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第9話   謎の武道家の魅力

 梨音《りおん》は足の怪我など完全に忘れ、ゆっくりと自分に歩み寄ってくる謎の武道家の姿に見とれていた。


 何が起こったのか、未だに理解が追いつかない。


 あまりにも凄まじい出来事だったので、脳が処理を拒んでいるかのようだ。


 そう感じるのも当然だった。


 自死を覚悟した直後、まるで疾風のように現れた謎の武道家。


 年齢は三十代前半か半ばぐらいだろうか。


 特徴のない普通の黒髪に、少年の面影が残る凛々しい顔つき。


 目鼻立ちはすっきりと整っていて、胴着の合間からはネコ科の猛獣を思わせるしなやかな筋肉が覗いている。


 そして着ていた胴着は、やはり柔道着や拳法着ではなかった。


 右胸に「仙武館」と刺繍された空手着だ。


(キレイ……)


 梨音は胸中でつぶやいた。


 謎の武道家の輪郭が鮮明になるにつれて、十代や二十代では出せない大人の魅力が衝撃波となって押し寄せてくる。


 その中でも梨音の胸をもっとも高鳴らせたのは、謎の武道家の常識外れな強さだった。


 Aランクの探索者たちがレイドを組んでも勝てるかどうかわからない、イレギュラーであるクリムゾン・オーガを単独で倒した圧倒的な武力。


 しかも謎の武道家は一切の武具を身に着けていなかった。


 こんなことはダンジョン探索者やDライバーではあり得ない。


 ダンジョンは潜るだけで身体能力が低下する魔窟なのだ。

 

 なのでダンジョンに潜る者は魔法が付与された武具を装備するのは当たり前であり、加えて魔法薬によって魔法を使えるようにしておくのも最低条件。


 それでもダンジョンに潜れば常に死が付き纏う。


 だからこそ、ダンジョンに潜る者たちは強さに憧れる。


 梨音もその中の一人だ。


 ダンジョン配信と探索者専門学校に通っていた時間以外のほとんどは、可能な限り武の鍛錬をして己の心身を鍛えていた。


 フェンシングをベースに適性だった風魔法を融合させ、オリジナルな武術を編み出してBランクまで昇格した。


 すべては陰の努力を怠らなかったからだ。


 それでもイレギュラーに遭遇すれば死を覚悟する。


 さっきまでがそうだった。


 イレギュラーであるクリムゾン・オーガに襲われ、嬲り殺しになるくらいならリスナーたちに悪いが自殺を覚悟したのである。


 しかし、結果的に梨音は殺されずにすんだ。


 名も知らない謎の武道家に助けられたから――。


「君、大丈夫かい?」


 謎の武道家が心配そうに声をかけてくる。


(……やばい)


 その声はやや低く落ち着きのある声だった。


「どうやら足を怪我しているようだね」


(マジでやばい)


 梨音は顔を真っ赤にさせて全身を小刻みに震わせた。


 年上好きで強者にリスペクトしていた梨音にとって、クリムゾン・オーガをたった一人で倒した謎の武道家のすべてに惹かれた。


(メッチャあたしの好みのタイプなんですけど!)


 口から心臓が飛び出そうなほど胸の動悸が激しくなっていく。


 一方、謎の武道家は梨音を見て動揺する。


「顔が真っ赤じゃないか。怪我のせいで熱が出てきたんだな」


(違います。あなたに心の底から魅了されたからです)


 梨音は謎の武道家を見上げつつ、初対面でありながらも自分の感情を素直に伝えようとした。


 だが、梨音はすぐにハッとして遠くのドローンに顔を向ける。


 地面に落ちていたドローンは未だに配信中のランプが点いていた。


 それを見て梨音は冷静さを取り戻した。


(ダメよ、梨音。あなたは大勢のリスナーに応援されているDライバーなのよ。そんな人間が配信中にリスナーたちを裏切る行為はしちゃダメ)


 梨音は自分自身に喝を入れ、謎の武道家に対する思いをグッと飲み込んだ。


 女性配信者でチャンネル登録者数が50万人を超えると、必ずリスナーの中には一般のファンに混じってアンチやガチ恋勢が出てくる。


 アンチとは積極的に否定的な行動を取る人間のことで、最近ではわざわざ高額なスパチャで悪口をコメントするアンチもいるぐらいだ。


 そしてガチ恋勢とは「推し」に対する想いが強すぎるあまり、熱心なファンを通り越して本気で恋愛感情を抱いてしまう人間のことを指す。


 梨音はアンチに対しては容赦なく見つけ次第ブロックするなどしているが、ガチ恋勢はあくまでも熱心なファンの延長線上の存在なので無下には扱わない。


 けれども、反転アンチと呼ばれる存在になるのはこのガチ恋勢たちに多い。


 反転アンチは読んで字の如く、これまで熱心なファンだった人間があることをきっかけにアンチになってしまうことをいう。


 女性配信者のリスナーの場合、配信中に見知らぬ男性と仲良くしたり、誰か特定の男性に対して強い好意を示したときだろうか。


 こうなると可愛さ余って憎さ百倍状態になり、反転アンチとなった人間たちは女性配信者本人のみならず、好意を示した男性の個人情報を特定したり殺害予告をしたりと犯罪行為に発展しまうこともある。


 だから梨音は配信中には男性探索者や男性配信者とは関わらないでいた。


 これまで他のパーティーに勧誘されたり、大規模なレイド戦への参加を求められたりしたこともあったが、女性だけの探索者パーティーはほぼいないので丁重に断って単独配信を続けてきた。


 これまで梨音を配信者として育ててくれたのは、間違いなくリスナーたちだ。


 たとえガチ恋勢とまではいかなくても、一般の男性ファンの中にはなるべく配信中に他の男性と関わらないことを望む人間が多いだろう。


 配信者にとってリスナーは絶対に大事にしなくてはならない存在だ。


 日常の大切な可処分時間を削って視に来てくれているのだから、彼ら男性ファンの「リオン」というDライバーの理想像を崩してはならない。


 しかし――


「大丈夫、ちょうど君の怪我を治すアイテムを持っているんだ。これで怪我を――」


 梨音の思考が軽くパニックを起こす。


 自分を助けてくれた好みの男性が目の前にいる。


 とはいえ、リスナーの前で明らかな好意を見せるわけにはいかない。


「あ、あたし――」


 やがて梨音は謎の武道家に言い放った。


「別にあんたに助けてもらわなくても平気だったんだから!」


 口にした直後、胃の奥がキュッと縮まる。


 色々な葛藤の末、自分の口から出たのは最悪な言葉だった。


 当然ながら本音ではない。


 リスナーのことを最優先に考えた結果であり、謎の武道家に対する好意を隠したいという現れから出てきた言葉である。


 だが、謎の武道家からすればショックだっただろう。


 命を懸けてイレギュラーから助けたのに、開口一番に言われたのがお礼どころか善意の否定だったのだから。


「……ご、ごめん」


 梨音が小さく首を左右に振っている中、謎の武道家は肩を落としながら謝ってきた。


「どうやら俺はいらない世話をしたようだね」


(ち、違う)


「だけど、最後にこのぐらいの世話はさせてくれないかい」


 そう言うと謎の武道家は、梨音の手が届く地面にアイテムをそっと置いた。


 梨音はギョッとする。


 謎の武道家が地面に置いたのは、天然物のハイポーションだったのだ。


 ペットボトルが主流の市販のハイポーションと違って、天然物のハイポーションはガラス製で試験管のような形をしている。


 クリムゾン・オーガ以外の魔物を倒したときのドロップアイテムだろう。


 最近では製薬技術の向上で市販のハイポーションを使う探索者やDライバーは多いが、天然物となると効果が跳ね上がる。


 それに天然物のハイポーションは一本百万円以上の価値があるため、魔物からドロップしたらすぐに換金所送りになることがほとんどだ。


 謎の武道家はそんな高価な回復薬を惜しげもなく渡してきた。


 見ず知らずの若い女性配信者のために。


「それじゃあ、俺はこの辺で消えるとするよ。怪我が治ったら今日のところは地上に帰ったほうがいい……おっと、これも余計なお世話だったかな」


 謎の武道家は苦笑すると、颯爽と振り返って走り出した。


「違うんです。あたしはただ……あなたのことが」


 梨音のつぶやきも虚しく、謎の武道家の姿はすぐに視界から消え去っていく。


 そんな二人のやりとりを、配信ランプが点灯しているドローンのカメラだけがずっと捉えていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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