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第123話 遊園地という名の実験場

 JANUSへ向かった一般開放記念便が地上へ戻ってきたのは、昼を少し回った頃だった。


 宇宙から帰ってきた者たちは興奮が冷めないまま、SHINAR CITYへ散っていく。家族や友人を見つけては、宇宙から見たアルセリアがどれほど小さかったか、足元まで消えたクライマーがどれほど凄かったかを、身振り手振りを交えて話していた。


 一方、その間ずっと地上に残っていた者たちもいる。


 記念便が宇宙へ上がるなりアトラクション区画へ消えていたレモちゃんと、その周囲に集まった子供たちだった。


「遅いぞ!」


 帰ってきた蓮たちを見つけるなり、レモちゃんが胸を張った。


「もう三つ乗ったぞ!」


「こっちは宇宙まで行ってきたんだけど」


「妾はあれに二回乗った!」


 レモちゃんが指差した先から、ちょうど大きな悲鳴が降ってきた。


      ◇


 空へ突き刺さるように二本のレールが伸びていた。


 その先端は地上二百メートル近くまで達し、そこからほとんど垂直に落ち込んでいる。


『コースター「雷鳴」へようこそ。全長千八百メートル、最大落差二百メートル、最高時速百九十キロメートル。地球で使用されていた固定レール式コースターを参考に設計されています』


 エドガルがレールを見上げた。


「……あれを走るのか」


「走るというより、落ちるように見えますね」


 隣のミレアも顔を上げている。


『乗客は機械式拘束具と補助重力制御によって二重に保護されます。慣性制御は人体の安全限界を超える場合のみ介入し、加速感および遠心力は可能な範囲で保持されます』


「つまり?」


 エドガルが娘を見る。


「怖いところは、そのまま残してあるみたいです」


「なぜだ」


「それを楽しむものなので」


 ミレア自身も完全には納得していない顔だった。


 少し離れたところでバルガが鼻を鳴らす。


「安全なら問題ない」


「乗るんですか?」


「何のためにここまで来た」


 その時、発車地点で短い警告音が鳴った。


『発車します』


 車両が撃ち出された。


 リニア加速によって一気に速度を上げ、そのままほとんど垂直に見えるレールを駆け上がっていく。


 頂点。


 一瞬だけ止まったように見えた。


 そして落ちた。


「うわあああああああ!」


 悲鳴が空から降ってくる。


 二百メートル近い高低差を一気に駆け下り、その勢いのまま大きく旋回する。身体が座席へ押しつけられ、次の瞬間には腹の底が浮き上がる。


 重力と慣性の制御は働いている。


 ただし、危険な領域だけを削り、遊びとして感じられる加速はあえて残されていた。


 その最前列。


「もっと速くじゃ!」


 レモちゃんが両手を上げて大喜びしていた。


「レモちゃん! 身を乗り出さないでください!」


 後方から付き添いのエルフ職員の悲鳴が聞こえる。


「分かっておる!」


 分かっているようには見えなかった。


 地上から眺めていたバルガが言う。


「面白そうだな」


「乗るんですか?」


「二回乗る」


 蓮が横を見る。


「まだ一回も乗ってないじゃん」


「見れば分かる」


 その隣では、まったく対照的な乗り物がゆっくりと空中を進んでいた。


『初心者向け空中遊覧「そよ風」』


 小さな乗り物が地面から数メートル浮かび、幼い子供たちを乗せてのんびりと周回している。


 窓から小さな手が振られていた。


「差がすごいですね」


 美冬が言った。


「全員に雷鳴乗せるわけにはいかないから」


「当たり前です」


      ◇


 少し先では、細長い塔の周囲に人だかりができていた。


《GRAVITY ZERO》


 高さは百メートルほど。


 塔の最上部から、自分の意思で何もない空間へ踏み出す。


 ちょうどセレネが落下していた。


 白い髪が上へなびく。


 地面が迫る。


 だが衝突する寸前、落下速度が滑らかに失われた。そのまま数十センチだけゆっくりと降下し、セレネは何事もなかったように両足で着地する。


「もう一回やる」


「早いな」


 蓮が言った。


「面白い」


 それで十分らしい。


 塔の上では、正装姿のアルベルトが順番を待っていた。


「重力という星の束縛から一時的に身を解き放ち――」


「アルベルト」


 下からセレネが呼んだ。


「何だ?」


「早く飛べ」


「……分かった」


 アルベルトは塔の縁へ立った。


 一度だけ下を見る。


 そして一歩踏み出した。


 そのまま垂直に落ちる――かと思った瞬間、身体をひねる。


 一回転。


 さらに横へ回る。


 縦と横の回転を組み合わせ、身体を大きくきりもみさせながら落下していった。


「おおっ!」


 見ていた子供たちから歓声が上がる。


 アルベルトは途中でもう一度身体を反転させ、今度は頭から地面へ向かう姿勢になった。


 地面まで、あとわずか。


 落下速度と回転が一気に減衰する。


 アルベルトは空中で身体を起こし、そのまま両足で静かに着地した。


 そして顔を上げる。


 風ひとつないのに、正装の上着が背後へファサーッとはためいた。


「かっこいい!」


「もう一回!」


 子供たちから大歓声が上がる。


 アルベルトが満足そうに胸を張った。


「そうだろう」


「調子に乗った」


 セレネが言った。


      ◇


 その隣には、なかなか列の進まない建物があった。


 中の処理が遅いわけではない。


 出口から出てきた客が、その場でしばらく動けなくなるのだ。


 古い地球の洋館を模した建物。


 尖った屋根。


 曇った窓。


 風もないのに時折軋む玄関扉。


《Nightmare House》


 一人のエルフが青い顔で壁に手をついている。


「……二度と入らん」


 その後ろから出てきたダークエルフは、しばらく歩いてから突然振り返った。


「後ろに誰もいないよな?」


『いません』


 近くを飛んでいた案内ロボットが答える。


「本当に?」


『はい』


 それでも何度か後ろを確認しながら去っていった。


 入口には注意書きが表示されていた。


《本アトラクションでは、心拍、視線、脳波による緊張反応などを利用し、演出内容をリアルタイムで調整します》


《個人の記憶および思考内容を読み取るものではありません》


《暗所、突然の音響、疑似生物、追跡演出などを含みます》


《強い不安反応が検出された場合、演出強度を自動的に低下させます》


 人間の若者が説明を読んでいた。


「絶対嫌だ」


「でも並んでますよ」


 入口のエルフ職員が言った。


「友達に誘われたんだよ! 断れなかったんだ!」


 その時、出口からエドガルが出てきた。


「父上?」


 ミレアが駆け寄る。


 エドガルは明らかに顔色が悪かった。


「……あれは卑怯だ」


「何が出たんです?」


「言わん」


「何が?」


「言わんと言っている」


 ミレアが少し笑った。


「では、もう一度」


「絶対に入らん」


 その横をレオニアスが近衛四人とともに通り過ぎる。


「陛下」


 近衛の一人が小声で言った。


「こちらは、あまりお勧めできないかと……」


「なぜだ?」


「先ほどから、皆あのような顔で出てきております」


 レオニアスはエドガルを見る。


 エドガルが視線を逸らした。


「ならば入ってみよう」


「陛下」


「お前たちも来るのだろう?」


 四人の近衛が黙った。


      ◇


 十分ほどして、扉が開いた。


 最初に出てきたのはレオニアスだった。


 歩き方は普段と変わらない。


 ただ、出口を出たところで一度だけ洋館を振り返った。


「……よくできているな」


 入口にいた職員が尋ねる。


「いかがでしたか?」


「驚きはした」


「どの演出が一番?」


「それを言ってしまえば面白くあるまい」


 その後ろから近衛四人が出てくる。


 一人は無言。


 一人は顔が引きつっている。


 一人は何度も後ろを確認していた。


 最後の一人だけが妙に平然としている。


 蓮がその男を見る。


「大丈夫だった?」


「はい」


「強いな」


「途中から目を閉じておりましたので」


「それ意味ある?」


      ◇


 巨大な白い球体の前にも長い列ができていた。


《CELESTIA》


 外から見るだけでは何をする施設なのか分からない。


 内部へ入ると、緩やかな段差をつけた円形の室内に、同心円状に座席が並んでいた。


 一回三百人。


 中央に近い座席へレオニアスたちは案内される。


「陛下、退出経路に近い席もございますが」


「中央でいい」


「しかし」


「こちらの方がよく見えるのだろう?」


「……はい」


 近衛は諦めた。


 全員が席に着くと、正面の壁が暗くなった。


 やがて、そこへSHINAR CITYの景色が映し出される。


 レオニアスがわずかに目を細めた。


「……BABELのクライマーに似ているな」


「はい」


 案内を担当していた職員が答えた。


「ただし、こちらは外を見るためのものではありません」


 レオニアスが正面を見る。


「では、何を見る?」


「これからです」


 照明が落ちた。


 正面だけだった景色が左右へ広がる。


 さらに天井へ。


 そして床へ。


 室内そのものが、ゆっくりと消えていった。


「ほう」


 レオニアスが小さく声を漏らす。


 数時間前、BABELのクライマーでも似た感覚を味わっている。


 だが、今度は現実の外景ではない。


 巨大な影が頭上を横切った。


 翼。


 鱗。


 そして、巨大な竜が姿を現す。


 気がつけば、自分たちはその背中に乗っていた。


 眼下にはSHINAR CITY。


 竜が羽ばたく。


 座席がわずかに傾き、頬に風が当たった。


 竜は急上昇する。


 街が小さくなっていく。


 BABELが遠ざかる。


 やがて竜そのものが光へ溶け、身体がわずかに軽くなった。


「おお……」


 実際には座席へ固定されたまま。


 だが、映像と重力制御、風、音響が組み合わさり、本当に空中へ投げ出されたように感じられる。


 そして宇宙へ出た。


 星々。


 小惑星。


 次に巨大なガス惑星が現れる。


 その周囲を、途方もなく大きな環が取り巻いていた。


 地球時代の観測記録とシミュレーションから再構成された、遥か彼方の世界だった。


 その環へ飛び込む。


 大小無数の氷塊が周囲を流れていく。


「うおお……」


 三百人分の息を呑む声が重なった。


 次に現れたのは主星。


 巨大な対流が表面をうねり、プロミネンスが空間を横切る。


 眩しいほどの光が球体全体を満たした。


 光が弾ける。


 気がつけば、再び竜の背中だった。


 眼下にはSHINAR CITY。


 竜はゆっくりと街へ降りていく。


 照明が戻った。


 数秒の沈黙。


 やがて拍手と歓声が球体の中を満たした。


 レオニアスは、しばらく席を立たなかった。


「……なるほど」


 近衛が尋ねる。


「陛下、いかがでしたか?」


「一人で見る夢と、皆で見る夢は違うというわけか」


 少し考えてから続けた。


「もう一度見てもいいな」


      ◇


 CELESTIAを出たところで、レオニアスが柳原を呼び止めた。


「柳原殿」


「はい」


「王都にも造れるか?」


「何をです?」


 レオニアスが周囲を見回した。


 遠くでは「雷鳴」から悲鳴が響き、GRAVITY ZEROでは次の客が塔から落ちている。


 巨大な観覧車も、ゆっくりと回り続けていた。


 背後にはCELESTIA。


「全部だ」


「全部ですか」


「映画館も欲しいと思っていたが、これも悪くない」


 柳原はしばらく考えた。


「その前に、王都までの幹線道路を整備しましょう」


 レオニアスが黙る。


「……道路か」


「まず道路です」


「遊技施設ではなく?」


「道路です」


「そうか」


 ほんの少し残念そうだった。


 柳原が小さく息をついた。


「……どうしてもというのでしたら」


 レオニアスが顔を上げる。


「普通の映画館でしたら、特別に検討できるかもしれません」


「本当か?」


「映画館だけです」


「分かった」


 返事が早かった。


「ただし、道路整備が先です」


「分かっている」


 今度の返事は、少しだけ遅かった。


      ◇


 その頃、アトラクション管理棟では、壁一面に数字が流れていた。


 利用人数。


 待ち時間。


 年齢層。


 混雑の発生位置。


 案内ロボットへの問い合わせ内容。


 各アトラクションでの加速度への反応や、表示方式の使いやすさ。


 膨大なデータがリアルタイムで更新されている。


 柳原が蓮の横から表示を覗き込んだ。


「……天城君」


「何です?」


「これ、遊園地ですよね?」


「そうですよ」


「重力制御の実地運用」


「はい」


「慣性制御の個人差確認」


「やってますね」


「現地住民向けの操作表示や案内方法の評価」


「それも」


「数万人規模の群衆誘導」


「案内ロボットのいい試験になります」


 柳原が蓮を見る。


「遊園地というより、実験場じゃないですか」


「遊園地ですよ」


 横にいたナミが淡々と補足した。


「利用者の同意を得た範囲で、個人を特定できない形に処理した運用データを収集しています」


「ほら」


 柳原が言った。


「実験場じゃないですか」


「遊園地です」


「そこは譲らないんですね」


「遊んでもらえて、今後の設備にも役立つなら両方得じゃないですか」


 柳原はしばらく表示を眺めた。


「……役に立つこと自体は認めます」


「でしょう?」


「ただし、遊園地の建設枠で技術開発まで始めないでください」


「そこは分けてますよ」


「本当に?」


 蓮は答えなかった。


「天城君」


      ◇


 夕方。


 巨大な観覧車が、ゆっくりと回っていた。


 完成式当日のSHINAR CITYは、まだどこへ行っても人で溢れている。


 商業地区も、飲食店も、アトラクション区画も混雑したまま。休憩所でさえ、空いている席を探す方が難しかった。


 そんな中で、四人がようやく座って話せる場所が観覧車だった。


 一つのゴンドラに、蓮、柳原、美冬、ナミが乗っている。


 ナミも普通に座席へ腰掛け、窓の外を眺めていた。


 ゴンドラがゆっくり上昇するにつれ、SHINAR CITYの全景が広がっていく。


 中央広場。


 ホテル。


 商業地区。


 アトラクション区画。


 「雷鳴」のレールを車両が駆け抜けるたび、遠くから小さな悲鳴が聞こえた。


 CELESTIAの前には、まだ長い列がある。


 その向こうでは、昼間から歩き回っていた人々が、今も街の中を行き交っている。


 やがてゴンドラが高い位置へ近づいた。


 窓の向こうにBABELの全景が見える。


 夕日を背に、地上から宇宙まで一本につながっていた。


「やっとここまで来たな」


 蓮が呟いた。


 柳原もBABELを見上げる。


「やっと、と言っている場合でもありませんけどね」


「NOAH?」


「ええ」


 蓮が少し黙った。


 通信を始めた頃には、まだ先の話に思えた。


 だが、その距離は確実に縮まり続けている。


「あと一ヶ月くらいか」


「一ヶ月ほどです」


 美冬が答えた。


 百万人。


 二千五百年以上を船の中で生き続けてきた人々が、この星へやって来る。


 蓮は夕焼けの向こうへ視線を向けた。


「……まだ一ヶ月ある」


 柳原がBABELを見上げたまま言う。


「準備する側には、もう一ヶ月しかありませんよ」


「分かってる」


 蓮は短く答えた。


 しばらく誰も喋らなかった。


 地上の喧騒は遥か下にある。


 ゴンドラの中だけは、今日一日の騒がしさが嘘のように静かだった。


 美冬が窓の外を眺めながら、ぽつりと言った。


「……なんで私たち、観覧車に乗ったんですかね」


 蓮は背もたれに身体を預けた。


「やっとゆっくりできたから、いいじゃないですか」


     ――第百二十三話 了

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