第102話 空を行く交渉団
会議室に表示された王国地図には、四百九十七人の出身地が光点で示されていた。
「アルセリア領だけではないな」
柳原が地図を眺めながら言った。
『はい。四百九十七名全員について、現在の居住地および出身領を照合済みです。王家直轄領を含め、複数の領地からの応募を確認しています』
光点の密度にはかなりの差がある。
町から十数人来ている場所もあれば、広い領地から数人だけという場所もあった。
「今の人数なら、どこかの領地から若者が消えるというほどではないか」
『現時点では、各領地の生産活動へ重大な影響が発生する可能性は限定的です』
「現時点では、か」
『今後も同規模の募集が継続される場合、状況は変化します』
柳原は椅子の背にもたれた。
バベルだけで終わるとも思えない。
人類側は圧倒的に人が足りない。
建設の大部分を機械とナノマシンに任せられても、人と接する仕事まで何もかも機械に任せるつもりはなかった。
「エドガル殿から話が通ったところから始めよう。これなら、こちらから勝手に各領へ接触したことにはならない」
何人かの担当者が頷いた。
「技術協力についても、こちらから品目を決めない。何に困っているのか、何が必要なのかを聞いてからだ」
「労働者の人数と交換条件を結びつけない、という方針もそのままですね」
「ああ。それは分ける」
人を何人出すから、何を渡す。
そんな形にはしない。
個人の雇用と、領地との協力は別の話として扱う。
「まずは話を聞こう。交渉はそれからだ」
柳原が立ち上がった。
◇
会議室を出てしばらく歩いたところで、柳原は見覚えのある白髪を見つけた。
セレネだった。
蓮と美冬も一緒にいる。
「セレネさん」
「ん?」
褐色の顔がこちらを向く。
「まだこちらにいたんですね」
「七人を連れてきたからな。あいつらの話が終わるまではいる」
「ちょうどよかった。少し聞きたいことがあります」
「何だ?」
「あなたの里についてです」
セレネが首を傾げた。
「領主は誰です?」
「いないぞ」
「……いない?」
蓮までセレネを見た。
「そうなの?」
「言ってなかったか?」
「聞いてない」
「そうか」
セレネはそれで納得したらしい。
「どこの領地にも属していないんですか」
「少なくとも、誰かを領主として暮らしてはいない」
セレネは少し考えた。
「昔は一つの場所に住む民ではなかったそうだ」
「移動して暮らしていた?」
「ああ。追われることも多かったと聞いている」
そこで一度言葉を切る。
「ダークエルフを嫌う者は、昔からいたからな」
柳原は黙って続きを待った。
「今の山に住むようになってからも、どこかの貴族に仕えたわけではない。家を建てるのも、狩りをするのも自分たちだ。何かあれば皆で話す」
「村長のような人は?」
「いない」
「では、外部との交渉は誰が?」
「……私か?」
「私に聞かれても」
「私もよく分からん」
美冬が小さく笑った。
「今ならセレネさんが一番近いんじゃないですか? 人間側とのやり取りも多いですし」
セレネはしばらく考え、
「なら、私なのだろう」
「今決めたよね?」
蓮が言った。
「細かいことはいい」
「かなり大事なことだと思うけど」
柳原も笑いそうになったが、どうにか堪えた。
「では、代表に近い立場として聞きます」
「うむ」
「今回、あなたの里から七人がこちらで働くことになります。里として何か希望はありますか?」
「希望?」
「ええ。七人が抜けることで困ることがあるなら、それも聞いておきたい」
セレネが眉を寄せた。
「なぜ困る?」
「いや、例えば仕事の人手が――」
「あいつらが自分で決めて来たのだぞ」
「それは承知しています」
「なら、何もいらんだろう」
あっさりした答えだった。
「ずっと人間の町に住むと決めたわけでもない。働いて、覚えて、帰りたくなれば帰ればいい」
「なるほど」
「人間のところで色々覚えられるのだろう?」
「ええ」
「なら、それでいい。帰ってきたら、覚えたことを皆に教えればいい」
柳原は頷いた。
「分かりました。ただ、何か必要なものがあるなら遠慮なく言ってください。できることなら検討します」
「必要なもの……」
セレネが考え込んだ。
柳原は待った。
その視線が、ゆっくりと横へ動く。
蓮のところで止まった。
「……なら、蓮が婿に来るか?」
「なんで?」
蓮の返事は反射だった。
数秒して、その顔から笑いが消えた。
「……ちょっと待って。昨日の酒、まだ残ってる?」
「アルコールなら医療ナノマシンでもう分解されていますよ」
美冬が答えた。
蓮が横を向く。
「じゃあ素面なの?」
「そういうことになりますね」
「そっちの方が問題なんだけど」
「何がだ?」
セレネは本当に分かっていないらしい。
「蓮なら歓迎するぞ」
「誰が?」
「私もだし、里の皆もだ」
蓮が美冬を見た。
「……美冬?」
「何ですか」
「何か言って」
「セレネさんが素面であることは確認できました」
「そこから先は?」
「知りません」
「なんで急に冷たくなるの」
柳原が咳払いした。
「その話はいったん置いておきましょう」
「なぜだ?」
「私の権限で天城君を婿に出すことはできません」
「権限があっても出さないでください」
「分かっている」
セレネが蓮を見る。
「嫌なのか?」
「本人確認まで進めないで!」
「婿なら外交ではないぞ。家族だ」
「そういう問題じゃない!」
美冬が静かに柳原を見る。
「柳原さん」
「はい」
「お仕事に戻りましょう」
「そうですね」
「助かった」
蓮が胸を撫で下ろす。
「蓮さんはあとで話があります」
「助かってなかった」
◇
数日後。
エドガルから連絡を受けた人類自治政府は、アルセリア領へ向けて小型機を飛ばした。
左右に翼を持つ、十人ほどが乗れる機体だった。
操縦席には一人。
柳原のほか、今回の交渉を担当する職員と技術担当者が乗り込んでいる。
機体が地面を離れた。
滑走することなく、そのまま静かに浮き上がる。
大きな音はしない。
機体の下に立っていられないような風が巻き起こることもなかった。
高度を取ると機首がわずかに下がり、後部から低い駆動音が聞こえた。
翼の向こうへ森が流れていく。
やがて畑が見え始めた。
その向こうに家々が集まり、さらに進むと一際大きな屋敷が見えてくる。
アルセリア家だった。
◇
屋敷前の広場には、すでに人が集まっていた。
空を見上げる者たちの前で、小型機が速度を落とした。
地上すれすれまで来ると前進を止め、そのままゆっくりと降りていく。
着地した。
扉が開く。
柳原が降りると、エドガルが待っていた。
「本当に空から来たか」
「お待たせしました」
「いや」
エドガルは柳原ではなく、その背後を見ている。
「これで来たのか」
「ええ」
「人間の町から?」
「はい」
エドガルは機体の周囲を見た。
「どれほどかかった」
「十五分ほどですね」
「……十五分?」
「はい」
「私はあの道を馬車で一晩かけて帰ってきたのだが」
「空なら真っ直ぐ来られますから」
エドガルが黙った。
機体を見上げる。
「操縦する者は一人か」
「一人です」
「もし倒れたら?」
「自動で操縦を引き継いで、安全な場所へ着陸します。危険な操作も機体の方で止めます」
エドガルの視線が操縦席へ向いた。
「……乗る者が間違えても、乗り物が止めるのか」
「そうなります」
「馬より賢いな」
「馬に聞かれたら怒られそうですね」
「馬は十五分では着かん」
もう一度、小型機を眺める。
「速い。馬より安全。休ませる必要もない」
「ええ」
エドガルが真顔のまま言った。
「まず、この乗り物を所望したいものだな」
柳原は一瞬、返事に詰まった。
エドガルの口元がわずかに上がる。
「言ってみただけだ」
「いきなり大物ですね」
「交渉は大きく出るものだろう」
「まだ交渉相手のところにも着いてませんよ」
「では行こう」
エドガルはさっさと機体へ向かった。
◇
エドガルが座席に腰を下ろす。
扉が閉まった。
ほどなくして、屋敷が窓の下へ沈んでいく。
「……なるほど」
エドガルは外を見たまま呟いた。
「どうです?」
「腹が浮くような感じすらほとんどない」
「そうならないように調整されています」
「何でも勝手にやってくれるのだな」
「全部ではありませんよ」
「そうか?」
エドガルは操縦席を見た。
「先ほど聞いた限りでは、操縦する者よりこちらの方がしっかりしていそうだが」
操縦士が振り返った。
「聞こえてますよ」
「なら、しっかり操縦してくれ」
「機体に任せます」
「おい」
柳原が笑った。
「冗談です」
「人間は分かりにくい冗談を言うな」
「エドガル殿にだけは言われたくないと思いますよ」
「私は分かりやすい」
「飛行機を所望されたとき、本気かと思いましたが」
「あれはお前が鈍い」
エドガルは満足そうに背もたれへ身体を預けた。
少しして、柳原が薄いケースを取り出した。
「そうだ。これを先に渡しておきます」
「何だ?」
中から出てきたのは、掌より少し大きな薄い板だった。
エドガルが受け取る。
「通信具か?」
「ええ」
「以前から使われている指輪とは違うのか」
「こちらは主に、私たちとの連絡用です」
柳原が簡単に操作する。
板の上に淡い光が浮かんだ。
光が形を結ぶ。
人の顔になった。
『聞こえていますか?』
美冬だった。
エドガルの眉が上がった。
「神崎殿?」
『はい』
エドガルは板を裏返した。
何もない。
もう一度表へ戻す。
美冬の顔がまだそこにある。
「これは今の神崎殿なのか?」
『今の私ですよ』
「記録ではない?」
『違います』
エドガルが顔を近づける。
美冬も少し怪訝そうな顔をした。
『近いです』
「こちらが見えているのか?」
『エドガルさんのお顔は見えています』
エドガルはすぐに板を自分から離した。
「周りもか?」
『いいえ。勝手に周囲を見ることはできません。通話を受けるかどうかも、そちらで決められます』
「ほう」
今度は横から眺める。
「神崎殿」
『はい』
「蓮はいるか?」
『いますけど』
「代われるか」
『少々お待ちください』
映像が揺れた。
数秒後、蓮の顔が現れる。
『何?』
「本当に天城殿だな」
『そりゃそうだけど』
「用はない」
『え?』
エドガルが通信を切った。
光が消える。
「……これは便利だな」
柳原は苦笑した。
「今ので使い方はだいたい分かったと思います」
「簡単だ」
「必要があれば、こちらへ直接連絡してください」
「夜中でもか?」
「できれば昼間にしてください」
「分かった」
エドガルは端末を懐へ入れた。
「ところで」
「はい」
「娘にもこれを渡すのか?」
「仕事上必要になれば」
「そうか」
少し考える。
「なら、私とも繋がるようにしておいてくれ」
「……ミレアさんが嫌がりませんかね」
「なぜだ?」
「いえ」
柳原はそれ以上言わなかった。
◇
しばらくすると、エドガルの表情が変わった。
窓の外を見ていた目が、前方へ向く。
「そろそろだ」
「分かりますか」
「あの山だ」
エドガルが指した。
遠くに、低い山並みが見える。
「向こう側が領境になる」
「相手の領主について、もう一度聞いておいても?」
「構わん」
エドガルは腕を組んだ。
「私とは何度も会っている。話の分からぬ男ではない」
「それは助かります」
「ただし、人間を信用しているわけでもない」
「でしょうね」
「お前たちを、珍しい技を持った新参者としか見ていない者もいる。数が少ないことを理由に軽く見る者もいる」
「それも想定しています」
「ならいい」
エドガルは少し黙った。
「それと、私が先に話をしたから会うのであって、お前たちに会いたがっているわけではない。そのつもりでいろ」
「分かりました」
「私の顔を潰すなよ」
「努力します」
「努力では困る」
「善処します」
「悪くなったぞ」
機体が速度を落とし始めた。
眼下に町が見える。
屋根の連なり。
広場。
そこへ集まった人々。
さらに奥には、周囲より一回り大きな館があった。
エドガルが上着を整える。
「さて」
柳原も席を立った。
小型機が静かに高度を下げていく。
「ここからが面倒だぞ、柳原殿」
「でしょうね」
着陸脚が地面に触れた。
第百二話 了




