第106話 領主達の来訪
青空から降りてきた飛行艇が、ゆっくりと着陸地点へ近づいてきた。
地面すれすれで降下速度がさらに落ち、そのまま静かに接地する。
今日最初の一隻だった。
待っていた蓮たちの前で扉が開き、数人の随員に続いてエルフの一家が降りてくる。
領主本人だけではない。妻や子供たちも一緒だった。
人類側のスタッフが出迎え、荷物を受け取る。大きな旅行鞄も衣装箱も、ここから先は別に迎賓館へ運ばれることになっている。
一隻目に続いて、二隻目、三隻目と飛行艇が空から降りてきた。
そして四隻目。
扉から姿を現したのは、ひときわ恰幅のいい男だった。
バルガス・ヴァルディア。
その隣には次男のユリウスがいる。
地面へ降りたバルガスは、まず人類居住区をぐるりと見回した。
次に、鼻を動かした。
「……何か、うまそうな匂いがするな」
「父上。まだ到着したばかりです」
「分かっておる」
そう答えながら、バルガスはもう一度鼻を動かした。
分かっている人間の態度ではなかった。
少し離れた場所にいたミレアに気づき、ユリウスが片手を上げる。
「久しぶりだな、ミレア」
「ええ。お久しぶりです、ユリウス様」
互いに領主家の子供として、これまで何度か顔を合わせている。
ユリウスが周囲を見回した。
「随分と馴染んでいるようだな」
「長くおりますから」
ミレアが笑う。
その頃には、四人の領主とその家族の出迎えはほぼ終わっていた。
残るは一組。
「お父様、遅いですね」
ミレアが空を見上げた。
「飛行艇からは問題なしって連絡来てるよ」
隣にいた蓮も同じ方向を見る。
やがて、空に小さな点が現れた。
見る間に大きくなり、最後の飛行艇が着陸地点へ降りてくる。
機体が接地し、扉が開いた。
「お父様!」
最初に姿を見せたエドガル・アルセリアへ、ミレアが駆け寄った。
「ミレア」
エドガルも笑った。
領主としてではなく、久しぶりに娘と会った父親の顔だった。
「元気そうで安心した」
「お父様も」
「ああ。こちらは相変わらずのようだな」
エドガルが居住区を見渡す。
「来るたびに何か増えている気がするが」
「それは否定できないな」
蓮が笑った。
そのとき、エドガルの後ろからもう一人のエルフが降りてきた。
若い男だった。
少なくとも外見だけを見れば、エドガルよりずっと若い。
整った顔立ちに、落ち着いた物腰。身につけている服も上質ではあるが、特別に目立つものではない。
ミレアがわずかに首を傾げた。
「こちらは?」
尋ねられたエドガルの返答が、ほんの一瞬だけ遅れた。
「レオニス。私の親類だ。今回の訪問に同行したいと言ってな」
「レオニスだ。世話になる」
男は自然に笑った。
「ミレア・アルセリアです」
「知っている。エドガルの娘だな」
「……はい」
ミレアの返事が一瞬遅れた。
見た目は父よりずっと若い。
それなのに、エドガルを呼び捨てにしている。
しかも――父にこんな親類がいただろうか。
ミレアは父を見た。
エドガルは何も言わない。
ならば、聞かないほうがいい。
そう判断した。
「天城蓮です。よろしく」
「レオニスだ。よろしく頼む」
蓮とレオニスは普通に握手した。
それだけだった。
◇
荷物は先に迎賓館へ送られ、一行は屋根のない車両に分乗した。
まずは街を見てもらうことになったのだ。
飛行艇も、自動扉も、電灯も、エルフたちにとって今や完全な未知ではない。
だが、それらすべてが一つの街の中で当たり前のようにつながっている光景は別だった。
道路を静かに走る車両。
商業区を行き交う人々。
公園では人間とエルフの子供たちが一緒になって遊んでいる。
建物の壁面には情報表示が流れ、その下を買い物袋を持ったエルフが歩いていく。
誰も空を飛ぶ機械を見上げない。
誰も自動で動く機械を珍しがらない。
ここでは、それが生活だった。
「なるほど」
レオニスは車上から街を眺めていた。
大げさに驚くことはない。
ただ、よく見ている。
店も、道路も、人の流れも。
そのときだった。
頭上を巨大な影が横切った。
領主たちとその家族が一斉に空を見上げる。
翼を広げた巨竜が、街の中央広場へ向かって降下してきていた。
しかも、その背中に少女が乗っている。
「お、蓮ではないか」
巨竜が広場へ降り立つ。
背中からレモちゃんが顔を出した。
「蓮は今日もいそがしそうじゃのう」
「今日はお客さんの案内」
「そうか。では邪魔をしては悪いの」
レモちゃんはハムちゃんの背からひょいと降りた。
周囲の人間は誰も逃げない。
子供など、ちらりと見ただけで遊びを続けている。
バルガスがしばらく巨竜を眺めてから蓮に尋ねた。
「……今の娘は何者だ?」
「レモちゃんです」
「いや、そうではなくてだな。あの竜は?」
「ハムちゃんです」
「ハムちゃん?」
「正式にはバハムート・ディザスター・カタストロフィー」
「……なぜそこからハムちゃんになる」
「さあ」
車両は再び走り出した。
レオニスは後ろを振り返り、広場に座り込んだ巨竜をしばらく眺めていた。
◇
迎賓館へ着くと、すでに各人の荷物は部屋へ運び込まれていた。
客室はすべて賓客を迎えることを前提に造られている。
広いリビング、複数の寝室、浴室、そして街を見渡せるバルコニー。
エドガルと、その親類ということになっているレオニスには、同じスイートが割り当てられていた。
晩餐までは自由時間となった。
希望する者には人類側の案内役が付き、街の中を自由に見て回れる。
そしてバルガスは、迷わなかった。
「ここだ」
「父上?」
ユリウスが見上げた先には、一軒の店があった。
地球家。
「先ほどから気になっていた」
「このあと晩餐があります」
「見るだけだ」
バルガスは暖簾をくぐった。
ユリウスは一瞬天を仰ぎ、それから後を追った。
「らっしゃい」
店主は二人を見ても特に態度を変えなかった。
立派な服を着た、恰幅のいいエルフ。
その程度の認識らしい。
案内役が注文を伝える。
やがてバルガスの前に、湯気を上げる一杯が置かれた。
「あいよ」
濃厚な豚骨醤油の香りが立ち上る。
バルガスは箸の使い方を教わり、麺を持ち上げた。
一口。
動きが止まった。
ユリウスが横から父を見る。
「父上?」
返事はない。
二口目。
三口目。
そこから急に速度が上がった。
「……このような麺は初めて食すな」
それだけ言って、また食べる。
麺が消え、肉が消え、最後には丼を持ち上げた。
スープまで飲み干す。
「私は遠慮する。このあと晩餐なのだろう?」
ユリウスが先回りして言った。
だが、いつの間にか目の前に小さな丼が置かれていた。
「……私は頼んでいないのだが」
店主はすでに厨房へ戻っている。
返事はなかった。
ユリウスは小さな丼を見る。
父を見る。
もう一度、丼を見る。
結局、箸を取った。
一口食べる。
「…………」
そのまま二口目へ行った。
店を出る頃には、小さな丼も空になっていた。
「ありゃとしたー」
◇
一方、蓮はミレア、エドガル、レオニスとともに街を歩いていた。
商業区を抜け、公園を通り、映画館の前に差しかかる。
「映画か」
レオニスが足を止めた。
「見てみます?」
「時間はあるのか?」
「短編なら」
「ならば見たい」
上映されていたのは、スティルベル監督の新作短編だった。
かつて黒沢から映画制作を学び、『三人のアーチャー』を完成させたエルフの監督。
その後も映画を撮り続け、最近は映像効果まで試し始めているらしい。
画面の中で剣と剣が激突した。
火花が爆発した。
どう考えても、剣同士が当たっただけでは出ない量だった。
次の瞬間、魔法使いが杖を振る。
炎が街路を埋め尽くした。
「……今の炎、必要だったか?」
レオニスが小声で聞く。
「演出だそうです」
「そうか」
さらに剣士が跳ぶ。
実際のエルフでも無理だろうという高さまで跳び、空中で回転する。その背後に巨大な魔法陣が浮かび、光をまとった剣が敵へ振り下ろされた。
いつの間にか、レオニスは少し前のめりになっていた。
作品が終わる。
暗かった館内に照明が戻った。
しばらくして、レオニスが口を開いた。
「……これを、我々の民が作ったのか」
「ええ。監督も出演者もエルフです」
「そうか」
短い返事だった。
だが、その目はまだ消えたスクリーンを見ている。
「続きはないのか?」
「続編を作ってるらしいですよ」
「そうか。それは楽しみだな」
立ち上がりながら、レオニスはもう一度スクリーンを振り返った。
「……王都にも、こういう場所が欲しいものだな」
「場所と電力が確保できるなら、映画館くらいは作れますよ」
「そうか」
それ以上、レオニスは何も言わなかった。
映画館を出て、迎賓館へ戻る途中。
前方から三人連れが歩いてきた。
人間の男。
エルフの女性。
そして、ダークエルフの娘。
三人は何かを話しながら、当たり前のように並んで歩いている。
レオニスの視線が、その三人を追った。
「……あの三人は、家族なのか?」
ミレアが答える。
「ええ。そう聞いております」
「そうか」
レオニスはそれだけ言った。
三人の姿は、夕方の人波の中へ消えていった。
◇
晩餐会は、柳原の歓迎の言葉から始まった。
人類自治政府議長としての正式な挨拶。
領主側から返礼があり、杯が上がる。
そこまでは、完全な外交晩餐だった。
最初に運ばれてきたのは、色鮮やかな野菜を中心とした前菜と、澄んだコンソメだった。
派手な料理ではない。
だが、一口食べれば印象が変わる。
野菜はどれも香り、甘味、酸味、食感が不自然なほど整っている。
透明なスープは見た目に反して、驚くほど深い旨味を持っていた。
領主たちの表情から、最初にあった硬さが少しずつ消えていく。
そして次の皿が運ばれてきた。
シャトーブリアン。
厚く切られた牛肉へナイフを入れた瞬間、バルガスの眉が動いた。
抵抗らしい抵抗がない。
切り口には美しい赤みが残っている。
一口食べる。
バルガスはしばらく咀嚼したあと、皿を見た。
「これを牛肉と呼ぶのなら、我々が普段食っている肉は靴底と大して変わらんな」
その言葉に、あちこちの席から笑いが漏れた。
レオニスも笑っていた。
格式張っていた空気が、そこで一度崩れた。
続いて運ばれてきたのは天ぷらだった。
大ぶりの海老と数種類の野菜。
厨房で揚げられたものを、人間の給仕がすぐに運んでくる。
天つゆと塩。
二通りの食べ方を教えられ、それぞれが好みを試す。
そして、次の皿で何人かの手が止まった。
刺身だった。
マグロの赤身。
白身。
イカ。
海老。
「……これは、生なのか?」
バルガスが尋ねた。
「はい。海に棲む魚介を元にしたものです」
「海の魚を……生で?」
「ただし、海で捕ったものではありません」
給仕の答えに、バルガスが首を傾げた。
「では、どこで捕った?」
「捕っていません。食用の組織として培養したものです」
「……魚を育てたのではなく?」
「はい。食べる部分だけを育てています」
バルガスは刺身を見る。
給仕を見る。
もう一度、刺身を見る。
どうやら生であることより、そちらのほうが理解しにくいらしい。
レオニスが先に箸を伸ばした。
マグロを口へ運ぶ。
「……うまいな」
それを見て、ほかの者たちも続いた。
警戒はすぐに消えた。
むしろ問題は別にあった。
バルガスが空になった小皿を眺めている。
「……この量では、味がよく分からぬな」
十分に味わっていた。
少なくとも、誰の目にもそう見えた。
給仕は表情を変えなかった。
「では、先ほどの刺身とはまた違った形で、魚介を堪能していただきましょう」
会場の一角に、新たな席が用意された。
そこへ料理人が立つ。
先ほどまで天ぷらを揚げていた男だった。
今度は目の前に魚介と米が並んでいる。
料理人は説明より先に手を動かした。
酢飯を取り、形を整え、その上へマグロの赤身を載せる。
一人一貫ずつ。
レオニスが最初に取った。
口へ入れる。
「……うまいな」
さっきと同じ言葉だった。
だが、今度は少し笑っている。
そこからは早かった。
白身。
イカ。
海老。
中トロ。
そして大トロ。
「……先ほどの赤いものと同じ魚なのか?」
バルガスが大トロを眺める。
「同じマグロです。部位が違います」
さらに、海苔で囲まれた小さな寿司が置かれた。
橙色の粒が、こぼれそうなほど盛られている。
「これは?」
「魚の卵です。いくらといいます」
いくらの軍艦。
その次には、薄切りの霜降り牛を軽く炙った握りまで現れた。
一通り握り終えたところで、給仕が告げた。
「まだお召し上がりになりたい方には、ご注文に応じてお握りいたします」
バルガスの手が上がった。
「では、あの脂の多いマグロと、魚卵のものを頼む」
「大トロといくらですね。承知しました」
「私も大トロをもう一つ頼もう」
レオニスまで続いた。
それをきっかけに、ほかの席からも注文が入り始める。
その頃には、晩餐会の最初にあった緊張はほとんど消えていた。
酒も一種類ではなくなった。
ワイン。
ビール。
日本酒。
ウイスキー。
希望する者には少量ずつ出され、それぞれが気に入ったものを選ぶ。
中でもレオニスは、目についたものを片っ端から試していた。
ビールを試し、日本酒を試し、ワインを試し、ウイスキーへ行く。
気に入らないのではない。
全部試したいのだ。
それを見ていたミレアが、とうとう心配そうに声をかけた。
「レオニス様……大丈夫なのですか?」
「何がだ?」
「ずいぶん召し上がっているようですが……」
「ああ」
レオニスは手元のグラスを見た。
「私は昔から魔力が強くてな。どうにも酒に酔えん質らしい」
「酔えないのですか?」
「味は分かる。酒も好きだ」
そこで少しだけ残念そうな顔をした。
「だが、酔えん」
ミレアは何と答えればいいのか分からなかった。
ほかの領主たちや家族も、料理と酒にはすっかり満足した様子だった。
最後に出されたのは、冷たい柑橘のシャーベット。
長い食事の締めには、それくらいがちょうどよかった。
◇
夜。
迎賓館のスイート、その共用リビングに続くバルコニーにレオニスが立っていた。
手にはグラスがある。
結局、部屋へ戻ってからも飲んでいるらしい。
眼下には、人類居住区の灯りが広がっていた。
昼間の賑わいは消えている。それでも街は眠ってはいない。
夜間運行の車両が、光の間を静かに走っていく。
背後で扉が開いた。
エドガルだった。
エドガルはバルコニーへ出ると、レオニスの隣に立った。
「本日は、いかがでしたか」
「楽しかったぞ」
レオニスはあっさり答えた。
「料理も酒も、映画もな」
「それは何よりです」
「王都にも映画館は欲しいな」
「ずいぶんお気に召したようで」
「ああ。あれはいい」
レオニスは笑い、眼下の街へ視線を戻した。
「それに、面白い者たちだ」
昼間に見た街。
人間とエルフが同じ場所で暮らし、同じ店を使い、子供たちが同じ公園で遊んでいた。
人間の男とエルフの女、その隣を歩いていたダークエルフの娘。
そして夜には、人類と領主、その家族たちが同じ卓を囲んだ。
「今日見たのは、彼らの暮らしだ」
「はい」
「それだけでも、来た価値はあった」
レオニスはグラスに残っていた酒を飲み干した。
「だが、本当に見たかったものは明日だ」
エドガルは黙って続きを待つ。
「暮らしを見れば、彼らがどのような者たちなのかは分かる。だが――」
レオニスは空になったグラスを軽く揺らした。
「明日は、彼らが何を造れるのかを見る」
エドガルは静かに頭を下げた。
「……はい、レオニアス陛下」
――第百六話 了




