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第122話 JANUSへ

 扉の向こうから流れ込んできていたざわめきが、中央広場へ出た途端、音の壁になった。


 演台の正面だけではない。見渡す限りの観覧区域、後方の建物の屋上、商業地区へ続く通路まで、人で埋まっている。式典を待たずにアトラクションへ向かった者が相当数いるはずなのに、だ。


 上空では白い案内ロボットが休みなく航路を変えている。


『中央通路には立ち止まらないでください。観覧区域へお進みください』

『記念便ご搭乗予定の方は、集合時刻をご確認ください』


 演台の左右には巨大な表示面。遠くからでも壇上が見える。


 来賓席にはレオニアスと王族、五人の領主、ベルグのバルガたち。グレゴールの近くには、正装したアルベルトがいる。いつもの剣も外套もない。


 少し離れて、それを眺めるセレネが呟いた。


「似合わないな」


「会って最初にそれか」

「剣がない」

「今日は式典だからな」

「落ち着かないだろ」


 アルベルトは一瞬だけ間を置いた。


「……少しな」


 セレネは満足そうに頷いた。


 白い制服のエルフ女性職員が進行席へ立つ。手元の表示を一度確認してから、広場の隅まで通る声で言った。


「ただいまより、BABEL完成記念式典を開始いたします」


 ざわめきが引いていく。


「はじめに、人類自治政府議長、柳原よりご挨拶申し上げます」


      ◇


 柳原はすぐには話し始めなかった。広場を見渡す。人間よりはるかに多いエルフ、ゴブリン、ダークエルフ。降り立ったばかりの頃には想像もしなかった光景だ。


「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」


 一度頭を下げる。


「BABEL本体はすでに完成しています。試験も終わり、JANUSへの輸送も始まっています」


 背後に、地上から宇宙へ伸びるBABELと、その先のJANUSが映る。


「今日を一つの区切りとして、これまで関係者だけが使っていた道を、皆さんにも開きます」


 拍手。


「ただ、あれほど大きなものを造って、自分たちの暮らしに何の役に立つのか。そう思う方もいるでしょう」


 小さな笑い。


「正直な話、BABELは明日から畑仕事を楽にしてくれません。隣町へ行くのに、わざわざ宇宙まで上がる必要もない」


 はっきりとした笑いが起きた。


「理由は単純です。人が増えれば、電力が足りなくなる。街が増え、工場が増え、BABEL自身を動かすにも、今以上の電力がいる。その答えが、あれです」


 表示が切り替わる。主星へ向かう一本の航路と、そこを進む光点の群れ。


 広場がざわめく。


「これは完成予想図ではありません。今、この瞬間にも主星へ向かっている、最初の発電衛星群です」


 どよめきが広がった。


「主星の近くで得た大量のエネルギーを、この星まで届けるための設備です。これから数を増やしていきます」


 柳原は言葉を切って、広場を見渡した。


「それらが稼働すれば、EDEN――いえ、アルセリア全域へ、安定した電力を届けられるようになります。そう遠い未来の話ではありません」


 誰も笑わなかった。領主たちの表情が変わる。


「資材を宇宙へ運び、造り、維持するために、地上と宇宙を結ぶ安定した道がいる。その道が、BABELです」


 BABELを見上げる。


「電力だけではありません。宇宙でしかできない製造、観測、そしてこの星の外へ進む時の出発点にもなる」


 そして、白い制服で働く現地職員たちへ視線を向けた。


「そしてこれは、人類だけで造った道ではありません。すでにここでは、この星で生まれた多くの人が働いています」


 その中にミレアの姿もあった。


「これから何に使い、どこまで広げるのか。それも、この星で暮らす皆さんと一緒に考えていきたい。今すぐ生活を変える施設ではない。いつか、造っておいてよかったと思ってもらえるものにしたい。それが、私たちの考えるBABELです」


 静寂のあと、大きな拍手が広場を包んだ。


      ◇


「続きまして、天城蓮よりご挨拶申し上げます」


「俺も?」


 蓮が小声で言う。美冬が横を見る。


「今さら何を言ってるんですか」

「柳原さんが全部言ったじゃん」

「行ってください」


 蓮は演台へ出た。右も左も人だ。


「えー……完成しました」


 さらに静かになる。柳原が横で顔を伏せる。


「試験も終わってます。もう関係者も貨物も普通に行き来してるので、今日突然動き始めるわけじゃないです。ただ、今日からは皆さんも乗れます」


 歓声が上がった。


「以上です」


「短い!」


 広場に笑いが広がる。


「柳原さんが全部言ったから!」


      ◇


 演台の前へ、白と金のテープが張られた。六人が並ぶ。


 柳原、蓮、白い衣装のナミ、アルセリア王レオニアス、アウレリウス・アルセリア、職員代表のミレア、ベルグ代表のバルガ。


 ミレアはエドガルの娘でもあるが、ここに立っているのは職員代表としてだ。


「それでは、BABEL完成と一般開放を記念し、テープカットを行います。三、二、一――」


 六本の鋏が同時に閉じた。


 白と金のテープが切れる瞬間、ファンファーレが鳴り、乾いた破裂音が連続する。


「おおっ!」


 青空に色煙が咲いた。赤、青、黄、白。昼花火だ。光ではなく煙そのものが空を彩る。重力制御下のためか、煙は風に流されながらも真っ直ぐに立ち、雲を貫くBABELの周囲へゆっくりとたなびいた。


 大歓声。上空の案内ロボットは退避航路へ。


 巨大表示が切り替わる。


《BABEL 一般開放》


 ナミの声が街全体へ響く。


『BABEL全系統、正常。JANUS側、旅客受け入れ準備完了。一般旅客運用を開始します』


      ◇


『記念便ご搭乗のお客様は、地上ターミナルへお進みください』


 式典が終わった途端、街が動き出す。


『第一旅客フロアはこちらです』

『第二旅客フロアは青色表示に』

『第三旅客フロアは西側ゲートへ』


 記念便は来賓専用ではない。王族、五領主、ベルグ、ダークエルフ、人類側関係者、そして事前に枠を得た一般客。合わせて八千人超が同じクライマーへ乗り込む。一便九千人近い定員に対し、まだ余裕がある。


 クライマー内部に入った途端、一般客から驚きの声が上がる。三層の旅客フロア、中央を貫く巨大なテザー。


「ここに八千人も乗るのか」

「それでも余ってるんだぞ」


 エルフの親子が四点式ハーネスを見る。


「これ、全部締めるの?」

「はい。落ちないためではなく、万一の際にも身体を安全に固定するためです」


 少年は納得したような顔でベルトを締めた。


 来賓フロアでは、正装のままハーネスを締めるアルベルトをセレネが見ていた。


「やっぱり変だな」

「まだ言うのか」


『全旅客の着席を確認。気密正常。生命維持系正常。重力制御系、慣性補償系正常。JANUS側、受け入れ準備完了。一般開放記念便、上昇を開始します』


 衝撃も加速感もほとんどない。


「……動いたのか?」


 直後、外周壁いっぱいにSHINAR CITYの映像が現れた。中央広場、ホテル、商業地区、そして巨大な二軸の観覧車。先ほどまで歩いていた街が小さくなっていく。


 しばらくしてレオニアスが言った。


「ずいぶん本物らしく見えるものだな」

「外のセンサー映像をそのまま映してます」


 蓮が答え、柳原が顔を上げる。


「天城君」

「まだ何もしてませんって」


 レオニアスが興味を示す。


「他にも見せ方があると聞いたが」

「壁だけでなく床と天井まで外部映像にできます。室内が消失したように見える機能です」


 レオニアスの目が細くなる。


「見てみたい」


「陛下、床まで消えますよ」

「実際に消えるわけではあるまい? なら問題ない」


「ナミ、このフロアだけ全周透過」

「最高管理者権限を確認。全周透過表示へ移行します」


 最初に壁の境目が消え、景色が360度に広がる。次に天井。青空が頭上まで続く。最後に――床。


「うおっ!」


 遥か下にアルセリアの大地。座席だけが空中に浮かんでいるように見える。


 レオニアスも足元を見る。声は落ち着いているが、肘掛けを握る手に力が入っていた。バルガは逆に楽しそうだ。


「面白いな」


 歓声の方が悲鳴を上回る。


「すごい! 雲が真下にあるぞ!」


 その時、少し離れた席から声が上がった。


「……いや、これは無理だ。床を戻してくれ」


「承知しました」


 その周辺だけ床が戻る。隣に座っていたエルフの少年が、青い顔をした男の袖を引いた。


「大丈夫だよ。落ちないって、職員の人が言ってた」


 男は笑って頷いた。


「ああ、そうだな。ありがとう」


 別の場所からも声が飛ぶ。


「俺はこのままでいいぞ」

「私のところも床をお願いします」


 柳原だ。即決だった。


「経験がありますから」


 蓮が笑う。


「第二、第三フロアでも希望多数です。透過を希望します」


「じゃあ見せてあげれば」


 少し遅れて、別のフロアからも歓声が届いた。以前の試験では怖がられると思われていた機能が、アルセリアの人々にはむしろ好まれたらしい。


      ◇


 クライマーはさらに上昇する。白い雲海が沈み、空の青が濃くなり、黒へ近づく。地平線が緩やかに曲がった。


「……丸い」


 知識としては知っている。それでも自分の目で見るのは別だった。


 声が消えていく。レオニアスも黙っていた。


「王都は、どの辺りだ?」

「表示します」


 大地へ小さな印が浮かぶ。


「……小さいものだな」


 五領主も自分の領地を見下ろしている。バルガももう設備の質問をしていなかった。


 正装したアルベルトが口を開きかけて、すぐに閉じた。


「……いや。今はやめておこう。景色を見よう」


 セレネが少し驚いた顔で彼を見て、小さく頷いた。


      ◇


『JANUS到着まで三分』


 星空の中に点が見える。見る間に形を持つ。構造体、ドック、工場区画。宇宙港JANUSが黒い宇宙の中で巨大になっていく。


「あんな物が、本当に宇宙にあるのか」


 説明されるより、その事実の方が重かった。


『減速シークエンスへ移行。JANUSクライマー収容区画へ進入。固定完了』


 全周透過が解除される。壁、天井、床が戻る。


「……床がある」


 誰かが安心した声で言った。


『外部隔壁閉鎖、加圧開始。気圧正常。大気組成正常。JANUSへ到着しました』


 扉が開く。見上げるほど高い天井のメインフロア。壁面には宇宙が映し出され、施設そのものが星空に浮いているように見える。


 最初に立ったのはバルガだった。


「行くぞ」


 それを合図にベルトを外す音が鳴り始める。


 その時、蓮の隣でナミが言った。


「次便以降、全周透過を標準設定とすることを提案します。希望率92%です。苦手な方には床面のみ通常表示の区画を用意します」


「もう標準に?」


「はい」


 柳原が即答する。


「それは必要ですね。私は通常表示区画へ行きます」


「早いなあ」


 開いたゲートの向こうへ、人々が歩き出していく。エルフ、人間、ゴブリン、ダークエルフ。


 ふと、振り返った一般客の少年が言った。


「あ、あの丸いの、小さくなってる!」


 遠ざかる眼下、SHINAR CITYの端で、巨大な輪がゆっくり回っていた。121話の朝、あれは何だと騒いでいた遊園地だ。


 これまでBABELを通っていたのは関係者と貨物だけだった。今日初めて、この星で暮らす普通の人々がこの道を通った。


 遊ぶための施設も、宇宙へ続く道も、同じ街にある。


 宇宙へ続く道は、この日からようやく、特別な者だけの道ではなくなった。


      ――第百二十二話 了


挿絵(By みてみん)

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