第2話 崩れ落ちる日常
一瞬、拳一郎は何を言われたのか理解できなかった。
解雇されるような仕事のミスはしていない。
百歩譲ってクビになったとしても、それは事前に通知されるはずだ。
だとしたら考えられることは一つ。
「……冗談ですよね?」
拳一郎はかろうじて喉から出てきた言葉を伝える。
一方の間宮新一は冷静そのものだった。
蛇のような顔つきと整髪料で固めたオールバックは微塵も乱れない。
「いいえ、冗談ではありません。神山さん、あなたは本日をもってクビです。さっさと荷物をまとめて出て行ってください」
「そ、そんな! 一体、なにを根拠に――」
「根拠?」
間宮は椅子の背もたれに身体を預けると、インテリ風な眼鏡の体裁を人差し指でクイッと整える。
「根拠はあなたが『五味岡商店』の社員に相応しくないと判断したからです」
「だからなぜ――痛っ!」
食い気味に詰め寄ろうとしたが、顔を中心に全身の筋肉が悲鳴を上げる。
「それですよ!」
間宮は舌打ちしそうなほど顔をしかめた。
「あなたはよりにもよって喧嘩沙汰を起こして警察のお世話になりましたよね? そんな社員はうちには不必要です。だから私の独断であなたのクビを決めました」
これには拳一郎も痛みを堪えて反論した。
「お、横暴すぎます。確かに私は警察と病院の世話になるようなことに巻き込まれましたが、それもすべては人助けのためにやったことです」
嘘ではなかった。
警察と病院にも事情はしっかりと説明している。
「ほう……人助け?」
間宮は背もたれから身体を離すと、両肘をデスクに置いて祈るように両手の指を絡ませる。
「うちの経理部の灰原美雪さんの友人に喧嘩を売ったことが、あなたにとっては人助けだったと?」
「そうです。私は灰原さんを…………え?」
拳一郎は言葉に詰まった。
(灰原さんの友人に喧嘩を売った?)
違う、と拳一郎は心中で首を振った。
自分はナンパされていたダンジョン探索者の男から美雪を守ったのだ。
「間宮係長、それは誤解です。灰原さんは私と食事をする前に、ダンジョン探索者の男に絡まれたんです。それで私は彼女を助けようと――」
「もういい!」
突如、間宮は人が変わったように怒声を上げた。
「あなたが警察や病院に虚偽の報告をしたのは当の本人から聞いているんですよ。神山さん、あなたは灰原さんのしつこいストーカーだったそうですね」
「は? わ、私が灰原さんのストーカー?」
数秒後、拳一郎はハッとした。
「いえ、断じて違います。私は灰原さんと真面目なお付き合いをしていました」
「真面目な付き合い? それは当の本人である彼女を前にしても言えますか?」
「もちろんです!」
拳一郎は間宮から視線を外すと、目的の人物のほうに顔を向けた。
軽い仕切りはあるものの、ワンフロア全体が『五味岡商店』のオフィスである。
なので目的の人物――美雪を見つけるなり大きくうなずく。
「灰原さん、君からもあの日の事情を説明してくれないか!」
そうだ。
自分には美雪がいる。
彼女がみんなの前で事実を告げてくれれば、誤解が解けて自分のクビは白紙になるだろう。
美雪はゆっくりと席から立ちあがると、両手を胸の前で交差させて自分で自分を抱き締めた。
そして小刻みに身体を震わせ始める。
「実は怖くてずっと黙っていたんですけど、わたしは以前から神山さんにストーカーされていました」
拳一郎は瞬きを忘れ、呆然と美雪の言葉に耳を傾ける。
「わたしと神山さんがお付き合いしているなんて嘘です。わたしは神山さんにストーカーされていることが怖くて、そのことを口実に食事に誘われていました。でも、本当は怖かったんです」
美雪は涙を手の甲で拭う真似をするや、トイレのほうへと一目散に駆けていく。
(どうしてだ?)
拳一郎は美雪の背中を見つめながら心中でつぶやく。
(どうして泣き真似なんてしながら嘘を言ったんだ?)
美雪のすべての言動が嘘なのは拳一郎は見抜いていた。
本当に恐怖しているのなら顔色も悪くなり、上半身だけではなく下半身も震えるはずだ。
しかし美雪は上半身しか震えておらず、涙を拭くような動きをしていたが実際に涙が出ていないことは視認できた。
要するに美雪は嘘の告白と演技をしたことになる。
「うわ、マジかよ」
「職場の人間をストーカーって……サイテー」
「実は前から思ってんだよ。神山さんってムッツリだってさ」
気がつくと同僚たちは拳一郎に不快な態度を取り始めた。
「ち、違うんです! 私と灰原さんは本当に付き合っていて――」
と拳一郎が誤解を解こうとしたときだ。
「朝から騒がしいな。何か問題でもあったのかい?」
バリトン声が聞こえるなり、ざわつきは瞬時に搔き消された。
同時に全員の視線が声の持ち主に向けられる。
「こ、これは社長!」
最初に反応したのは間宮だった。
慌てて立ち上がり、軍人のように背筋を伸ばす。
他の同僚たちも一斉に口をつぐみ、緊張した様子で固唾を飲む。
拳一郎たちの前に現れたのは、『五味岡商店』の社長――五味岡哲夫だった。
年齢は確か四十代後半だっただろうか。
180センチを超える長身に加え、スーツの上からでもわかるほど筋肉が発達している。
やや七・三にしている髪の下には厳つい顔が存在し、遠目からはゴリラがスーツを着ているようにも見えるだろう。
「それで? 仕事をそっちのけで騒いでいた理由は?」
張り詰めた緊張感が漂う。
その中で事情を掻い摘んで説明したのは間宮だった。
「ふむ……」
すべての事情を聞いた五味岡は、無表情のまま両腕を組んだ。
「事情はわかったけど、さすがにクビは大袈裟ではないのかね? まあ、部下のことは上司の君に一任しているから、クビならクビでいいんだが……ただ、もうすぐ社員旅行があるんだよな」
「いいえ、大袈裟ではありません!」
勢いよく返事をした間宮は、拳一郎に人差し指を突きつける。
「職場の同僚をストーカーして困らせる社員など百害あって一利なし! このような人間は即刻クビにするのが会社の――しいては職場のみんなのためになります!」
拳一郎はごくりと唾を飲み込んだ。
ここで引いたら間違いなくクビが確定してしまう。
「社長、お言葉ですが私はストーカーなど絶対にしていません。本当です。信じてください」
五味岡は首をかしげながら「う~ん」と唸る。
「ここで社員を一人切ると社員旅行の人数がな……さて、どうするか」
拳一郎は眉根をひそめた。
なぜか五味岡は社員旅行のことを気にしているようだ。
『五味岡商店』の社員旅行は二年に一度の頻度で行われるらしい。
らしいというのは、拳一郎はまだ『五味岡商店』の社員旅行を一度も経験していないのだ。
拳一郎だけではない。
間宮や美雪、この場にいる大半の社員も社員旅行に参加した経験はないはず。
というのも、拳一郎を含めた大半の社員はここ二年以内に入社した中途社員たちばかりだからだ。
二年以上勤務している社員は五味岡を含めて数人しかいないとは聞いていた。
それはともかく。
「社長、どうか私を信じてください。私はこれまで営業担当として懸命に仕事を――」
「まあ一人ぐらいならいいか。人数は十分揃ったし」
五味岡は拳一郎の言葉を遮ると、ズボンのポケットから財布を取り出しながら歩み寄ってくる。
そして拳一郎の前まで来ると、五味岡は財布から数枚の一万円札を取り出して無理やり渡してきた。
「はい、これは少ないけど退職金の代わりね。今日までお疲れさまでした……え~と、君は神谷くんだっけ? ある意味、君は運がいいよ。このまま転職活動に専念したら今の君なら良い会社に入れるはずだ。頑張りなさい」
そう言って五味岡は財布を仕舞うと、全員を見回しながら大きく柏手を打った。
「さあさあ、神谷くんの話はこれぐらいにして今日もお仕事を頑張りましょう! お客様は神様仏様! ダンジョンには今日も魔道具を使っている探索者や配信者がたくさん潜っていますよ!」
『五味岡商店』において、社長の五味岡の言葉は神の声に等しい。
なので拳一郎の件はこれで終了となったのは誰の目にも明らかだった。
先ほどまで悪口を言っていた同僚たちも自分の仕事に戻り、五味岡も鼻歌を歌いながら社長室へと戻っていく。
そんな中、間宮だけは呆然と佇む拳一郎に近づいてきた。
酷薄した笑みを浮かべつつ、ポンと拳一郎の肩を叩く。
「そういうことで、あなたのクビは決定しましたよ。社長のおっしゃったように転職活動を頑張ってくださいね。神谷さん」
間宮は「くくく」と笑いを堪えながら自分のデスクへと戻る。
頭が真っ白になった拳一郎が会社を去ったのは、それから三十分後のことだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
読んでみて「面白そう!」「続きがきになる!」と思っていただけましたら、ブックマークや広告の下にある★★★★★の評価を入れていただけますと嬉しいです!




