第128話 仕事なんて知らない
夜明け前。人類居住区の空はまだ暗く、東の地平だけがわずかに白み始めていた。
ほとんど人通りのない道路脇に、一台の小型悪路走行車が停まっている。Type-J。角張った五ドアの車体に高めの最低地上高。屋根には大型のルーフラックが載せられ、その中央には折り畳まれた牽引ドローンが固定されていた。
井ノ原一郎は荷室へ資材箱を積み込みながら、盛大なあくびをした。
「眠い……」
今日は朝から仕事だった。人の少ない時間に荷物を積み、さっさと現場へ向かう。それだけの予定だった。
「井ノ原さん」
背後から声がして、井ノ原の手が止まった。振り返ると天城蓮がいる。その隣にはアルベルトまでいた。
二人とも妙に身軽な格好をしている。そして、妙に楽しそうだった。
「……何です?」
「ちょっと頼みがあるんだけど」
井ノ原は数秒、二人の顔を交互に見た。
「嫌な予感しかしないんですけど」
「俺たちを外まで運んでくれない?」
「普通に乗ればいいじゃないですか」
「それだと途中で誰かに見つかるだろ」
「見つかっちゃいけないんですか?」
蓮とアルベルトが顔を見合わせた。
「……仕事がある」
「あるんじゃないですか!」
「だから見つかりたくない」
「仕事してくださいよ!」
アルベルトが腕を組んだ。
「今日は休むそうだ」
「休暇申請したんですか?」
蓮が視線を逸らす。
「今からでも休暇ってことにならないかな」
「なりませんよ!」
「仕事なんて知らない」
「最高管理者が言っちゃいけない台詞でしょう!」
井ノ原の声が、静かな道路に響いた。
◇
「狭い」
「お前が寄れ」
「アルベルト、剣が当たってる」
「お前の荷物の方が邪魔だ」
「それ俺の荷物じゃない。井ノ原さんの」
「静かにしてください!」
運転席から井ノ原が怒鳴った。
Type-Jの荷室では、積まれた資材箱と作業道具の間に蓮とアルベルトが押し込まれ、その上から大型の保護シートが被せられている。
「なんで俺が最高管理者を密輸してるみたいになってるんですか!」
「密輸じゃないって」
「じゃあ堂々と座席に座ってください!」
「見つかったら面倒だろ」
「それを普通、密航とか脱走とか言うんですよ!」
「人類居住区から出るだけだぞ」
「なお悪い!」
アルベルトが保護シートの下から言った。
「井ノ原。前を見ろ」
「誰のせいで後ろ向いてると思ってるんです!」
Type-Jはそのまま早朝の居住区を抜けていった。
人類居住区の外へ出てしばらくしたところで、井ノ原は路肩へType-Jを寄せた。
「はい。着きました」
後ろから返事はない。
「天城さん?」
「何?」
「外まで運びました。降りてください」
保護シートの隙間から蓮が顔を出した。
「え?」
「『え?』じゃありませんよ。外まで運んでくれって言ったでしょう!」
「うん」
「だから降りてください!」
「いや、ここからラウゼン領まで頼もうかなって」
「話が違う!」
アルベルトも隣から顔を出す。
「ここまで来たのだ。諦めろ」
「なんで共犯者が偉そうなんですか!」
「方向は同じようなものだろう」
「全然違いますよ!」
井ノ原はしばらく二人を睨んでいたが、やがて大きく息を吐いた。
「……本当にラウゼン領までですよ」
「ありがとう」
「その先は知りませんからね!」
Type-Jは再び走り出した。
◇
その頃、蓮の不在に気づいた美冬は、しばらく黙っていた。
「アルベルトさんも?」
『現在、人類居住区内に所在を確認できません』
「……ああ」
美冬はすぐに察した。
昨夜、黒い軽量アーマーを着込んで三本爪を出し、REGULATORの前で三点着地まで決めていた男である。完成した装備を一晩眺めて、それで満足できるとは思えない。
「たぶん、新しい装備を試しに行っただけね」
『私もその可能性が高いと判断します』
「一応、追跡調査しておいて。危ないことしてないか確認するくらいでいいから」
『承知しました。なお、井ノ原との接触時から追跡中です。』
「すべてお見通しね」
美冬はそれ以上追及しなかった。一日くらいなら好きにさせてもいい。そう思っていた。
◇
向かった先はラウゼン領北部。北方連峰の南麓に広がるガルド渓谷だった。
切り立った岩壁の間を川が流れ、その中腹にいくつもの洞窟が口を開けている。そのうち最大のものがガルド渓谷迷宮。周辺では比較的よく知られたダンジョンだった。
入口近くには簡易的な宿泊施設や商店が並び、朝から現地の冒険者たちが出入りしている。エルフの姿も多い。
アルベルトがType-Jから降り、懐かしそうに周囲を見渡した。
「変わらんな」
「詳しいんだ?」
「俺の故郷だからな。ラウゼン領の北端だ」
蓮がダンジョン入口を見る。
「危なくない?」
「奥へ行かなければな。今日は装備を試すだけなのだろう?」
「そのつもり」
後部ドアから降りた井ノ原が言った。
「じゃあ俺はここで失礼します」
「え?」
「え? じゃありませんよ。俺、仕事あるんですから」
「ここまで来たのに?」
「ここまで連れてこられたんです!」
蓮が自分たちと一緒に荷室へ持ち込んでいたケースを引っ張り出した。
「せっかくだから井ノ原さんも来ない?」
「行きません」
「装備あるよ」
「いりません」
ケースが開く。中に収められていたのは、人類製の汎用探索支援装備だった。
井ノ原が中身を見て、眉を寄せる。
「……なんで俺の分まで用意してあるんです?」
「念のため」
「最初から巻き込む気だったでしょう!」
「そんなことないって」
「目を逸らさないでください!」
Model.Loganほど特殊なものではない。だが人工筋肉による身体補助、衝撃吸収、防刃、防刺突、環境センサー、網膜へ直接送られる周辺情報など、人類側ではごく普通になった技術が惜しげもなく使われている。
現地冒険者が身につけている革鎧や金属防具とは、見た目以上に性能差があった。
「いやいやいや」
「着るだけ」
「着ません」
「危なくなったら俺とアルベルトが守るから」
「それ、安心できる人が言う台詞ですか?」
アルベルトが頷いた。
「心配するな。今日の目的は試し斬りだ」
「余計に嫌なんですよ!」
◇
結局、井ノ原も入った。
「なんでだ……」
人類製探索装備を着込みながら、井ノ原は何度目か分からない愚痴を漏らす。
一方の蓮は上機嫌だった。Model.Logan。黒を基調とした軽量アーマーが身体へ密着する。
「戦闘モード」
頭部装甲が展開した。額から目元、頬、顎へ黒い装甲がせり出し、顔の大部分を覆う。外から見えるのは口元だけだ。胸部、肩、腕、脚部には濃い山吹色のラインが走った。
「ずいぶん嬉しそうですね」
「実戦で着るのは初めてだから」
「顔が嬉しそうですよ」
「口しか見えてないだろ」
「その口が笑ってます」
蓮は腰を落とした。
「クロー展開」
左右の手甲から三本ずつAdamantium Clawsが飛び出す。蓮はわざわざ顔の横まで爪を持ち上げた。
「……いい」
「何やってるんです?」
「気にしないで」
少し離れた場所では、アルベルトが銀白色の剣を抜いた。聖剣ヴァルグラム零号。刀身に微かな光が走る。
そして当然のように、無風の洞窟内でマントがゆっくりとはためいた。
井ノ原が二人を見比べる。
「……今日、本当に大丈夫なんですか?」
◇
最初は順調だった。
小型のラプトルが三体。左右へ素早く回り込みながら襲ってきたが、Model.Loganの補助を受けた蓮には十分追える速さだった。
「来たな」
蓮が低く構える。
「何がです?」
「こういう状況」
「普通に戦ってくださいよ」
ラプトルが跳ぶ。蓮も踏み込んだ。
右腕を振った瞬間、人工筋肉が収縮する。前腕から肩にかけて黒いアーマーが大きく盛り上がり、三本爪がラプトルを弾き飛ばした。
「おお!」
「自分で驚かないでください!」
二体目が横から飛び込んでくる。蓮は身体を捻り、左の爪で迎え撃った。そのまま必要以上に大きく腕を振り抜き、最後にはわざわざ低い姿勢で構える。
「……ふっ」
「今、絶対何かになりきってますよね」
「気のせい」
アルベルトが残る一体の前へ出た。
「速さに頼るか」
ヴァルグラム零号を構える。マントがはためく。
「だが――速さだけでは、俺の剣からは逃れられん」
一閃。ラプトルが倒れた。
井ノ原が言う。
「アルベルトさんも、いちいち言わないと駄目なんですか?」
「必要だ」
「何に?」
「俺に」
蓮が頷いた。
「分かる」
「分かり合わないでください」
◇
次に遭遇したのは、大型血吸コウモリだった。
天井の暗がりから一斉に飛び出した瞬間、井ノ原の網膜へ体内ナノマシンが警告を投影する。
上方。複数接近。
「上!」
井ノ原の声に蓮が反応し、アルベルトが剣を振る。
数分後には数体の大コウモリが地面に転がっていた。
近くを通りかかったエルフの冒険者が足を止める。
「それ、持って帰らないのか?」
井ノ原が振り返った。
「食えるんですか?」
「うまいぞ。少し癖はあるが、肉は高く売れる」
井ノ原の目が変わる。
「売れる?」
「売れる」
「持って帰りましょう」
蓮が笑った。
「急にやる気出したな」
「せっかく来たんですよ。何か回収しないと割に合いません」
「どうやって運ぶ?」
「車に牽引ドローンがあります」
「取りに戻る?」
「呼べます」
井ノ原が意識をType-Jへ向ける。ナノマシンを介して視界の端に車両状態が浮かんだ。
ルーフラック。牽引ドローン。接続正常。
発進。
ダンジョン入口に停められたType-Jの屋根で固定機構が外れ、薄く折り畳まれていた灰色の牽引ドローンが展開する。そのまま浮上した機体は自動航法へ移行し、迷宮内部へ向かった。
「便利だな」
数分後、通路の奥から飛んできたドローンを見て蓮が言った。
「仕事用です」
「今日は肉運搬用だな」
「だから勝手に用途を変えないでください」
大コウモリ数体がネットに固定され、地面すれすれの高さで牽引される。井ノ原は少しだけ満足そうだった。
◇
問題が起きたのは、その少しあとだった。
「……多くない?」
蓮が言った。
「多いな」
アルベルトが答える。
広い地下空間のあちらにも、こちらにも、コボルトがいた。数十体。
「これ、モンスターハウスじゃないですか!?」
井ノ原の声が裏返った。
「まあ……コボルトだし」
蓮が三本爪を構える。
「装備試験にはちょうどいい」
「そういうこと言うから嫌な予感するんですよ!」
コボルトの群れが押し寄せた。
蓮は真正面から突っ込み、爪で武器を弾き、肩から一体を吹き飛ばし、別の一体を蹴り飛ばす。人工筋肉が収縮するたびに黒いアーマーの輪郭が一瞬だけ大きくなった。
「結構いける!」
「調子に乗るな」
アルベルトが忠告する。
「分かってるって!」
その直後、背後から一体のコボルトが飛び込み、蓮の膝裏へ体当たりした。
「うわっ!?」
体勢を崩した蓮が倒れる。そこへ二体、三体、五体。次々とコボルトが飛び乗ってきた。
「ちょっ、待て!」
棍棒が装甲へ叩きつけられる。石斧が肩へ落ち、別の一体が腕へ噛みついた。Model.Loganはそのすべてを受け止めているが、上に乗られる数が増えすぎて起き上がれない。
「天城さん!」
「大丈夫!」
黒い装甲の姿は、ほとんどコボルトの山の下に消えていた。
「痛くはない! けど――増えるな! 重いんだよ!」
アルベルトは一瞥した。
「防御性能は十分だな」
「助けてやってくださいよ!」
「本人が大丈夫と言った」
「そういう問題ですか!?」
コボルトの山の下で、蓮が両手を床についた。
人工筋肉の出力を一気に上げる。腕、肩、背中、脚。黒いアーマーの輪郭が内側から押し広げられるように膨れ上がった。
「ふ、ざ、け、る、な――!」
蓮が全身を使って立ち上がる。
「なんなんだー!」
次の瞬間、覆いかぶさっていたコボルトが四方八方へ吹き飛んだ。数体は床を転がり、そのまま壁際まで滑っていく。
蓮はその中心で立ち上がった。Model.Loganには目立った傷すらない。
「……酷い目に遭った」
少し離れたところで、アルベルトが目の前の一体をヴァルグラム零号で斬り伏せた。マントが優雅に翻る。
「天城」
「何だよ」
「まだまだ精進が必要だな」
「俺はただの技術者なんだよ!」
「俺は背後を取られていない。それに、敵に押し倒されてもいない」
「もういい!」
井ノ原が二人を見比べた。
「これ何の勝負なんです?」
◇
群れはかなり減り、残っているコボルトも数体。その中に、周囲より明らかに小柄な個体がいた。
蓮が井ノ原を見る。
「井ノ原さん」
「嫌です」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かります」
「一匹やってみたら?」
「嫌ですよ!」
アルベルトも言った。
「いい機会だ。装備の性能を知っておくべきだろう」
「なんで俺まで試験対象なんですか!」
「あの小さいのなら大丈夫だって」
「魔物でしょう!?」
「俺たち見てるから」
「今日のお二人の『大丈夫』、一回も信用できませんよ!」
結局、井ノ原は武器を構えた。
「本当に危なくなったら助けてくださいよ」
「もちろん」
「絶対ですよ」
小柄なコボルトが突進する。
「うわっ!」
井ノ原が反射的に身体を捻った。人工筋肉補助が動き、自分で思っていたより速く身体が動く。
振った武器がコボルトを捉え、相手が倒れた。
井ノ原が固まる。
「……倒した?」
「倒したね」
蓮が拍手すると、アルベルトも頷いた。
「悪くない」
「俺が?」
「うん」
井ノ原は倒れたコボルトを見つめた。ほんの少しだけ口元が緩む。
蓮は見逃さなかった。
「もう一匹いく?」
「行きません!」
◇
「今日は妙に当たるな」
アルベルトが言った。
「何が?」
「面倒事だ」
その視線の先、暗い通路の奥から地響きが聞こえてきた。
やがて巨大な影が現れる。二本の角。人間を遥かに上回る巨体。分厚い胸板と太い腕。そしてその手には、並の人間なら持ち上げることすらできそうにない巨大な戦斧が握られていた。
蓮の口元から笑みが消えた。
「……ミノタウロス」
「知っているのか?」
「前に一人で戦った」
井ノ原が一歩後ずさる。
「比較的安全なダンジョンって話じゃなかったんですか!?」
「普段はそうなんだよ!」
対してアルベルトは、むしろ嬉しそうに銀白色の剣を持ち直した。
「ちょうどいい」
「アルベルトさんまで!」
「こいつならヴァルグラムの試験には不足ない」
ミノタウロスが咆哮した。岩壁が震えるほどの声とともに巨体が踏み込み、巨大戦斧が頭上高く持ち上げられる。
「アルベルト、まともに受けるな!」
「受けるつもりはない。斬る」
アルベルトは一歩も退かなかった。
振り下ろされる戦斧に対し、ヴァルグラム零号を斜めに振り上げる。巨大な鉄塊と細身の銀白色の剣が交差した。
耳を塞ぎたくなるような衝突音を蓮は予想したが、聞こえたのは金属を薄い板でも裂くような短い音だけだった。
巨大戦斧の刃が宙を舞う。
斧頭の根元から柄の一部までが斜めに切断されていた。切断面は潰れも歪みもなく、磨いたように平滑だ。
重い斧頭が数メートル先の床へ落ち、岩盤を砕く。
「……は?」
蓮が間の抜けた声を出した。
アルベルトもヴァルグラム零号へ一瞬だけ目を落とす。
「今のを斬ったのか」
「お前が斬ったんだろ!」
「受けた感触がほとんどない」
ミノタウロスは手元に残った柄を一度見たあと、それを投げ捨てた。
それだけだった。怯みもしなければ、逃げる様子もない。
巨体が低く沈み、次の瞬間にはアルベルトへ突っ込んできた。
「来るぞ!」
アルベルトが横へかわす。すれ違いざま、ヴァルグラム零号が右から左へ走った。
ミノタウロスの右前腕が、肘より少し下から落ちた。
それでもミノタウロスは止まらない。
身体を捻った勢いのまま、残った左拳をアルベルトへ叩き込んだ。
「っ!」
アルベルトは上体を反らして拳をかわした。巨大な拳が鼻先を掠め、風圧で髪が揺れる。
「しぶといな」
左拳をかわし、ほんの一瞬だけアルベルトの動きが緩んだ。
「アルベルト、もう一発来るぞ!」
蓮の声が飛んだ。
アルベルトの目が動く。
ミノタウロスは前腕を失った右腕をすでに振りかぶっていた。
「何――」
血に濡れた切断面が、そのまま横殴りに迫る。
アルベルトは咄嗟に膝を折った。
断端が頭上を薙ぎ、空気を鳴らす。マントが風圧で大きく翻った。
「……腕がないのに殴ってくるのか」
「そういう奴なんだよ!」
避けられたミノタウロスは、そのまま身体を回転させた。今度は太い脚がアルベルトの胴を狙って横薙ぎに飛んでくる。
アルベルトは後方へ跳んだ。
蹴りは届かなかったが、足先が床の石を削り飛ばした。砕けた破片が井ノ原の装甲へぱらぱらと当たる。
「拳、腕、今度は蹴りか」
アルベルトがヴァルグラム零号を構え直す。
「次は何だ?」
「たぶん全部だ!」
蓮の返事を聞いたかのように、ミノタウロスが低く唸った。
頭を下げる。
二本の角がアルベルトへ向いた。
「ああ、次はそれか」
「感心してる場合じゃない!」
ミノタウロスが床を蹴った。
巨体そのものを武器にした突進だった。角を正面へ突き出し、岩壁さえ突き崩しそうな勢いでアルベルトへ迫る。
アルベルトは動かなかった。
「アルベルト!」
「分かっている」
ぎりぎりまで引きつける。
ミノタウロスの角が胸元へ届く直前、アルベルトは片足を軸に半身を開いた。
角が脇を抜ける。
巨大な頭部。その後ろに、むき出しになった首筋。
そこへ銀白色の刃が走った。
ヴァルグラム零号は、まるで何もない空間を通過したかのように振り抜かれた。
ミノタウロスはそのまま数歩走った。
頭部だけが僅かに遅れて傾く。
次の瞬間、首がずれた。
巨大な頭が床へ落ち、続いて身体も前のめりに崩れ落ちた。凄まじい重量が岩盤を震わせ、土埃が舞い上がる。
それでも三人はしばらく動かなかった。
さすがのミノタウロスも、首を失ってまで殴ってくることはなかった。
「……終わった?」
井ノ原が恐る恐る聞いた。
「たぶんな」
蓮も慎重だった。
「『たぶん』なんですか?」
「ミノタウロスだから」
「嫌な説得力がありますね!」
アルベルトはそんな二人をよそに、ヴァルグラム零号を目の高さまで持ち上げた。
巨大戦斧を両断し、ミノタウロスの前腕を斬り落とし、最後にはあの太い首を一撃で断った。それでも銀白色の刀身には刃こぼれ一つなく、曇りすら見えない。
「……聖剣?」
口元をわずかに歪める。
無風の迷宮でマントが静かにはためいた。
「これはもはや魔剣だ」
蓮が倒れたミノタウロスとヴァルグラム零号を見比べた。
「いや、本当にちょっと怖いな、それ」
「実にいい魔剣だ」
「気に入ってるじゃん」
「気に入らない理由があるか?」
少し離れたところで、井ノ原がため息をついた。
「……簡単な装備試験って、何だったんですか?」
◇
帰路、牽引ドローンの荷物はさらに増えていた。大型血吸コウモリ数体に、その他換金できそうな素材。
井ノ原がため息をつく。
「仕事するより疲れた……」
「楽しかっただろ?」
「天城さんはでしょう」
蓮は否定しなかった。口元がずっと緩んでいる。
◇
人類居住区へ戻った頃には、すっかり日が傾いていた。
三人が最初に向かったのは地球家だった。
「うまい」
蓮がラーメンをすすった。一日動き回った身体に、熱いスープが染みる。
井ノ原も無言で麺を食べている。
「結局、井ノ原さんも楽しんでたじゃん」
「ラーメンがうまいだけです」
「コボルト倒した時、ちょっと嬉しそうだった」
「気のせいです」
「もう一匹いけたな」
「行きません!」
向かいでは、アルベルトがラーメンをすすったあと、隣に立てかけた銀白色の剣へ目をやった。
「しかし天城」
「ん?」
「この魔剣ヴァルグラム、本当に俺が使っていていいのか?」
「もう魔剣で定着したの?」
「聖剣と呼ぶには斬れすぎる」
「まあ、アルベルトに使ってもらうつもりで作ったようなもんだし。いいんじゃない?」
「ミスリルとアダマンチウムを使っているのだろう」
「使ってる」
「貴重なのではないか?」
「今は作れるから大丈夫、大丈夫」
井ノ原の箸が止まった。
「……天城さん」
「何?」
「それ、ちゃんと正式な手続き通して作った物ですよね?」
「……」
「なんで黙るんです?」
「ラーメン伸びるぞ」
「話を逸らさないでください!」
アルベルトが魔剣ヴァルグラムを見る。
「返した方がいいか?」
「いいって。使って」
「本当に?」
「大丈夫、大丈夫」
「その言葉、今日何回聞いたと思ってるんです?」
◇
「いやあ……楽しかった」
地球家を出た蓮は、本当に満足そうだった。
Model.Loganは想像以上。Adamantium Clawsも使えた。人工筋肉の出力も十分。モンスターハウスに埋められはしたが、防御性能まで確認できた。アルベルトもヴァルグラム零号――いや、魔剣ヴァルグラムをすっかり気に入った。
「また行こうな」
「俺は行きませんからね」
井ノ原が即答する。
「次はもう少し深いところ――」
「行きません!」
「井ノ原も意外と使えたぞ」
アルベルトが言った。
「褒めても行きません!」
三人はそんなことを話しながら人類居住区へ戻った。
蓮はまだ笑っていた。
だが、自宅へ続く道の前に二人の人影が立っていた。
柳原。そして美冬。
蓮の笑顔が止まる。
「……ただいま」
「おかえり、蓮」
美冬は笑っている。笑っているのだが、何かがおかしい。
柳原が腕を組んだ。
「天城くん」
「はい」
「楽しかったか?」
「……はい」
「そうか。それはよかった」
蓮が少しだけ安心する。
「一日くらい休むのは構わん」
「ですよね」
「私もそう思う」
美冬も言った。
「よかった――」
「だから」
二人の声が重なった。
蓮が止まる。
美冬が続けた。
「なんで何も言わずに荷物に隠れて出ていく必要があるの?」
「……」
柳原も言う。
「休みたいなら、休むと言え」
「……はい」
「止めると思ったのか?」
「ちょっとだけ」
「止めん。一日くらいならな」
「……はい」
美冬の視線が井ノ原へ向く。
「しかも井ノ原さんまで巻き込んだの?」
「俺は被害者です」
即答だった。
「早いな!」
「被害者です」
アルベルトが静かに一歩後ろへ下がる。
「では、俺はこれで――」
「アルベルトさんも」
美冬に呼び止められ、アルベルトの足が止まった。
「……俺もか?」
「共犯でしょう?」
「む……」
蓮は空を見上げた。
今日一日、本当に楽しかった。久しぶりに仕事のことをほとんど考えず、新しい装備で遊び、ダンジョンへ潜り、最後にはラーメンまで食べた。
最高の休日だった。
「天城くん」
「はい」
「こっちへ」
「……はい」
つい数分前まで浮かんでいた蓮の笑顔は、きれいに消えていた。
――第百二十八話 了
【作者よりお願い】ここまでお読みいただきありがとうございます!もし「続きが気になる」「おもしろい」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、評価の【☆☆☆☆☆】をタップして応援していただけると、執筆の大きな励みになります!




