第百十四話 宇宙への道
会議室の中央に浮かぶBABELの立体映像から、最後まで残っていた赤い表示が消えた。
『最終張力試験、終了しました。全区間に異常ありません。接合部の変形率、規定値以内。地上固定設備、テザー構造、アマテラス側張力制御、すべて正常です』
イザナミの報告を聞きながら、柳原は椅子の背に身体を預けた。
「つまり、完成したということですか」
「テザーは、ですね」
向かいに座る蓮が答えた。
立体映像にはEDENの赤道上から宇宙へ伸びる一本の線が表示されている。直径およそ十メートル。地上から見れば空の途中で消えてしまうそれは、静止軌道を越え、遥か外側でアマテラスへと接続されていた。
柳原はしばらくその映像を眺めた。
地下を走るHERMESもそうだったが、人類の技術は完成してしまうと妙にあっけなく見える。つい先日まで建設途中だったものが、今では一本の線として表示され、その横に『正常』の二文字があるだけだ。
「これで、いよいよJANUSの建造に入るわけですね」
「いや、もうだいたい出来てますよ」
柳原は蓮を見た。
「……何がです?」
「JANUS」
「JANUSは、これから宇宙に造るんですよね?」
「そうです」
「では、まだ出来ていないのでは?」
「宇宙には」
柳原は黙った。
美冬が蓮を見る。
「蓮。最初から説明して」
「地上で作ってあるんですよ。JANUSを」
蓮が立体映像を切り替える。
BABELの全体図が消え、代わりに巨大な円筒や箱型の構造物がいくつも現れた。それぞれ形も大きさも違うが、組み合わせれば一つの巨大施設になることだけは分かる。
「軌道上で材料から作る理由がないでしょう。地上には工場も工作機械もあるし、作業環境もいい。だからJANUSは運べる大きさに分割して、こっちでほとんど完成させてます。宇宙でやるのは、基本的には接続作業です」
「運べる大きさ……」
柳原は表示されている寸法を見た。
「これを?」
「これを」
「どうやって?」
蓮は少し笑った。
「見に行きますか」
◇
SHINAR CITYの建造区域へ入った柳原は、しばらく何も言わなかった。
部品置き場を想像していた。
実際にそこに並んでいたのは、建物だった。
巨大な円筒、箱型の区画、居住設備を収める与圧モジュール、荷役設備、管制設備。JANUSを構成する構造物が、広大な建造区域の各所に並んでいる。外殻まで閉じられたものも多く、内部設備の組み込みや最終検査を受けている区画もあった。
「これが……JANUS?」
「の、分割された状態ですね」
「部品という大きさではありませんね」
「部品じゃありませんから。一つで一つの区画です」
蓮は当然のように答えた。
「これ全部に、テザーを登るための機構が付いているんですか?」
「まさか。JANUSが完成したあと全部いらなくなるでしょう」
「では、どうやって上へ?」
「あれです」
蓮がテザーの根元を指差した。
柳原はそちらを見て、思わず足を止めた。
直径十メートルのテザーを中心として、巨大な人型機械が何体も立っていた。
惑星造成用大型作業機TYPE-14。
三十メートルを優に超える巨体が、テザーを囲むように配置されている。その中央には、テザーを抱え込むような形で一基の巨大な機械が取り付いていた。
「あれが建設用クライマーです」
蓮が言った。
有人用とは似ても似つかない。窓もなければ、人間を収容する空間も必要ない。巨大な駆動部と構造物を固定するための基部が、テザーを取り囲んでいる。
その周囲をTYPE-14が動いていた。
これほど巨大な人型機械が何体も歩いているにもかかわらず、地面はほとんど揺れない。各機が重力制御によって自重と接地荷重を調整しているため、巨体から想像するような衝撃は発生しなかった。
むしろ異様なのは、その動きの滑らかさだった。
一機のTYPE-14が巨大な構造物を両腕で保持している。その反対側を別の一機が支え、さらに二機が建設用クライマーの左右へ回り込む。建物ほどもある構造物が、複数の巨大な手によってゆっくりと持ち上げられ、クライマーの固定位置へ運ばれていった。
数センチ単位の位置調整が行われる。
固定機構が噛み合った。
『一次固定完了。TYPE-14、荷重を解除してください』
巨大な手が一斉に離れる。
柳原はその光景を見上げた。
「……あれはJANUSの区画ですか?」
「違います。カウンターウェイトです」
「カウンターウェイト?」
柳原はもう一度構造物を見た。
「これが?」
「正確には、その一部です」
「もっと単純な錘を想像していました」
「俺も最初はでかい錘だと思ってましたよ」
『正確には、BABEL外軌道張力・重心制御施設です』
「……カウンターウェイトでいいだろ」
『名称の訂正ではありません。機能上の補足です』
「はいはい」
蓮が軽く流す。
柳原は巨大なモジュールへ目を戻した。
「では、重いだけではない?」
「もちろん質量は必要です。それも、とんでもない量が。でもBABELじゃクライマーが動くだけでも全体の質量分布が変わります。これからJANUSも大きくなるし、将来的には運ぶ貨物も増える。だからカウンターウェイト側で張力を監視して、重力制御と推進器を使って重心と張力を調整します」
「錘そのものが動いて調整するんですか」
「必要なら。普段は物理的な質量で安定させて、変動分を能動制御で吸収する感じですね」
柳原はしばらく考えた。
「カウンターウェイトというから、もっと単純なものを想像していました」
「だから俺もそう思ってましたって」
美冬が二人のやり取りを聞きながら、巨大な構造物を見上げた。
「これ一つで完成じゃないんでしょう?」
「全然」
蓮は即答した。
「むしろ、ここからが長いですよ。最初に上げる中核には、最低限の電力と推進、重力制御、張力制御まで入ってます。でも、それだけじゃカウンターウェイトとしては全然足りない。そこへ設備を増設して、それから何より質量がいる。馬鹿みたいな量の」
「どのくらい運ぶんです?」
「いっぱい」
「天城君」
「まだ最終形は拡張前提なんですよ。アマテラスからBABELを引き継げるところまで造れば、とりあえず第一段階は完成です。そのあとも増やせますから」
『建設用クライマー、固定確認。上昇可能です』
イザナミの声が響いた。
TYPE-14たちがクライマーから離れていく。巨体が歩いているのに、やはり地面にはわずかな振動しか伝わってこない。
「これで静止軌道まで運ぶんですか?」
「通過します。カウンターウェイトはもっと先ですから」
「どれくらい時間がかかるんです?」
「有人用よりは、ずっと速いですよ」
「有人クライマーでも、JANUSまで三十分ほどですよね?」
「人が乗ってますからね」
柳原は蓮を見た。
「重力制御で加速や減速の負担は消せるのでは?」
「かなり消せます。でも、それと最大性能で走らせていいかは別です。重力制御が一つ故障した瞬間に乗客が潰れるような運行はできないでしょう。非常停止もあるし、安全率も取らなきゃならない」
蓮が建設用クライマーを指した。
「こいつには人がいません」
『建設用クライマーの運行限界は、積載物構造強度、テザー動的荷重、駆動系熱容量、制動能力および張力制御余裕によって決定されます』
「つまり?」
「壊れないところまで出せます」
「最初からそう言ってください」
美冬が小さく笑った。
『周辺作業機の退避を確認。建設用クライマー、上昇シークエンスを開始します』
クライマーが動き出した。
最初は、巨大な構造物が静かに持ち上がったようにしか見えなかった。
だが、すぐに速度が上がる。
TYPE-14を遥か下に残し、巨大なカウンターウェイト・モジュールがテザーを登っていく。建物ほどもあった構造物が急速に小さくなっていった。
「速くないですか?」
「無人ですから」
「まだ加速していますよね?」
「してますね」
「いつまで?」
「かなり先まで」
蓮は空を見上げた。
「言ってみれば、マスドライバーの射出加速を延々と続けられるようなものです。普通なら加速レーンには終わりがありますけど、こいつは何万キロも先までテザーが続いてますから」
柳原が再び空を見上げた時には、巨大なモジュールは青空の中の点になっていた。
「……宇宙エレベーターという言葉から想像していたものと、だいぶ違いますね」
「人が乗る方はちゃんとエレベーターですよ」
「三十分で宇宙へ行く乗り物を、普通のエレベーターに含めないでください」
◇
それから、建設用クライマーは何度も同じ道を往復した。
一度運んだ程度では、カウンターウェイトは完成しない。
クライマーが宇宙へ向かっている間にも、地上ではTYPE-14たちが次のモジュールを運び出し、取り付け位置まで移動させて待機していた。空になったクライマーが帰還すれば、複数の巨大な人型作業機がそれを囲み、構造物を固定する。検査が終われば、再び宇宙へ送り出す。
上がって、戻る。
載せて、また上がる。
それが繰り返された。
最初に送り出された中核モジュールを中心として、推進系、重力制御設備、電力設備が増設されていった。その後も、カウンターウェイトに必要な膨大な質量を構成するモジュールが次々と地上を離れた。
無人クライマーがどれほど速くても、必要な物量そのものが消えるわけではない。
建設は何日も、何週間も続いた。
そして、恒久カウンターウェイトが必要な質量と制御能力を獲得した日。
『恒久カウンターウェイトによるテザー張力制御を開始します』
BABEL全体を監視する管制室で、蓮たちはその瞬間を見守っていた。
『重心位置、規定範囲内。張力安定。重力制御正常。推進制御正常』
アマテラス側から恒久カウンターウェイト側へ、BABELを支える役割が完全に移ったことを確認してから、イザナミが続けた。
『アマテラスによる暫定張力維持を終了します』
五千年近く人類を運んできた船から、また一つ役目が外された。
BABELとアマテラスを結んでいた接続機構が解除される。
巨大な船体が、ゆっくりとテザーから離れていった。
爆発も歓声もない。
ただ、離れていく。
蓮は管制画面を見たまま、しばらく何も言わなかった。
「ようやく自由になりましたね」
柳原が言った。
「ですね」
蓮は短く答えた。
アマテラスは再び、一隻の宇宙船になった。
◇
建設用クライマーが次に運び始めたのは、地上で待ち続けていたJANUSだった。
最初に中核区画が上がった。
静止軌道付近まで運ばれた巨大モジュールはクライマーから切り離され、自身の姿勢制御と短距離移動用の推進機構を使って所定位置へ移動する。
次の区画が運ばれ、接続された。
さらに次が続いた。
地上で分割して造られていた宇宙港が、一つずつ宇宙へ運ばれ、静止軌道上でもう一度組み上げられていく。
貨物用区画、電力設備、管制設備、与圧区画。そして有人クライマーを内部へ収容するための格納区画。
各モジュールに備えられた姿勢制御機構や推進機構も、接続後に不要となったものはその場で分解され、次の建設に使う資源へ戻された。
カウンターウェイトほどの物量は必要なかった。
JANUSは急速に形を持ち始めた。
◇
そして、さらに日が過ぎた。
蓮はBABEL地上ターミナルの搭乗口に立っていた。
目の前にあるのは、何度も宇宙との間を往復した建設用クライマーではない。
人間を運ぶために造られた、有人クライマーだった。
JANUSでは最初の有人区画が完成し、生命維持設備も稼働している。クライマー格納区画の気密試験、無人往復試験、非常停止試験、重力制御系と慣性補償系の多重故障試験まで、必要とされた試験はすべて終了していた。残っているのは、実際に人間を乗せることだけだった。
「本当に三十分なんですね」
柳原が有人クライマーを見ながら言った。
「ここまで来て、まだ言います?」
「数字として聞くのと、実際に自分が乗るのは違いますよ」
「怖いなら残ります?」
「行きます」
即答だった。
「なら早く乗ってください」
美冬が二人の横を通り過ぎ、そのまま搭乗口へ入っていく。
「置いていかれますよ」
「誰のせいで話が長くなったと思ってるんです」
蓮と柳原も後を追った。
内部にはすでに関係者たちが乗り込んでいる。窓はない。代わりに壁面の大型表示へ外部映像と現在高度、JANUSまでの距離が表示されていた。
全員の搭乗を確認すると、扉が閉じた。
『気密確認。生命維持系正常。重力制御系正常。慣性補償系正常。JANUS側、受け入れ準備完了』
蓮は座席に身体を預けた。
五千年前、地球を離れた時には存在しなかった道だった。
それどころか、完成を見るはずだった人間のほとんどは、もういない。
それでも道はできた。
地上から宇宙まで、一本につながった。
「さて」
完成したBABELを見上げ、蓮は言った。
「宇宙港を見に行くか」
――第百十四話 了
AI生成で作成したイラスト
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