第108話 家族
人類自治政府の定例会議は、予定されていた議題のほとんどを消化していた。
BABEL建設に伴う追加予算。各領から受け入れている労働者の待遇。人類居住区への移住を希望する者の扱い。数か月前なら一つ一つが大問題になっていたはずだが、最近では行政側にも経験が蓄積され、議論の進め方そのものが整いつつある。
最後に残った議題を前に、柳原は手元の資料へ目を落とした。
「では、次です」
壁面の表示が切り替わる。
《人類生存者数 3,742》
見慣れた数字だった。
だからこそ、そこにいる全員が、その意味を知っていた。
「人口問題についてです」
柳原が言った。
「といっても、来年再来年の出生数の話ではありません。百年後、千年後、さらにその先まで含めて、人類がこの惑星で存続していくために何が必要なのか。そろそろ長期的な検討を始めるべきだという提案が出ています」
「三千七百人では少なすぎる、ということですか」
「現時点でどうにもならないという意味ではありません」
担当者が資料を切り替えた。年齢構成や男女比、将来の人口推計が表示される。
「ですが、閉じた集団のまま何世代も維持するなら、当然ながら遺伝的多様性を考慮する必要があります。人口そのものも増やさなければならない」
「人工子宮を使えばいいのでは?」
一人が言った。
「設備は残っているのでしょう」
「あります」
「なら、技術的には増やせる」
「生むところまでは、です」
別の出席者が口を挟んだ。
「一万人でも十万人でも、生まれた子供は誰かが育てなければならない。人工子宮から大量に出生させて、自動保育設備へ放り込めば人口問題解決、とはいかないでしょう」
「では、何世代かかけて増やせばいい」
「その何世代をどう設計するかという話を、今しているんですよ」
柳原は二人を制するように軽く手を上げた。
「NOAHはどうなんです?」
別の声が上がった。
表示が切り替わる。
《NOAH 推定人口 約1,000,000》
「彼らは二千五百年間、百万人規模の人口を維持している。NOAHが到着すれば、この問題はほとんど解決するのでは?」
「少なくとも、三千七百人よりは圧倒的に余裕があります」
担当者はそう認めた。
「ですが、NOAHは閉鎖環境の中で人口を管理してきた社会です。二千五百年間維持してきた実績は大きい。しかし、それは百万人いれば何もしなくても永遠に存続できる、という意味ではありません」
「それに、NOAHの到着を前提にして人類の将来を決めるのも違うでしょう」
柳原が言った。
「百万人ですよ?」
「地球には八十億を超える人間がいました」
その一言で、会議室が静かになった。
百万人。
今の彼らから見れば、想像するのも難しいほどの大人口だった。
だが、かつての人類全体から見れば、一つの都市ほどでしかない。
「そもそも――」
それまで黙っていた女性議員が口を開いた。
「人間だけで増える必要があるのでしょうか」
何人かが彼女を見る。
「どういう意味です?」
「この惑星には、私たちしかいませんか?」
表示が変わった。
エルフ。ダークエルフ。海エルフ。そして、この惑星の各地で独自の文化を築いてきたデザインヒューマンの子孫たち。
「彼らの祖先が人類によって作られたことは分かっています。なら、遺伝的にはどうなんです?」
「イザナミ」
柳原が呼びかけた。
『はい』
「現在までの解析結果を出せるか」
『表示します』
壁面を埋めていた人口統計が消え、複雑な遺伝情報の比較図へ切り替わった。
あまりの情報量に、何人かが眉をひそめる。
「……もう少し分かりやすく」
『簡略化します』
一瞬で図が変わった。
『結論から申し上げれば、現生人類と、この惑星に存在する主要なデザインヒューマン系統との間に、生殖上の隔離は確認されていません』
「つまり?」
『子供を作ることが可能です』
あまりにも淡々とした回答だった。
「その子供は、人間になるんですか。それともエルフに?」
『質問の前提が正確ではありません』
「前提?」
『人間とエルフを、完全に分離した二種として扱うことが適切ではないためです』
表示が再び変わった。
『エルフに特徴的な耳介形状、身体構造、代謝特性などは、それぞれ複数の遺伝子群によって制御されています。子供がどの形質を、どの程度発現するかは遺伝子の組み合わせによって異なります』
「じゃあ、見た目は人間に近いけど耳だけ長い、なんてことも?」
『可能です』
小さな笑いが起きた。
「逆も?」
『可能です』
「なるほど。人間かエルフか、どちらか一方が生まれるわけじゃないのか」
『外見によって分類することは可能ですが、遺伝学上、その境界を明確に設定することに大きな意味はありません』
柳原は腕を組んだ。
「……四千年も別々に暮らしていたのにな」
『四千年という期間は、両集団の遺伝的互換性を失わせるには十分ではありません。加えて、デザインヒューマンは当初から人類との遺伝的互換性を維持する設計となっています』
「最初から?」
『はい』
その答えに、柳原は少し考えた。
四千年前、この星に生命を送り込んだイザナミが、そこまで考えていたのか。それとも単に、必要がなかったから切り離さなかっただけなのか。
「じゃあ、ダークエルフは?」
別の議員が尋ねた。
「エルフとダークエルフはどうなんだ。見た目の違いはかなり大きいぞ」
『ダークエルフは、エルフから生殖的に分離した集団ではありません』
「同じ?」
『正確には、特定の遺伝形質が発現した集団です』
再び図が変わった。
『褐色の皮膚、白色系の毛髪など、ダークエルフに特徴的な形質は複数の遺伝子群によって制御されています。単純化すれば、潜性遺伝に近いものと考えてください』
「潜性……つまり、普通のエルフでも持っている?」
『はい。外見上は通常のエルフであっても、該当する因子を保有している個体は存在します』
「両親が持っていた場合は?」
『双方から必要な因子を受け継いだ子供には、ダークエルフ形質が発現する可能性があります』
数秒の沈黙があった。
「普通のエルフ夫婦から、ダークエルフが生まれるのか」
『はい』
「片方しか持っていなければ?」
『形質は発現しません。ただし、子供が因子の一部を受け継ぐ可能性はあります』
柳原は何かを思い出した。
「そういえば、エルフ側にそういう話がなかったか」
「あります」
担当者が別の資料を呼び出した。
「地域によって差はありますが、かつて通常のエルフの両親からダークエルフの子供が生まれることを、禁忌とする文化がありました」
「理由は?」
「本人たちにも分かっていなかったようです。遺伝に関する知識が失われたあとですから、普通の夫婦から外見の大きく異なる子供が生まれる理由を説明できなかったのでしょう」
古い記録の翻訳文が表示された。
「子供が里から追放された例があります。母親も一緒に追放された例がかなり残っています」
「母親まで?」
「不貞を疑われた例もあったようです」
一人が顔をしかめた。
「でも、今の説明なら……」
「イザナミ」
『父親も該当する因子を保有しています』
即答だった。
『両親双方から必要な遺伝形質を受け継がなければ、ダークエルフ形質は発現しません』
「……ひどい話だな」
誰かが呟いた。
理由も分からないまま子供を恐れ、母親を責め、追い出した。
そうして追放された者たちが集まり、やがて独自の共同体を築いていった。現在のダークエルフ社会の成り立ちには、そうした歴史も少なからず影響しているらしい。
「それで」
柳原が話を戻した。
「人間とエルフの間に子供ができること自体は、問題ないんだな?」
『はい』
「実例は?」
『現時点で、出生例はありません』
「出生例は、か」
柳原はその言い方に少し引っかかったが、それ以上は聞かなかった。
別の議員が端末を操作する。
「人間とエルフの婚姻なら、一件ありますよ」
「もういるんですか?」
「先月、婚姻届が受理されています。相沢直人、三十一歳。機械技術者。配偶者はエルフの女性です」
「連れ子がいたはずですね」
「ダークエルフの女の子が一人」
「……ずいぶん、この議題にぴったりの家族だな」
「だからといって、研究対象みたいに扱わないでくださいよ」
柳原が釘を刺した。
「結婚も、子供を持つかどうかも個人の自由です。人口を増やすために誰と結婚しろなどと、政府が口を出す話ではありません」
「もちろんです」
「ただ、可能性として無視する理由もないでしょう」
「それはそうです」
柳原は表示された三千七百四十二という数字をもう一度見た。
「人間だけで増えていくのか。人工子宮を使うのか。NOAHと合流するのか。それとも、この星で暮らす人々と何世代もかけて混ざっていくのか」
答える者はいなかった。
「今ここで決めることではありませんね」
柳原は資料を閉じた。
「継続審議としましょう。何千年先まで関わる話です。今日一日で結論を出す必要はありません」
◇
「赤ちゃん?」
ミアは目を丸くした。
夕食の途中だった。
相沢直人は箸を止めたまま、向かいに座るエレナを見ている。
「……本当に?」
「本当」
「いつ分かった?」
「今日。病院で」
「今日?」
「だから今、話してる」
「いや、そうじゃなくて」
直人は完全に食事の手を止めた。
エレナはそんな夫を見て、少しおかしそうに笑っている。
「何度も調べたから、間違いないって」
「そうか……」
それきり、直人は黙った。
「嬉しくない?」
「いや」
顔を上げる。
「嬉しいよ」
それ以上の言葉が出てこなかった。
何かもっと気の利いたことを言うべきなのだろう。けれど、どうしても見つからない。
妻がいる。
子供がいる。
そして、もう一人増える。
ずっと昔、自分はそれを当たり前のことだと思っていた。
「直人?」
「ごめん。ちょっとびっくりした」
「私も」
「病院は何て?」
「順調だって。それと、先生のほうが驚いてた」
「そりゃ驚くだろうな」
人間とエルフの間に子供ができること自体は、遺伝子解析によって以前から分かっていた。だが、実際に妊娠が確認されたのは初めてだった。
「いろいろ調べたいって言われた?」
「言われた。でも、嫌なら断っていいって」
「なら、エレナが決めればいいよ」
「うん」
その隣では、ミアがじっと母親の腹を見ていた。
「どこ?」
「まだ見えないわよ」
「いるんでしょ?」
「いるけど、まだ小さいの」
「どれくらい?」
エレナが指で大きさを示す。
ミアはますます不思議そうな顔になった。
「そんなに小さいの?」
「これから大きくなるの」
「いつ出てくる?」
「まだずっと先」
「明日?」
「ずっと先」
「何日?」
「ミア」
エレナが困ったように笑う。
「病院で私も同じようなこと聞いたわ」
「お母さんも?」
「聞いた」
「じゃあいいでしょ」
「子供の理屈は強いな……」
直人が呟いた。
以前にも、同じようなことを言った気がした。
「男の子? 女の子?」
「まだ分からないって」
「人間?」
今度は直人がミアを見る。
「それともエルフ?」
「それも、まだ分からない」
「分からないの?」
「調べればある程度は分かるらしいけどな」
「調べないの?」
直人はエレナを見る。
「どうする?」
「生まれてからでいいんじゃない?」
「俺もそう思う」
ミアだけが納得していない。
「耳は?」
「だから分からないって」
「長いかもしれない?」
「かもしれない」
「短いかもしれない?」
「かもしれない」
「髪は?」
「それも分からない」
ミアは自分の白い髪を一房つまんだ。
「私みたいになる?」
その言葉に、エレナが少しだけ表情を変えた。
「ダークエルフってこと?」
「うん」
「それは、たぶんないって」
「どうして?」
「お母さんだけじゃ駄目なんだって」
ミアが首を傾げる。
「イザナミが調べてくれたの。ダークエルフの子供が生まれるには、お父さんとお母さんの両方から、同じものをもらわないといけないんだって」
「同じもの?」
「ダークエルフになるための因子だって。難しいことはお母さんにもよく分からないけど」
「直人は持ってない?」
「持ってないって」
「じゃあ、私みたいにはならない?」
「たぶんね」
ミアは自分の腕を見た。
褐色の肌。
それから白い髪をもう一度つまむ。
「でも、ミアがおかしいって意味じゃないぞ」
直人が言った。
「分かってる」
「ならいいけど」
ミアは少し考えてから、母親の腹をもう一度見た。
「じゃあ、私がお姉ちゃん?」
「ああ」
「絶対?」
「そこは絶対だ」
ミアは笑った。
◇
その夜、直人が風呂から上がると、リビングにミアが一人でいた。
ソファの端に座り、何をするでもなく床を見ている。
「まだ寝ないのか?」
「うん」
「明日起きられなくなるぞ」
「起きる」
「そう言って、この前もエレナに起こされてただろ」
「起きたもん」
「起こされてな」
いつもなら、すぐに言い返してくる。
今日は黙っていた。
直人は冷蔵庫から水を取り出し、グラスへ注いだ。一口飲んでからもう一度見ると、ミアはさっきと同じ姿勢のままだった。
「どうした?」
「何でもない」
「そうか」
直人は追及せず、ミアの隣へ座った。
端末を開く。
しばらくして。
「直人」
「ん?」
「赤ちゃん、生まれるんだよね」
「ああ」
「直人の子供?」
端末から顔を上げた。
「俺とエレナの子供だな」
「本当の子供?」
直人の指が止まった。
ミアは床を見たままだった。
「私は、お母さんの子供」
「ああ」
「でも、直人の子供じゃない」
ようやく何を気にしていたのか分かった。
夕食のとき、自分の腕や髪を見ていた理由も。
「赤ちゃんが生まれたら……」
「うん」
「三人で家族になる?」
「三人?」
「直人と、お母さんと、赤ちゃん」
「お前は?」
ミアは答えなかった。
直人は端末を閉じた。
「今、俺とエレナとミアで三人だろ」
「うん」
「赤ん坊が生まれたら?」
ミアは少し考えた。
「……四人」
「そういうこと」
「でも、赤ちゃんは直人の子供でしょ?」
「ああ」
「私は違う」
「何言ってんだ」
直人は眉を寄せた。
「赤ん坊が生まれたら、お前は姉ちゃんになるんだぞ」
「でも……」
「でもじゃない」
直人はソファの背にもたれた。
「俺とエレナとミアで三人。赤ん坊が生まれたら四人。それだけだ」
「……うん」
「三人にはならない」
ミアは黙っていた。
「それに、俺は赤ん坊の父親になるんだろ?」
「うん」
「ミアはその赤ん坊の姉ちゃんだ」
「うん」
「だったら何も変わらないだろ」
そこまで言ってから、直人は少し考えた。
「いや、変わるか」
ミアの顔が曇った。
「お前が姉ちゃんになる」
ミアは直人を見た。
「それだけ?」
「それだけ」
しばらくして、小さく笑った。
「直人」
「ん?」
「私が悪いことしたら?」
「エレナに怒られる」
「直人は?」
「俺も怒る」
「赤ちゃんと喧嘩したら?」
「理由を聞く」
「私が悪かったら?」
「怒る」
「赤ちゃんが悪かったら?」
「赤ん坊を怒る」
「赤ちゃん泣くよ?」
「泣くだろうな」
「かわいそう」
「お前が聞いたんだろ」
ミアが笑った。
ようやく、いつもの顔に戻った。
「ほら、もう寝ろ」
「うん」
ミアがソファから降りる。
数歩歩いたところで足を止めた。
振り返る。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
それでも、ミアはその場から動かなかった。
「どうした?」
長い耳が、わずかに動いた。
「……お父さん」
直人は動かなかった。
ミアも動かない。
数秒して、直人はようやく息を吐いた。
「……ああ」
それだけ答えた。
ミアは笑って、寝室へ走っていった。
――第百八話 了




