第110話 白亜の王都
「王都までお送りしなくてもよろしいのですか、レオニアス陛下」
レオニスが足を止めた。先を歩いていたエドガルも振り返る。
しばらく、誰も口を開かなかった。
「……いつから知っていた」
「さて、いつからでしょう」
柳原は穏やかに答えた。
「答えるつもりはないのか」
「お忍びでいらしたのでしょう? でしたら、こちらにも多少の秘密があってよろしいかと」
レオニスは柳原を見つめた。その隣で、エドガルがわずかに口元を緩める。
「エドガル」
「私は何も話しておりませんよ」
「まだ何も聞いていない」
「これは失礼しました」
「お前、楽しんでいるな」
「少しだけ」
レオニスは小さく息を吐いた。
「知っていて、なぜ黙っていた」
「レオニス殿としていらしたからです」
「それだけか?」
「それだけです。身分を隠してご覧になりたいのであれば、その方がよろしいでしょう」
「……妙なところで融通が利くのだな」
「元政治家ですので」
「それは関係あるのか?」
「どうでしょう」
レオニスはしばらく柳原を見ていたが、やがて視線を外した。
「柳原殿」
「はい」
「いずれ、王都へ来てもらいたい」
柳原の表情がわずかに変わった。
「正式な招待と考えてよろしいでしょうか」
「ああ」
レオニスは頷いた。
「今度は、この名では会わぬ」
先ほどまでとは違う声だった。
「アルセリア王国国王、レオニアス・アウレリウス・アルセリアとして迎えよう」
「承知しました」
柳原は静かに頭を下げた。
◇
それからしばらくして、人類自治政府の代表団を乗せた飛行艇が、人類居住区を離れた。
目的地はアルセリア王国の王都。直線距離にして、およそ六百キロ。柳原をはじめとする自治政府の評議員たちに加え、蓮も代表団に加わっている。
王家へ渡した通信機を通じて、訪問の日程も人数もすでに調整されていた。着陸場所は王宮正面の広場。王国側から指定された場所である。
飛行艇は重力制御で機体を支えながら、電動ジェットで巡航していた。王都が近づくと徐々に速度を落としていく。およそ一時間の空の旅だった。
『王都まで残り三十キロメートル。減速を開始します』
イザナミの声が機内に響いた。蓮は窓の外へ目を向ける。
「もう見える?」
『視認可能距離です。正面をご覧ください』
「どれ?」
『地平線付近です』
目を凝らす。最初に見えたのは、地平近くを横切る白い線だった。それが近づくにつれ、高さを持った巨大な城壁であることが分かってくる。
「……でかいな」
さらに近づいたところで、それが一つではないことに気づいた。
三重の城壁。
巨大な白い壁が幾重にも都市を囲んでいる。最も外側の城壁の外には広大な農地と集落が広がり、いくつもの街道が王都へ集まっていた。門へ向かう馬車や人々が、上空からは小さく見える。
城壁の内側には建物が密集している。白い石壁に色とりどりの屋根、市場らしい広場、いくつもの塔。外周から中心へ進むほど道路は広くなり、建物も大きくなっていく。
そして三つ目の城壁の中央には、巨大な白亜の王宮がそびえていた。大小いくつもの塔が連なり、中央にはひときわ高い主塔がある。複雑な尖塔と回廊が幾重にも重なり、白い壁面が陽光を反射していた。
「……すごいな」
蓮は思わず呟いた。
「王都だからね」
柳原も窓の外を見ている。
「いや、そういう意味じゃなくて。なんていうか……王都って感じの王都だ」
「結局そういう意味じゃないですか」
「違うんだって」
実物を見たことなどない。なのに、どこかで見たことがある。地球の映画やゲーム、物語の中に出てくる、剣と魔法の世界の王都。それをそのまま現実にしたような都市だった。
だが、近づくほど、その印象だけでは説明できないものも見えてくる。
「イザナミ。あの王宮、結構すごくない?」
『はい。外観から確認できる範囲だけでも、石造建築として非常に高い加工精度を有しています』
「やっぱり?」
『詳細については近距離での解析が必要です』
「じゃあ、あとで見てみるか」
見た目だけで、地球の中世と同じだと思ってはいけない。アルセリアにはアルセリアの歴史がある。人類が眠っていた数千年の間に積み重ねられてきた、彼ら自身の技術がある。
その時、機体前方を影が横切った。
「お」
大きな翼と長い尾。ワイバーンだった。
一騎ではない。左右から数騎が近づき、飛行艇を挟むように並ぶ。その背には王国軍の装備を身につけた兵士が跨がっていた。
左前方へ出た一騎が飛行艇を確認し、大きく腕を動かす。
『王都側からの誘導を確認しました。事前に通知された進入経路と一致しています』
「じゃあ、その通りに」
『了解しました』
飛行艇が緩やかに進路を変えた。訪問日時も、進入経路も、着陸場所も決まっている。それでも、ここから先は王国の空だ。
飛行艇はさらに速度を落とした。ワイバーンたちが左右を飛ぶ。未来の科学技術で造られた飛行艇と、鎧をまとった騎士を乗せた飛竜。その二つが並んで白亜の王都へ向かっている。
「……すごい絵面だな」
『何か問題がありますか?』
「ない。むしろ完璧」
第三城壁を越えると、王宮が急速に大きくなった。正面には巨大な広場があり、すでに大勢の人々が並んでいる。
ワイバーンの騎手が腕を下へ向けた。
『着陸指示を確認』
飛行艇がゆっくりと高度を下げた。
◇
広場には王国の旗が並んでいた。王国軍の兵士と近衛兵が左右に整列し、そのさらに奥には王族や重臣たちの姿がある。
飛行艇の扉が開くのに合わせ、楽器が鳴り始めた。地球のものとは異なる旋律。それでも、これが歓迎のための音楽なのだということはすぐに分かった。
最初に柳原が降り、続いて自治政府の評議員たちが広場へ降りていく。蓮もその中に混じって飛行艇を出た。
視線の先に、一人の男が立っていた。
蓮は思わず足を止めそうになった。
白と金を基調とした衣装に長い外套。そして顔には、口元を残してその上を覆う黄金の仮面。
知っている。だが、知らない。
人類居住区を歩いていたレオニスとは、まるで印象が違った。
アルセリア王国国王、レオニアス・アウレリウス・アルセリア。
柳原が前へ出る。
「遠路、よく来られた。アルセリア王国を代表し、人類自治政府の皆様を歓迎する」
「お招きいただき、ありがとうございます。人類自治政府を代表し、御礼申し上げます」
正式な挨拶が交わされた。
レオニアスの態度に、先日のレオニスの面影はほとんどない。蓮にも特別な言葉はかけなかった。蓮も余計なことは言わない。
今ここにいるのは、お忍びで人類の街を訪れた男ではない。一国の王だった。
◇
公式会談は、王宮中央部の大広間で行われた。
長大な卓を挟み、王国側と人類側が向かい合う。レオニアスの両側には王国の重臣たち。対する人類側には、柳原を中心として自治政府の評議員たちが並んでいる。
蓮も席にはついていたが、会談の中心は柳原だった。
人と物の往来。すでに始まっている交易。各領地との関係。人類製品の流通。通信手段。今後の交通。互いの領域で問題が起きた場合の対応。これまで個々の領主や商人との間で進んでいた話を、初めて王国と人類自治政府という二つの組織が同じ卓上に並べていく。
やがて話が一段落したところで、レオニアスが口を開いた。
「一つ、聞いておきたい」
「何でしょう」
「お前たちは、これからアルセリアで何をするつもりなのだ?」
広間が静かになった。
柳原はレオニアスを見る。
「我々は、この惑星で生きていきます」
「それだけか?」
「それだけではありません」
柳原は少し考えてから続けた。
「我々には、皆さんが持っていない技術があります。ですが、それを独占して、我々だけが豊かになるつもりはありません」
王国側の何人かが柳原を見る。
「我々の技術が役に立つのであれば、惜しむつもりはありません」
「誰に対してもか?」
「はい。人間だけではありません。エルフも、ダークエルフも、海に暮らす人々も、このアルセリアで生きるすべての人々が、より豊かに、より安全に暮らすために役立つ技術であるなら、我々は共有していきたいと考えています」
「人間でなくとも?」
「もちろんです。この星で暮らしていくという意味では、我々も皆さんも同じでしょう」
レオニアスは答えなかった。黄金の仮面に隠され、その表情は読めない。
「ただし、何でも無条件にという意味ではありません」
「なぜだ?」
「技術は、人を豊かにもします。そして、人を殺すこともできます」
柳原の声は穏やかなままだった。
「我々はそれをよく知っています。何を共有し、どう使っていくのか。それは、この世界で暮らす皆さんと話し合いながら決めていきたい」
しばらく、レオニアスは何も言わなかった。
「……そうか」
それだけ答え、少し間を置く。
「その言葉、覚えておこう」
◇
会談の後、一行は王宮内を案内された。
近くで見る白亜の王宮は、上空から眺めた時以上に奇妙だった。巨大な石柱。複雑な曲線を描く壁。何十メートルもの高さまで積み上げられた石材。継ぎ目がどこにあるのか分からない場所さえある。
蓮は回廊を歩きながら、一つの柱を見上げた。
「これ、どうやって造ったんです?」
案内役の宮廷官が答える。
「古くから、山の民が得意としてきた術でございます」
「山の民?」
「ダークエルフです」
蓮は柱へ視線を戻した。
『ナノマシンによる加工痕を確認しました。切削、接合、内部補強にも使用された形跡があります』
「やっぱり」
「何か?」
「いや。すごい技術だなと思って」
宮廷官が少し誇らしげに頷いた。
「王都の城壁や王宮の建設には、古くから彼らの力が欠かせなかったと伝えられております」
彼らはナノマシンという言葉を知らない。人類と同じ建築理論を使っているわけでもない。それでも長い年月をかけて独自の技術を積み上げ、石を切り、動かし、組み上げ、補強してきた。彼らが魔法と呼ぶ力も、その中に組み込まれている。
人類とは違う道を通って、この巨大な都市を造ったのだ。
数千年という時間は、決して空白ではなかった。
◇
夕刻。
王宮の大食堂では、歓迎の晩餐が開かれた。
長い食卓にはいくつもの大皿が並んでいる。香草を詰めて丸ごと焼かれた鳥。大きな塊のまま火を通された肉。川魚を焼いたもの。濃い肉汁と香辛料を使ったソース。豆や根菜を煮込んだ料理。焼きたてのパン。発酵させた乳から作った食品。果物。蜂蜜と香辛料を使った焼き菓子。そして、地球のワインによく似た果実酒。
給仕たちが大皿を運び、客の皿へ料理を取り分けていく。
人類の街で食べる料理とはずいぶん違う。だからといって、洗練されていないわけではない。長い年月をかけて王侯貴族の食卓として磨かれてきた、アルセリア王国の料理だった。
「これ、うまいな」
蓮が肉を食べながら小さく言った。
「蓮君」
「分かってる。大声では言ってない」
「そういう問題ではないんですが」
「でも、うまいぞ」
「それは私も同意します」
柳原も果実酒を一口飲んだ。
晩餐では昼間の会談よりも柔らかい話が続いた。王都のこと。人類の街のこと。各地の産物。商人たちの往来。地球にあった料理の話まで出た。
政治的な駆け引きがなくなったわけではない。それでも昼間の長卓を挟んだ会談より、互いの距離はわずかに近づいていた。
夜が深まり、晩餐が終わる。人類側には王宮内の客室が用意されていた。その日の公式日程は、そこで終わるはずだった。
◇
「柳原殿」
客室へ向かおうとしていた柳原が振り返る。
レオニアスが立っていた。近くに重臣たちの姿はない。
「はい」
「まだ少し、時間をもらえるか」
「もちろんです」
レオニアスの視線が蓮へ移った。
「天城殿もだ」
「俺も?」
「ああ」
柳原と蓮だけ。他の評議員たちには声をかけなかった。
二人はレオニアスの後について歩き始めた。昼間に案内された華やかな区画から離れるにつれて人の姿が減り、壁の装飾も少なくなっていく。
やがて階段へ入った。
「どこまで行くんだ?」
「もう少しだ」
返ってきた声は、昼間より少しだけ柔らかかった。
階段を下りきると、王宮の雰囲気そのものが変わった。白く磨かれた石ではない。古い石壁。ところどころ補修され、時代の違う石材が入り交じっている。
「この辺、古いな」
「ああ」
「いつ頃のもの?」
「正確には分からぬ。少なくとも、現在の王宮が建つより遥かに古い」
さらに進むと、壁の一部に古い浮彫りが残っていた。何人もの人物。剣。崩れた城。巨大な何かと戦う人々。大部分は摩耗し、細部までは分からない。
その中に、一本の剣を手にした男が刻まれていた。
「これは?」
「勇者だ」
「勇者?」
「そう伝えられている。この国に残る、最も古い勇者の姿の一つだ」
蓮は浮彫りを見る。顔までは分からない。それでも、今の時代に描かれる神話の中の勇者とは少し違って見えた。剣を掲げた英雄というより、仲間たちと並んで立つ一人の男だった。
「いつ頃に造られたものなんだ?」
「魔王戦争の時代だと伝えられている」
レオニアスは再び歩き始めた。
「だが、この地下には、それより古いものがある」
さらに奥へ進んだところで、蓮は足を止めた。
「……待って」
「どうした?」
壁が変わっていた。
古い石造りの回廊が、そこで突然途切れている。その先にあるのは、継ぎ目の見えない灰色の壁だった。床も違う。天井も違う。
数千年前の石造建築の奥に、それとはまったく異なる人工物が埋まっていた。
「これ……」
蓮には見覚えがあった。
「イザナミ」
『確認しています』
わずかな間を置いて、答えが返った。
『構造規格を確認。テラフォーミング期に建造された施設です』
「やっぱり」
以前見つかった古代施設と同じだった。
数千年を経ても一部の設備が動き続け、機械兵や自動防衛設備まで残されていた施設。それと同じ時代、同じ技術体系で造られたものだ。
「何の施設?」
『記録を照合しています』
数秒後、イザナミが答えた。
『廃棄施設として記録されています』
「廃棄?」
『はい。テラフォーミング工程の進行に伴い、運用を終了しています。施設構造そのものは撤去されず、管理対象から除外されています』
蓮は灰色の通路を覗き込んだ。
「だから残ってるのか」
『はい』
「我々にも、この場所が今の王宮より遥かに古い遺構であることは伝わっている」
レオニアスが言った。
「だが、誰が何のために造ったものなのかは伝わっていない」
「役目を終えた施設みたいだな」
「役目を終えた?」
「昔、この星を人が住める環境に造り変えていた頃に使われてた。終わったから、そのまま捨てられたらしい」
レオニアスが灰色の壁へ目を向ける。
「……捨てられたものの上に、我々は王宮を建てたのか」
「結果的には、そうなるな」
蓮が一歩、灰色の床へ足を踏み入れた。
その瞬間、頭上で白い光が灯った。
「……え?」
蓮が見上げる。
もう一つ。
さらにその先でも一つ。
長い間暗闇に沈んでいた通路を奥へ導くように、天井の照明が次々と点灯していく。灰色の壁と床が、白い光の下へ浮かび上がった。
レオニアスが動かなかった。
「レオニアス?」
「……この場所が光っているのを、初めて見た」
「今まで一度も?」
「ああ」
『残存管理系の一部が再起動しました』
「廃棄されたんじゃなかったの?」
『廃棄されています。ただし、管理者認証系および一部の非常用設備が生存しています』
蓮は天井の照明を見る。
「だから俺に反応した?」
『はい』
柳原も、奥へ続いていく光を眺めていた。
「四千年以上、誰が入っても点かなかったものが、ですか」
『現在のアルセリア住民に、当該施設の管理者権限はありません』
「なるほど」
柳原が蓮を見る。
「ずいぶん分かりやすい証明ですね」
「俺としては、もう少し静かにしてほしかったんですけどね」
レオニアスだけは、しばらく何も言わなかった。
やがて、白い光に照らされた通路へ視線を戻す。
「……そうか」
小さく呟いた。
「やはり、お前たちのものだったのだな」
蓮は否定しなかった。
三人は先へ進んだ。
照明が復旧したのは一部だけだった。明かりの途切れた区画もあれば、崩落して石で塞がれた通路もある。後世に床を補修した場所もあり、古代の施設を、その後の人々が地下構造として取り込みながら使い続けてきたことが分かる。
途中、一枚の古い扉へ近づくと、低い音が響いた。
蓮が足を止める。
数千年もの間、動いていなかった扉がわずかに震え、ゆっくりと左右へ開いていった。
「……これも?」
『管理者権限による自動開放です』
蓮が開いた扉の向こうを見る。
その隣で、レオニアスも立ち止まっていた。
「この扉が開くのも、初めて見る」
蓮は何も言わず、その先へ進んだ。
しばらくすると、再び石造りの部分が現れた。古代施設そのものではない。後世の人々が、灰色の壁の間へ新たに築いた区画だった。
やがて、一枚の分厚い扉の前でレオニアスが止まる。扉には王家の紋章が刻まれていた。
「ここから先は、王家の者でも自由には入らぬ」
レオニアスは首元から小さな鍵を取り出した。
古代の電子認証でも、ナノマシンでもない。ただの金属製の鍵だった。
レオニアスが鍵を差し込み、回す。
重い音を立てて扉が開いた。
中は広くなかった。古代施設の灰色の壁を利用した部屋で、装飾らしいものはほとんどない。中央には石造りの台座が一つあり、その上に小さな箱が置かれていた。
「これを見せるために?」
柳原が訊いた。
「ああ」
レオニアスが箱の前へ進む。
「これは、王家が代々守ってきたものだ」
「いつからです?」
「魔王戦争の時代からだ」
レオニアスは箱へ手を置いた。
「勇者から、王家へ託されたと伝えられている」
蓮の表情が変わった。
勇者。
魔王へ挑み、敗れた男。
「……勇者が?」
「ああ」
「何が入ってる?」
「それを見てもらいたい」
レオニアスが蓋を開けた。
中には、何重にも布で包まれた何かが収められていた。レオニアスが一枚ずつ、ゆっくりと布を解いていく。
最後の一枚が外された。
そこに収められていたのは、青く透き通った円盤だった。
――第百十話 了




