第107話 領主達の視察
9月17日 加筆修正しました。
飛行艇が速度を落とし始めた。
窓の外には、どこまでも続く草原が広がっている。
人類の街を出てから、それほど時間は経っていない。
「そろそろ見えてきますよ」
天城蓮の言葉に、ユリウスは窓へ顔を寄せた。
最初は何も分からなかった。
草原と、その向こうに連なる低い山々。青い空には薄い雲が浮かんでいる。
だが、やがて気づいた。
空に、一本の線がある。
「……あれか?」
「そうです」
線は地上から始まり、真っ直ぐ上へ伸びていた。
雲を越え、その先は青空へ溶け込んで見えなくなっている。
「あれがBABELのテザーです」
ユリウスは黙って見上げた。
昨日、人類の街で完成予想図を見せられている。
だが、絵の中に描かれたものと、実際に地上から空へ伸びているものとでは、まるで印象が違った。
「思ったより細いな」
父、バルガスが言った。
「まだ途中ですからね。今は直径五メートルくらいです」
「完成すると?」
「十メートル前後」
「……太くなるのか」
「なります」
飛行艇が近づく。
細く見えた理由が、すぐに分かった。
遠かったのだ。
地上へ近づくにつれて、一本の線だったものが巨大さを増していく。
その根元には建設中の施設が広がっていた。
資材。
建物。
無数の機械。
地面を走る搬送設備。
そして、その中を歩く巨大な人影。
「……巨人」
誰かが呟いた。
巨大な人型機械が、岩塊を抱えて歩いている。
「あれは惑星造成用大型作業機TYPE-14です」
蓮が言った。
「この世界に残っている魔王戦争の伝承で、巨人として語られているものと同じ機体ですよ」
「……あれが?」
「ええ。本来は戦うためのものじゃありません。惑星造成や大規模な土木工事に使う作業機です」
ユリウスはTYPE-14を目で追った。
伝承の中で魔王に従っていた巨人。
それが今、目の前で岩塊を抱え、黙々と建設作業をしている。
伝説の怪物ではない。
人類にとっては、最初からこうして使うための機械だった。
だが、次の瞬間、その巨人が小さく見えた。
さらに巨大な何かがいた。
何本もの脚で地面を支え、前方に巨大な円盤を備えた機械。
回転する円盤が岩盤へ食い込む。
岩が削られ、切り出されていく。
「……あれは?」
「TYPE-7」
蓮が答えた。
「岩盤切削用です」
「十四より七の方が大きいのか?」
「番号と大きさは関係ないですよ」
TYPE-7が切り出した岩塊を、TYPE-14が持ち上げる。
そして搬送設備へ積み込んでいく。
魔王戦争の伝承に残る巨人が、さらに巨大な作業機の補助をしている。
ユリウスは窓から離れられなかった。
◇
「地上施設は、だいたい三分の一ですね」
飛行艇を降りた一行は、蓮の案内で建設現場を歩いていた。
「三分の一……」
グレゴールが周囲を見回す。
建設途中とはいえ、その規模は領主の館などとは比較にならない。
「ここが地上ターミナルになります。人と荷物は、まずここへ集まります」
蓮が進行方向を指した。
「人類居住区とは地下の輸送路で直接つなぎます。そっちも今、同時に工事中です」
「地下を?」
「はい」
「ここから人間の街までか?」
「そうです」
グレゴールが黙った。
ユリウスには、その理由が分かる。
人類の街からここまで、飛行艇で来た。
馬車なら簡単に往復できる距離ではない。
その距離を地下でつなぐという。
「そして、あれがテザー」
一同が見上げた。
近くまで来ると、もはや細いとは思えなかった。
巨大なケーブルが、空へ向かって伸びている。
それでも完成時には、さらに倍近く太くなるという。
オスカーが根元へ目を向けた。
「これを、どうやって上まで造る?」
「ナノマシンです」
「ナノマシン……」
「最初に宇宙から下ろした細いシードテザーがあるんです。それに建設用ナノマシンが取り付いて、上へ登りながら構造を増やしています」
蓮が空を指差した。
「あそこ。少し光ってるの、見えます?」
ユリウスは目を細めた。
遥か上。
テザーの一部が、陽光とは違う淡い光を帯びている。
「あれが今、造っているところです」
「登りながら?」
「はい。元の構造に同化して、新しいワイヤーを形成して、束ねて、また増やす。それを繰り返しています」
光は、ゆっくりと上へ進んでいる。
この場所からでは止まっているようにしか見えない。
だが、確かにBABELは今も成長を続けている。
バルガスが首を反らした。
「どこまで伸びている?」
「宇宙まで」
「それは聞いた」
「ここからじゃ、上端は見えませんよ」
「天城殿」
「はい」
「お前、時々説明する気がないだろう」
「そんなことないですよ」
蓮は笑った。
「完成すれば、これを使って静止軌道まで上がります」
「どれほどかかる?」
「クライマーで三十分くらいですね」
今度は誰もすぐには反応しなかった。
ユリウスは、もう一度テザーを見上げた。
「……そのクライマーというものから、下を見ることはできるのか?」
「できますよ」
「どんなふうに見える?」
「それは――」
蓮が少し考えた。
「実際に見てもらった方が早いかな」
「だが、まだ完成していない」
「ええ」
「では、どうやって見る?」
「人類居住区へ戻ってから見せます」
ユリウスには意味が分からなかった。
◇
BABELの見学を終えると、一行は再び飛行艇へ乗った。
向かったのは、それぞれの領地ではない。
まず、人類居住区へ戻る。
遠ざかっていく建設現場を、ユリウスは窓から眺め続けた。
地上では巨大だったテザーが、再び細い線へ変わっていく。
やがて、それすら見えなくなった。
◇
人類居住区へ戻った一行は、蓮と柳原に案内されて一つの施設へ入った。
室内に並んでいたものを見て、ユリウスは立ち止まった。
白い箱。
人ひとりが横になって入れる大きさで、透明な蓋がついている。
どう見ても――。
「……棺ではないのか?」
「違います」
蓮が即答した。
グレゴールが一台を覗き込む。
「これに入るのか?」
「入ります」
「横になって?」
「はい」
「その蓋を閉める?」
「閉めます」
「…………」
「大丈夫ですよ」
蓮が言った。
「ちゃんと開きますから」
「そこを心配しているのではない」
「そうですか?」
その横を、エドガルが何のためらいもなく通り過ぎた。
「心配はいらん」
そう言うと、空いている一台へさっさと入って横になる。
グレゴールが振り返った。
「エドガル、お前は怖くないのか?」
「一度使っている」
「これを?」
「ああ」
「先に言え」
「聞かれなかった」
エドガルは慣れた様子で身体の位置を整えた。
「目を閉じて、次に開けた時には別の場所にいる。そう思っておけばいい」
「それはそれで怖いのだが」
「死にはせん」
「その言い方もやめろ」
蓮が笑いを堪えている。
「まあ、俺も入りますよ」
「天城殿も?」
「もちろん」
「私も入ります」
柳原も隣の装置へ向かった。
それを見て、ようやく他の者たちも覚悟を決めた。
ユリウスは白い箱の中へ横になる。
身体の下は思ったより柔らかい。
透明な蓋が閉まり始めた。
やはり棺ではないか。
『フルダイブ接続を開始します』
イザナミの声が響いた。
視界が暗くなる。
指先の感覚が薄れる。
身体の重さが消えた。
◇
次に目を開けた時、ユリウスは立っていた。
「……え?」
反射的に両手を見る。
握る。
開く。
足もある。
床を踏めば感触まで返ってくる。
隣ではバルガスが自分の腕を触っていた。
グレゴールは何度も手を握り、マティアスは足元を確かめている。
その中で、エドガルだけが平然としていた。
「だから言っただろう」
エドガルが笑う。
「入れば分かる」
「これを先に説明しろ!」
「説明されても分からん」
「それはそうだが!」
ユリウスは周囲を見回した。
蓮もいる。
柳原もいる。
そして、レオニスも。
全員が先ほどまで白い箱の中に横たわっていたはずなのに、今は同じ場所に立っている。
「ここが、完成後のBABEL地上ターミナルです」
蓮の声に、ユリウスは振り返った。
そして、息を呑んだ。
先ほど見てきた場所だった。
だが、まるで違う。
建設機械も、掘り返された地面もない。
巨大な施設が完成している。
中央には、完成したテザー。
太いケーブルが施設を抜け、そのまま空へ伸びていた。
「……未来を見ているのか?」
「未来そのものじゃありません。設計データを使って、完成した状態を再現しています」
蓮が歩き出す。
「せっかくだから、上まで行きましょう」
◇
クライマーの扉が閉じた。
「これで上るのか」
バルガスが周囲を見回す。
「はい」
「宇宙まで?」
「静止軌道まで」
「三十分だったな」
「予定では」
クライマーが動き出した。
ユリウスは窓の外を見た。
地面が、ゆっくりと遠ざかっていく。
「おお……」
誰かが声を漏らした。
地上施設が小さくなる。
草原が広がる。
森と川がつながって見える。
山々が低くなっていく。
やがて雲と同じ高さになった。
そして、その上へ。
空の青が少しずつ深くなる。
やがて暗くなり、黒へ変わっていった。
星が見えた。
だが、ユリウスは星を見ていなかった。
下を見ていた。
大地が曲がっている。
海がある。
白い雲が渦を巻いている。
大陸が、一つの形として見えている。
どこからどこまでがヴァルディアなのか分からない。
アルセリア王国の境すら見えない。
父が欲しがっていた隣の領地がどこにあるのかなど、探しようもなかった。
「……そんなに小さいのか」
自分の口から出た言葉に、ユリウス自身が驚いた。
誰も笑わなかった。
少し離れた場所で、レオニスが窓の外を見つめていた。
「……あれが、アルセリアか」
蓮も柳原も答えない。
レオニスは長い間、眼下の世界を見つめていた。
「四千年か」
静かな声だった。
「私たちは、こんなことすら知らずにいたのだな」
ユリウスは、もう一度アルセリアを見た。
◇
白い天井が見えた。
透明な蓋がゆっくりと開いていく。
ユリウスはしばらく横になったままだった。
手を上げる。
今度は、本物の手だ。
「……戻った」
「お帰りなさい」
先に装置から出ていた蓮が答えた。
周囲でも次々と蓋が開いている。
グレゴールが身体を起こした。
「これは……慣れんな」
「二回目からはそうでもないぞ」
すでに立ち上がっていたエドガルが言う。
「お前はさっきから得意げだな」
「経験者だからな」
バルガスも起き上がった。
何も言わない。
ユリウスは父を見た。
先ほど宇宙から見たアルセリアが、まだ頭から離れなかった。
◇
帰る時間になった。
人類居住区の発着場には、領主たちを送り届けるための飛行艇がそれぞれ用意されていた。
行き先が違う以上、ここから先は別々になる。
「では、世話になった」
グレゴールが蓮と柳原へ頭を下げ、自分の飛行艇へ向かった。
オスカーとマティアスも、それぞれ別の機体へ乗り込んでいく。
バルガスとユリウスには、ヴァルディア領まで送り届ける飛行艇が用意されていた。
バルガスが先に乗り込む。
ユリウスは、その背中を見た。
今日一日で見たものが多すぎた。
人類の街。
BABEL。
そして、宇宙から見たアルセリア。
何かが引っかかっている。
だが、それが何なのか、まだユリウス自身にも分からなかった。
ユリウスも飛行艇へ乗った。
扉が閉じる。
機体が静かに浮かび上がった。
◇
発着場には、あと一機残っていた。
エドガルとレオニスが乗り込む。
二人とも、まずはエドガルの領地へ向かう予定になっていた。
その後ろから、柳原も乗り込んだ。
エドガルが振り返る。
「柳原殿も来られるのですか?」
「ええ」
柳原はいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「せっかくですから、少しお話でもしながらと思いまして」
「それはありがたい」
エドガルは特に疑問を持たなかった。
レオニスも何も言わない。
扉が閉まった。
飛行艇が浮上する。
人類居住区が眼下へ遠ざかっていった。
◇
「今日だけで、何年分も驚かされた気分ですな」
エドガルが笑った。
飛行艇はアルセリアの空を進んでいる。
「以前に街を訪れた時もそうでしたが、あなた方は一度に見せるものが多すぎる」
「こちらでは普通のものも多いんですよ」
柳原が答えた。
「あれが普通と言われるのが一番困る」
「BABELは普通ではありませんよ」
「それを聞いて少し安心しました」
レオニスは二人の会話を聞きながら、窓の外を眺めていた。
森が流れていく。
川が流れていく。
村が小さく見える。
先ほど宇宙から見たアルセリアとは、まるで違う。
やがて飛行艇が高度を下げ始めた。
エドガルの領地が近い。
「そろそろですな」
エドガルが窓の外を見る。
レオニスも席から立ち上がった。
「では、私もここで降りるとしよう」
柳原が顔を上げた。
「こちらでよろしいのですか?」
「ああ。エドガルと少し話もある。その後は自分で戻る」
「そうですか」
柳原は頷いた。
それから、いつもの穏やかな口調のまま尋ねた。
「王都までお送りしなくてもよろしいのですか、レオニアス陛下」
――第百七話 了
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