第7話 空手家との邂逅
ダンジョン階層・第二層の北側。
廃墟街エリアの一角に、一人の少女が片膝をついていた。
年齢は16、7歳ぐらいだろうか。
身長は160センチほどで、体格は小枝のように細い。
綺麗に染めた金髪は緩くウェーブされていて、鳥の羽の形を模した純銀製の髪飾りが付けられている。
顔立ちは恐ろしく整っており、やや白めの肌にはしみなど一切ない。
綺麗にカールされたまつ毛の下には、大きくはっきりとした二つの瞳が存在していた。
鼻筋はすっきりと通り、ふっくらとした薄桃色の唇はグロスで軽く光っている。
派手な金髪と華やかなギャルメイクが目立つ一方、中世ヨーロッパ時代の騎士を彷彿とさせる凛然とした雰囲気があった。
姫川梨音。
〈配信勢〉もしくはDライバーと呼ばれる、チャンネル登録者50万人のダンジョン配信を中心に活動する探索者である。
(マジで鬼やばすぎなんですけど……)
梨音は内心で慌てふためきながらも、リスナーたちを動揺させすぎないよう余裕の表情で細剣を突きつけている。
そんな細剣の先――五、六メートル前方に人型種の魔物が佇んでいた。
全長は軽く三メートルを超え、大型トラックのゴムを想起させる肉体は恐ろしいの言葉しか出てこない。
オーガ。
第五層までに出現する、人型種の魔物の中では最強の存在だ。
そして本来のオーガは、日本人なら誰でも想像できる〈鬼〉に似ている。
黒髪の総髪、筋骨隆々の肉体、赤銅色の肌、ゴブリンたちが穿いているような腰蓑。
まさに日本古来の〈鬼〉をイメージできた魔物だった。
しかし、梨音を睨みつけているオーガは普通のオーガではなかった。
炎のような紅い髪は風もないのに逆立ち、全身の肌は大型爬虫類のように硬そうで細かい鱗状になっている。
それだけではない。
普通のオーガにはない丸太のような尻尾が生えていたのだ。
間違いない。
いつの頃からかダンジョン内に出現するようになった、本来の階層に見合わない実力を持つ凶悪な魔物――イレギュラーである。
その中でもまだ討伐されていないネームドのイレギュラーだった。
クリムゾン・オーガ。
確かそんな名前だったと記憶している。
「グルアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
クリムゾン・オーガは大きく両手を広げ、周囲の空気を震わせるほど咆哮する。
直後、梨音は金縛り状態になった。
髪に装着している髪飾りや特殊軽合金で造られた西洋風の鎧には、魔法効果を弱める特別な術式が施されている。
けれども魔物の中には素で魔法を使ってくる特殊個体がいて、イレギュラーはその中でも魔法の源泉である〈魔力〉自体で攻撃してくる厄介な魔物だ。
そして今、梨音は全身でその恐怖を味わっていた。
イレギュラーの〈魔力〉が込められた咆哮で、梨音が装着していた髪飾りや武具に付与されていた魔法術式はあっさりと無効化されたのである。
すべてが規格外な存在。
まさしく例外的な魔物である。
(あ~、もう! 配信中にイレギュラーと遭遇するなんて運悪すぎ!)
正直なところ、逃げ出したいというのが梨音の本音だった。
Bランクの探索者である自分がイレギュラーと闘って勝てるはずがない。
それでも梨音が逃げ出さないのは数メートル先に落ちていて、こちらにカメラを向けている自動追尾型のドローンがいるからだ。
梨音専用の配信ドローンである。
そう、梨音は先ほどまでライブ配信中だったのだ。
しかしイレギュラーに不意打ちを食らい、そのときにドローンも襲撃の余波を受けて地面に落とされてしまった。
遠目からでもライブ配信中を示す光源が見えるので完全に壊れてはいないだろうが、カメラ機能が正常に機能しているかはわからない。
もしかすると配信に不具合が起きている可能性もある。
そしてクリムゾン・オーガと遭遇する前の同接数は1000を超えていた。
もしもドローンを壊れてなく配信も続いているとしたら、今頃は同接数が5000近くまで増えているかもしれない。
本来ならば同接数が増えるのは喜ばしいことなのだが、その増え方が自分の命と等価交換となると話は違ってくる。
(……こんなことになるなら断っておけばよかった)
梨音の脳裏に数時間前のことがよみがえってくる。
すべては梨音が所属するDライバー事務所の社長――鬼塚蔵人の一言から始まった。
――梨音、廃墟街エリアで耐久配信をするのはどうだろう?
チャンネル登録者数が50万人を超えている梨音だが、最近は同業者が増えていることもあって登録者数や同接数が徐々に減ってきていた。
そこで鬼塚は廃墟街エリアに〈魔宝箱〉があるかもしれないという独自情報を入手し、梨音に〈魔宝箱〉を見つけるまで配信を続ける耐久配信をしないかと持ちかけてきたのである。
〈魔宝箱〉とは罠やミミックが大多数を占める普通の宝箱とは違って、とてもレアなアイテムが必ず入っていると噂されている特別な宝箱のことだ。
〈探索派〉と呼ばれる配信活動を一切しない探索者たちが、第十層から下の階層で発見したという話は聞いたことがあった。
だが、少なくとも配信中に〈魔宝箱〉を見つけたDライバーはまだ一人もいない。
つまり配信中に本物の〈魔宝箱〉を発見したら神バズりは確実。
Dライバーとして落ち目になる不安を感じていた梨音にとって、鬼塚の配信企画は再びチャンネル登録者と同接数を伸ばす天からの救いの言葉に聞こえた。
それに配信場所もイレギュラーの目撃情報がなかった第二層ということもあって、梨音は意気揚々と廃墟街エリアへとやってきた。
ところが梨音を待っていたのは、〈魔宝箱〉ではなくイレギュラーという壮絶な落ちだった。
しかも不意打ちに近い形で襲撃されたため、何とか直接攻撃は避けることができたものの右足首を負傷してしまった。
骨こそ折れていないが、靭帯が完全に断裂している重度の捻挫だ。
上層での耐久配信だからと油断していたこともあり、食料を中心に回復薬などはあまり持ってこなかったのも完全に裏目に出た。
(マジで逃げたい……でも、この怪我だと逃げられない)
ぎりっと梨音は奥歯を噛んだ。
まさに絶体絶命のピンチである。
足首の怪我がない五体満足だったのなら、梨音の系統である風魔法を駆使すれば逃走することはできたかもしれない。
けれども今の状態だと逃げるのは難しい……というか無理だ。
残る希望はドローンが壊れておらず、ライブ配信が続いている中で現状を視ているリスナーたちしかいない。
梨音はクリムゾン・オーガと対峙しながら、自分のライブ配信を視ているリスナーたちのコメントを想像する。
〈マジでやべえええええええええええ〉
〈俺たちのリオンが大ピンチじゃねえか〉
〈誰だよ、こんな場所でリオンに耐久配信なんてさせたのは!〉
〈馬鹿野郎、今はそんなこと言っている場合じゃないぞ〉
〈誰か他の探索者やDライバーにハト飛ばした?〉
〈ハトなんて飛ばすよりもシーカー協会に報告しろし〉
〈安心しろ。シーカー協会には連絡済みだ。ただし救援が間に合うかはわからん〉
〈おい、探索者専用掲示板もこの配信の話題で持ち切りだぞ〉
〈当然だろうが。リオンは大手Dライバー事務所のFWのシンボルガールだぞ〉
〈どうすんだよ。このままだとマジでリオン死ぬぞ〉
〈この近辺に他の高ランクDライバーはいないのか? いたらそいつに配信を通じて連絡できるんじゃね?〉
〈そもそもDライバーにイレギュラーとまともに闘える奴なんていねえよ。Dライバーはエンタメに極振りしているからDライバーなんだよ〉
〈くそ、推しの死亡配信なんて見たくねえぞ……でも、配信は切りたくねえ〉
〈凄まじいジレンマにさらされている俺らwwwww〉
〈こういうときは正義のヒーローが登場すると思われ〉
〈それは漫画かラノベ限定な。現実は厳しいんだよ〉
〈頼む。誰か何とかしてくれ!!!!!!〉
などとリスナーたちは様々なコメントを打っていることだろう。
本当にリスナーたちの誰かが救援を呼んでくれたら幸いだ。
リオンはリスナーたちにかすかな希望を見出しながら、その場から一歩も動かないクリムゾン・オーガを睨みつける。
何の前触れもなく出現するイレギュラーの情報は、Dライバーたちの間でも色々な噂が流れていた。
特に有力視されていたのは、ダンジョン内で悪行を働いているカルト教団――〈アルカナ創魔会〉が実験の末に生み出した魔物という噂だ。
本当かどうかはわからない。
ただ一つわかっていることは、何かしらの行動をしなければ確実に自分は死ぬということだ。
そして生きることを簡単に諦めるわけにはいかない。
自分はFWのシンボルガールであり、これまで何度も死線を乗り越えたBランク探索者であり、50万人ものリスナーに応援されているDライバーなのだ。
「……死ねない」
梨音はぼそりとつぶやいた。
「こんなところで死ぬわけにはいかない」
梨音は眉間に意識を集中させ、細く長く深い独特の呼吸法を行う。
その呼吸法を規則的に繰り返すうち、眉間にある印堂と呼ばれる場所から〈魔力〉が発生する。
やがて青紫色に可視化された〈魔力〉は、第二の血流のように全身を駆け巡った。
〈魔法石〉の適合者となった探索者ならば必ず会得している、ダンジョンの中だけで使用できる魔法の発動条件だ。
梨音の適性魔法は風。
ゆえに梨音の〈魔力〉は光り輝く薄緑色に変化して風を巻き起こした。
ビュォォォォォォ…………
最初は髪を揺らす程度の微風が、梨音の意志に応じて勢いを増していく。
ズオオオオオオオオオオオオオ――――ッ!
その暴風を今度は限りなく圧縮させ、クリムゾン・オーガに突きつけていた細剣全体に纏わせる。
梨音の奥義――〈風の精霊の一撃〉の構えだ。
これまで梨音はこの〈風の精霊の一撃〉で何度も危機を乗り切ってきた。
あくまでも第三層までの魔物に対してだが、残っている〈魔力〉をすべて消費する覚悟の〈風の精霊の一撃〉ならば、さすがのイレギュラーでも少しは動揺してくれるはす。
などという甘い考えは呆気なく吹き飛ばされた。
クリムゾン・オーガは酷薄した笑みを浮かべると、一歩ずつ梨音にゆっくりと近づいてきたのだ。
ズウンッ……ズウンッ……
足裏が石畳の地面を踏みつけるたびに地鳴りが起こる。
梨音は戦慄した。
クリムゾン・オーガは梨音をまったく警戒していなかった。
魔法を発動させた梨音など、赤子の手をひねるぐらい簡単に殺せる。
そんな考えが手に取るようにわかった。
クリムゾン・オーガは梨音に死への恐怖を強く与えるため、わざと歩く速度を遅めて距離を詰めているのだ。
野生の猛獣のように子供を守るためでもなく、空かせた腹を満たすためでもない。
ただ徹底的に弱者をいたぶって楽しく殺すために――。
(せっかく登録者が50万人を超えたのに、あたしの人生もここで終わりか……まだまだやりたいことがあったんだけどな)
嘆いても状況は変わらない。
こうして自分の死を強く意識すると、梨音の思考は逆に冷静になった。
(あんな化け物にオモチャにされて殺されるなら、いっそ自分で――)
と人生を諦めかけたときである。
バガンッ!
クリムゾン・オーガの側頭部に何かが飛んできて当たった。
ぐらりと一瞬だけよろけるクリムゾン・オーガ。
梨音は地面にボタッと落ちた何かを見つめる。
石だった。
どこからか飛んできた拳大ほどの石がクリムゾン・オーガの顔に当たり、梨音の目の前の地面に落ちたのである。
梨音は石が飛んできた方向に視線を移す。
「――――ッ!」
梨音は大きく目を見開いた。
視界に飛び込んできたのは、空手着と思しき純白の胴着と黒帯を締めた中年男だったのだ。
梨音が呆気に取られている中、空手着の中年男はクリムゾン・オーガに向かって言い放つ。
「お前の相手はこの俺だ!」
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