第19話 召喚師が残したカード
翌朝、ひとりで起きてギルドへ向かった。クエストを探すためだ。
石畳を踏みながら、ふと、日雇いのバイトみたいだなと思う。
少し前までは会社員だったはずなのに、今は異世界で仕事を探して街を歩いている。
働かなければ、そのまま食えなくなる。
財布の中身を思い出し、無意識にポケットを押さえた。
金が減るのが怖くて、結局、昨日は何も食べていない。
もしローウェンに知られたら、「ちゃんと食え」と怒鳴られるだろう。あいつ、妙なところで世話焼きだからな。
だから今日は、少しでも報酬のいい仕事を取りたかった。
ギルドの掲示板には、昨日とは違う紙が何枚も重なって貼られていた。
古い依頼の上から、新しい依頼が雑に押し込まれている。
荷物の運搬。害獣駆除。行方不明者の調査。
「祠探しはないか……」
どうやら人生はそううまくいかないらしい。
もういいか。指運に任せて、一枚剥ぎ取った。
【召喚具店員】
北の召喚具店「くすのき」で接客
報酬 クロム銅貨6枚
功績値50ポイント付与
備考 長期働けるもの求む
可愛い店長つき(ハート)
「……なんだこれ」
思わず眉をひそめる。
カードショップか。
リコさんの店とは別らしいが、カードに触れられるなら悪くない。少なくとも、荷運びよりは僕向きだろう。
問題は、この「可愛い店長つき(ハート)」とかいう、ふざけた備考だけど。
僕は嫌な予感を覚えながら、その紙を受付へ持っていった。
「召喚師カード、確認しますね。……風の陣営ですか」
受付のお姉さんが、そこで少しだけ言葉を止めた。
「風だと受けられませんか?」
「いえ、このクエスト自体に制限はありません。ただ、北側のショップは地の管轄ですので、念のため確認しておりました」
「管轄、ですか」
カードショップにも、そういう縄張りみたいなものがあるのか。
風の管轄がリコさんの店だとすれば、これは他所の陣営の店で働くようなものなのかもしれない。
「大丈夫なんですか?」
「手続き上は問題ありません。ただし、最終的に採用するかどうかは店側の判断になります。属性違いという理由で、面接時に断られるケースもありますので、その点だけご理解ください」
面接。
その言葉に、妙な現実味があった。
異世界に来ても、結局こういうところは変わらないらしい。
「……わかりました。明日からですか?」
「いえ、受注次第の依頼です。このあと、そのまま向かってください」
急に話が動き出した。心の準備をする暇もない。
僕は礼を言って、教えられた場所へ向かった。
北側の通りは、昨日歩いた賑やかな場所とは少し空気が違っていた。
露店の声は少なく、代わりに、石造りの店や古い看板が並んでいる。通り全体に、どこか落ち着いた、よそ者を値踏みするような静けさがあった。
目的のカードショップは、すぐにわかった。
店頭には季節の花が綺麗に飾られていて、看板には丸みのある字で「くすのき」と書かれている。
依頼書のふざけた備考とは違って、店構えは拍子抜けするほど上品だった。
だからこそ、余計に警戒してしまう。
しかし、でかい。リコさんの店の三倍以上はありそうだった。
これはたしかに店番が必要だろう。
おそるおそる扉を開ける。
店内には、リコさんと同じように三角帽子をかぶったお姉さんが、椅子に腰かけて本を読んでいた。
「いらっしゃいませ」
眼鏡。知的で、柔らかい笑顔。僕より少し上くらいだろうか。雰囲気は完全にお姉さんだった。
「ギルドの紹介で来ました」
「えっ、本当に来てくれたの!?」
さっきまでのおっとりした空気が、一瞬で跳ねた。
コハクさんは勢いよく椅子から立ち上がる。
「嬉しい。私、店主のコハク。よろしくね」
見た目に反して動きが妙に速い。その落差に、少しだけ面食らった。
「僕は、透です」
「トオル君ね。じゃあ今からよろしくね」
「……面接とかは?」
「来てくれた時点で採用よ。人がいないから」
あまりにも即決だった。少し緊張していたぶん、なんだか拍子抜けする。
「召喚師だよね? なら、まずはカードパックの販売から覚えよっか。こっちが基本のパック。十枚入りが銀貨5枚。五枚入りが銀貨3枚」
コハクさんは棚の前に立つと、慣れた手つきで箱を指していく。
「それから、うちはカードの単品売買もやってるの。最初は私が見るから、査定は勝手にしないでね。高いカードを安く買ったり、安いカードを高く買ったりすると、あとで泣くことになるから」
「……店が、ですか?」
「お店も。トオル君も」
柔らかい笑顔のまま、言っていることはわりと怖かった。そのまま僕は、流されるようにカウンターの内側へ入った。
店番に立って、まず驚いたのは人の多さだった。
リコさんの小さな店とは違って、客が途切れない。騎士風の男、ローブを纏った女、まだ子どもに見える召喚師までいる。
「基本パックを二つ」
「地属性の五枚入りを」
「単品の査定を頼む」
声が次々に飛んでくる。
コハクさんに教えられた通りに棚からパックを取り、代金を受け取り、釣り銭を返す。それだけの作業なのに、客が続くと妙に手元が焦った。
パックが、飛ぶように売れていく。
大銀貨。銀貨。銅貨。
客の手から当たり前みたいに金が出ていくたび、昨日、何も食べずに寝た自分との差を見せつけられている気がした。
「よし、お昼の鐘も鳴ったし、休憩しよ」
「昼は営業しないんですか?」
「うん。昼は閉めるの。無理して開けても、私が先に倒れちゃうからね」
そう言って、コハクさんは店の奥へ僕を案内した。
小さな休憩部屋には、木の卓と椅子が二つ置かれていた。
コハクさんが布に包んでいたパンを広げる。薄く切った肉と野菜を挟んだ、サンドイッチみたいなものだった。
「うちはお昼ご飯つき。遠慮しないで食べて」
「……いいんですか?」
「働いてくれた人にご飯を出すのは、うちの決まりだから」
その一言で、少しだけ喉の奥が詰まった。
昨日から何も食べていない。そう言うのは、なんとなく恥ずかしかった。だから僕は礼だけ言って、パンを口に運んだ。
噛んだ瞬間、腹の奥が急に空っぽだったことを思い出した。肉の塩気と野菜の水気が、変に染みる。
「……おいしいです」
「よかった」
コハクさんは柔らかく笑って、自分の分のパンを手に取った。
「しかし、お給料安いのに来てくれて助かるよ。私ひとりだと大変で」
「いえ、楽しいです。僕も召喚師を始めたばかりで、勉強になります」
「そう言ってもらえると嬉しいな。ここ、おばあちゃんから引き継いだ店なんだけど、思ったより忙しくてね。ひとりじゃ、どうしても回らなくて」
軽い口調だったが、店内の客の多さを見たあとだと、その言葉が冗談ではないことはわかった。
昼食を終えて店を開けると、また客がひっきりなしに入ってきた。
閉店の札を出したころには、足が少し重い。でも、不思議と嫌な疲れではなかった。
「トオル君、よかったよ。ありがと」
コハクさんは売上を確認しながら、満足そうに頷いた。
「よかったら、暇な時だけでも働かない?」
他の仕事にも興味はある。けれど、こうして決まって戻れる場所があるのはありがたかった。毎朝、掲示板の前で仕事を探す生活から、少しでも抜け出したかった。
返事を言い淀んでいると、コハクさんが続けた。
「お昼もつくし、店長も可愛いでしょ?私フリーだよ。どう、働きたくなった?」
「他の仕事と並行でも良ければ」
「あ、今働くって言ったね。ありがとう、助かる」
押し切られた気もする。けれど、不思議と悪い気はしなかった。
しばらく、ここで厄介になろう。
僕は翌日も、その翌日もコハクさんの店で働いた。
三日目の夕方。閉店後、コハクさんが奥から布包みを持ってきて、僕の前に置いた。
乾いた土のような、鉄のような匂いがし、なんだか嫌な予感がした。
「これ、売るから綺麗にするの手伝って」
布がほどかれる。中から出てきたのは、カードの束だった。
ただし、普通のカードではない。
端にはどす黒く変色したものがこびりつき、何枚かは表面まで汚れている。
思わず手が止まる。
血だ。
そう気づいた瞬間、指先が止まった。
「……これ、なんですか」
「あ、ごめんごめん。説明してなかったね。召喚師が死ぬとね、バインダーは残らないんだけど、デッキは残るの」
つまり、召喚師の遺品ということか。
「じゃあ、今回誰かが?」
「うん。地の所属で、ここにもよく顔出してたんだけどね……クエスト失敗しちゃったみたいだね」
「死ぬようなクエスト、あるんですか?」
「あるよ。召喚首を狙ったりすると、降参なしのルールになることがあるから。だからトオル君も気をつけるんだよ。危ないクエストは受けない」
「……はい」
ローウェンが、タリスマンがなくなったらすぐ降参しろと言っていた理由が、ようやく腹に落ちた。
タルタロスを使ったあと、半ば無理やり約束させられたけど、あれは僕を縛るためじゃない。
死なせないためだった。
「遺品だから、捨てるのもね」
コハクさんは、血のついたカードを一枚手に取った。
「だから、同じ召喚師の人に使ってもらってるの。欲しいのがあったら、優先的に売ってあげるよ」
クエストでも死ぬことがある。
その事実は、思った以上に重かった。
血のついたカードを一枚ずつ拭きながら、順に見ていく。
知らない誰かが使っていたデッキ。
さっきまで生きていたわけじゃない。けれど、少なくともこのカードを握って戦っていた時間があったはずだ。
考えても答えは出ないのに、血を拭うたび、カードの向こうにいたはずの誰かの輪郭だけが、少しずつ濃くなっていく気がした。
それでも、手元の血だけは布に移っていく。その中の一枚。真っ黒なカードに、目が止まった。
黒く汚れた端を拭うと、滲んだ血の下から文字が浮かび上がる。
【未解放カード 我が主の仇を取れ】
胸の奥が、嫌な形でざわついた。
ただの文字のはずなのに、見ているだけで喉の奥が詰まる。
誰かが死んだあとに残ったカード。誰かが最後まで握っていたかもしれないカード。そこに刻まれた言葉が、偶然とは思えなかった。
連れて行け。
そう訴えかけられているように見えた。
お前の主人の仇を取れってことか。いや、これ、元々の解放条件から変わったのか?
「コハクさん。これ、いくらなら売ってもらえますか?」
「未解放カード?」
コハクさんはカードを覗き込み、少し首を傾げた。
「正直、よくわからないから値付けできないんだよね……うーん、そうだな。大銀貨一枚!」
「高いです」
反射で声が出た。全然買えない。
「まぁ未開放カードはコレクターも買ってくれないしね…
じゃあ、霜の月までうちの店で働いてくれるなら、特別に小銀貨一枚にしたげるよ。どう?」
持ち金と、ほとんど同じだった。
買えば、また一文無しだ。
買わなければ、このカードは誰か別の召喚師の手に渡るかもしれない。
けれど本当は、金の問題ではなかった。
このカードを手放してはいけない。
そう思った時点で、もう答えは決まっていたのだと思う。死んだ誰かの未練なのか、カードそのものの呼び声なのか、それとも僕が勝手に意味を見出しているだけなのかはわからない。ただ、血の匂いが残る指先でそのカードを押さえたまま、僕はどうしても目を離せなかった。
「……買います」
今日はまた夕食抜きだな…




