第7話 三つの契約
ローウェンと一緒に歩き始めて、もう二時間近く経った気がする。
「足痛い、休憩……」
僕が弱音を吐いても、ローウェンは聞く耳を持たず、道の脇を指さした。
「ほら、あそこに祠あるだろ。あそこで、召喚獣と契約できるぞ」
指の先には、街道の外れ、木々が生い茂る場所にぽつんと小さな祠があった。お地蔵さんでも祀っていそうな、古びた祠だ。苔が好き放題に張りついていて、かなり年季が入っているように見える。
なにこれ?
僕が戸惑っている間にも、ローウェンは迷いなく祠へ近づき、古びた扉に手をかけた。
ぎい、と乾いた音が鳴る。次の瞬間、中から黄色い毛並みの獣が姿を現した。
犬?――いや、全然でかい。
どう見ても祠より大きいんだが、どういう原理だ?
そいつは鋭い眼光でこちらを睨み、牙をむき出しにしていた。犬というより、狼に近い。
「ほら、目の前まで行って、力を貸してほしいって強く願え。うまくやれば貸してくれる」
「雑すぎないか?」
グルル、と低い唸り声が喉の奥から響いた。
一歩近づくと、狼の耳がぴくりと動く。もう一歩。今度は前足に力が入った。逃げるためではない。飛びかかる準備だ。
喉が乾く。
それでも、ここで退いたら終わりだ。僕は両手を見えるように下げたまま、少しずつ距離を詰める。
「すまん。僕に力を貸してくれないか。お前の力が必要なんだ」
狼は答えない。ただ、正面から僕を見た。
その瞬間、胸の奥を爪で引っかかれたような感覚が走った。怖い。逃げたい。けれど、その奥にあるものまで、無理やり覗かれている気がした。
僕が本気で力を求めているのか。それとも、ただ楽をしたいだけなのか。
そんなものを見定められている。
「頼む」
もう一度だけ言って、僕はゆっくりと手を伸ばした。狼は噛まなかった。
指先が額の毛に触れた瞬間、冷たい風が体の中を吹き抜けた。
視界がぶれる。足元の土の匂い。遠くの草の揺れる音。ローウェンの呼吸。今まで拾えていなかったものが、一気に流れ込んでくる。
同時に、自分の内側へ別の鼓動が重なった。
人間のものではない。もっと速く、もっと荒く、もっと獣に近い鼓動。
――力を貸してやる。
声ではない。けれど、確かにそう伝わった。
次の瞬間、手の中から感触が消えた。狼は満足したように身を翻し、祠の中へ戻っていく。
僕はしばらく、その場から動けなかった。
胸の奥に、まだ風が残っている。
「……契約、できたのか?」
ようやくローウェンの方を向くと、なぜか唖然とした顔をしていた。
「風狼はプライド高いんだぞ。よく一発で通ったな。噛まれて追い返されると思ってたのに……」
「おい、ひどすぎだろ! サポートしてくれよ」
「失敗して覚えんだよ。なんで成功してんだ」
なぜローウェンが怒っているのか、本当にわからない。理不尽にもほどがある。
「まあいい。街道の脇には、たまに祠がある。見つけたら、力を貸してくれるか聞いてみろ」
「やばい召喚獣が出たりしないか?」
ローウェンは、わざと聞こえるように大きくため息をついた。
「街道に祀られてるのは、基本的に弱い召喚獣だけだ。初心者が契約するための場所だからな。向こうも暇してることが多いし、相性が悪くなければ力くらい貸してくれる」
「そういうもんか。じゃあ、デッキ組めるまで祠を回るか」
「どれだけカードないんだよ……。そんなに都合よく祠はないぞ。足りない分は、自分のカードとショップで買えるやつを使え」
そうは言っても、召喚カードを買う金がない。ローウェンが少しくらい融通してくれるんだろうか。
「僕、お金ないんだけど。ローウェン、貸してくれるのかな?」
「ルナ様に頼まれてるから貸してやる。けど、絶対返せよ」
「出世払いで」
「出世しなかったらどうすんだ」
軽口を叩き合いながら、また二人で歩き出す。
しばらく進むと、遠くに巨大な城壁が見えてきた。ただの街ではない。
石を積み上げた高い壁が、視界の端から端まで続いている。門の前には荷馬車や旅人が列を作り、槍を持った兵士たちが一人ずつ身分を確認していた。
「……でか」
思わず声が漏れる。
「あれが王都だ。カードパックを買ったら、そのまま訓練所に行くぞ」
カードパックが買える。
たったその一言で、僕は一気に息を吹き返した。足は相変わらず重いけれど、もう少しなら頑張れそうだ。
王都の門前まで来ると、ローウェンは門番のところで何かの手続きを始めた。
「ここで待ってろ。見習い扱いだから、入都許可を通すのに少し時間がかかる」
「え、僕だけ面倒なの?」
「正式な召喚師じゃないからな。下手に動くなよ」
そう言い残して、ローウェンは兵士たちの詰所の方へ向かっていった。僕は仕方なく、門の脇で待つ。
荷馬車の車輪が石畳をきしませ、兵士の怒鳴り声が飛び交う。門の奥には、さらに大通りと建物の屋根が見えた。人の数も、音の量も、さっきまでの街道とはまるで違う。
そのとき、少し離れた場所に苔むした小さな祠が二つ、ひっそり並んでいるのが目に入った。
城壁の陰に隠れるような場所だ。
街道沿いの祠よりもさらに小さい。けれど、扉にはさっきの風狼の祠と同じように、古びた紋様が刻まれている。
「……あれも、契約できるやつかな」
ローウェンはまだ詰所の前で兵士と話している。少し揉めているのか、書類のようなものを出されて眉間に皺を寄せていた。
今なら、少しくらい離れても気づかれない。
僕は門の脇を抜け、城壁の陰に並んだ二つの祠へ近づいた。
まず、左の祠の扉に手をかける。
ぎい、と小さな音がして、中から丸い目がこちらを見返した。
ふくろうだ。
ただし、普通のふくろうではない。羽の端に淡い緑の光が滲み、首を傾げるたびに、こちらの考えを読んでいるような嫌な間がある。
逃げようとはしない。
警戒しているようにも見えない。
ただ、僕が何をするのか、最初から分かっているみたいに待っていた。
「えっと……力を貸してくれないか」
ふくろうはしばらく僕を見つめたあと、音もなく羽を広げた。
その羽が一度だけ僕の額に触れる。瞬間、視界の端が広がった。
正面を見ているのに、横の荷馬車の動きまでわかる。門番の足元、屋根の上を跳ねる小鳥、ローウェンがまだ兵士に説明している姿まで、一度に目に入ってきた。
情報が多すぎる。目を増やされたみたいで、頭の奥が少し痛い。
気持ち悪い。けれど、悪い感覚ではなかった。
ふくろうは満足したように目を細めると、祠の奥へ戻っていった。
無事契約できたようだ。
続けて、右の祠を開ける。
今度は、茶色い猿が飛び出してきた。僕の肩くらいまでしかない小柄な猿だが、目つきがやたら悪い。こちらを見るなり、にやりと笑ったように牙を見せる。
「お前も、力を貸してくれないか」
猿は返事の代わりに、僕の周りを一周した。そして、いきなり腰のデッキケースに手を伸ばす。
「ちょ、待て!」
慌てて押さえた瞬間、猿の指先が僕の手に触れた。
手首が熱くなる。
次の瞬間、指が勝手に動きそうになった。何かを掴む感覚。奪う感覚。高い場所へ駆け上がるような、妙な軽さ。
猿は満足したのか、けらけら笑うように喉を鳴らして、祠の中へ戻っていく。
「……今の、契約でいいんだよな?」
確認する相手はいない。手首の熱が、まだ消えない。
振り返ると、ローウェンが詰所から出てくるところだった。
契約したことを、知られないほうが後々有利になるかもしれない。
僕は何食わぬ顔で門の脇へ戻る。
「おい、行くぞ。勝手に動くなって言っただろ」
「いや、ちょっと周りを見てただけ」
ローウェンは怪しむように僕を見たが、門前の混雑に気を取られたのか、それ以上は追及してこなかった。




