第112話 タイプIIへの道
長めですが待望の(筆者にとって)科学技術チートの回になります。
王都から戻って数日後。
蓮は人類居住区の地下深くに造られたホームに立っていた。
目の前には、白い円筒形の車両が静かに停車している。先頭車両に運転席らしいものはなく、側面にも窓はない。地下の真空トンネルだけを走る以上、外を見るための窓など最初から必要なかった。
車体側面には、黒い文字で名称が記されている。
――HERMES。
「ヘルメス、か」
蓮が呟くと、隣にいた美冬が車体を見上げた。
「BABELといい、神話や伝承から取るのが好きですよね、私たち」
「アマテラスに乗ってきた人間が言うことじゃない気もしますけど」
『私の名称も同様です』
「そういやそうだった」
今日行われるのは、HERMESの最終有人走行試験だった。
人類居住区とBABEL建設地を結ぶ地下高速輸送路。二本の独立した真空トンネル内をリニア方式の車両が高速で走り、重力制御によって加減速時の慣性も補償する。
やがて扉が閉まり、車両は音もなく走り始めた。
◇
「到着しました」
「……もう?」
柳原が思わず時計を確認した。
走行距離百二十七キロメートル。
所要時間、四分三十八秒。
加速時にも減速時にも、身体にはほとんど何も感じなかった。蓮自身、表示を見ていなければいつ発車し、いつ減速を始めたのか分からなかっただろう。
扉の向こうには、まだ新しい巨大な地下駅が広がっていた。
壁面には大きな文字が表示されている。
――SHINAR CITY。
バベルの塔が建てられた地――シンアル。その名を取って、BABELを中心にこれから形成される都市はSHINAR CITYと名付けられた。
まだ「CITY」と呼ぶには建設現場の色が濃いが、地上には宿泊施設、物流施設、倉庫、商業区画などの建設予定地がすでに確保されている。
地上へ向かうエレベーターの中で、蓮が何気なく言った。
「これ、王都まで伸ばしたら十分くらいか」
「六百キロほどありますよ」
「HERMESをここまで通した実績があるからな。時間と資材は必要だけど、技術的には問題ないだろ」
『運行条件によりますが、十分前後での接続は可能です』
「距離そのものがなくなるな」
「だからこそ、勝手には造れませんよ」
柳原が言った。
「物流も経済も人の流れも変わります。まずは向こうと相談してからです」
「ですね」
◇
地上へ出ると、BABELがあった。
天へ向かって真っ直ぐ伸びる巨大なテザーは、現在では直径十メートル近くに達している。見上げても先端など見えない。一本の構造物が静止軌道を越え、そのさらに外側まで続いているという事実は、何度見ても現実感を狂わせた。
完成後、静止軌道上には軌道港JANUSが建設される。
宇宙船の発着、貨物の積み替え、整備、軌道工場。将来的には宇宙船そのものを建造する船廠も設置される予定だ。
テザーはJANUSで終わらず、さらに外側へ延び、恒久的なカウンターウェイトへ接続される。現在その役割を代行しているアマテラスは、完成後に切り離され、本来の運用へ戻る。
「外側にもクライマーを走らせるんだよな」
「はい。通常の旅客・貨物クライマーはJANUSまでですが、保守用の専用機はカウンターウェイトまで移動できます」
技術者の説明を聞きながら、蓮は空を見上げた。
直径十メートル近いテザーが、青空の彼方へ消えている。
「なあ」
「はい?」
「これ、切れたらどうなるんだ?」
技術者が黙った。
美冬も蓮を見た。
「いや、分かってるよ。微小隕石やデブリが当たった程度なら局所損傷で済むし、ナノマシンがすぐ修復する。多少構成材が切れたところで荷重も周囲へ逃がすようになってる」
「そこまで分かっていて、なぜ聞くんです?」
「だから、それを全部突破してさ」
蓮は空へ向かって指を立てた。
「何かとんでもないものがぶつかって、テザーが完全にぶっつり切れたらどうなる?」
「天城さん」
「何?」
「完成間近になって、とんでもないことを言い出さないでください」
「いや、気になったんだからしょうがないだろ」
『切断位置によります』
イザナミが答えた。
「やっぱり位置で違うのか」
『はい。切断位置によって、分離したテザーが取る軌道は大きく異なります。地表側テザーの落下を考慮しなければならない場合もあります』
「十メートルの紐が宇宙から落ちてくるわけだ」
「紐って言わないでください。怖くなるので」
『ただし、BABELには複数段階の異常検知、荷重再配分、損傷部の隔離、クライマー退避、軌道制御などの緊急処置が組み込まれています。単一の衝突によって全構造が無制御状態となる可能性は極めて低く設定されています』
「極めて低い、か」
蓮はまだ空を見ていた。
「ゼロじゃないんだな」
『ゼロではありません』
「じゃあ、もっと確実にできない?」
『可能です』
蓮が空から視線を戻した。
「あるの?」
『BABEL周辺に防御場を形成することで、重大な衝突そのものが発生する確率を大幅に低下させられます』
「防御場?」
『局所的な重力場および電磁場を制御し、接近物体の軌道をBABELから逸らします』
蓮は少し考えた。
「それって、一般的には何て呼ぶ?」
『一般的な表現を用いるのであれば――バリアです』
数秒、沈黙した。
「……バリア?」
『はい』
「バリア張れるの?」
『可能です』
蓮は隣の男性技術者を見た。
技術者も蓮を見た。
「天城さん」
「言うな。分かってる」
「バリアですよ」
「分かってるって」
美冬が二人を交互に見た。
「そもそも切れないように造ってあるんですよね?」
「うん」
「普通の損傷なら勝手に直るんですよね?」
「直る」
「危険な物体なら事前に見つけて対処するんですよね?」
「する」
「じゃあ、それでよくないですか?」
「美冬さん」
「何です?」
「バリアだぞ」
「だから何ですか」
蓮たちの時代でも重力制御は存在していた。アマテラスの恒星間航行にも使われている。
だが、巨大構造物の周囲に広範囲の防御場を常時形成し、飛来物そのものを逸らす技術までは実用化されていなかった。
「必要電力は?」
『現在の大型核融合発電施設から供給する場合、他設備への供給を大幅に制限する必要があります』
「やっぱりそこか」
現在の人類居住区を支えている大型核融合発電施設は、三千七百人あまりの生活、工場群、HERMES、BABEL建設を同時に支えてなお余力がある。
だが、BABEL全体を防御場で包むとなれば話は別だった。
「発電所を増やすしかないか」
『別方式を推奨します』
「別方式?」
『恒星近傍発電衛星です』
「……何それ」
『恒星近傍軌道に大規模発電衛星を配置します。取得したエネルギーを長距離無線送電によりEDEN周辺へ転送します』
「恒星の近くで発電して、ここまで飛ばす?」
『はい』
「そんな送電技術、俺たちの時代にあったか?」
『ありません』
「いつできた?」
『アマテラス出航後です』
「誰が研究した?」
『私です』
蓮は空を見上げた。
「お前、五千年間で何やってた?」
『研究です』
「知ってるよ」
柳原が額に手を当てた。
「それは理論上可能という話ですか?」
『JANUS軌道工場の本格稼働後であれば製造可能です』
「一基造るのに?」
『初号機は設備調整を含め、数日程度で建造可能です。設計および製造工程の検証は完了しています』
「……数日」
『完成後は重力推進によって恒星近傍の指定軌道へ移送します。EDEN近傍からであれば、およそ二か月を想定しています』
蓮の表情が変わった。
「ちょっと待て。BABELのバリアに何基必要なんだ?」
『要求出力のみであれば一基で十分です。ただし実運用では、故障、保守、送電経路の障害を考慮し、複数系統による冗長化を推奨します』
「一基で足りるのか」
『はい』
「じゃあ十基なら?」
『大幅な余剰電力が発生します』
「百基なら?」
『現在の人類社会では消費しきれません』
「千基」
『現状では建造する合理的理由がありません』
「造れるかどうかを聞いてる」
『資源と生産設備を確保できれば可能です。ただし、現在の工業能力で直ちに千基を建造できるという意味ではありません』
「分かってる。だから最初の一基なんだろ」
『はい』
少しの沈黙。
「……それ」
技術者の一人が言った。
「増やし続けたら、ダイソンスウォームじゃないですか?」
誰も否定しなかった。
恒星を巨大な殻で覆うのではない。恒星の周囲を、独立した無数の発電衛星で取り囲む。
ダイソンスウォーム。
人類が何世紀も前から思い描いてきた、恒星規模のエネルギー利用構造だった。
「造れるの?」
『段階的な構築であれば可能です』
「マジか……」
そこで別の技術者が妙な顔をした。
「……天城さん」
「何?」
「これ、カルダシェフ・スケールだとどうなるんです?」
蓮が固まった。
「あ」
「気づいてなかったんですか?」
「いや、待て」
カルダシェフ・スケール。
文明が実際に利用するエネルギーの規模によって、その文明を分類する古い指標だ。
惑星規模のエネルギーを利用するタイプⅠ。
恒星規模のエネルギーを利用するタイプⅡ。
そして銀河規模のタイプⅢ。
人類はまだタイプⅠにすら到達していない。
そのはずだった。
「俺たち、タイプⅠに届くのだってまだ先じゃなかったっけ?」
「そうだったはずです」
蓮はイザナミに訊いた。
「じゃあ、恒星近傍発電衛星を増やしてダイソンスウォームまで造ったら、タイプⅡになるのか?」
『現時点で人類がタイプⅡ文明に分類されるわけではありません。タイプⅡは、恒星規模のエネルギーを実際に利用する文明を指します』
「そりゃそうか。まだ一基も造ってないもんな」
『はい』
「じゃあ、まだ全然先じゃん」
『文明規模としては、その認識で正しいです』
「……文明規模としては?」
『恒星近傍発電、超長距離無線送電、宇宙資源採掘、自動製造による生産能力拡張。これらを組み合わせることで、恒星規模のエネルギー利用へ至る技術的経路は構築可能です』
蓮は一瞬、意味を飲み込めなかった。
「……待て。それってつまり」
技術者の一人が先に気づいた。
「タイプⅡになったんじゃなくて、タイプⅡまでの道が見えたってことですか?」
『その表現が適切です』
しばらく誰も喋らなかった。
「……タイプⅠ、飛ばしてない?」
『飛ばしてはいません』
「いや、分類上の話じゃなくて」
蓮は頭を抱えた。
「俺たち、タイプⅠにすら届いてないのに、タイプⅡまでの行き方が先に分かっちゃったの?」
『はい』
「順番がおかしいですね」
「おかしくしたの俺たちじゃないからな」
『私でしょうか』
「お前だよ」
美冬が呆れたように言った。
「そもそもBABELを守るだけなら、そこまで電気いりませんよね?」
「美冬さん」
「はい」
「タイプⅡまでの道が見えたんだぞ」
「まだ歩いてもいません」
「ダイソンスウォームが造れるんだぞ」
「それもまだ造ってません」
「夢がないなあ」
「現物が一基もないんです」
そこで別の技術者が声を上げた。
「待ってください」
「今度は何?」
「電力だけじゃないですよ。これだけのエネルギーを安定して使えるなら、宇宙資源開発の前提そのものが変わります」
宙に恒星系図が表示された。
「採掘艇を大量に動かせますよね?」
『生産能力の範囲内であれば可能です』
「小惑星から資源を取れる」
「前から計画にはあっただろ」
「ありましたよ。でも、どれだけ時間をかけるつもりでした?」
蓮は口を閉じた。
宇宙資源開発は、もともと人類の長期計画に含まれていた。
探査し、資源価値の高い小惑星を選び、採掘艇を送り、採掘設備を造る。軌道精錬施設を整備し、輸送船を増やし、少しずつ宇宙側の工業能力を育てていく。
そうやって、世代を重ねながら恒星系へ広がっていくはずだった。
「……電力が増えれば、採掘艇をもっと動かせる」
「資源が増える」
「その資源でJANUSの工場を増やせる」
「発電衛星も造れる」
「さらに電力が増える」
「その電力で採掘設備を増やす」
蓮たちは顔を見合わせた。
「……これ、止まらなくないか?」
『人為的に生産上限を設定しない場合、継続的な生産能力拡張が可能です』
「また話が大きくなってる……」
美冬が小さく息を吐いた。
「いや、待って」
蓮は恒星系図を拡大した。
「小惑星だけじゃない」
「何がです?」
「岩石惑星」
柳原が眉を上げた。
「惑星そのものから採掘するんですか?」
「無人惑星ならできるだろ。特に大気がほとんどない岩石惑星なら、地表から資源を上げるのもやりやすい」
「マスドライバー」
技術者が即答した。
「それだ」
話がまた加速した。
「地表で採掘して、その場で精錬する」
「規格コンテナに詰める」
「人間を乗せるわけじゃない。資源コンテナなら、かなりの高加速に耐えられる」
「マスドライバーで軌道へ射出」
「大型輸送船が軌道上で回収」
「JANUSへ運ぶ」
「でも、それだけの質量を撃ち上げ続ける電力が――」
言った本人が止まった。
「……あるな」
「ある」
「恒星から取ればいい」
「まだ発電衛星、一基もありませんからね」
美冬の指摘はもっともだった。
だが、もう誰も止まらなかった。
「大型輸送船が足りなくなる」
「造ればいい」
「どこで?」
「JANUS」
「船廠か」
大型資源輸送船に地表へ降りる能力は必要ない。
宇宙で造られ、宇宙を航行し、資源を運び、再び軌道上の船廠へ戻ればいい。
「最初の輸送船はEDENから上げた資源で造る」
「その船が小惑星資源をJANUSへ運ぶ」
「その資源で二隻目、三隻目を造る」
「輸送能力が増える」
「もっと資源が来る」
「船廠を増設する」
「発電衛星も増やす」
「採掘艇も増える」
「また資源が増える」
柳原がとうとう額を押さえた。
「皆さん、本当にどこまで行くつもりなんですか」
「俺たちも今分からなくなってきました」
『現在の議論を前提とした場合、恒星系内に分散型の自動採掘・精錬・輸送・製造網を構築することになります』
「どこまで自動化できる?」
『ほぼ全工程です。ただし、最終的な資源配分および生産目的の決定は人間側の承認を推奨します』
「そりゃそうだ」
蓮は恒星系図を眺めた。
恒星近傍には発電衛星。
小惑星帯には無人採掘基地。
無人岩石惑星には採掘施設とマスドライバー。
その間を大型輸送船が往復する。
集められた資源はJANUSへ運び込まれ、軌道工場と船廠が新たな採掘艇、輸送船、発電衛星を造る。
造られた機械が、さらに多くの資源を集める。
その資源から、さらに多くの機械が生まれる。
「イザナミ」
『はい』
「お前の研究成果って、どこまで行ってる?」
『分野によります。実証済み技術、製造可能段階の技術、シミュレーション上で検証済みの技術、理論段階の技術が存在します』
「全部完成してるわけじゃない」
『はい』
「でも、俺たちが一から研究する必要もない」
『多くの分野において、その必要はありません』
「知識はある。設計もある。でも実際に造る工場も船も、これから用意しなきゃならない」
『その認識が適切です』
蓮はしばらく黙っていた。
「俺たち、何百年……下手したら千年先の話をしてたはずなんだぞ」
「それが?」
美冬に訊かれ、蓮は乾いた笑いを漏らした。
「……目が覚めたら、そこへ行く方法がもう出来てた」
『正確には――』
「今はいい」
『そうですか』
「まだBABELすら完成してませんけどね」
「そうなんだよな」
現実へ引き戻され、蓮は目の前の巨大なテザーを見上げた。
JANUSはまだない。
船廠もない。
恒星近傍発電衛星も一基として存在しない。
採掘艇の大群も、大型資源輸送船もない。
ダイソンスウォームなど、今のところ構想にすぎない。
それでも、道筋は見えてしまった。
「……で」
美冬が周囲を見回した。
「最初、何の話でしたっけ?」
「BABELが完全に切れたらどうなるか」
「そこからタイプⅡ文明への道を見つけて、惑星を掘って、宇宙船を量産する話になったんですか?」
「なったな」
「おかしいと思わないんですか?」
蓮は少し考えた。
「でも、できるんだぞ」
「まだ何もできてません」
『その指摘は正確です』
「お前はどっちの味方なんだよ」
『事実を述べています』
笑いが起きた。
その中で、柳原だけが黙っていた。
「柳原さん?」
美冬に呼ばれても、柳原はすぐには答えなかった。
先ほどまで皆が見ていた恒星系図ではなく、自分たちの足元へ視線を落としている。
「……そうか」
「何です?」
「私たちは、この星を掘らなくてもいいんですね」
蓮が柳原を見る。
「え?」
「これまで、人類がこの星で文明を維持し、いずれ人口を増やしていくなら、大規模な資源開発は避けられないと思っていました」
鉄がいる。
銅がいる。
希少金属がいる。
都市を造れば必要になる。工場を増やせば、さらに必要になる。
そのためには鉱山を開き、山を削り、大地を掘る。
かつて地球でそうしてきたように。
「でも、必要な資源を宇宙から持ってこられるなら……」
柳原はゆっくりと空を見上げた。
「電力は恒星から。鉱物資源は小惑星や、人の住んでいない惑星から。工場も船廠も、必要なら宇宙に置ける」
「……あ」
蓮もようやく気づいた。
『すべての地上開発を不要にすることはできません。また、文明活動による環境負荷を完全にゼロにすることも不可能です』
「それでも」
柳原は静かに言った。
「山を削り、森を切り開き、大地から資源を掘り続けなければ文明を維持できない、という前提はなくなる」
誰も言葉を挟まなかった。
目の前にはBABELがある。
その周囲には、SHINAR CITYが造られ始めている。
これから人類は、この星で再び文明を築いていく。
だが、それは地球で歩んだ道をもう一度繰り返すことを意味しない。
柳原は足元に広がる草原を見渡した。
「この星の自然を、そのまま残したまま」
そして、空へ続くBABELを見上げる。
「私たちは文明を発展させられるのかもしれませんね」
――第百十二話 了
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