第25話 守護神を殺す方法
空が落ちてきた。
そう見えた。
山肌から引き剥がされた巨大な岩盤が、数十、数百という単位で空を埋め尽くしていた。
その中心に、四枚の翼を広げた竜がいる。
額には第三の眼。
異様に伸び、枝分かれした角。
それでも輪郭には、かつてセレネが知っていた守護竜の面影が残っていた。
竜が口を開く。
また、あの言葉を発した。
意味は分からない。
だが、その直後。
岩盤が動いた。
「来るぞ!」
蓮が叫んだ。
◇
数百トンの岩が一斉に落下した。
「散れ!」
人間とダークエルフが四方へ飛ぶ。
重力制御で加速しようとした蓮の身体が、突然沈んだ。
「くそっ!」
環境ナノ群の反応が鈍い。
守護竜が制御へ割り込んでいる。
頭上には巨大な岩。
間に合わない。
蓮は右手を上げた。
「直接やる!」
自分の体内ナノマシンへ命令を叩き込む。
周囲の重力場が歪む。
岩盤が蓮の数メートル横へ落下した。
轟音。
地面が跳ねた。
土砂と岩片が全身へ降り注ぐ。
「蓮!」
「生きてる!」
立ち上がる。
視界の向こうでは、ダークエルフたちが別の岩を押し返していた。
彼らの能力も環境ナノマシンを利用している。
しかし。
「重い!」
「押し返せない!」
明らかに普段より出力が落ちている。
『周辺環境ナノ群の約六十二パーセントが制御不能』
イザナミが報告する。
「残りは?」
『人類側と対象側で制御権を奪い合っています』
「取り返せ」
『継続中です』
「全部だ!」
『試行しています』
「最高権限でも?」
『拒否されています』
蓮は空を睨んだ。
「……分かってる。俺だよ」
誰に言うでもなく呟いた。
この竜を惑星へ投入する計画を最終承認したのは自分だ。
強靱な生命力。
高い知能。
重力操作。
環境ナノマシンへの強力なアクセス能力。
過酷な環境でも生き残れる生体プラットフォーム。
そのすべてが今、人類へ向けられている。
◇
「セレネ!」
仲間の声が響いた。
セレネが振り返る。
一人のダークエルフの頭上へ岩が落ちていた。
脚を負傷している。
逃げられない。
セレネが弓を引く。
矢が形成される。
放つ。
一本の矢が岩へ突き刺さった。
直後、矢が無数の構造物へ分裂し、岩全体を覆った。
「動け!」
セレネが腕を振る。
巨大な岩が横へ逸れた。
地面へ激突する。
「下がって!」
「すまない!」
男が這うように離れる。
その時。
影が落ちた。
セレネが上を見る。
守護竜だった。
速い。
四枚の翼は羽ばたいていない。
重力そのものを落下方向へ変えている。
「セレネ!」
巨大な前脚が振り下ろされた。
セレネが横へ跳ぶ。
爪が地面を切り裂く。
振り向く。
守護竜の顔が目の前にあった。
第三の眼が彼女を見る。
「……私が分かる?」
竜が口を開く。
未知の言葉。
「それじゃ分からない!」
再び未知の言葉。
「私の言葉で話して!」
左右の瞳が一瞬揺れた。
「セ……」
セレネの表情が変わる。
「そうよ」
「セ……レ……」
「ここにいる」
竜の口が震える。
「ニ……」
第三の眼が開いた。
声が変わった。
未知の言葉。
同時に。
竜の前脚が動いた。
◇
セレネは避けなかった。
弓を引いた。
これまで使っていた拘束矢ではない。
細い。
長い。
鏃が異常なほど密度を増していく。
「ごめん」
放った。
矢が守護竜の肩へ突き刺さる。
そして。
貫通した。
血が飛んだ。
竜が絶叫する。
セレネの身体が前脚に弾かれた。
「セレネ!」
数十メートル飛ばされる。
蓮が重力場を作り、空中で受け止めた。
「大丈夫か!」
「……平気」
口元から血が流れている。
「どこが平気なんだ」
「骨は折れてない」
セレネは立ち上がった。
そして守護竜を見る。
肩から血が流れている。
自分が撃った。
初めて。
明確に傷つけるために。
「……ごめんね」
セレネは小さく言った。
それでも弓を下ろさなかった。
◇
「イザナミ。あの傷から何か取れるか?」
『既に解析中』
「侵食してるものを物理的に切り離せないか」
『未知構造の分布を確認しています』
守護竜の内部構造が蓮の視界に表示される。
神経。
筋肉。
臓器。
骨。
そして。
その全身へ広がる異常な領域。
蓮の表情が険しくなる。
「……こんなに?」
『はい』
「脳だけじゃないのか」
『全身です』
「ナノマシンを交換すれば?」
『既存ナノ群との区別が困難です』
「全部停止」
『対象が死亡します』
「神経だけ隔離」
『既に侵食されています』
「血液」
『同様です』
「細胞は?」
短い沈黙。
『変異が確認されています』
蓮が黙った。
守護竜を侵しているものは。
もはや異物ではない。
竜そのものと区別できなくなりつつある。
「……切り離せないのか」
『現時点では方法を確認できません』
◇
守護竜が咆哮した。
今度はブレス。
口内に光が集まる。
「全員伏せろ!」
白い閃光が走った。
山肌が消えた。
爆発ではない。
高熱によって岩石が一瞬で融解し、蒸発している。
「出力上がってるぞ!」
『変態後、対象のエネルギー代謝が継続的に増大しています』
「エネルギー源は!」
『不明』
「不明って何だ!」
『摂取量と消費量が一致しません』
蓮が竜を見る。
「……どこから持ってきてる」
答えはない。
◇
戦闘は長引いた。
拘束。
破壊。
再拘束。
重力制御。
ナノ制御の奪い合い。
ダークエルフたちは次々と疲弊していった。
守護竜も傷だらけだった。
だが。
止まらない。
「もう一度!」
セレネが叫ぶ。
「左右から押さえて!」
ダークエルフたちが手を向ける。
重力場が重なる。
守護竜の身体が沈む。
セレネが矢を放つ。
四枚の翼へ拘束構造が展開する。
蓮も制御へ割り込む。
「今度こそ!」
管理者権限。
強制遮断。
神経系隔離。
ナノ群再初期化。
《拒否》
《拒否》
《拒否》
「くそっ!」
守護竜が頭を上げる。
第三の眼が蓮を見た。
そして。
未知の言葉を発した。
『蓮』
イザナミの声。
「何だ!」
『高エネルギー反応』
「どこ!」
『対象内部』
蓮の視界に数値が表示される。
「全員離れろ!」
遅かった。
守護竜を中心に重力場が反転した。
◇
人間も。
ダークエルフも。
岩も。
土砂も。
すべてが吹き飛んだ。
蓮は地面を何度も転がった。
視界が揺れる。
警告表示。
肋骨損傷。
内出血。
左腕機能低下。
「……まだ生きてるな」
『はい』
「ならいい」
身体を起こす。
周囲を見る。
倒れている者が多い。
「死亡者は?」
『現時点で確認されていません』
蓮は息を吐いた。
「次は出るな」
『その可能性は高いと判断します』
少し離れた場所で。
セレネも立ち上がった。
守護竜を見る。
傷だらけ。
血まみれ。
それでも。
第三の眼は開いている。
「蓮」
セレネが呼んだ。
「何」
「まだ方法ある?」
蓮は答えなかった。
「正直に言って」
しばらくして。
「地上にはない」
セレネは意味を理解した。
「……地上には?」
「ああ」
蓮は空を見上げた。
青い空。
その遥か上。
惑星軌道には母船がある。
◇
「イザナミ」
『はい』
「軌道上の投射システムは生きてるか?」
セレネが蓮を見る。
『使用可能です』
「投射体は?」
『高密度金属投射体、残数十二』
「誘導精度」
『地上側から最終誘導を行えば、誤差を最小化できます』
「必要質量を計算」
『用途を指定してください』
蓮は黙った。
イザナミには分かっている。
それでも確認を求めている。
「……対象はDRAGON系列」
『はい』
「現在の防御能力と再生能力を突破する」
『はい』
「一撃で止める」
セレネの指が弓を強く握った。
蓮は守護竜を見る。
そして言った。
「殺せる質量だ」
短い沈黙。
『了解しました』
◇
セレネは何も言わなかった。
守護竜を見る。
第三の眼。
四枚の翼。
異様に伸びた角。
傷だらけの身体。
その奥に。
まだいる。
時々、自分の名前を呼ぶ。
あの竜が。
「セレネ」
蓮が言った。
返事はない。
「これを使えば――」
「分かってる」
セレネが遮った。
「でもまだ撃たないで」
蓮を見る。
「最後に一回だけ」
「何をする」
セレネは弓を構えた。
「約束したから」
「約束?」
「昔ね」
セレネは少し笑った。
「いつか私が、あいつを守ってあげるって言ったの」
蓮は何も言わなかった。
セレネが守護竜を見る。
「だから」
弦を引く。
一本の矢が形成された。
「最後に一回だけ、守らせて」
守護竜が顔を上げた。
左右の瞳がセレネを見る。
第三の眼が開く。
そして。
三つの眼が。
同時に彼女を見た。
――第二十五話 守護神を殺す方法 了




