやダークエルフもいる。子供たちは種族など気にもせず走り回り、大人たちは酒や料理を囲んで話している。
アルベルトはいつの間にか女性たちに囲まれていた。
「……何やってんだ、あいつ」
蓮は苦笑した。
十二万人で地球を出た。そのほとんどが死に、残された者たちにはやるべきことが山ほどある。
祭りなんてやっている場合なのか。もっと働き、文明を再建し、失われたものを取り戻すべきではないのか。
そう考える者もいた。
それも間違ってはいない。
だが、生き残った者が、生きることまで忘れる必要はない。
最後の花火が消えると、人間たちから拍手が起こった。それはエルフへ広がり、やがてダークエルフたちも手を叩き始める。
大きな拍手に包まれながら、この惑星で初めて開かれた人間の祭りは終わった。
◇
だが、その花火を見ていたのは、祭りに集まった者たちだけではなかった。
人類居住区から遠く離れた森の向こう、小高い丘の上に一人の影が立っていた。
小柄な身体に緑がかった肌。大きな耳と尖った鼻を持つ、ゴブリンだった。
鼻の上には丸い眼鏡が乗っている。
そして頭には、鮮やかな赤い帽子。
レッドキャップ。
それはゴブリンたちの間で、商人であることを示す証だった。
最後の大玉が上がった。
ドン――。
光が夜空いっぱいに広がり、遠く離れた丘まで照らす。その光を受けて丸眼鏡のレンズが白く輝き、赤い帽子が闇の中に浮かび上がった。
ゴブリンは花火が消えたあとも、しばらく空を見つめていた。
やがて視線を下ろす。
遠くに祭りの明かりが見える。
最近、この地へ現れたという者たち。
人間。
ゴブリンは丸眼鏡を指で押し上げた。
「……なるほど」
祭りの音までは届かない。
しかし空に咲いた火の花は、森も山も越え、ここまで届いた。
ゴブリンは遠くの灯りをじっと見つめる。
その目には驚きだけではなく、何かの価値を測る商人特有の光があった。
やがて彼は踵を返し、森の中へ消えていった。
翌朝。
赤い帽子の商人は、人間たちの住む場所へ向かうための旅支度を始めることになる。
――第三十二話 祭り 了




