第30話 冒険者アルベルト
迷宮。
それは、この惑星に住む者たちにとって特別な存在でありながら、決して珍しいものではなかった。
山の奥。
森の地下。
荒野の裂け目。
時には都市からさほど離れていない場所にも存在する。
内部構造は不可解だった。
自然洞窟とは明らかに違う石造りの通路が続き、外から見た規模と内部の広さが一致しないことさえある。
魔物がいる。
罠がある。
そして。
なぜか宝箱がある。
誰が作ったのか。
いつから存在するのか。
なぜ探索者が倒れても命を失うことがほとんどないのか。
エルフたちは何千年もの間、その答えを知らないまま迷宮を探索してきた。
ただ一つ、昔からよく知られている法則がある。
迷宮の中で意識を失うほどの傷を負えば。
どこからともなくスライムが現れる。
そして。
入口まで運ばれる。
かなり雑に。
◇
「アルベルトさん!」
朝。
一人の若いエルフが道を走ってきた。
その先を歩いていた男が振り返る。
長い耳。
肩ほどまで伸びた髪。
綺麗に整えられた口髭。
年齢を感じさせる目元の皺。
それすら妙に様になっている。
アルベルトだった。
「朝から大声を出すものではないよ。美しい朝が驚いて逃げてしまう」
「意味分かりませんよ!」
「いずれ分かる」
「それより!」
若者は息を整えた。
「北西の迷宮に新しい通路が見つかったそうです!」
アルベルトの眉がわずかに動く。
「ほう」
「まだ誰も奥まで行ってません」
「なるほど」
「危険だから、経験のある探索者を集めてから調べるそうです」
アルベルトは微笑んだ。
「それは賢明だ」
「ですよね」
「では行ってくる」
「なんで!?」
アルベルトは歩き出した。
「誰も行っていない場所があるのだろう?」
「だからみんな集まってから!」
「心配はいらない」
アルベルトは口髭を指で整える。
「私がいる」
「一人でしょうが!」
「なおさら問題ない」
「問題しかないですよ!」
アルベルトは振り返った。
「若者よ」
「はい?」
「冒険とは、誰かが最初の一歩を踏み出さなければ始まらない」
「いいこと言って誤魔化そうとしてません?」
「では」
「ちょっと! アルベルトさん!」
既に歩いていった。
◇
その頃。
人類居住区では。
蓮が奇妙な記録を眺めていた。
「……もう一回言って」
『惑星上に確認されている迷宮の一部について、形成過程を特定しました』
「自然発生じゃない?」
『はい』
「誰かが作った?」
『はい』
「誰?」
短い沈黙。
『我々です』
蓮は椅子にもたれた。
「……俺たち?」
『正確には、テラフォーミングシステムです』
「なんで?」
『当時の記録を解析します』
大量のデータが表示される。
生態系構築。
文化保存。
環境適応。
人造生命体。
文明発生補助。
そして。
《文化的環境構築》
蓮が嫌な顔をした。
「文化的環境構築?」
『はい』
「具体的には?」
『人類文化を参照し、居住環境へ文化的多様性を付与する計画です』
「そんな計画あった?」
『ありました』
「誰が承認した?」
『蓮です』
「……俺か」
最近。
この流れが多い。
「で、何を参考にした?」
『人類の文学、映像作品、歴史資料、娯楽作品などです』
「まあ、そこまでは分かる」
『さらに、個人保存領域』
蓮が止まった。
「待て」
『はい』
「誰の?」
『蓮の』
「待て待て」
データが表示される。
ゲーム。
漫画。
小説。
映画。
設定資料。
膨大な量だった。
蓮の顔が引きつる。
「……まさか」
『はい』
「迷宮って」
『蓮の個人保存領域に存在した娯楽作品の影響を強く受けています』
「ゲームじゃねえか!」
『ゲームも含まれます』
「宝箱があるのも!?」
『参考資料に高頻度で登場します』
「モンスターがいるのも!?」
『同様です』
「ボス部屋とかないよな?」
『あります』
「あるのかよ!」
蓮は頭を抱えた。
「なんで創作物を現実に作ったんだよ……」
『テラフォーミングシステムは、それらを人類文明において重要な文化的要素と判断したようです』
「フィクションだよ!」
『現在は理解しています』
「当時理解しろよ!」
既に数千年遅かった。
◇
北西の迷宮。
アルベルトは入口に立っていた。
古い石造りの階段が地下へ続いている。
「さて」
剣を抜く。
「久しぶりに楽しませてもらおうか」
迷宮へ入った。
◇
第一層。
ゴブリン型の魔物が三体。
「ふむ」
一体目。
一閃。
二体目。
剣の柄で顎を打つ。
三体目。
飛びかかってきたところを軽くかわし、背中を押す。
壁へ激突。
終了。
「もう少し歓迎してくれてもいいのだよ」
先へ進む。
床に細い線。
「罠か」
跨ぐ。
その先。
壁の穴。
「矢」
しゃがむ。
矢が頭上を通過する。
さらに先。
天井。
「落石」
一歩戻る。
巨大な石が目の前へ落ちた。
アルベルトは口髭を整える。
「迷宮というものは、もう少し意外性を学ぶべきだな」
◇
第二層。
宝箱があった。
アルベルトは止まる。
「……」
近づかない。
石を拾う。
投げる。
宝箱に当たる。
反応なし。
剣の先で突く。
反応なし。
周囲を調べる。
床。
壁。
天井。
異常なし。
「ミミックではないようだ」
慎重に開ける。
中には短剣。
装飾が施されている。
「ほう」
手に取る。
刃を見る。
「悪くない」
腰へ差す。
「宝箱は宝箱らしくしているのが一番だよ」
何事もなく先へ進んだ。
◇
第三層。
魔物が強くなった。
狼型。
大型昆虫。
甲殻に覆われた四足獣。
それでも。
アルベルトは止まらない。
剣だけではない。
手を向ける。
空気が歪む。
ナノマシンが反応する。
火球。
魔物へ直撃。
「熱いだろう?」
別の魔物が背後から飛びかかる。
重力操作。
地面へ叩き落とす。
「少し休みたまえ」
剣を一閃。
戦闘終了。
アルベルトは息すら乱していなかった。
自信家。
キザ。
ナルシスト。
しかし。
その自信には。
十分すぎるだけの実力があった。
◇
第四層。
また宝箱。
アルベルトは立ち止まった。
先ほどより豪華だ。
金属装飾。
大きい。
「これは怪しいな」
石を投げる。
反応なし。
剣で突く。
反応なし。
周囲の罠を確認。
なし。
生命反応。
なし。
ナノマシンによる走査。
異常なし。
「……疑いすぎるのも探索者の悪い癖だ」
近づく。
手を伸ばす。
宝箱へ触れた。
その瞬間。
すくっ。
宝箱が立ち上がった。
アルベルトは動かなかった。
正確には。
理解できなかった。
宝箱の下から。
脚が生えている。
太い。
異常に太い。
腕もある。
胸筋。
腹筋。
上腕二頭筋。
全身が筋骨隆々。
人間型のマッチョな身体の上に。
宝箱が頭として乗っていた。
「…………」
ミミックも動かない。
「…………」
アルベルトが口を開いた。
「君は」
宝箱を見る。
「宝箱ではなかったのかね?」
蓋が開いた。
ギザギザの歯。
「なるほど」
アルベルトは剣を構えた。
「質問に答える知性はないらしい」
ミミックが床を蹴った。
「速っ――」
拳。
アルベルトが剣で受ける。
凄まじい衝撃。
数メートル押される。
「ほう!」
笑った。
「面白い!」
斬撃。
ミミックが腕で防ぐ。
蹴り。
アルベルトがかわす。
剣が腹へ入る。
ミミックがよろめく。
「見た目ほど無敵ではないようだ」
次の瞬間。
両腕を掴まれた。
「む?」
持ち上げられる。
「待ちたまえ」
宝箱の蓋が開く。
「待ちたまえ」
顔の前。
ギザギザの歯。
「話し合おう」
ガブッ。
「痛っ!」
さらに噛む。
「痛い痛い痛い!」
アルベルトの脚がばたつく。
「そこは本当に痛いぞ君!!」
重力操作。
ミミックを吹き飛ばす。
床へ転がる。
アルベルトも着地。
乱れた髪を直す。
服を整える。
口髭を整える。
周囲を見る。
誰もいない。
「……今のは忘れよう」
ミミックが立ち上がる。
「第二幕といこうか」
剣を構える。
ミミックが距離を取った。
「?」
さらに下がる。
「何をしている?」
前傾姿勢。
「……」
走り出した。
「なぜ助走を――」
ミミックの右脚が振り抜かれた。
腹へ直撃。
ドゴッ。
アルベルトが飛んだ。
壁へ激突。
瓦礫が落ちる。
沈黙。
ミミックが構える。
瓦礫が動く。
アルベルトが立ち上がった。
髪はぐちゃぐちゃ。
服は破れている。
口髭だけは。
無事。
「……宝箱が」
剣を拾う。
「蹴るな!!」
◇
五分後。
マッチョミミックは倒れていた。
アルベルトも肩で息をしている。
「はぁ……はぁ……」
剣を鞘へ戻す。
「なかなか……やるではないか」
ミミックを見る。
「だが」
口髭を整える。
「私の方が一枚上手だったようだね」
先へ進む。
角を曲がる。
止まる。
宝箱。
三つ。
「…………」
アルベルトはしばらく動かなかった。
右。
左。
中央。
「……」
剣を抜いた。
「全員そこから動くな」
宝箱は動かない。
「一つずつ確認する」
右。
普通。
中には回復薬。
「よし」
左。
剣で突く。
ガパッ。
普通の宝箱型ミミック。
「お前は知っている!」
即座に斬る。
撃破。
中央。
「……」
アルベルトは汗を拭った。
慎重に近づく。
石。
反応なし。
剣。
反応なし。
走査。
異常なし。
「よし」
開ける。
普通の宝箱。
中には美しい宝石。
アルベルトは安堵した。
「そうだ」
宝石を取る。
「宝箱とは、こうあるべきなのだよ」
背後。
倒したはずの左の宝箱。
その下から。
筋肉質な腕が。
にゅっ。
アルベルトは振り返った。
「……」
すくっ。
二体目が立った。
「お前もその種類なのか!!」
◇
さらに一時間後。
迷宮の奥。
アルベルトはボロボロだった。
片袖がない。
髪も乱れている。
頬に傷。
それでも。
歩いている。
「……少々」
息を整える。
「手応えが出てきたな」
その時。
叫び声。
「助けて!」
アルベルトの表情が変わった。
走る。
広い部屋。
若い探索者が四人。
魔物の群れに囲まれている。
一人は脚を負傷。
「アルベルトさん!?」
「下がりたまえ」
「でも!」
アルベルトが前へ出る。
「君たちは入口へ」
「一人じゃ無理です!」
アルベルトは振り返った。
笑う。
「心配はいらない」
口髭を整える。
「私がいる」
今度は。
誰も笑わなかった。
◇
火球。
重力。
剣。
アルベルトは一人で魔物の群れへ突っ込んだ。
「走れ!」
若者たちが負傷者を支えて逃げる。
一体。
二体。
三体。
アルベルトの身体にも傷が増える。
「アルベルトさん!」
「振り返るな!」
巨大な魔物が腕を振る。
受ける。
吹き飛ぶ。
立つ。
「女性を待たせる趣味はないのでね」
「ここ男しかいません!」
「細かいことは気にするな!」
若者たちが走る。
通路の向こうへ消えた。
アルベルトが確認する。
「……よし」
剣を構える。
魔物を見る。
「さて」
息を吐く。
「ここからは大人の時間だ」
◇
若い探索者たちは迷宮の入口へ到達した。
「アルベルトさんは!?」
「まだ中だ!」
「助けを呼ばないと!」
戻ろうとした。
その時。
迷宮の奥から。
何かが来た。
ぷるん。
スライム。
大きい。
妙に膨らんでいる。
「……」
全員が止まった。
スライムが。
ずる。
ずる。
入口まで来る。
そして。
身体を大きく揺らした。
べちゃっ。
何かを吐き出した。
アルベルトだった。
「アルベルトさん!!」
スライムは役目を終える。
ぷるん。
迷宮へ戻っていった。
◇
「アルベルトさん!」
若者たちが駆け寄る。
「生きてる!」
「当たり前だ、迷宮の中だぞ!」
「起こせ!」
アルベルトの目が開いた。
「……」
空。
雲。
若者たち。
「アルベルトさん!」
「皆……」
ゆっくり起き上がる。
「無事かね?」
「はい!」
四人いる。
全員。
生きている。
アルベルトは安心したように笑った。
「そうか」
口髭を整えようとする。
手が止まる。
口髭が。
少し曲がっていた。
「……」
慎重に直す。
「それは何よりだ」
若者が笑った。
「アルベルトさん、本当に格好よかったです!」
「当然だ」
「最後はスライムに運ばれてきましたけど」
「……」
「入口でポイって」
「そこまでは聞いていない」
◇
数日後。
人類居住区。
アルベルトは蓮の前にいた。
「それで?」
蓮が聞く。
「何がだね?」
「迷宮」
「悪くなかった」
「ボロボロだったって聞いたけど」
「冒険者に傷は勲章だよ」
「スライムに運ばれたって」
「誰から聞いた」
「有名になってる」
アルベルトの眉が動いた。
「……情報というものは恐ろしいな」
蓮は笑う。
「で、何か変なのいた?」
「変なの?」
「例えば……ミミックとか」
アルベルトの表情が消えた。
「……なぜミミックを聞く?」
「いや、なんとなく」
アルベルトが蓮へ近づく。
「宝箱に」
「うん」
「腕があった」
蓮の笑顔が消える。
「……」
「脚も」
「……」
「筋骨隆々の身体」
「……まさか」
アルベルトが眉をひそめる。
「何だ?」
蓮が恐る恐る聞く。
「頭の宝箱に……ギザギザの歯?」
アルベルトが固まった。
「なぜ知っている」
「……」
「蓮」
「いや」
「なぜ知っている?」
「ちょっと待って」
蓮が宙を見る。
「イザナミ」
『はい』
「北西の迷宮が参照した文化データを特定できる?」
『可能です』
「やめた方がいいんじゃないかね?」
アルベルトが言う。
蓮は嫌な予感しかしなかった。
『特定しました』
「……何?」
『蓮の個人保存領域に存在したゲームです』
アルベルトが蓮を見る。
蓮は目を逸らす。
「ゲームとは?」
「娯楽」
「娯楽?」
「昔、地球で遊んでた」
アルベルトが黙る。
「……」
「……」
「つまり」
アルベルトがゆっくり言う。
「あれは君たち人間の娯楽なのか?」
「違う」
「宝箱が人を噛むのが?」
「違う」
「蹴るのも?」
「違う!」
イザナミが続ける。
『なお、当該作品に対する蓮の累積プレイ時間は――』
「言うな」
『――』
「絶対言うな」
『了解しました』
アルベルトが目を細める。
「随分と遊んだようだね」
「昔の話だ」
「なるほど」
口髭を整える。
「君について少し理解が深まったよ」
「誤解だ」
「安心したまえ」
アルベルトが微笑む。
「誰にでも、人に知られたくない過去の一つや二つはある」
「そういうんじゃねえよ!」
◇
帰り際。
アルベルトが立ち止まった。
「蓮」
「ん?」
「一つ聞きたい」
「何?」
「私が倒した、あの筋肉質なミミック」
「ああ」
「かなり珍しい個体なのか?」
蓮がイザナミを見る。
『当該迷宮における出現率を算出します』
少し間。
『低確率です』
アルベルトの口元が上がった。
「そうか」
「何で嬉しそうなんだよ」
「希少な敵を倒したのであれば、それもまた冒険者の誉れだ」
「お前、酷い目に遭ったんじゃなかったの?」
「それとこれとは別だよ」
アルベルトは歩き出した。
「もう行かない方がいいぞ」
振り返らない。
片手だけ上げる。
「無論だ」
◇
二週間後。
早朝。
北西の迷宮。
まだ誰もいない入口に。
一人の男が立っていた。
長い耳。
肩までの髪。
整えられた口髭。
新品の装備。
アルベルトは迷宮を見つめる。
「さて」
口髭を整える。
「前回は少々、君を甘く見ていたようだ」
剣を抜く。
「だが同じ男に二度も同じ手が通じると思わないことだ」
迷宮へ入っていく。
しばらくして。
地下から。
微かに声が響いた。
「だから宝箱が蹴るなと言っているだろう!!」
入口の近くにいた鳥が。
驚いて飛び立った。
――第三十話 冒険者アルベルト 了




