第19話 黒き森の民
「逃げろ! そいつはもう、お前たちを覚えてない!」
蓮が叫んだ。
しかし銀髪の女は動かなかった。
炎竜の口に白い光が集まっている。
「……ダレ?」
先ほどまで優しい表情で守護神を見つめていた女の顔が凍りついていた。
「私です」
女は震える声で答えた。
「セレネです。お忘れなのですか」
炎竜が首を傾げる。
「セ……」
セレネの瞳が大きくなる。
「はい!」
「セ……」
炎竜の身体が痙攣した。
「シラナイ!」
直後、白熱した奔流が放たれた。
「くそっ!」
蓮が右腕を振り上げる。
周囲の環境ナノマシンを強引に集め、セレネたちの前へ防壁を形成した。
ブレスが激突する。
凄まじい熱と衝撃。
《防壁出力低下》
《環境ナノ制御競合》
《熱量許容値超過》
警告が蓮の視界を埋める。
炎竜がこちらから制御権を奪おうとしている。
「こんな時まで邪魔すんな!」
蓮が制御出力を上げた。
防壁の左右から漏れた熱流が岩肌を焼き、周囲の草木を炭化させる。
数秒後。
ようやくブレスが途切れた。
防壁が崩れ落ちる。
蓮は息を吐いた。
「危なかった……」
セレネは呆然としていた。
自分を守った蓮ではない。
炎竜を見ている。
「なぜ……」
その声は小さかった。
「なぜ我らを……」
炎竜が低く唸る。
「シラナイ……」
「私です」
セレネが一歩進んだ。
蓮が腕を伸ばして止める。
「行くな」
セレネが蓮を見る。
その目に敵意が戻った。
「触れるな」
「今の見ただろ。あいつはお前を殺そうとした」
「離せ」
「話を――」
セレネが蓮の腕を振り払った。
そして腰の後ろから長い木製の弓を取った。
蓮は身構える。
だが。
矢筒がない。
「……矢は?」
セレネが弦を引いた。
その瞬間。
蓮の視界に警告が出た。
《局所ナノマシン密度上昇》
「え?」
何もなかったセレネの指先へ、黒い粒子が集まり始めた。
細長い軸。
鏃。
矢羽。
わずかな時間で一本の矢が形成される。
「おいおい……」
セレネが弓を蓮へ向けた。
「守護神から離れろ」
「待て。俺たちは――」
矢が放たれた。
蓮は頭を傾ける。
矢が頬の横を通過し、アーマー表面を薄く削った。
後方の岩へ深々と突き刺さる。
「本気で撃ったな!?」
「次は外さぬ」
「今の十分危なかったぞ!」
セレネが再び弦を引く。
また何もない空間から矢が形成された。
蓮は矢よりも、その周囲で起きている現象を見ていた。
「イザナミ」
『物質再構成を確認』
「だよな」
『大気および地表から必要元素を収集し――』
「細かい説明は後でいい」
『了解しました』
蓮はセレネを見る。
「お前、それどうやってる?」
「何のことだ」
「矢だよ」
セレネが眉をひそめる。
「弦を引いている」
「そこじゃない」
「何を言っている?」
「何もないところから矢を作ってるだろ」
セレネは一瞬、蓮が何を聞いているのか本当に分からないような顔をした。
「これがどうした」
蓮は言葉を失った。
彼女にとっては特別なことですらないらしい。
その様子を離れた場所から見ていたリシェルは、もっと大きな衝撃を受けていた。
「そんな術……」
美冬が振り向く。
「できないんですか?」
「できるわけない」
リシェルはセレネの手元を凝視する。
「何もないところから物を作る魔法なんて知らない」
「やっぱり普通のエルフとは違う」
美冬のアーマーにも解析結果が表示されている。
《通常ELF系統とのナノシステム差異を確認》
リシェルがセレネたちを見る。
同じ長い耳。
同じ人の姿。
それでも明らかに違う。
「待って!」
リシェルが前へ出た。
セレネの視線が彼女へ移る。
一瞬。
セレネの表情が変わった。
「……森の民」
その呼び方には、明らかな距離があった。
リシェルが聞く。
「あなたたちは何者なの?」
「お前たちに答える義務はない」
「私はあなたたちと同じ――」
リシェルは言葉を止めた。
セレネの後ろにいる者たちの表情が険しくなったからだ。
「同じ?」
セレネが低い声で言った。
「我らを山へ追いやった者の末裔が、それを言うのか」
リシェルが戸惑う。
「何のこと?」
セレネは答えなかった。
その時。
炎竜が咆哮した。
地面が揺れる。
「話は後だ!」
蓮が叫ぶ。
「全員ここから離れろ!」
セレネは炎竜を見る。
「我らが連れ帰る」
「無理だ!」
「黙れ、鎧の者」
「俺には天城蓮って名前がある!」
「知らぬ」
「今教えただろ!」
セレネは完全に無視した。
炎竜が翼を広げる。
重力場が急激に変化した。
周囲の岩が浮き上がる。
「散れ!」
蓮の声と同時に、岩石が全方向へ飛び始めた。
戦闘ドローンが迎撃する。
セレネたちも動いた。
数人が手を向ける。
すると飛来した岩の軌道が曲がった。
蓮の視界に解析結果が出る。
《複数の重力場干渉》
「マジか」
普通のエルフではない。
彼らは明らかに環境ナノマシンへ直接干渉している。
セレネが走る。
弦を引く。
一本の矢が形成される。
放つ。
次の矢。
また放つ。
矢筒など必要ない。
セレネが走り続ける限り、矢は次々と生まれる。
三本の矢が炎竜の周囲の地面へ突き刺さった。
蓮が叫ぶ。
「おい! 守護神を攻撃するなって言ってたのお前だろ!」
「攻撃ではない!」
矢が崩れる。
黒い繊維状の物質へ変化し、炎竜の脚へ絡みついた。
「拘束か!」
「動きを止める!」
さらに四本。
黒い拘束材が炎竜の四肢へ巻き付く。
炎竜が暴れる。
セレネの仲間たちが一斉に手を向けた。
重力場が変化する。
巨体が地面へ押しつけられた。
蓮が目を見開く。
「イザナミ」
『彼らの制御へ同期可能です』
「やってくれ」
『最高管理者による承認が必要です』
「承認する!」
蓮も右腕を炎竜へ向けた。
「そこの銀髪!」
「セレネだ!」
「セレネ! 三秒耐えろ!」
「何をする!」
「手伝う!」
「必要ない!」
「意地張ってる場合か!」
炎竜が拘束を引き千切ろうとしている。
セレネが歯を食いしばった。
「……三秒だ!」
「十分!」
蓮が制御へ介入する。
ダークエルフたちが作っていた重力場へ、人類側の制御が重なった。
炎竜の巨体が一気に沈む。
地面が陥没した。
「今だ!」
戦闘ドローンが飛ぶ。
大型拘束具を射出。
脚。
翼。
尾。
次々と固定する。
炎竜が地面へ押さえ込まれた。
「止まった!」
美冬が叫ぶ。
蓮は制御を緩めない。
「鎮静処置を――」
炎竜が小さな声を出した。
「……セ……」
セレネの動きが止まる。
「え?」
炎竜が彼女を見る。
「セ……レ……」
セレネが弓を下ろした。
「私です」
「セ……レネ……」
後ろにいたダークエルフたちがざわめく。
セレネの表情が変わった。
先ほどまでの戦士の顔ではない。
「覚えておられるのですね」
一歩。
「セレネです」
もう一歩。
蓮が気づく。
「待て。近づくな」
セレネは聞かない。
「帰りましょう」
炎竜が苦しそうに頭を動かす。
「カエ……ル……」
「はい」
「カエ……」
身体が痙攣した。
蓮の視界に警告が走る。
《神経活動急変》
「セレネ、下がれ!」
「イタイ……」
炎竜が頭を振る。
「イタイ……!」
「大丈夫です」
「イタイ!」
「私たちが――」
「下がれ!」
炎竜の瞳が濁った。
「ダレ……?」
セレネが止まる。
「……私です」
「ダレ……ダレ……」
「セレネです」
「シラナイ!」
拘束具が吹き飛んだ。
蓮がセレネへ飛びつく。
二人が地面を転がる。
直後。
巨大な爪が、セレネの立っていた場所を抉った。
「離せ!」
「いい加減にしろ!」
蓮が怒鳴った。
セレネが初めて黙る。
「今のあいつは、お前を殺そうとした」
「違う」
「違わない!」
「私の名を呼んだ!」
「だから中には残ってるんだよ!」
セレネが蓮を見る。
「何?」
「お前を覚えてる部分は残ってる。でも、それを維持できてない」
蓮が立体映像を表示する。
炎竜の脳構造。
正常化と異常化を繰り返す神経活動。
「これは?」
「こいつの頭の中だ」
「意味が分からぬ」
「俺たちにも全部は分からない。でも、身体だけじゃなく神経まで何かに壊されてる」
セレネの表情が変わる。
「ならば治せ」
「それをやろうとしてる!」
蓮も声を荒らげた。
「治したそばからまた壊れてるんだ。しかも、どこまでが元のこいつで、どこからが異常なのかも分からない」
セレネは炎竜を見る。
「お前たちが……やったのではないのか」
「違う」
「ならば、なぜお前たちはこの御方の身体を知っている」
「こいつは俺たちの技術で作られた生物だからだ」
セレネが蓮を見る。
「作られた?」
「その話も長くなる」
セレネの目に警戒が戻る。
「貴様らは何者だ」
そこでリシェルが口を開いた。
「この人たちは、人間よ」
セレネが振り向く。
「……ニンゲン?」
その言葉を確かめるように発音した。
「そう」
「それは何だ」
リシェルは一瞬、答えに詰まった。
蓮が自分を指差す。
「俺みたいなのが人間」
「鎧ではないのか」
「中身がいる」
蓮がフルフェイス部分を開く。
セレネが初めて蓮の素顔を見る。
耳は短い。
顔立ちはエルフと似ているが、明らかに違う。
セレネがじっと見る。
「……耳が短い」
「第一声そこかよ」
「奇妙だ」
「お前に言われたくない」
セレネの眉が動く。
「何?」
「何でもない」
リシェルが間へ入った。
「人間は、私たちよりずっと昔にこの世界へ来た種族なの」
「聞いたことがない」
「私たちも、つい最近まで知らなかった」
セレネは蓮を見る。
「では、守護神が口にしていた『ニンゲン』とは……」
蓮が頷く。
「たぶん俺たちのことだ」
セレネは何も言わなかった。
炎竜がなぜ「ニンゲン」と繰り返していたのか。
その意味を初めて知ったのだ。
やがて炎竜は拘束を完全に振り切った。
翼を広げる。
蓮たちは身構えた。
だが竜は襲ってこなかった。
そのまま上昇し、大きく旋回する。
「追うな!」
蓮がドローンへ命令する。
「監視だけ続けろ。攻撃するな」
『了解』
炎竜は山岳地帯の向こうへ消えていった。
戦場に静けさが戻った。
セレネは竜が消えた方向を見続けている。
蓮が隣へ立った。
「一つ聞かせてくれ」
返事はない。
「あいつを守護神って呼んでたな」
「……そうだ」
「いつから?」
セレネは木製の弓を握った。
「私が生まれるより遥か以前からだ」
「お前、何歳?」
セレネが蓮を見る。
「女性に歳を尋ねるのか?」
「そこは同じなんだな……」
「何がだ」
「何でもない」
リシェルが呆れた顔をしている。
蓮は咳払いした。
「それで、あの竜とはどういう関係なんだ?」
セレネはしばらく答えなかった。
やがて静かに言った。
「我らは、あの御方に救われた」
「救われた?」
「我らが故郷を追われ、山へ逃れた時も、あの御方だけは我らを拒まなかった」
リシェルの表情が変わる。
「故郷を追われたって……」
セレネが彼女を見る。
「お前たちの祖先に追われた」
リシェルは言葉を失った。
セレネは自分の手を見る。
そこへ黒い粒子が集まり始めた。
一本の矢が形成される。
「我らには、お前たちにはない力があった」
完成した矢を見つめる。
「最初は奇跡と呼ばれた」
セレネが手を開く。
矢が粒子へ戻り、風の中へ消えていった。
「次には、恐れられた」
彼女の声には怒りよりも、長い年月を経た諦めがあった。
「そして最後には、化け物と呼ばれた」
リシェルは何も言えない。
「だから我らは山へ逃げた」
蓮が尋ねる。
「そこで、あの竜と出会った?」
セレネは首を横に振った。
「違う」
遠くの山を見る。
「我らがあの御方と出会ったのは、逃亡の途中だ」
「何があった?」
セレネはしばらく黙っていた。
そして地面へ腰を下ろす。
木製の弓を膝へ置いた。
「長い話になる」
蓮もその場へ座った。
「聞かせてくれ」
セレネは目を閉じた。
それは彼女自身が生まれるよりも昔の話だった。
まだ彼らが山奥へ身を隠すこともなく、後世にダークエルフと呼ばれることもなかった時代。
同じ祖先から生まれながら、他の者たちとは異なる力を持ってしまった人々がいた。
そして故郷を失い、追われる彼らの前に。
一頭の若い竜が現れた。
――第十九話 黒き森の民 了




