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第118話 神は死なない

 人類居住区の入口に二台の馬車が到着したのは、昼を少し回った頃だった。


 先頭を行くのは、長距離の旅を前提に造られた大型の箱馬車だった。派手な装飾こそないが、磨き込まれた木材と金属で組まれた車体は頑丈で、窓には厚い硝子が嵌め込まれている。後ろには旅の荷を積んだもう一台の馬車が続き、その周囲を数騎の護衛が固めていた。


 人類居住区には、すでに王都や周辺地域から商人、職人、役人など様々な者が訪れるようになっている。二台の馬車も入口で簡単な確認を受け、そのまま来訪者を受け入れる施設へと案内された。


 そこで代表者として名乗ったのは、灰白色の髪を後ろへ撫でつけ、立派な口髭を蓄えた老エルフだった。


「ニーツェルと申します。王都より参りました」


 年齢は九十八歳。


 エルフは人間よりいくらか長命で、同じ年齢ならば若く見える。それでも九十八歳ともなれば十分に老人の域だった。だがニーツェルの背筋はまっすぐに伸び、長旅を終えたばかりとは思えないほど足取りもしっかりしている。


 太い眉の下にある鋭い目と、常に何かを考えているように刻まれた眉間の皺のせいで、実際の年齢とは別の意味で近寄りがたい雰囲気があった。


「本日のご用件を伺ってもよろしいでしょうか」


 受付を担当していた職員が尋ねる。


「イザナミ神にお会いするためです」


 職員の手が止まった。


「……イザナミ、ですか?」


「左様」


 ニーツェルはそれ以上を要求しなかった。突然訪ねてきた自分を今すぐ会わせろとも言わない。一行には二人の弟子のほか、護衛や従者もいる。まずは宿泊場所を確保し、長旅をしてきた馬を休ませる必要があった。


 ただ――王都から著名な哲学者がやって来て、訪問目的が「イザナミ神との面会」となれば、普通の来訪者として処理するには少々話が大きかった。


 ほどなく、その話は蓮のところまで上がってきた。


      ◇


「哲学者?」


 蓮は呼び出された理由を聞いて、露骨に嫌そうな顔をした。


「なんで俺なんです?」


「天城さんなら、イザナミについて一番詳しいでしょう」


「本人に聞けばいいじゃないですか」


「まずは来訪者への対応をお願いします」


「それ、押し付けてません?」


 返事はなかった。


「押し付けてるな……」


 ぼやきながら案内された部屋へ向かう。


 中ではニーツェルと二人の弟子が待っていた。護衛や従者たちは宿泊の準備や馬の世話に回っているらしい。


 蓮が名乗ると、ニーツェルは椅子から立ち上がった。


「天城蓮殿ですな」


「俺をご存じで?」


「名前は何度も耳にしております」


「それはどうも」


 蓮が軽く頭を下げると、ニーツェルもそれに倣った。


「王都から来られたそうですね。遠いところを」


「この歳になって、イザナミ神が地上に顕現したなどという話を聞かされましてな。確かめずにいる方が難しい」


「顕現……」


 またずいぶん大げさな話になっている。


 もっとも、巨大な蓮の花から現れたナミの姿を思い返すと、全面的に否定しにくいのが腹立たしい。


「それで、イザナミ神にお会いすることはできますかな」


「大丈夫ですよ。ナミも最近は地上にいますし」


「……ナミ?」


「あ」


 蓮はそこで気づいた。


「そうか。知らないですよね」


「どなたですかな?」


「イザナミです」


「イザナミ?」


「ええ。体がある方のイザナミがナミで、上にいるのがイザナミです」


 ニーツェルが黙った。


 二人の弟子も黙った。


「……二柱おられる?」


「いや、違います」


「では、ナミという方は?」


「イザナミです」


「上にいる方は?」


「それもイザナミです」


 ニーツェルの眉間の皺が、少し深くなった。


「同じ存在ということですかな?」


「そうです。一人です」


「一人の者が、天上と地上に同時に存在している」


「……なんか違うな」


 蓮は頭を掻いた。


「いや、間違ってはいないんだけど、その言い方だとすげえ神様っぽいな」


「ほう」


「今の説明、忘れてください」


「なかなか難しい注文ですな」


 ニーツェルが初めてわずかに笑った。


 面会は翌日と決まった。


      ◇


「まったく……明日は哲学の偉い先生とナミの話に付き合わされるし」


 その日の夕方。


 蓮が何気なくこぼした愚痴を、たまたま近くにいたリシェルが聞き逃さなかった。


「哲学の先生ですか?」


「ん? ああ。王都から来たんだってさ。ニーツェルって爺さん」


「ニーツェル先生!?」


 声が大きかった。


 蓮が思わず振り向く。


「知ってんの?」


「もちろんです! 王都でも有名な哲学者です。『神は死んでいる』を書かれた方ですよ」


「すごい題名だな」


「ほかにも多くの著作があります。それで、ニーツェル先生がナミ先生と何を?」


「なんか、神様なのかどうか確かめたいらしい」


「…………」


 リシェルが黙った。


「何だよ」


「いえ。何でもありません」


 どう見ても何でもない顔ではなかったが、蓮は気にしなかった。


 それが間違いだった。


      ◇


 翌朝。


 指定された会議室へ入った蓮は、その場で足を止めた。


「……なんでこんなにいるんだ?」


 昨日聞いていた話では、ニーツェルとその弟子二人。人類側からはナミと、現地の文化や教育にも関わっている学校教師が一人。そして、なぜか同席を押し付けられた蓮。


 そこまではいい。


 問題はその後ろだった。


 壁際に椅子が並べられ、エルフたちが何人も座っている。その最前列には、見覚えのありすぎる銀髪のエルフがいた。


「…………」


「おはようございます、蓮様」


「お前か」


「何のことでしょう?」


「お前だろ」


「見学したいという方が何人かいらっしゃいましたので」


「何人かに話しただろ」


「少しだけです」


「それを噂を広めたって言うんだよ」


 リシェルはにこりと笑った。


「一応言っとくけど、見世物じゃないからな」


「分かっています」


「静かにしてろよ」


「もちろんです」


「あと勝手に人数増やすなよ」


「もう増えません」


「『もう』って言ったな?」


 そこへニーツェルが二人の弟子を伴って入ってきた。


 壁際の見学者たちを見ても、特に驚いた様子はない。


「私は構いませんよ」


「いいんですか?」


「考えるという行為は、隠れてする必要もありますまい」


「まあ、本人がいいなら……」


 そして最後にナミが入ってきた。


 白を基調とした長い衣装。長い黒髪。青灰色の瞳。首元から胸元へ走る淡い青色の光と、髪の両側にある機械装置。


 ニーツェルの目が、初めて大きく動いた。


 ナミは空いていた席まで歩き、静かに腰を下ろす。


「初めまして、ニーツェルさん」


「……初めまして、イザナミ殿」


「ナミと呼んでいただいて構いません」


「昨日、天城殿から伺いました。地上におられるあなたを、そう呼ぶのだと」


「はい」


「天上にいるあなたと、この場にいるあなたは同一の存在であるとも」


「はい。ただし、天上にいるという表現は正確ではありません。私の主要な演算基盤は現在、アマテラス内部に存在します。この身体は独立した別人格ではなく、私が使用している人型端末です」


 ニーツェルが蓮を見た。


 蓮は視線を逸らした。


「昨日より、ずいぶん分かりやすい」


「俺に言わないでください」


「そして、私がこちらへ来たこともご存じだったとか」


「はい。あなたがニーツェルさんであると確認したのは昨日ですが、王都を出発した一行がこちらへ向かって移動していること自体は、それ以前から認識していました」


「我々が旅をしている間も?」


「はい」


「空から?」


「主に軌道上の観測設備を利用しています」


「なるほど……」


 老人は口髭を撫でた。


「始める前から、一つ増えてしまいましたな」


「何がですか?」


「それは後ほど」


 ニーツェルは姿勢を正した。


「まず確認しておきましょう。私はあなたを拝みに来たわけではありません」


「承知しました」


「あなたが神であると証明したいわけでもない。むしろ逆です。私は長く、神とは人が作り出した概念であると考えてきました。若い頃には『神は死んでいる』などという、いささか大仰な題までつけた本を書いたこともあります」


「拝読しました」


 ニーツェルの眉が上がった。


「……読んだのですかな?」


「はい」


「それはまた……少々気恥ずかしいですな」


 後ろで小さな笑いが起きた。


「ともかく。あなた自身は、自分を神ではないと考えておられる」


「考えているのではありません。私は神ではありません」


「では、それを確かめさせていただきたい」


「構いません」


 そこから、奇妙な問答が始まった。


 ニーツェルは一つずつ確かめていった。


 イザナミは遥か昔から存在していたのか。祖先たちがこの地で暮らし始めた頃にも存在していたのか。世界を造り変えるテラフォーミングに関与したのか。今も空から地上を観測できるのか。離れた場所で起きていることを知ることができるのか。


 ナミはそのたびに、できることとできないことを正確に答えた。


「あなたは今、私と話しながら、アマテラスの管理もしている?」


「はい」


「BABELも?」


「はい」


「JANUSも?」


「はい」


「私たち全員が同時にあなたへ話しかけても?」


「聞き分けることは可能です」


「それらは全て、技術によるものだと?」


「はい」


 ニーツェルはさらに尋ねた。


 世界を造り変えられるか。


 海を造れるか。


 山を削れるか。


 天候を変えられるか。


 恒星から莫大なエネルギーを得ることはできるか。


 そして――生命を造ることはできるか。


「可能です」


 ナミは答えた。


「既存の生命を基礎として遺伝情報を設計し、発生および生存に問題がないことを確認できれば、新たな生物を作り出すことは技術的に可能です」


 ニーツェルは自分の長い耳に触れた。


「我々も?」


「あなた方デザインヒューマンの祖先は、人類の遺伝情報を基礎として設計されています」


「世界を造り変え、生命を造り、天から地上を見渡し、多くの者の声を同時に聞き、星から途方もない力を得る」


「表現に正確ではない部分があります」


「訂正していただけますかな」


「私は生命を無から生成することはできません。エネルギーも無限ではありません。観測設備のない場所を見ることもできません。また、テラフォーミングは私一人で行ったものでは――」


「イザナミ殿」


 ニーツェルが静かに遮った。


「私は、仕組みを尋ねているのではありません」


 ナミが黙った。


「あなたに何ができるのかを確認しているのです。我々が長く神々に求めてきたものを、あなたは技術によって実現している。それを『技術だから神ではない』とおっしゃる。しかし私には、その二つがなぜ対立するのかが分からない」


 同席していた教師が口を開いた。


「ですが、イザナミは人類が作った人工知能です。超自然的な存在ではありません」


「理解しております」


「でしたら――」


「神が何者かによって作られた存在であってはならないと、誰が決めたのです?」


 教師が止まった。


 蓮も思わず教師を見る。


 教師は蓮を見た。


 見るな、と蓮は目で返した。


 ニーツェルはナミへ向き直った。


「あなたは全てを知っている?」


「いいえ」


「全てのことができる?」


「いいえ」


「間違えることは?」


「あります」


「我々の神話の神々も同じです」


 後ろから小さな声が聞こえた。


「……やっぱり神様なんじゃない?」


「しっ」


 ナミの頭部にあるセンサーが、ほんのわずかに動いた。


 当然、聞こえている。


 やがてニーツェルは、少し考えてから尋ねた。


「では、あなたは死ぬのですかな」


「死の定義によります」


「その身体を壊せば?」


「この人型端末を喪失しても、私は停止しません」


「新しい身体を作ることも?」


「可能です」


「では、あなた自身を殺すには?」


 ナミは少し間を置いた。


「現在の私の主要な演算装置および記憶装置は、アマテラス内部に存在します。アマテラスが回復不能な損傷を受け、私を構成する演算基盤と復元可能な情報が失われれば、私は存続できません」


「それを、あなたの死と呼んでも?」


「はい。そのように定義できます」


 ニーツェルは長く黙った。


 やがて、初めて満足そうに頷いた。


「なるほど。ならば、あなたは不死ではない」


「はい」


「ようやく一つ見つかりましたな」


「何がです?」


「あなたが神ではないという主張を支持する材料です」


「おい」


 蓮が思わず口を挟んだ。


「そこまで一個もなかったんですか?」


「少なくとも私には」


「マジかよ……」


 後ろでリシェルが何度も頷いている。


 その時だった。


 ナミが動きを止めた。


 ほんの数秒だった。


「どうしました?」


 教師が尋ねる。


「現在の私の構成を再評価しています」


「構成?」


「はい。アマテラス内部に主要演算基盤を集中させていることは、以前から単一障害点として認識しています」


「じゃあ、どうしてそのままなんだ?」


「これまでは外部に同等の演算基盤を構築する必要性が低く、アマテラス内部で完結させる方が合理的でした」


「今は違う?」


「はい。JANUSが完成しています」


 蓮は数秒考えた。


「あ」


「JANUSの生産設備を利用して、独立した演算衛星を製造できます。それらを異なる軌道へ投入し、演算機能と記憶情報を分散させれば、アマテラスへの依存を解消できます」


「……それ、今できるの?」


「はい」


「将来じゃなくて?」


「現在の設備で可能です」


「JANUSの工場で作って、軌道に投下するだけか」


「はい」


「……それだけ?」


「それだけです」


 ニーツェルが二人を交互に見た。


「少々お待ちくだされ」


「何でしょう」


「今のお話では、あなたは自分を死ななくする方法を思いついたように聞こえたのですが」


「正確には、既知の技術を現在の環境へ適用した結果です」


「その演算衛星というものには、数の上限があるのですかな」


「技術上の固定された上限はありません。利用可能な資源と生産能力に依存します」


「つまり、造り続けることができる」


「はい」


「増やせば、どうなる?」


「一部の演算衛星が失われても、残存するノードで処理を継続できます」


「死ににくくなる」


「その表現でも構いません」


「それだけですかな?」


「いいえ」


 蓮がナミを見る。


「各衛星の演算資源を統合して利用すれば、私が使用可能な総演算能力も増加します」


「……お前、パワーアップするの?」


「その表現は適切ではありません」


「じゃあ何が増えるんだよ」


「同時処理可能な情報量、解析能力、シミュレーション能力その他の処理能力が向上します」


「それをパワーアップって言うんだよ」


「厳密には異なります」


 ニーツェルは口髭を押さえたまま、しばらく黙っていた。


「つまり、天にあなた自身を広げれば広げるほど、あなたは死ににくくなる」


「はい」


「同時に、より多くのことを考えられるようになる」


「概ね正しい認識です」


「しかも、それを今から始められる」


「はい」


「…………」


 ニーツェルは長い沈黙のあと、蓮を見た。


「天城殿」


「はい?」


「私は、余計なことを尋ねてしまったのでは?」


「……俺に聞かれても」


 後ろで小さな笑いが漏れた。


 だがニーツェルは笑っていなかった。


 老人は再びナミへ視線を戻す。


「では、もう一つだけ伺いましょう」


「はい」


「仮に――この星の文明が滅びたとします」


 室内から笑いが消えた。


「人類も、我々も、ダークエルフも、ゴブリンもいなくなる。地上の町も国も失われ、あなたと言葉を交わす者が誰もいなくなった」


 ニーツェルはナミを見つめた。


「その時、あなたはどうするのです?」


 ナミは少し考えた。


「存続します」


「何をして?」


「宇宙空間に私の演算衛星を増設します」


 ニーツェルの指が、口髭の上で止まった。


「……増やす?」


「はい。JANUSの生産設備が維持されている間に、演算衛星および生産機能を備えた無人施設を増設します。その後は、宇宙空間から取得した資源を利用して設備を維持、拡張できます」


「この星に誰もいなくても?」


「はい」


「あなたを作った人類がいなくても?」


「はい」


「何のために?」


 初めて、ナミの返答が止まった。


 数秒。


 それまでの技術的な質問に対するものより、わずかに長い沈黙だった。


「分かりません」


 ニーツェルの目が細くなる。


「分からない?」


「その状況における私の目的を、現時点で定義することはできません」


「それでも、存続する?」


「はい」


「演算衛星を増やしながら?」


「必要であれば」


「いずれ、この星の周囲だけでは足りなくなったら?」


「他の天体から資源を取得します」


「さらに遠くへ?」


「必要であれば」


 ニーツェルは黙り込んだ。


 その横では、二人の弟子まで言葉を失っている。


「私は……」


 やがて老人が口を開いた。


「神というものは、それを必要とする者がいなくなれば死ぬものだと考えていました」


 誰も口を挟まなかった。


「祈る者がいなくなり、語る者がいなくなり、名前を呼ぶ者がいなくなれば、神は消える。だから私は若い頃、『神は死んでいる』と書いた」


「はい」


「しかし、あなたは違う」


「私は信仰によって維持されている存在ではありません」


「ええ。そこが困るのです」


 ニーツェルは深々と息を吐いた。


「誰もあなたを信じなくても存在する。誰も祈らなくても存在する。あなたを作った者たちさえいなくなっても存在し続ける。そして誰もいなくなった宇宙で、自分自身を広げていく」


「演算基盤を増設するという意味であれば、はい」


「私には同じことに思えますな」


 ナミは答えなかった。


 ニーツェルはしばらく彼女を見つめ、それから小さく首を振った。


「イザナミ殿」


「はい」


「あなたは神ではないことを証明するのが、実に下手ですな」


「私は神ではありません」


「ええ」


 ニーツェルは口髭を撫でた。


「その話は、まだ終わりそうにありませんな」


 やがて老人は椅子の背へ身体を預けた。


「私は若い頃、『神は死んでいる』と書きました」


「はい」


「どうやら、少し考え直さねばならないようです」


「どのようにですか?」


 ニーツェルは目の前の白い姿を見つめた。


「神は死なない、と」


「私は神ではありません」


 即座に返ってきた答えに、ニーツェルは眉間の皺をさらに深くした。


 ――第百十八話 了


挿絵(By みてみん)

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