第111話 レコード
「……レコード?」
蓮は、箱の中に収められた青い円盤を見つめた。
直径は三十センチほどだろうか。青く透き通った材質で作られ、中央には穴が開いている。表面には中心を囲むように細かな溝が幾重にも刻まれていた。形だけなら、蓮の知識にある古いレコードによく似ている。
『材質分析。人工結晶体です。表面構造から、音声記録媒体である可能性が高いと推定します』
「本当にレコードなのか……」
「我々は、サファイアレコードと呼んでいる」
レオニアスが答えた。
柳原が青い円盤から視線を上げる。
「これを、王家が代々?」
「ああ。勇者カイルが、王家の祖へ託したと伝えられている」
その名に、蓮と柳原が顔を見合わせた。
「勇者カイル……」
蓮にとって、その名はもう伝説上の人物ではない。
科学文明が滅びていく時代に魔王へ挑み、敗れ、それでも生き延びた一人の研究者――カイル・エルディア。
「その後、カイルはどうなったんです?」
「分からぬ」
「分からない?」
「これを託したあと、勇者カイルとその仲間たちは姿を消した。それ以降、彼らを見た者はいない。それが王家に残る、勇者についての最後の記録だ」
蓮はもう一度、青い円盤へ目を落とした。
四千年前に消えた勇者が、何を残したのか。
「……どうして、これを俺たちに?」
柳原が尋ねた。
レオニアスは、すぐには答えなかった。
「ここへ来るまで、迷っていた」
「迷っていた?」
「お前たちに、これを見せるべきかどうかだ」
レオニアスが振り返る。
その先には、先ほど通ってきた古い通路があった。
長いあいだ闇に沈んでいたはずの天井には、今も灯りが連なっている。
「この場所は、王家が生まれるより遥か昔からここにある。我々にも使える場所はあった。扉が開き、今も動く機械も残っている。勇者たちも、そうした遺跡を利用していたと伝わっている」
そこで言葉を切った。
「だが、ここは違った」
レオニアスの視線が蓮へ戻る。
「王家の誰が来ても、何をしても、この区画は応えなかった。それが、お前が足を踏み入れた途端に目を覚ました」
「……」
「昨日、お前たちは我々へ技術を与えると言った。人間だけではなく、この世界に暮らすすべての者へ」
「はい」
柳原が答える。
「ならば、私は知らなければならない」
レオニアスは箱の中へ視線を落とした。
「四千年前、勇者たちから科学を奪ったものと、お前たちはどういう関係にあるのか」
静かな声だった。
「そして、なぜこの場所がお前には応えたのか」
蓮は何も答えなかった。
今の段階では、自分にもすべての答えがあるわけではない。
「だから決めた」
レオニアスは青い円盤を見つめる。
「四千年間、王家だけが守ってきた問いを、お前たちに見せる」
「問い、ですか」
「ああ」
「我々にも、答えが分からぬものだ」
◇
サファイアレコードとともに受け継がれていたのは、奇妙な機械だった。
円盤を載せる台。回転軸。手回しのハンドル。そして、溝へ落とすための細い針。
電気を使う様子はない。
「これも勇者が?」
「そう伝えられている。扱い方も、王家に代々伝えられてきた」
レオニアスが慎重にサファイアレコードを載せる。
蓮はその構造を見て、少しだけ納得した。
文明が崩壊しつつある時代に記録を残すなら、電力もコンピューターも必要としない仕組みの方がいい。未来の人々が高度な技術を失っていても、円盤を回して針を当てることさえできれば、音を聞くことができる。
レオニアスがハンドルを回した。
青い円盤が、ゆっくりと回転を始める。
針が落とされた。
ざり、と乾いた音が地下室に響いた。
しばらく雑音だけが続いた。
やがて――声がした。
『……これを聞いている者が、誰なのかは分からない』
若い男の声だった。
ノイズが混じり、ところどころ掠れている。
『俺は、カイル・エルディア』
蓮の表情が変わった。
伝説として語られてきた勇者ではない。
四千年前に生きていた男自身の声だった。
『俺は魔王と戦った』
雑音。
『勝てなかった』
短い沈黙が入る。
『俺は生き残った』
そして、
『……いや、生かされた』
蓮がわずかに眉を寄せた。
『あの時、奴には俺を殺せた』
『なぜ殺さなかったのかは、今も分からない』
針が溝を拾い続ける。
『空気が汚れていることも、川が汚れていることも知っていた』
『だが、俺たちは解決できると思っていた』
『もっと研究すればいい。もっと良い機械を作ればいい。今ある問題も、科学が進めば解決できる』
『そう思っていた』
声には後悔があった。
だが、自分たちの科学そのものを否定する響きではなかった。
『俺たちは、ついに核のエネルギーにも手を伸ばした』
『新しい発電炉を造った。少ない燃料から、それまでとは比べものにならない電力を取り出せるはずだった』
『魔王が現れたのは、その頃だ』
ざ、と大きなノイズが走った。
『最初に壊されたのは、その発電炉だった』
『それだけなら、今なら理解できる』
『俺たちは急ぎすぎていた。危険を全部分かっていたとは言えない』
『だが、奴は止まらなかった』
『研究所を壊した。工場を壊した。発電所を壊した』
『新しいものを作れば壊された。研究を続ければ、そこが狙われた』
『そのうち、研究している者まで狙われるようになった』
声が低くなる。
『そこで分かった』
『奴が止めようとしているのは、危険な発電炉じゃない』
『俺たちの科学そのものだ』
地下室に、カイルの声だけが響く。
『俺たちが何を知るか、何を作るか。それをあいつに決められるのはもっと嫌だ』
『だから戦った』
蓮は黙って聞いていた。
知っている言葉だった。
残された記録の中で、カイルが実際に口にしていた言葉だ。
『戦いながら、俺たちは遺跡を調べ続けた』
『誰が造ったものなのかは分からない』
『だが、俺たちより遥かに進んだ技術を持つ何かが、かつて存在した』
『それだけは間違いない』
『遺跡に残された機械の中には、俺たちでも使えるものがあった』
『扉が開く。灯りがつく。端末が動く。俺たちはそこから多くのことを学んだ』
『魔王が使う機械も、それによく似ていた』
少し間が空いた。
『だから、ずっと考えていた』
『魔王は、遺跡を造ったものじゃない』
『あいつも、その仕組みの中にいる』
ざ、と針が鳴った。
『そして、おそらく――』
『あいつ自身も、何かに従っている』
蓮と柳原が視線を交わした。
四千年前のカイルには、REGULATORという名称も、その本来の役割も分からなかった。
それでも彼は、遺跡を研究し、実際に魔王と戦った経験から、その背後に別の存在がいることへ辿り着いていた。
『何に従っているのかは分からない』
『命令なのか。決められた目的なのか。それとも、俺たちには理解できない何かなのか』
『ただ、あいつが自分の意思だけで動いているようには、俺には見えなかった』
レコードが回り続ける。
『遺跡を調べていると、何度も同じ名前が出てきた』
『意味の分からない記録にも、機械の表示にも残っていた』
『最高管理者――』
ざざっ、と激しい雑音が入った。
『……アマ……レイン……』
そこで初めて、レオニアスが蓮を見た。
「……何です?」
「アマレインだ」
「え?」
「創造神の名だ」
その瞬間、蓮と柳原にだけ別の声が届いた。
『記録面の当該箇所に損傷があります。残存音声から復元可能です』
イザナミだった。
レオニアスは反応しない。
『――最高管理者、アマギ・レン』
柳原がゆっくり蓮を見る。
「……天城君」
「俺だな」
「何が分かった?」
レオニアスが尋ねる。
蓮は青い円盤を指した。
「アマレインじゃない」
「何?」
「この部分、本当はアマギ・レンって言ってる」
レオニアスの表情が止まった。
蓮は自分を指差した。
「俺の名前だよ」
沈黙。
レオニアスは蓮を見る。
次に、明かりの灯った古代施設を見る。
もう一度、蓮を見る。
「……この場所は、お前に反応した」
「しましたね」
「王家の誰にも開かなかった扉も、お前には開いた」
「開きましたね」
「勇者の記録には、お前の名が最高管理者として残されている」
「そうなりますね」
「そして、その名が四千年の間、アマレインとして伝わった」
「……たぶん」
柳原が口を開いた。
「蓮君」
「はい」
「これ以上、自分で補強しない方がいいと思います」
「俺も今そう思いました」
再び、針の音が聞こえた。
三人はレコードへ視線を戻す。
『もし、これを聞いている者が、遺跡を造ったものたちに出会ったなら』
カイルの声だった。
『敵対するな』
『少なくとも、何者なのかを知るまでは』
雑音。
『俺は魔王一体にも勝てなかった』
『だが、あいつでさえ、自分の意思だけで動いているようには見えなかった』
『その向こうに何がいるのか、俺には分からない』
短い沈黙。
『だから、恐れるなとは言わない』
『だが――』
『恐れて、知ることをやめるな』
『考えることをやめるな』
『俺たちが何を知るかまで、誰かに決めさせるな』
やがて、声が途切れた。
青い円盤だけが回り続けていた。
◇
「記録との照合は?」
レオニアスには聞こえないことを承知で、蓮はイザナミへ問いかけた。
『一致する点が多数あります』
『当時、複数地域で大気汚染、水質汚染、鉱山由来の有害物質流出、生態系への影響が急速に拡大していました』
『また、カイル・エルディアが述べた新型発電炉についても記録があります。安全管理上、重大な問題を抱えていました』
「じゃあ、最初に魔王が動いた理由は……」
『テラフォーミング環境の保全を目的とした介入であった可能性が高いと判断します』
蓮は息を吐いた。
「最初から科学文明を滅ぼそうとしてたわけじゃなかったのか」
『少なくとも、初期行動についてはそのように判断できます』
柳原が腕を組む。
「しかし、その後は違った」
『はい』
施設の破壊。
再建された施設の破壊。
研究機関への攻撃。
技術者への攻撃。
そして科学文明そのものの崩壊。
「理由があったことと、その後にやったことが正しかったかどうかは別ですね」
柳原が言った。
「ですね」
蓮はレオニアスへ向き直った。
「分かったことを説明します」
イザナミの分析を、蓮はできるだけ簡潔に伝えた。
四千年前、環境は確かに悪化していたこと。
最初に魔王が破壊した発電炉にも危険があったこと。
魔王はおそらく、古い施設に残された何らかの目的に従って行動していたこと。
そして、その介入はやがて研究施設や技術者にまで拡大し、最後には科学文明そのものを押し潰したこと。
レオニアスは最後まで黙って聞いていた。
「では、勇者が間違っていたわけではないのだな」
「全部が正しかったとも言えません」
蓮は答えた。
「当時の人たちは、かなり無茶もしてます。でも、だからって研究している人まで殺していいことにはならない」
柳原も頷いた。
「そして我々は、同じことをするつもりはありません」
「科学を禁じない、と?」
「はい」
柳原は即答した。
レオニアスはしばらく黙っていた。
「私は、知りたい」
やがて、そう言った。
「勇者が残した言葉には同意する。知ることのできるものを、知らぬままでいることを望みはしない」
黄金の仮面の奥から、二人を見る。
「だが、昨日までの我々を、明日には別の国にしてほしいとも思わぬ」
「分かりました」
柳原が静かに答えた。
◇
その日は王宮に泊まった。
翌朝、蓮と柳原はレオニアスの案内で王都へ出た。
空から眺めた白亜の王都と、実際にその中を歩くのとでは、まるで印象が違う。
市場には朝早くから人が集まり、野菜や肉、魚、布、陶器が所狭しと並んでいた。パンを焼く匂いが漂い、荷車が石畳を軋ませながら通り過ぎていく。
職人街では金属を叩く音が響いていた。
水路から引き込まれた水が大きな水車を回し、その力が工房の機械へ伝えられている。
蓮はしばらく、その様子を眺めた。
「どうしたんです?」
「いや……これ、電動化したらだいぶ変わるなと思って」
柳原が笑う。
「職人に聞かれたら怒られますよ」
「水車が悪いって言ってるわけじゃないですよ」
少し先では、何人もの男たちが大きな荷車を押していた。
それを見ても、蓮の頭にはいくつもの機械が浮かぶ。
運搬車。工作機械。冷蔵設備。
この街の暮らしを変えようと思えば、変えられるものはいくらでもある。
だが、王都は壊れているわけではなかった。
人が働き、物が流れ、食べ、笑い、暮らしている。
それ自体で成立している社会だった。
三人はやがて城壁の上へ出た。
白い壁の向こうには畑が広がり、その先には森が続いている。さらに遠くには山並みが見えた。
風が草原を渡っていく。
「……難しいな」
蓮が呟いた。
「何がです?」
「便利にする方法なんて、いくらでもあるんですよ」
蓮は城壁の向こうを眺めた。
「でも、この自然を工業化で壊していいとも思わないんだよなぁ」
「我々が四千年前と同じやり方をする必要はありません」
「それはそうなんですけどね」
「それに、変えないことが正しいとも限りません」
蓮が横を見る。
「病気で亡くなる人を、今の暮らしだから仕方がないと放置する必要はないでしょう。危険な仕事を機械に任せられるのなら、それも選択肢です」
「結局、どこまでやるかですよね」
「ええ」
柳原も王都を見下ろした。
「そして、それを我々だけで決めないことでしょうね」
「ですね」
しばらく王都を眺めてから、蓮が口を開く。
「それと、一番でかいのは電力かな」
「供給できないのですか?」
「できますよ。必要なリソースさえ確保できれば」
蓮は即答した。
「王都一つに電力を供給するだけなら、技術的には難しくない。でも、アルセリア全体の文明レベルを引き上げるとなれば、必要な電力量が桁違いになる。そのために、どれだけ人類側のリソースを回すのかって話になる」
「BABELも建設中ですからね」
「そういうことです」
発電設備も送電設備も造れる。
問題は技術ではない。
どこまで造るのか。そして、限られた資源と生産能力を、どこまでアルセリア全体の変化へ振り向けるのか。
「まあ、今すぐ決めることじゃないか」
蓮が言った。
「ええ」
柳原は眼下の王都へ視線を戻した。
「まずは、この世界の人たちが何を望んでいるのかを知るところからでしょうね」
「ですね」
白い城壁の向こうを、風が渡っていった。
――第百十一話 了
【作者よりお願い】だんだん疲れてきました!もっとSFネタを書きたいのだけど、なかなか進みません。もし「続きが気になる」「おもしろい」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、評価の【☆☆☆☆☆】をタップして応援していただけると、執筆の大きな励みになります!




