第105話 天と地を結ぶ糸
アップしてから別文章をアップしてることに気が付きました……
9月17日 アップし直しました。
EDENの遥か上空。
静止軌道よりもさらに遠い場所に、アマテラスはいた。
PROJECT BABELの建設期間中、星間移民船アマテラスにはもう一つの役割が与えられている。完成後に恒久的なカウンターウェイトが担う役目を、それまで一時的に代行することだった。
そのアマテラスから、単分子ワイヤーで作られた一本のシードテザーが地上へ向かって伸びていた。
降下を始めたのは、まだ地上で式典の準備が行われていた頃だった。
長大な距離を一気に降ろすことはできない。テザーを繰り出すたびに変化する張力と軌道を監視し、アマテラス自身も位置を微調整しながら、何時間もかけて先端を地上へ近づけている。
『シードテザー降下工程、正常』
『地上到達予定時刻、変更ありません』
アマテラスからEDENへ。
宇宙と地上を結ぶ、最初の一本が降りていた。
◇
赤道上。
以前は何もなかった草原の一角が、大きく姿を変えていた。
巨大な地上アンカーが造られ、その周囲では自律建設機械が動いている。少し離れた場所では地上ターミナルの基礎工事が進み、人類居住区へつながる地下真空輸送路の掘削もすでに始まっていた。
PROJECT BABEL。
地上から宇宙へ、人と物資を直接運ぶための軌道エレベーター建設計画。
今日は、その起工式だった。
もっとも、式典はまだ始まっていない。
「まだ見えない」
リシェルが空を見上げていた。
何度目か分からない。
「もう来てるぞ」
隣にいた蓮が答える。
「どこ?」
「上」
「それは分かる」
「もう少し待てって」
蓮の視界にはシードテザー先端の位置が表示されている。
地上から見れば何もない青空にしか見えないが、その上では何時間も前から作業が続いていた。
『シードテザー先端、高度三千メートル』
「そろそろ降下艇なら見える」
「本当?」
「あそこ」
蓮が指差す。
リシェルが目を細めた。
「……どこ?」
「あそこだって」
「分からない」
「俺には表示が出てるからな」
「ずるい」
「ずるいって言われても」
その時、少し離れたところから声が上がった。
「あれじゃないか?」
人々が一斉に空を見る。
青空の中に、小さな点があった。
シードテザーの端部を保持した降下艇が、ゆっくりと降りてくる。
「あ」
リシェルもようやく見つけた。
「あれ?」
「あれ」
降下艇の姿は確認できる。だが、その上へ続いているはずのシードテザーは見えない。
「……何もつながってないように見えるんだけど」
「細すぎて見えないだけだよ」
「本当にあれ、宇宙までつながってるの?」
「つながってる」
リシェルは降下艇のさらに上へ目を凝らした。
やはり何も見えない。
『高度千メートル』
地上アンカー周辺から作業員と建設機械が退避する。
降下艇は風の影響を補正しながら、地上アンカーへ向かってゆっくりと高度を下げていく。
『五百メートル』
周囲の声が少なくなった。
降下艇の形まではっきりと分かるようになっていた。
それでも、テザーは見えない。
『百メートル』
降下艇が地上アンカーの上で一度停止した。
わずかに横へ動き、位置を合わせる。
地上側の受け入れ機構が開いた。
降下艇がさらに高度を下げる。
機体下部に保持されていたシードテザーの端部が、受け入れ機構の中央へ収まった。
『シードテザー端部、受け入れ完了』
『接続開始』
固定機構が動いた。
低い機械音が続き、複数のロックが作動する。
『地上アンカー固定完了』
役目を終えた降下艇がテザー端部を切り離す。
ゆっくりと上昇し、地上アンカーから離れていった。
だが、まだ終わりではない。
『張力調整開始』
アマテラス側でも同時に制御が行われる。
地上と宇宙を結んだことで変化した張力を調整し、テザー全体を安定させていく。
蓮も黙って数値を追っていた。
しばらくして、表示の変化が止まる。
『張力正常』
『軌道側制御正常』
『地上固定部、異常なし』
さらに確認が続いた。
『全系統、安全基準を満たしました』
蓮が息を吐いた。
「よし」
そこでようやく拍手が起こった。
リシェルも手を叩きながら、地上アンカーから空へ視線を移した。
何も見えない。
けれど今、その何もないように見える空には、地上からアマテラスまで一本のシードテザーがつながっている。
◇
シードテザーの接続と安全確認を終えてから、起工式が始まった。
壇上へ上がった柳原が、集まった人々を見渡した。
「先ほど、PROJECT BABEL最初のシードテザーが地上へ接続されました」
柳原の背後には地上アンカーがある。
そこから遥か宇宙まで、肉眼では見えないほど細いシードテザーが伸びていた。
「ですが、まだこれはBABELではありません。ようやく、造り始める準備が整ったところです」
地上ターミナル。
地下真空輸送路。
クライマー。
静止軌道上に建設される軌道ターミナル。
さらにその先に造られる恒久カウンターウェイト。
完成までに必要なものは、まだいくらでもある。
「我々はこの惑星へ降りてから、ここで生きていくための場所を造ってきました。住居を造り、食料を生産し、道路を造り、町を造りました」
柳原が空を見上げた。
「そして今日、もう一度、宇宙へ続く道を造り始めます」
拍手が起こった。
それが収まるのを待って、柳原は隣へ視線を向けた。
「それでは天城さん。お願いします」
「はい」
蓮が壇上へ上がった。
中央には式典用の操作台が置かれている。
そして、その真ん中に。
「……でかくない?」
大きなボタンがあった。
周囲から笑いが漏れる。
『式典用です』
イザナミが答えた。
「それは見れば分かる」
『視認性を考慮しました』
「俺しか押さないだろ」
『式典ですので』
「……そうですか」
普段なら必要ない。
蓮がイザナミへ開始を指示するだけで済む。
それでも今日は、そういう無駄に意味がある日なのだろう。
「蓮さん、早くしてください」
美冬の声が飛んできた。
「分かってるよ」
蓮はボタンへ手を置いた。
そのまま、空を見上げる。
そこにあるはずのシードテザーは見えない。
まだ人を運ぶこともできない。
貨物を運ぶこともできない。
ただ地上と宇宙をつないだだけの、BABELの種。
蓮は視線を戻した。
「じゃあ――始めるか」
ボタンを押した。
数秒。
「……何も起きないな」
『正常です』
「もうちょっと何かないの?」
『必要ありません』
また笑いが起きた。
その直後だった。
『建設用ナノマシン、放出開始』
地上アンカーの基部で何かが動いた。
最初は、影のようにしか見えなかった。
大量のナノマシンがシードテザーの根元へ集まり、その表面へ取り付いていく。
『シードテザーへの定着を確認』
『構造同化開始』
根元が淡く光った。
「あ……」
リシェルが声を漏らした。
光は強くない。
昼間でも分かる程度の、淡い輝き。
それがゆっくりと空へ向かって登り始めた。
「光ってる」
「再構成してるんだ」
蓮が答えた。
ナノマシンは細いシードテザーそのものへ取り付き、それを足場として登っていく。既存構造へ同化しながら新たな繊維構造を形成し、束ね、さらにその外側へ新しい構造を作っていく。
一本の細い芯線から、より太く、より強いワイヤー構造へ。
造られるのは、硬い柱ではない。
無数の繊維とワイヤーが微細な空隙を残しながら組み合わされ、長大な構造物に必要なしなやかさを保ったまま成長していく。
再構成が行われている場所だけが、微かに光っていた。
そして、その光が通り過ぎたあと。
それまで見えなかったものが、地上側から少しずつ姿を現し始めた。
一本の線。
まだ細い。
それでも今度は、確かに見える。
光が上へ登るにつれて、その線も少しずつ空へ伸びていく。
『テザー構造増強工程、正常』
イザナミの声が会場へ響いた。
『PROJECT BABEL、本建設工程を開始しました』
大きな拍手が起こった。
蓮はその中で、もう一度空を見上げた。
淡い光が、一本の線を残しながら空へ昇っていく。
BABELは完成予想図の中にあるだけのものではなくなった。
地上から宇宙へ。
今、育ち始めていた。
――第百五話 了
【作者よりお願い】ここまでお読みいただきありがとうございます!もし「続きが気になる」「おもしろい」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、評価の【☆☆☆☆☆】をタップして応援していただけると、執筆の大きな励みになります!




