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第1話   路地裏の正義感

『それではダンジョン・ニュースの時間です。本日の午後四時頃、武蔵野ダンジョン第三層でまたしてもイレギュラーが出現しました。シーカー協会からの公式発表によりますと、Aランクの探索者三名が死傷。BランクのDライバー数名も被害に遭ったとのこと――』


 時刻は夜。


 駅前の大型スクリーンにはダンジョン関連のニュースが流れていた。


 金曜日ということもあってか、駅前の大通りは通行人で混雑している。


 そんな通行人の中に、期待感で胸を躍らせている一人の中年男がいた。


 身長は170センチを少し超えたぐらい。


 体格はやや筋肉質な中肉中背。


 仕事は営業担当なので、着ている服は無地のシャツと黒ズボンである。


 髪は格安の理髪店で切っているため、何も目立たない普通の髪形だ。


 今年で三十五歳を迎えるのに高校生のような童顔だったが、日頃の仕事のストレスからか少しやつれ気味に見える。


 上司から終業間近に与えられた仕事を急いで終わらせた中年男――神山拳一郎《かみやま・けんちろう》は目的の場所に向かって必死に足を動かしていた。


 今日は久しぶりに灰原美雪《はいばら・みゆき》とのデートの日なのだ。


 拳一郎にとって初めて職場恋愛をしてできた彼女――それが自分より八歳も年下の美雪であった。


 正直なところ、付き合って半年になるがセックスはおろかキスもしていない。


「あたし、そういうのは結婚を前提にした人とがいいの」


 そんな美雪の言葉を信じ、拳一郎は彼女に相応しい男になろうと美雪のお願いは何でも叶えてきた。


 自分の薄給では苦しかった高級料理店にも何度も連れて行った。


「美味しい。また拳一郎さんと来たいな」


 そう言って笑顔になる美雪の顔を見るたび、日頃のストレスも翌月のクレジットカードの明細のことも忘れて幸せな気分になったものだ。


 彼女のためなら何でもする。


 まだ彼女のことを「灰原さん」としか呼べないが、このまま仲を深めていけばきっと「美雪」と呼べる日がくるだろう。


 それほど拳一郎は美雪に惚れていた。


 だから美雪とのデートは何を置いても大事なものだったのだが、こうした大切な日に限って年下の上司から仕事を強引に振られる。


 小さなダンジョン魔道具関連の商社なので、突発的な仕事が出てくるのは仕方がないにしても、その頻度と担当が自分に割り振られる回数が妙に多い。


 今日もそうだった。


 美雪とのデートのために定時で退社できるように段取りを組んで仕事をしていたものの、終業間近になって「神山さん、これ今日中にやっておいてくださいね」と年下上司の間宮新一《まみや・しんいち》に仕事を押し付けられた。


 最初は断ろうとも思ったが、自分が勤めている【五味岡《ごみおか》商店《・しょうてん》】は従業員が二十人ほどしかいない小さな会社だ。

 

 少しでも仕事を溜めると雪だるま式に増えて行ってしまう。


 なので拳一郎は机の下で拳を固く握りながらも、「わ、わかりました」と無理やり笑顔を作って残業を引き受けた。


 それで美雪とのデートの時間が半分は消えた。


 LINEで事情は説明しているが、遅くなったのは事実である。


(まずは心から謝ろう。そして美味い料理屋で飯を食べて今日こそは――)


 拳一郎は今日こそは少しでも男女の関係に近づけることを期待しながら、美雪と待ち合わせしている場所に向かっていた。


 人気の多い駅前の大通りを早足で歩いていく。


 一流と呼ばれる料理店は大通りだけではなく、大通りの途中にある路地裏の奥に店を構えていることが多い。


 美雪と夕食を食べる予定の料理店も路地裏にあり、予約していた時間は午後七時半なので何とか間に合うだろう。


(本当は食事の前にデートしたかったんだが)


 そう思いながらも、拳一郎は息を切らせながら路地裏に入った。


 その直後である。


「いや、やめてよ!」


 どこからか女性の叫び声が聞こえてきた。


 拳一郎はすぐにわかった。


(この声は――灰原さん!)


 聞き間違えるはずがない。


 あの声は美雪の声だ。


 拳一郎は無我夢中で声が聞こえたほうに駆けていく。


 時間にして五秒ほど。


 拳一郎はコインパーキングの前で男と言い争っている美雪を見つけた。


 街灯の下でもわかるほどの茶髪のショートボブ。


 抜群のプロポーションと清楚な顔つきなことで、美雪は自分よりも年上に見えることがある。


 一方、男のほうは見覚えがない。


 年齢は美雪と同じ二十代半ばぐらいだろうか。


 短髪で武骨な顔つき。


 何かしらの格闘技経験があるのだろう。


 シャツやズボンの上からでも相当な筋肉があることは見て取れる。


 完全な堅気の人間とは思えない。


 とはいえ、ヤクザや半グレなどの反社の人間とも雰囲気が違う。


 まさか、ダンジョン探索者だろうか。


「もう、いい加減につきまとわないで!」


「うるせえ、少しばかり顔と身体がいいからって図に乗りやがって。男を舐めるんじゃねえよ」


 拳一郎はハッとした。


 自分が余計なことを考えている間にも、二人の言い争いは少しずつエスカレートしている。


 そして拳一郎は会話の内容からすぐにピンときた。


 ナンパだ。


 短髪の男は美雪をナンパしたものの、自分という恋人がいると告げられて逆上して襲おうとしているのだ。


「や、やめろ!」


 拳一郎はカバンを地面に投げ捨てると、短髪の男に向かって言い放つ。


「ああ? 誰だ、おっさん」


 短髪の男から突風のような威圧感が放たれる。


 瞬間、拳一郎の肉体がビクッと反応した。


 それだけではない。


 寒くもないのに身体が小刻みに震え、両膝もガクガクと笑い出す。


「おいおい、マジかよ。威勢よく現れたわりにはビクつくの早すぎじゃねえのか?」


 そんなことはわかっている。


 だが、身体が勝手に拒絶反応を起こすのだから仕方がない。


 それでも拳一郎は一歩も引かなかった。


 美雪を前に引くわけにはいかない。


「おい、おっさん。正義の味方気取りはよそでやんな。俺たちは今大事な話をしているんだからよ」


(大事な話だと?)


 拳一郎はぎりりと奥歯を軋ませた。


 ナンパ男の分際で何をほざいているんだ。

 

 そうは思っても拳一郎の肉体は短髪の男との戦闘を激しく拒絶している。


 これは拳一郎が心の底から短髪の男に恐怖しているからではない。


 拳一郎には短髪の男の言動や雰囲気から、どういった戦闘スタイルでどう攻撃してくるのかが手に取るようにわかっていた。


 身長は176か177センチ。


 体重は77から79キロ。


 耳が半ばギョーザのような形をしていることから、柔道かアマレスの経験あり。


 Tシャツの袖からタトゥーが覗いている。


 チンピラやヤクザが彫る刺青ではない。


 ダンジョンガチ勢と呼ばれる〈探索派〉に属する探索者が彫る、ルーン文字に似た魔道具の効果を高める刺青だ。


 つまり、短髪の男は確実にダンジョン探索者に間違いない。


 戦闘スタイルは前衛で味方の盾になる〈魔法盾士《マジック・シールダー》〉か〈魔法防壁士《マジック・ガーディアン》〉のどちらか。


 ならば魔法は土魔法か風魔法に限られる。


 しかし魔法はダンジョン内しか使えない特殊能力。


 だとすると、短髪の男の現実の戦闘スタイルは予想できる。


 両手で顔を防御しながら相手に突撃し、相手を掴んだら投げ技で決める戦闘スタイルの可能性が高い。


「……ったく、あんまり素人に手を出したくはねえんだがな」


 苛立ちが頂点に達したのだろう。


 短髪の男は頭をボリボリと掻くと、ゆっくりと拳一郎に歩み寄ってくる。


 拳一郎は反射的に自流の構えを取った。


 左手は顔面の高さで相手を牽制《けんせい》するかのように前にかざし、右手は人体の急所の一つであるみぞおちを守る位置で固定させる。


 両手の拳はしっかりと握り込まず、どんな対応もできるように緩く開いておく。


 肩の力は抜いて姿勢はまっすぐ。


 バランスを崩さないように腰を落として安定させ、左足を二歩分だけ前に出して後ろ足に七、前足に三の割合で重心を乗せた。

 

 攻撃と防御の二面に優れた、仙武流《せんぶりゅう》空手の天地陰陽《てんちいんよう》の構えだ。


 短髪の男の歩みがピタリと止まる。


「へえ……なかなか様になってる構えじゃねえか。拳法……いや、空手だな。それも今では珍しい古風《クラシック》な空手だ」


 短髪の男の読みは正しかった。


 拳一郎は幼少の頃から高校卒業までの間、実家のある北陸の片田舎で古流空手を学んでいた。


 流派の名前は仙武流空手。


 師匠は実父である神山源次郎《かみやま・げんじろう》だ。


 つまり拳一郎は空手道場の跡取りだったのである。


 そして久しぶりに自流の構えを取ったからだろうか。


 実家の空手道場での修行の日々が脳裏をよぎる。


 北陸の片田舎。


 真夏は灼熱で、冬は身を切るほど寒い道場。


 何千、何万回と繰り返した基本稽古と型稽古。


 特に突きと蹴りは毎日一千本はやった。


 物心ついた頃から十数年の歳月で積み上げた突き蹴りの総数は、五十万は軽く超えていただろう。


 上京して空手を辞めた今でも、その基本と型の動きは肉体の奥底に刻みついている。


 短髪の男は「ふ~ん」と珍しそうに自分のあごをさすり始めた。


「一朝一夕でできる構えじゃねえな。てめえ、段持ちか」


 段持ち――これは武道用語で黒帯以上を示す言葉だ。


 事実、そうだった。


 拳一郎は仙武流空手のすべての技と型を学び、段位も四段まで取得している。


「わからねえな……おい、おっさん。玄人がどうしてそんなにビビッてやがる?」


 短髪の男が頭上に「?」を浮かべたのも無理はなかった。


 今の拳一郎は仙武流の構えを取っているものの、全身がガタガタと震えているのだ。


 傍目からは短髪の男に恐怖しているとしか見えないだろう。


 だが、拳一郎は微塵も短髪の男に恐怖してはいなかった。


 それでも身体が勝手に闘いを拒絶してしまうのだ。


「神山さん、そんな男は早くボコボコにして!」


 美雪の応援に短髪の男はチッと舌打ちする。


「このアマ……男を馬鹿にするのも大概にしておけよ」


 短髪の男の意識が美雪へと移る。


(このままだと灰原さんが危ない!)


 このとき、拳一郎はさらなる覚悟を決めた。


 勝手に戦闘を拒否する身体を何とか抑えつけ、短髪の男に「お、お前の相手はこの俺だ!」と叫ぶ。


 短髪の男は再び拳一郎に顔を向け、大きなため息を吐く。


「やめとけ、おっさん。これでも俺はダンジョン探索者だ。空手の段持ちだろうと、趣味で武道をやってるリーマン如きに遅れは取らねえよ……まあ、それでもやるってんなら相手になるぜ」


 短髪の男から殺気が放たれる。


 チリチリと髪の毛が焼け、空気が震えるような敵意の風。


 素人ならば間違いなく気を失っただろう。


 それでも拳一郎は構えを解かなかった。


 すべては愛する美雪を守るためだ。


「OK。よ~く、わかった……闘《や》るってことだな!」


 短髪の男は地面を強く蹴って突進してきた。


 野生の猛獣のような深い前傾姿勢からの弾丸タックルだ。


(動け! 今日だけでいいから動いてくれ!)


 拳一郎は短髪の男の動きは読めていた。


 両足を刈り取るような弾丸タックルは囮で、実は間合いに入った直後に顔面に向かって大振りのフックを放ってくることも。


 そう、拳一郎には短髪の男の動きがすべて読めていた。


 身体さえまともに動けば瞬殺することも可能なほどに。


 けれども、拳一郎の肉体は見えない鎖に縛られているように動かない。


 一体、いつからだろう?


 いつから闘いになると勝手に筋肉が痙攣し、呼吸が激しく乱れ、体内の生命エネルギーを潤滑させる気脈がバラバラになったのだろうか。


 うまく思い出せない。


 ただ、その中で一つだけ覚えていることがある。


 それは自分が高校生の頃に得ていた強さと比べても、ダンジョン探索者と名乗った短髪の男は弱いということだ。


 本来の自分の強さならば、短髪の男など五秒以内に確実に倒せる。


 などと考えている間に、短髪の男は容赦なく間合いに入ってきた。


「おらあああああああ」


 拳一郎の読みは的中していた。


 短髪の男は間合いに入るや否や、タックルの構えを解いて右腕を大振りしてきたのだ。


 そして――


 バアアアアアンッ!


 火薬が爆発したような衝撃音が鳴った。


 掌打である。


 短髪の男は拳ではなく、掌の下の肉厚な部分で拳一郎の顔面を叩いたのだ。


「ぐはッ!」


 両目から火花が飛び散り、衝撃が頭蓋を貫通した。


 直後、拳一郎は大量の鼻血を出しながら後方に吹っ飛ぶ。


 受け身など取れなかった。


 背中からアスファルトの地面に落ち、大の字になってバタリと倒れる。


 このときになって強烈な痛みが押し寄せてきた。


 顔面を殴打されたことで涙があふれ、金属を擦るような耳鳴りが脳内を掻き乱す。


「ふん……しょせんは趣味レベルのリーマンか。歯応えが無さすぎるぜ」


 拳一郎は薄れゆく意識の中で、短髪の男のつぶやきを耳にした。


 同時に遠くから「きゃあああ」と女性の悲鳴が上がり、他にも男性の声で「お巡りさん、こっちです!」という声も聞こえてきた。


「くそ……さすがにマッポに捕まるのは勘弁だな。せっかくの探索者ライセンスが剥奪されちまう。仕方ねえ。今日のところは退散してやるぜ」


 そう言うなり、短髪の男は路地裏のさらに奥へと逃げていく。


 拳一郎は背中に伝わってくる振動で短髪の男の逃走を肌で感じていた。


 ともかく、短髪の男はここからいなくなった。


 これで美雪に危害が与えられることはない。


 それでも自分の怪我はそれなりのものだ。


 鼻骨は折られていないが、鼻血と涙が止まらない。


 意識も朦朧としている。


 これではあと三十秒も経たないうちに気を失うだろう。


「神山さん……」


 美雪に助けを求めようと口を開きかけた瞬間、ちょうど美雪が歩み寄ってきて顔を覗き込んできた。


「は、灰原さん……救急車を……呼んでくれ」


 拳一郎が掠れた声で頼んだあと、そのまま意識は深い闇の底に落ちていった。


 やがて完全に気絶した拳一郎を見下ろしながら、美雪は人が変わったように下卑た顔になった。


「だっさ。何が昔は空手をやっていた、よ。やっぱりATMの中年おっさんはダメね……あ~あ、タダ飯を食べ損ねちゃった」


 美雪はスマホを取り出すと、連絡した相手と陽気に話しながらその場を後にした。


     ♦♢♦♢♦♢


 今週の土曜日は出勤日だったものの、拳一郎は怪我の具合から土曜日と月曜日は有給を使って会社を休んだ。


 おかげで顔の腫れも引き、なんとか翌週の火曜日には身体を引きずるようにして出社することができた。


 拳一郎の勤め先は、小金井市の外れにある賃貸ビルの二階にある。


『五味岡商店』というレトロな屋号だが、これでもれっきとしたダンジョンで使用する魔道具の卸売り会社だ。


 あまり清潔感はなく魔道具関連の書物や商品に囲まれているオフィスだが、それでも二十人近い社員たちが今日も朝早くから仕事に精を出している。


 そして拳一郎は年下上司――間宮のデスク前で直立不動になっていた。


 大事なお客様と会社の人たちに迷惑をかけるわけにはいかない。


 たとえ怪我で身体がボロボロだったとしても。


 そんな気持ちを胸に出社した拳一郎に待ち受けていたのは、間宮から告げられた次の一言だった。


「神山さん、あなたは本日をもってクビです」


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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