第27話 仄暗い海の底から
守護竜が死んでから三日が過ぎた。
山岳の集落では、ほとんど誰も大きな声を出さなかった。
守護神の帰還を何世代にもわたって待ち続けてきた者たちにとって、その結末はあまりにも短かった。
帰ってきた。
だが、帰ってきた時には既に穢れていた。
そして最後には、自ら死を選んだ。
守護竜の亡骸は、まだ山にあった。
◇
「本当に切るの?」
セレネが聞いた。
蓮は巨大な亡骸を見上げた。
「できればやりたくない」
「だったらやらないで」
「でも調べなきゃならない」
セレネは黙った。
守護竜の周囲には人類側の調査機材が並んでいる。
正確には、ほとんどが現地でナノマシンによって作られたものだった。
組織採取。
内部走査。
残留ナノ群の解析。
目的は一つ。
守護竜を変えたものが何だったのかを調べること。
蓮はセレネを見る。
「約束する。必要以上には傷つけない」
「もう死んでる」
「分かってる」
「死んでるけど……」
セレネは鼻先へ触れた。
「この子なのよ」
蓮はしばらく何も言わなかった。
「分かってる」
今度は、それだけ答えた。
セレネは大きく息を吐いた。
「……やって」
「いいのか?」
「知らないままの方が嫌」
セレネは亡骸を見る。
「何がこの子をこんなふうにしたのか、見つけて」
蓮は頷いた。
「必ず」
◇
解析はすぐに始まった。
最初に分かったことは、予想通りだった。
元の二枚の翼。
骨格。
筋肉。
内臓。
神経系。
それらは人類が設計したDRAGON系列の遺伝情報と一致した。
多少の進化的変化はある。
何千年という時間を経ている以上、当然だった。
問題は。
変態後に形成された器官だった。
『追加翼の残存組織を解析』
イザナミが報告する。
蓮の前に立体構造が表示される。
「どうだ?」
『奇妙です』
「お前がそう言うと嫌な予感しかしない」
『追加翼を構成する細胞そのものは対象個体由来です』
「じゃあ、あいつ自身が作った?」
『材料については』
蓮が眉をひそめる。
「材料については?」
『構造設計が一致しません』
「何と?」
『DRAGON系列の発生情報です』
蓮は表示を見る。
追加翼には骨があった。
筋肉もある。
血管。
神経。
全て正常な生体組織。
しかし。
「遺伝子に設計図がない?」
『正確には、存在する遺伝情報を別の規則で組み合わせています』
「……誰かがあいつの身体を材料にして、新しい器官を設計した?」
『その表現が近いと考えます』
蓮は黙った。
「角は?」
『同様です』
「第三眼」
イザナミの返答が少し遅れた。
『解析を継続しています』
「何かあるな」
『あります』
◇
第三眼は、死後も完全には崩れていなかった。
追加翼は既に大部分が粒子化して消失している。
異常に伸びた角も同じ。
しかし第三眼だけは残っていた。
閉じた瞼の下に。
まだ存在している。
「取るの?」
セレネが聞いた。
「取らない」
蓮は答えた。
「非破壊で調べる」
「できる?」
「やる」
セレネは頷いた。
走査が始まった。
眼球。
視神経。
周辺組織。
その構造自体は、生物の眼として理解できる。
だが。
「……何だこれ」
蓮が呟いた。
第三眼の奥。
本来なら視神経が脳へ向かう場所。
そこに異常な構造がある。
細胞ではない。
ナノマシンでもない。
少なくとも、人類が使っているものとは違う。
非常に小さい。
だが規則的。
「イザナミ」
『解析中です』
「人工物か?」
『判定不能』
「自然物?」
『判定不能』
「生物?」
『判定不能』
「お前さっきからそればっかりだな」
『未知のものに対して断定する方が問題です』
「それはそうなんだけどさ」
蓮は表示を拡大する。
幾何学的な構造。
しかし。
見ている間にも形が変わる。
「動いてる?」
『はい』
「死んでないのか?」
『生死の定義を適用できません』
蓮の表情が変わった。
「隔離しろ」
『既に実行しています』
「外部通信も遮断」
『実行――』
イザナミが言葉を止めた。
「どうした」
返事がない。
「イザナミ?」
『……信号を検出しました』
蓮が第三眼を見る。
「ここから?」
『はい』
◇
非常に弱い信号だった。
電波ではない。
光でもない。
重力波とも一致しない。
量子通信としても説明できない。
それでも。
何らかの情報が外へ出ている。
あるいは。
外から受け取っている。
「通信内容は?」
『解析不能』
「昨日の言葉と同じ?」
『比較します』
少し時間がかかった。
セレネも黙って待っている。
やがて。
『類似性を確認』
蓮が顔を上げた。
「どのくらい?」
『情報構造の一部に共通する規則性があります』
「つまり?」
『守護竜が変態後に発した未知言語と、この信号は無関係ではない可能性があります』
セレネが第三眼を見る。
「……まだ何か喋ってるの?」
『その表現が正しいかは分かりません』
「気味悪いわね」
セレネはそう言いながら、守護竜の鼻先を撫でた。
「あなたじゃないわよね」
返事はない。
◇
蓮は立ち上がった。
「イザナミ。この信号を惑星全域の観測データと照合」
『実行します』
「母船が到着してからだけじゃない。軌道投入時から全部」
『データ量が膨大です』
「構わない」
『了解』
解析には時間がかかった。
その間に、守護竜の葬送の準備が進められた。
ダークエルフたちは亡骸を切り刻んで調査することを望まなかった。
人類側も必要な非破壊調査を終えた。
問題の第三眼だけは、可能な限り構造を記録した。
その後。
守護竜は山岳の高台へ運ばれた。
かつて。
セレネと一緒に空を眺めていた場所だった。
◇
墓穴など掘れなかった。
身体が大きすぎる。
そこでダークエルフたちは山の一部を使うことにした。
谷を広げ。
守護竜を横たえ。
大量の岩石を重力操作で運ぶ。
何日もかけて。
一つの小さな山を作った。
墓標には。
長い文章は刻まなかった。
《我らを守りし者、ここに眠る》
それだけだった。
大勢のダークエルフが集まった。
普通のエルフもいた。
蓮たち人間もいる。
セレネは最後まで何も言わなかった。
皆が去り始めても。
一人だけ墓の前に残った。
「肉、供えても意味ないわよね」
小さく呟く。
当然、返事はない。
「でも、あんたなら食べそうなのよね」
セレネは包みを置いた。
中には焼いた肉が入っていた。
「一番いいところだから」
少し考える。
「誰かに食べられる前に食べなさいよ」
ようやく。
少しだけ笑った。
◇
その日の夜。
蓮のもとへイザナミから連絡が入った。
『解析が終了しました』
「何かあった?」
『はい』
蓮は起き上がった。
「場所は?」
『複数あります』
「……複数?」
『完全一致ではありません。ただし、守護竜の第三眼から検出された信号と共通する情報構造を持つ信号源を確認しました』
蓮の前に惑星の地図が表示された。
一つ。
北方。
一年中嵐が吹き荒れる場所。
《果て》。
蓮の目が細くなる。
「やっぱりそこか」
『ただし、もう一つあります』
地図が回転した。
大陸から離れる。
海へ。
さらに沖へ。
「海?」
『はい』
表示が拡大される。
海面。
その下。
数百メートル。
千メートル。
さらに深く。
海底。
一点が光った。
「人工物?」
『不明です』
「人類が置いた設備は?」
『該当なし』
「テラフォーミング時代の施設」
『記録上、存在しません』
「移民船から投下したものは?」
『ありません』
蓮は黙った。
「信号はいつから出てる?」
『少なくとも母船がこの惑星へ到達した時点では既に存在しています』
「それ以前は?」
『観測データがありません』
蓮は海底の一点を見る。
「規則性は?」
『あります』
「自然現象の可能性」
『極めて低いと判断します』
蓮は額を掻いた。
「つまり」
『はい』
「俺たちが来る前から、海の底に何かある」
イザナミは否定しなかった。
◇
翌朝。
蓮は主要なメンバーを集めた。
セレネも呼ばれている。
彼女は不機嫌そうだった。
「昨日埋葬したばっかりなんだけど」
「分かってる」
「少しくらい休ませてよ」
「そのつもりだった」
「だった?」
蓮は立体地図を出した。
海。
そして。
海底の信号源。
セレネの表情が変わった。
「何これ」
「分からない」
「またそれ?」
「最近そればっかりなんだよ」
蓮は海底を指した。
「守護竜の第三眼から出てた信号と似たものが、ここから出てる」
セレネが黙った。
「《果て》からも?」
「ああ」
「じゃあ……」
「関係がある可能性が高い」
セレネは海底の光点を見る。
「行くの?」
「そのつもりだ」
「海の底よ?」
「知ってる」
「人間って水の中で息できるの?」
「その程度はどうにでもなる」
「便利ね」
「お前らも大概だろ」
セレネは少し考えた。
「私も行く」
蓮が即答する。
「駄目」
「なんでよ」
「海だぞ」
「知ってる」
「泳げる?」
「泳げるわよ!」
「どのくらい?」
「……普通に」
「深海は普通じゃない」
「だったら何か作って」
「雑だな、お前」
それでも。
セレネの表情は真剣だった。
「関係あるんでしょう」
「まだ分からない」
「だったら確かめる」
守護竜をあんな姿にしたもの。
その手掛かりがあるなら。
行かないという選択肢は、彼女にはなかった。
◇
イザナミが追加情報を表示した。
『蓮』
「今度は何だ」
『海底信号源周辺について、地形情報を再解析しました』
海底地形が立体表示される。
巨大な海溝。
切り立った崖。
その中腹。
不自然な空洞。
「洞窟?」
『その可能性があります』
「信号源は?」
『内部です』
さらに拡大。
入り口らしき場所。
その周辺に。
何かが動いていた。
蓮が目を細める。
「魚?」
『いいえ』
「大型生物?」
『複数です』
映像が補正される。
細長い身体。
二本の腕。
二本の脚。
人型。
だが。
腰の後ろから長い尾が伸びている。
その先には。
大きなヒレ。
「……人?」
セレネが呟いた。
蓮は映像を見る。
人型の何者かが。
巨大な海洋生物の背に乗っていた。
一人ではない。
何人もいる。
海底を。
まるで地上の騎兵のように移動している。
セレネが蓮を見る。
蓮もセレネを見る。
しばらく。
誰も何も言わなかった。
そして蓮が呟いた。
「……また何か作った覚えある?」
イザナミが即座に答えた。
『あります』
蓮の顔が引きつった。
「あるのかよ」
海底の人影が。
こちらの観測など知らずに。
暗い海の中を泳いでいった。
そのさらに奥。
海底の洞窟から。
人類のものではない信号が。
今も静かに発せられていた。
――第二十七話 仄暗い海の底から 了




