第24話 変態
守護竜の周囲に、数十本の矢が浮かんでいた。
セレネが弦を引いたまま空を見上げる。
その先では、巨大な竜が四肢を地面から離し、翼を広げていた。翼はほとんど羽ばたいていない。それでも巨体は空中に静止している。
口の奥には白い光が集まっていた。
「来るぞ!」
蓮の声と同時に、全員が散開した。
守護竜が首を振る。
直後、灼熱のブレスが地表を横薙ぎにした。
岩が赤熱し、木々が一瞬で炭化する。直撃を避けた蓮も、周囲の空気から伝わる熱に顔をしかめた。
「洒落になってねえな……」
『対象の出力、依然上昇中』
イザナミの声が返る。
「分かってる。数値で言われると余計嫌になるから今はいい」
蓮は空中の守護竜を見上げた。
殺すだけなら方法はある。
問題は、それをセレネの目の前で選びたくないことだった。
そして、まだ試していない方法がある。
「セレネ!」
「何!」
「もう一度拘束できるか?」
「やる!」
即答だった。
セレネが弦を放した。
数十本の矢が一斉に飛ぶ。
守護竜は身を捻って避けようとしたが、矢は空中で軌道を変えた。数本が翼を掠め、残りが巨体を取り囲む。
次の瞬間、矢が形を変えた。
細い糸のような構造物が大量に伸び、互いに絡み合う。
翼。
首。
前脚。
後脚。
尾。
守護竜の全身へ絡みついた。
「今!」
ダークエルフたちが両手を向ける。
重力が変わった。
守護竜の身体が一気に地面へ引かれる。
「グオオオオッ!」
巨体が落下した。
地響きとともに土煙が上がる。
「押さえろ!」
十数人のダークエルフが重力場を重ねる。
守護竜が立ち上がろうとするたび、地面が陥没した。
「長くは無理よ!」
セレネが叫ぶ。
「十分だ!」
蓮が走った。
「何するの!?」
「こいつを作った側の特権を使う!」
「できるの!?」
「できなきゃ困る!」
守護竜が蓮を見る。
口が開く。
光が集まり始めた。
セレネが矢を放つ。
矢が顎の周囲で展開し、上下を強制的に固定した。
「今のうちに!」
「助かる!」
蓮は守護竜の目前まで接近した。
巨大な第三者から見れば、あまりにも無謀な距離だった。
だが蓮の視界には、別のものが見えていた。
ドラゴンの生体情報。
内部のナノマシン群。
そして、その奥に混ざっている未知の命令。
蓮は右手を守護竜へ向けた。
「イザナミ。管理者権限を開け」
『対象はテラフォーミング生物群DRAGON系列。管理者権限を確認』
「外部命令を全部切れ」
『実行した場合、対象の生命維持系へ影響する可能性があります』
「人類由来の生命維持命令は残せ。俺たちが書いてないものだけ切る」
一瞬の間があった。
『試行します』
蓮の視界に情報が流れる。
《管理者権限確認》
《DRAGON系列・個体識別》
《外部制御系検索》
《未登録命令群検出》
「見つけた」
蓮が呟いた。
想像以上だった。
未知の命令は一つではない。
守護竜の全身に広がっている。
神経系。
筋肉。
感覚器。
脳。
そしてナノマシン制御系。
人類が設計したシステムへ、まるで根を張るように入り込んでいた。
「……随分好き勝手してくれたな」
蓮は命令を実行した。
「全部切れ」
《強制遮断開始》
守護竜の身体が大きく痙攣した。
◇
「グッ……ガ……!」
竜が苦しそうに頭を振る。
「蓮!」
「そのまま押さえてろ!」
黒い粒子のようなものが身体の表面から浮かび始めた。
セレネが目を見開く。
「何……あれ」
「俺にも分からん!」
蓮の視界では、未知の命令群が急速に消えていく。
十七パーセント。
三十二。
五十八。
七十一。
「いける……!」
蓮はさらに強制力を上げた。
八十四。
九十一。
九十七。
《未登録命令群・遮断完了》
突然。
守護竜から力が抜けた。
「……え?」
セレネが弓を下ろしかける。
巨体が地面へ横たわった。
黒い粒子が消えていく。
異常だった重力場も弱まった。
周囲に浮いていた石が次々と地面へ落ちる。
静かになった。
あまりにも突然だった。
「終わった……?」
誰かが呟いた。
蓮は答えない。
情報を確認する。
《生体反応安定》
《環境ナノ群との正常接続を確認》
《未登録外部命令――検出されず》
「……切れた」
蓮自身も信じられないように言った。
セレネが振り返る。
「本当に?」
「ああ」
「戻ったの?」
「たぶん」
その言葉を聞いた瞬間、セレネは走り出した。
「待て、まだ――」
止まらない。
守護竜の頭へ駆け寄る。
巨大な瞼は閉じていた。
「ねえ」
返事がない。
セレネが鼻先へ手を置く。
「起きて」
瞼がゆっくりと開いた。
黒く濁っていた瞳が、以前とは違って見えた。
澄んでいる。
セレネを見た。
しばらく動かない。
そして口が開いた。
「……セレネ」
セレネの顔が歪んだ。
「うん」
「セレネ……」
「そうよ」
巨大な瞳が彼女を見つめる。
「オオキク……ナッタ」
セレネは泣きながら笑った。
「あなたに言われたくないわよ」
竜の喉から小さな音が漏れる。
昔と同じだった。
笑っている。
セレネは鼻先を撫でた。
「本当に……馬鹿なんだから」
竜がゆっくり瞬きをする。
「ニク……」
セレネが一瞬固まった。
蓮も思わず竜を見る。
「……は?」
「ニク……タベタイ」
セレネが涙を拭いながら笑った。
「帰ってきて最初にそれ?」
「ハラ……ヘッタ」
「分かった。いくらでも食べさせてあげる」
「ニク」
「はいはい」
蓮は少し離れた場所で、その様子を見ていた。
「……本当に戻ったのか」
『現時点で異常命令は検出されていません』
「なら――」
守護竜の表情が変わった。
蓮は言葉を止めた。
竜がセレネを見る。
先ほどまでとは違う。
怯えていた。
「セレネ」
「どうしたの?」
「ニゲロ」
セレネの笑顔が消えた。
「え?」
「ニゲロ」
「何言ってるの」
「ハヤク」
竜が頭を上げようとする。
「セレネ……ニゲロ」
「どうして?」
「ナカ……」
竜の身体が震えた。
「ナカ……イル」
蓮が反応した。
「何がいる?」
竜は蓮を見た。
「ナニカ……イル」
「どこに?」
「ナカ」
セレネが竜の顔へ両手を添える。
「大丈夫。蓮が取ってくれたから」
「チガウ」
竜が苦しそうに首を振った。
「チガウ……」
「何が違うの?」
竜の瞳が大きく開いた。
「クル」
「何が?」
「クル……!」
蓮の視界が真っ赤になった。
《警告》
《未知信号検出》
「嘘だろ」
『先ほど遮断したものとは異なります』
「どこからだ!」
『発信源を特定できません』
守護竜が叫んだ。
「ニゲロ!」
◇
巨体が跳ね上がった。
「離れろ!」
蓮がセレネを重力制御で引き寄せる。
直後。
守護竜の身体から黒い粒子が噴き出した。
先ほどとは量が違う。
全身を覆う。
「何なのよ、あれ!」
「知らん!」
蓮が制御へ介入する。
《管理者権限実行》
《外部命令遮断》
反応がない。
「もう一度だ!」
《管理者権限実行》
そして。
初めて見た表示が現れた。
《拒否》
蓮が固まった。
「……は?」
もう一度。
《拒否》
「俺の権限を……蹴った?」
守護竜が絶叫した。
骨格が動いた。
◇
最初に変化したのは背中だった。
左右の肩甲骨の後方が大きく隆起する。
セレネが息を呑んだ。
「何……?」
隆起が急速に伸びていく。
皮膚が裂けるのではない。
組織そのものが形を変えている。
筋肉が作られ、骨格が形成され、表皮がそれを覆っていく。
数十秒。
新しい器官が完成した。
翼。
元からある一対とは別に、さらに一対。
四枚の巨大な翼が広がった。
「そんな設計してないぞ……」
蓮が呟く。
『設計情報との一致なし』
「見れば分かる!」
次に角が伸び始めた。
二本の角が異常な速度で長くなり、途中から枝分かれしていく。
守護竜の輪郭そのものが変わっていく。
蓮の視界に警告が連続する。
《設計形態逸脱》
《未登録器官形成》
《骨格構造変更》
《筋組織再配置》
《遺伝子発現規則との不一致》
蓮は表示を見ながら呟いた。
「再生じゃない……」
『肯定します』
「成長でもない」
『肯定します』
蓮は変わり続ける守護竜を見る。
「こいつ、自分の身体を作り直してる」
セレネは動けなかった。
目の前で。
自分が何十年も待ち続けた存在が。
別の何かへ変わっていく。
「やめて……」
声が漏れる。
「その身体は……あなたのものじゃないでしょう……」
そして。
最後の変化が始まった。
額の中央。
二本の眼の間より少し上。
細い線が現れた。
それがゆっくりと開く。
眼だった。
第三の眼。
左右の瞳とは明らかに違う。
暗い。
底が見えない。
セレネが一歩後退した。
「……何よ、それ」
第三の眼が動いた。
そして。
セレネを見た。
◇
守護竜の口が開いた。
セレネは身構えた。
咆哮ではなかった。
言葉だった。
しかし。
誰にも理解できなかった。
複雑な発音が連続する。
低い音と高い音が同時に混ざり、人間やエルフの発声器官では再現できそうにない響きが含まれている。
それでも単なる鳴き声ではない。
明確な区切り。
繰り返し。
抑揚。
何らかの意味を持つ言語だった。
蓮が聞いた。
「イザナミ」
返事がない。
「翻訳」
『解析中です』
竜はさらに言葉を続ける。
流暢だった。
あれほど片言でしか話せなかった守護竜が。
まるで最初からその言葉を知っていたかのように。
「まだか?」
『既知言語との照合を継続しています』
「結果だけ言え」
短い沈黙。
『該当なし』
蓮が眉をひそめる。
「エルフ諸語は?」
『該当なし』
「地球言語」
『該当なし』
「古代語」
『該当なし』
「人工言語」
『既知体系との一致を確認できません』
蓮が守護竜を見る。
「お前が分からない言語なんてあるのか」
『存在している以上、あります』
「そういう話じゃねえ」
守護竜が再び未知の言葉を発した。
その瞬間。
蓮の視界から表示が消えた。
「……え?」
周囲で声が上がる。
「飛行制御が落ちた!」
「ナノが反応しない!」
「何が起きてる!?」
蓮が即座に接続を確認する。
環境ナノマシンが止まっていた。
破壊されたわけではない。
ただ。
命令を受け付けない。
「イザナミ」
『原因不明』
「今の言葉と同時だったぞ」
『確認しています』
「偶然か?」
『判断できません』
守護竜がもう一度言葉を発した。
今度は。
停止していた環境ナノマシンが一斉に動き出した。
ただし。
蓮の命令ではなかった。
地面が浮いた。
巨大な岩盤そのものが、音を立てながら地上から剥がれていく。
「……冗談だろ」
数百トンはある。
それがいくつも。
空へ浮かんでいる。
イザナミが告げる。
『環境ナノ群への制御権を喪失』
「取り返せ」
『試行中』
「最高権限を使え!」
『使用しています』
「それでも駄目なのか!」
『拒否されています』
蓮は初めて。
言葉を失った。
◇
セレネは守護竜を見ていた。
四枚の翼。
伸びた角。
額の第三眼。
それでも。
間違えるはずがない。
「……ねえ」
セレネが呼びかける。
第三の眼が彼女を見る。
「そこにいるんでしょう?」
返事はない。
「聞こえてるなら……」
セレネは木製弓を強く握った。
「戻ってきなさいよ」
守護竜の左右の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「セ……」
セレネが目を見開く。
「セ……レ……」
第三の眼が大きく開いた。
竜の声が変わる。
再び。
誰にも理解できない言葉が流れ出した。
左右の瞳から光が消える。
セレネは弓を構えた。
もう泣かなかった。
「……分かった」
弦を引く。
一本の矢が形成される。
「だったら私が引きずり出す」
四枚の翼が広がった。
空が歪む。
周囲の山々から岩が次々と浮かび上がる。
蓮も構えた。
「イザナミ」
『はい』
「あれが何を喋ったのか、全部記録しておけ」
『記録中です』
「いつか絶対に解読する」
蓮は第三の眼を見た。
人類が作った竜。
人類が作ったナノマシン。
人類が作った生態系。
だが。
今、目の前にあるものの全てが。
人類の理解の中にあるとは。
もう誰にも言えなかった。
守護竜が四枚の翼を広げる。
そして。
未知の言葉を叫んだ。
空中に浮かんでいた岩盤が。
一斉に動き出した。
――第二十四話 変態 了




