第8話 空手家V巨大鬼
(よし、何とか間に合った!)
拳一郎はひとまず安堵の息を吐く。
間一髪とは、まさにこのことだった。
エリーという妖精の的確な道案内がなければ、ダンジョン探索者と思しき金髪の少女が殺されたあとに到着したことだろう。
「どうや、うちの言った通り魔物に襲われとった人間がいたやろ? 妖精族は人間なんぞよりも気配を感じるのが上手いねん。つまり、うちがおれば半径数百メートル以内なら確実に目当ての人間を見つけられるっちゅうこっちゃ」
エリーはドヤ顔をしながら拳一郎の近くを飛び回っている。
「わかったから少し黙っていてくれ。まだ状況は何も変わっていないんだ」
そうである。
現状は何一つ変わっていない。
むしろ拳一郎に関しては悪化している。
拳一郎は金髪の少女が襲われそうな光景を目にしたとき、そこら辺に転がっていた石を拾って巨大鬼の頭部に投げつけた。
幸いにも投げた石は十メートル先の巨大鬼の頭部に直撃。
それによって巨大鬼の意識を自分に移すことは成功したものの、投石によるダメージがゼロなのは火を見るより明らかだった。
鱗状の肌には傷一つ見当たらない。
そしてダメージの代わりに与えたのは怒りだ。
巨大鬼は血のように赤い瞳をこちらに向け、「グルルルルル」と低い唸り声を上げている。
美味そうな獲物を牙にかける邪魔をしたばかりか、「お前の相手はこの俺だ!」と挑発してきた拳一郎に対して怒っているのだ。
やがてその怒りが頂点に達したのだろう。
「ガアアアアアアアアァァァァ――――ッ!」
巨大鬼は両手を広げて咆哮した。
ビリビリビリビリビリビリビリビリ、と大気が鳴動する。
拳一郎は息を呑んだ。
巨大鬼からは突風のような殺気が放たれ、拳一郎は咄嗟に地面を両足の指で噛むように踏ん張った。
一瞬でも気を緩めれば意識を失いかねない。
それほどまでに巨大鬼の威圧感は凄まじかった。
先ほど倒したゴブリンなど、何百匹集まろうと足元にも及ばないほどに。
「あいつはキマイラやな」
拳一郎が天地陰陽の構えを取ったとき、エリーが耳元で告げてくる。
「キマイラ?」
「ああ、そうや。色んな魔物の特徴を人工的に組み合わせて生み出した化け物中の化け物や。向こうの世界におったアホな魔導結社どもがぎょうさん生み出しとったわ」
よくわからないが、どうやらあの巨大鬼は他の魔物と何かが違うようだ。
「まさか倒せないって言わないよな?」
拳一郎はたずねながらも巨大鬼から視線は外さない。
一方の巨大鬼は完全にターゲットを拳一郎に移したらしく、こちらに向かって近づいてきた。
ズウン……ズウン……
巨大鬼が歩くたびに地面が揺らぎ、足裏に振動が伝わってくる。
「おい、どうなんだ! あいつを倒せる方法はないのか!」
「倒せるで。ただ、今のお前の実力やとかなりキツい……ちゅうか無理や」
エリーがそう答えた直後だった。
巨大鬼は鈍重そうな体格とは裏腹に、疾風のような速度で襲いかかってきた。
(速い!)
十秒も経たずに間合いが詰められ、巨大鬼は鉄柱のような剛腕を水平に振るってくる。
拳一郎は瞬時にガードした。
両腕を「×」の形に作り、相手の強い攻撃を防御する空手の十字受けだ。
バアアアアアアアアンッ!
巨大鬼の右腕と拳一郎の両腕が衝突するや、火薬が爆発したような衝撃音が轟く。
「ぐあああッ!」
拳一郎の十字受けは防御の体をなさず、肉体ごと数メートルも真横に吹き飛ばされた。
そして地面に落下したあとも衝撃の威力が落ちず、拳一郎の身体は十回以上も転がった末にようやく止まった。
(……強さのレベルが違う)
何とか致命傷は回避できたものの、拳一郎は巨大鬼との戦力差に絶望した。
自分が子犬なら相手は熊だ。
どんなに小細工で応戦しようとも、この場から逃げなければ確実に殺される。
拳一郎は視界の端に映っている金髪の少女を見据えた。
彼女もどこか負傷しているのか一向に逃げようとしない。
だとすると、ここで絶対に逃げるわけにはいかなかった。
自分がここで逃げれば、巨大鬼の標的が再び金髪の少女に代わってしまう。
そうなれば金髪の少女は地獄の苦痛を味わう羽目になる。
一度は助かったと思った命が、時間を置いて奪われる恐怖。
そんな恐怖を一回りは離れている子供に与えるわけにはいかない。
(ここは何としてでも俺が奴を倒す)
拳一郎は歯を食いしばって何とか立ち上がった。
十字受けをした両腕から顔を歪まさせるほどの激痛が走る。
過去に同じ痛みを経験したことがあるのでわかった。
筋肉は重度の打撲傷に見舞われ、両腕の骨にはヒビが入っているだろう。
理性はこの場からの逃走を促している。
負傷したのは両腕なので、走って逃げようと思えば十分に可能だ。
それでも拳一郎はその場に留まり、全身から陽炎のような闘気を放出している巨大鬼を見据えた。
「俺は……絶対に逃げない」
一人の人間として、一人の空手家として、目の前の困っている人間のSOSからは絶対に目を逸らさない。
とはいえ、まともに闘って勝てないのは骨身に染みた。
今の自分の実力ではどんな攻撃を繰り出してもダメージは与えられない。
しかも両腕は使い物にならない状態だ。
「だから言うたやろ。今のお前ではキマイラには勝てへんって」
顔の近くを飛び回っているエリーの暢気さが癇に障る。
「うるさい! だからってあの子を置いて逃げるつもりはない!」
「別に逃げへんでええやん。要はお前が勝てばええんやから」
さっきからエリーは何を言っているのだろうか。
勝てないや勝てるなど言っていることが矛盾している。
「まあ、まだ〈封体術〉が完全に解除されていない状態なんやから仕方ないか」
そう言ったあと、エリーはおもむろに拳一郎にキスした。
「――――ッ!」
拳一郎は軽くパニックになった。
唇に小さくて冷たい感触が残っている中、エリーは歌うように呪文を唱える。
それは聞いたことのない言語による、不思議な心地よさがある二、三秒ほどの旋律だった。
「これでうちが施した〈封体術〉は解除されたで。あんじょうきばりや」
エリーはグッと親指を突きつけてくると、そのまま上空へと飛んでいった。
そのときである。
ゴゴゴゴゴゴ…………
拳一郎の肉体に著しい変化が起こった。
身体の奥底から津波のような力が湧いてくる。
それだけではない。
丹田からは燃え盛る火球のような熱を感じ、その熱は黄金色の光に可視化されて拳一郎の全身を包んでいく。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………
それはさながら光の鱗粉だった。
やがて螺旋状に舞い上がった光の鱗粉は、小型の竜巻のように拳一郎を中心に渦を巻き始める。
拳一郎は肌が粟立つほどの高揚感を覚えた。
その感情に呼応して両腕の痛みがどんどん引いていく。
信じられないことに、五秒も経たずに両腕の負傷が完全に癒えてしまったのだ。
(――これなら闘える!)
拳一郎は巨大鬼を睨みつけるや、堂々たる天地陰陽の構えを取った。
全身の細胞が歓喜の声を上げている。
全身の筋肉が闘志の声を上げている。
同時に空手家としての本能が告げてきた。
今こそ空手家の真髄を見せろ、と。
拳一郎が臨戦態勢を整えると、巨大鬼の態度が急変した。
全身を小刻みに震わせ、苦虫を噛みつぶしたように表情が歪んでいる。
目の前で起こっている光景を上手く処理できない感じだった。
ほんの今まで餌として認識していた相手が、いきなり自分の生命を脅かす強者へと変貌したからだろう。
それでも巨大鬼は空気を鳴動させる咆哮を上げ、真正面から突っ込んでくる。
拳一郎は強化された観察眼で巨大鬼の行動を予測した。
巨大鬼は拳一郎を両手で掴み、太く獰猛な牙で頭部に噛みつくつもりだ。
もちろん、拳一郎はそんな攻撃を受けるつもりはなかった。
なので拳一郎は待ちの状態である天地陰陽の構えを解き、絶妙なタイミングを見計らって巨大鬼の懐へ一気に飛び込んだ。
慌てふためく巨大鬼。
そんな巨大鬼を無視して、拳一郎は無防備になった腹部に必殺の一撃を放った。
〈破砕拳〉ではない。
掌打で相手を攻撃する〈波状掌〉である。
点で攻撃する〈破砕拳〉と違って、面で攻撃する〈波状掌〉は肉体の隅々まで衝撃が浸透し、内臓器官などに甚大なダメージを与える。
中国拳法では浸透勁、日本の古武道では鎧通しと呼ばれる秘技の一種だ。
「グォォォォオオオオオオ――――ッ!」
巨大鬼は落雷の直撃を浴びたような悲鳴を上げて棒立ちになる。
〈波状掌〉の衝撃波が、巨大鬼の内臓をグチャグチャに破壊したのだ。
後方に大きく飛んだ拳一郎は、再び天地陰陽の構えを取って残心。
不意の反撃に備えて様子を見る。
やがて巨大鬼は全身の穴から大量の血を噴出させると、激しく痙攣しながら膝から崩れ落ちる。
周囲に地震が起こったような衝撃音が轟いた。
巨大鬼は大の字に倒れてピクリとも動かない。
十数秒後、絶命を確認した拳一郎は残心と緊張をゆっくりと解いた。
「おお~、やったな! さすがは勇者ガゼルの血を引く奴やで!」
上空に避難していたエリーが舞い戻ってくる。
「俺はガゼルなんて奴の息子じゃない。俺の名前は神山拳一郎。神山源次郎と神山花緒の息子……だ」
やや尻つぼみになったのは、自分が本当に源次郎と花緒の子供なのか急に不安になったからだ。
理由は巨大鬼を倒せた黄金色の不思議な力である。
あんな異様な力はダンジョンに来るまで使えなかった。
明らかに魔法と性質が異なる超常的で聖なる力。
「そう思うのは勝手やけど、事実なんやから仕方ないわ。二十年前に〈封体術〉を施したときもお前は気絶しとったし、源次郎から詳しい説明がなかったんなら知らなかったのも無理ないわな」
「気絶?」
エリーは「そうや」とうなずく。
「源次郎が言うには武術の稽古にかこつけてお前を気絶させたあと、このダンジョンに連れて来てうちに頼んできたんや。何でもお前の力はこっちの世界やと規格外やから、性格が悪に傾かんうちに〈封体術〉を施してやってくれ。そうすれば拳一郎は普通の日本人として生をまっとうできる……とな」
「……まったく思い出せない」
「そうなんか? うちが〈封体術〉を施しとるとき、ちらっと意識を取り戻したような気配はあったんやが」
そう言われれば少しだけ覚えている。
自分が高校生のとき、源次郎と組み手の稽古をして気絶させられた記憶がある。
その後、目覚めたあとに身体能力が極端に落ちてしまった。
他にも喧嘩や試合になると筋肉が勝手に痙攣し、恐怖を感じていないのに動悸が速まって正常な動きができなくなったのだ。
その理由に《《あいつ》》が関わっていることは何となくダンジョンに来たときに思い出したが、あいつというのはエリーのことだったのか。
「百歩譲って俺が異世界人……だったとしてだ。親父と母さんはそのことを知っているんだよな?」
「当然や。むしろ、よく今まで隠し通せたもんやで」
拳一郎は下唇を噛んだ。
自分がまったく知らない世界の出身であり、今まで両親だと思っていた人物が養父母だったなど簡単には信じられない。
ならばどうするか?
決まっている。
実家に戻って源次郎と花緒に詳しいことを聞くしかない。
「エリー、君はダンジョンに詳しいのか? 俺はここからどうやって帰ればいい?」
「おっ、いったん地上に帰るんか? だったら簡単や。お前は源次郎がここに来てたんと同じ〈転移石〉を使ってここへ来たんやろ。それやったら今度も〈転移石〉を使って帰ったらええ」
「て、〈転移石〉?」
「めちゃくちゃレアなアイテムのことや。どっからでもダンジョン転移と帰還ができる優れモノやで。ただし転移と帰還には最初に設定した二つのキーワードを使わないとあかん。うちはその二つのキーワードはよう知らんけど、お前が〈転移石〉の転移のキーワードを使ってここへ来たんなら、同じく帰還のキーワードも知っとればすぐに帰れるはずや」
拳一郎はピンときた。
〈転移石〉とは神棚に祀られていた黒い石のことだろう。
そしてエリーの言っていることが本当なら、ダンジョンに転移するキーワードは三戦の型だ。
とすると、帰還のキーワードに心当たりがある。
――仙武流の空手は三戦に始まり、転掌で終わる
転掌の型。
これを行えば再び実家の道場に帰還できるかもしれない。
などと考えたとき、エリーが「話は変わるやけど、あいつはどないするんや?」と訊いてきた。
「あいつ?」
エリーがあごをしゃくった先には、こちらを呆然と見つめている金髪の少女がいた。
巨大鬼を倒せた安堵感とエリーの話ですっかり存在を忘れていた。
「どうやら立ち上がれんほどの怪我をしとるようやな……まあ、ダンジョンの中は弱肉強食や。弱い奴や怪我しとる奴は真っ先に死ぬ。自然の掟ならぬダンジョンの掟っちゅうやつや。このまま静かに立ち去ろうか」
「馬鹿を言うな。怪我をしているのに置いていったら他の魔物の餌になるかもしれないだろ」
「せやったら、これをあげたらええんやない?」
エリーは呪文を唱えると、何もない空間から試験管に似たアイテムを取り出した。
何もない空間からアイテムを取り出したエリーにも驚いたが、それ以上にエリーが渡そうとしてきたアイテムを見ても驚いた。
ハイポーションだ。
「お前がゴブリンを倒した場所に落ちとったから、うちが代わりに拾っておいたんや。これってゴブリンを倒したときにドロップしたやつやろ? これをあげればあの小娘の怪我も治るんちゃう?」
拳一郎はエリーに小さく頭を下げた。
「ありがとう。これであの子の怪我が治せる」
ハイポーションを受け取った拳一郎は、金髪の少女に向かって歩き始めた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
読んでみて「面白そう!」「続きがきになる!」と思っていただけましたら、ブックマークや広告の下にある★★★★★の評価を入れていただけますと嬉しいです!




