第29話 学校へ行こう
朝。
人類居住区の一角に、鐘の音が響いた。
正確には鐘ではない。
校舎のスピーカーから再生された電子音だった。
しかし、この惑星で生まれ育ったエルフたちには、その違いなどどうでもよかった。
「遅れる!」
少女が走っていた。
肩から鞄を下げ、パンを口にくわえている。
地球であれば、どこかで見たような光景だった。
ただし。
少女の横を走っているのは、長い耳を持つエルフの少女である。
「なぜ食べながら走る!?」
「朝寝坊したの!」
「なら食べるのを諦めろ!」
「お腹空くじゃん!」
「遅刻するぞ!」
「だから走ってるんでしょうが!」
二人は校門を駆け抜けた。
少女の名は美咲。
かつて十二万人いた移民の一人。
そして。
家族も。
親戚も。
友人も。
地球から一緒に旅立った者は、一人も残っていなかった。
◇
学校が再開されていた。
もっとも。
地球にあった学校とはかなり違う。
小学生。
中学生。
高校生。
そんな区分は一応残っている。
だが、それだけではない。
三十代の元会社員が数学を学んでいる。
四十代の元販売員が農業を学んでいる。
地球では大学へ行かなかった者が工学を学び。
全く違う仕事をしていた者が医学の基礎を学ぶ。
理由は単純だった。
人が足りない。
十二万人分の知識を。
三千七百余名で受け継がなければならない。
医者が死ねば。
次の医者が必要になる。
技術者が死ねば。
次の技術者が必要になる。
教師も。
農業者も。
建築技術者も。
研究者も。
誰かが覚えなければ。
人類は。
知識を持ったまま滅びる。
だから。
大人も学校へ通っていた。
◇
「今日は光合成について――」
教師が説明する。
美咲は端末へ書き込んでいく。
隣には、朝一緒に走っていたエルフの少女が座っていた。
名をリーネという。
人間区域への立ち入りが段階的に許可され始めたことで、試験的に数人のエルフが学校へ通うようになっていた。
リーネが小声で聞く。
「コウゴウセイとは何だ?」
「植物が光を使って――」
「それは知っている」
「じゃあ何で聞いたの?」
「その言葉を知らなかった」
「ああ」
教師が説明を続ける。
二酸化炭素。
水。
光エネルギー。
糖。
酸素。
リーネは真剣に聞いていた。
そして。
「なるほど」
何度も頷く。
授業が進む。
ある植物の画像が表示された。
リーネが手を上げた。
「先生」
「はい」
「その草は食べない方がいい」
教師が止まった。
「え?」
「腹を壊す」
「……そうなの?」
「ただし根は使える」
「何に?」
「腹痛」
教室が静かになった。
「腹を壊す草の根が腹痛に効くの?」
「葉を食べれば腹を壊す。根は薬になる」
「いつでも?」
「いや。花が咲いてから三日ほどがいい。それより後は効きが弱い」
教師が端末を見る。
「イザナミ?」
『既存データと照合します』
少し間。
『薬理活性成分を確認。根部に腸管運動を抑制する成分があります』
教師がリーネを見る。
「……誰に教わったの?」
「祖母」
「おばあちゃん?」
「山に住んでいれば普通に知っているぞ」
教室の人間たちが一斉に記録を始めた。
リーネが困惑する。
「な、なんだ?」
美咲が笑った。
「今度は私たちが教わる番みたい」
◇
昼休み。
食堂には人間とエルフが入り混じっていた。
「それ取って」
「これか?」
「うん」
「マシマシにするか?」
美咲が止まった。
「……どこで覚えたの?」
「地球家」
「やっぱり」
「便利な言葉だな」
「便利かなぁ……」
リーネは美咲の皿へ野菜を追加する。
「ヤサイマシマシ」
「やめて!」
「なぜだ?」
「食べきれない!」
「地球家では皆やっているぞ」
「皆じゃないから!」
少し離れた席で。
人間の言語を研究している教師が頭を抱えていた。
◇
午後。
美咲たちは大きな掲示板の前にいた。
《選択課程》
農業。
機械整備。
医療基礎。
生態調査。
建築。
ナノシステム基礎。
そして。
美咲の目が止まる。
《冒険者課程》
「……何これ」
リーネが逆に驚いた。
「知らないのか?」
「知らないよ」
「冒険者になるための課程だ」
「それは文字読めば分かる」
説明を見る。
《惑星各地に存在する未調査地域、洞窟、遺跡および迷宮等の探索に必要な技能を習得する》
美咲は二度読んだ。
「学校で冒険者育てるの?」
「何がおかしい?」
「いや……」
美咲は頭を抱えた。
地球を出発した時。
まさか自分が。
学校の選択科目として「冒険者」を見ることになるとは思わなかった。
「誰が教えるの?」
リーネが笑った。
「今日は特別講師が来るらしい」
「有名な人?」
「かなり」
◇
訓練場。
二十人ほどの生徒が集まっていた。
人間。
エルフ。
ダークエルフも一人いる。
年齢も様々。
やがて。
一人の男が現れた。
長い耳。
肩まで伸びた髪。
整った口髭。
エルフとしては珍しく、顔には年齢を感じさせる線がある。
だが。
それが妙に似合っていた。
美咲が小声で言う。
「……イケオジ」
「何だそれは?」
リーネが聞く。
「説明難しい」
「悪口か?」
「むしろ褒め言葉」
男は生徒たちの前まで来る。
そして。
優雅に一礼した。
「諸君」
声まで無駄にいい。
「本日、君たちに探索というものを教えることになった」
胸へ手を当てる。
「アルベルトだ」
女子生徒の何人かがざわついた。
アルベルトは微笑む。
「もっとも」
口髭を指で軽く整える。
「私の名を知らない者の方が少ないかもしれないがね」
リーネが小声で言った。
「こういう人だ」
美咲が答える。
「もう分かった」
◇
「まず一つ」
アルベルトが剣を抜いた。
「冒険者に最も必要なものは何だと思う?」
生徒が答える。
「強さ」
「違う」
「知識」
「大切だが違う」
「勇気」
アルベルトが微笑む。
「それも必要だ。しかし違う」
剣を地面へ突き立てる。
「帰ってくることだ」
生徒たちが静かになる。
「財宝を見つけようが、未知の場所へ到達しようが、戻らなければその経験を次へ伝えられない」
アルベルトは生徒たちを見る。
「勇敢さと無謀さを混同してはいけない」
美咲の表情が変わった。
思っていたより。
ずっとまともだった。
「格好をつけて死ぬ者は三流だ」
アルベルトが笑う。
「格好よく帰ってくる者こそ一流なのだよ」
美咲が小声で言った。
「最後の一言いらなくない?」
リーネも小声で答えた。
「そこがアルベルトだ」
◇
実技が始まった。
模擬迷宮。
罠。
足場。
疑似モンスター。
アルベルトは生徒たちを先に歩かせた。
一人の人間の男子生徒が床を踏もうとする。
「止まりたまえ」
「え?」
アルベルトが床を指す。
「色が違う」
「どこが?」
「三枚目だ」
誰も分からない。
アルベルトが小石を投げる。
床が沈んだ。
壁から大量の矢が飛び出した。
もちろん訓練用。
生徒たちが固まる。
「迷宮は君を殺そうとしていると思え」
アルベルトは歩き出す。
「もっとも」
振り返る。
「私ほどになると、迷宮の方が諦めるがね」
美咲がリーネを見る。
「やっぱり最後の一言いらないよね?」
「だから、それがアルベルトなんだ」
◇
次は戦闘訓練。
アルベルト対、生徒五人。
「五人で?」
「遠慮はいらない」
アルベルトが剣を構える。
「私は女性を傷つける趣味はないが、授業なら仕方がない」
美咲が眉をひそめる。
「なんかムカつく」
リーネが笑う。
「やってみろ」
開始。
美咲が前へ出る。
リーネが横へ。
他の三人が後方から援護。
アルベルトは動かない。
美咲が剣を振る。
消えた。
「え?」
背後。
「一人」
肩を軽く叩かれる。
判定音。
《戦闘不能》
「ちょっと!」
リーネが攻撃。
アルベルトが避ける。
足を払う。
《戦闘不能》
「二人」
残り三人が同時に来る。
数秒。
《戦闘不能》
《戦闘不能》
《戦闘不能》
アルベルトは髪を整えた。
「五人では少なかったかな」
美咲が地面から睨む。
「このおじさん……」
「聞こえているよ、お嬢さん」
「耳長いもんね!」
「エルフなのでね」
◇
だが。
次の瞬間。
訓練場の端で悲鳴が上がった。
別の組の生徒が足場から落ちた。
高さはそれほどない。
しかし。
落下地点が悪い。
美咲が振り返った時。
アルベルトは既にいなかった。
落下する生徒の下へ滑り込み。
抱える。
自分の身体を下にして着地した。
「先生!」
生徒たちが駆け寄る。
アルベルトはゆっくり起き上がった。
腕から血が出ている。
「大丈夫ですか!?」
「無論」
立ち上がる。
「この程度、薔薇の棘に刺されたようなものだ」
美咲が見る。
「絶対痛いでしょ」
「少しね」
助けられた生徒が震えている。
「す、すみません……」
アルベルトはその頭へ手を置いた。
「謝る必要はない」
さっきまでの軽薄そうな笑みとは違った。
「怪我は?」
「ありません」
「ならいい」
それだけ確認すると。
また口髭を整える。
「もっとも、私がいなければ少々格好悪い落ち方になっていただろうがね」
美咲は笑った。
「やっぱり言うんだ」
「何をだね?」
「なんでもない」
◇
授業が終わった。
美咲とリーネは校舎を出る。
夕日。
人間区域の建物。
その向こうには。
この惑星の森と山が広がっている。
「冒険者課程、どうだった?」
リーネが聞いた。
「面白かった」
「取るのか?」
「迷ってる」
「アルベルトに惚れたか?」
「なんでそうなるの」
「人間の女子が何人か騒いでいた」
「イケオジではある」
「だから、そのイケオジとは何だ?」
「今度説明する」
二人は歩く。
しばらくして。
リーネが聞いた。
「美咲」
「ん?」
「明日も来るだろう?」
美咲は一瞬だけ黙った。
かつて。
学校が終われば。
家へ帰った。
父がいた。
母がいた。
友達がいた。
今は。
誰もいない。
帰っても。
誰も待っていない。
それでも。
「来るよ」
美咲は答えた。
「当たり前じゃん」
リーネが笑った。
「なら明日は遅刻するな」
「そっちもね」
「私はお前に付き合って走っただけだ!」
「じゃあ置いてけばよかったじゃん」
「友を置いて行けるか!」
美咲が止まった。
リーネは気づかず数歩進む。
「どうした?」
「……なんでもない」
美咲は追いついた。
「明日さ」
「何だ?」
「地球家寄って帰ろうよ」
「いいな」
「ニンニク普通ね」
「ヤサイは?」
「普通」
「アブラ」
「普通!」
「カラメ」
「普通!」
「全部普通ではないか」
「それでいいの!」
二人の声が遠ざかっていく。
地球から来た人間と。
この惑星で生まれたエルフ。
ほんの少し前まで。
互いの存在すら知らなかった二人。
その二人が。
明日の授業の話をしながら。
同じ道を歩いていた。
学校という場所は。
失われた知識を残すために作られた。
だが。
そこで生まれ始めていたものは。
知識だけではなかった。
――第二十九話 学校へ行こう 了




