第13話 アルカナ創魔会
「母さん、親父はどこにいるんだ?」
拳一郎は居間の襖を開け、お茶を飲んでいた花緒にたずねる。
母屋の中は一通り探したが、源次郎の姿はどこにもいなかった。
そこで居間にいた花緒に源次郎の居所を聞こうとしたのだ。
「……血の匂いがするわね」
花緒はゆっくりと拳一郎に顔を向けた。
どこか悲しそうな表情をしている花緒と目が合う。
「け、稽古中にちょっと怪我したんだよ」
拳一郎は咄嗟に嘘をついた。
空手着の下衣に残っていたゴブリンのかすかな血の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。
「拳一郎、あなたダンジョンに行ってきたんだね?」
ギクリ、と拳一郎は肩を震わせた。
「やっぱり、そうなの……あなただけには秘密にしていたんだけど」
縁側の軒先に吊るされた風鈴が、チリンと涼やかな音を立てる。
「親父もそうだが、母さんにも聞きたいことがある」
「わかってる。あなたがダンジョンに行ったということは、あの人が言っていた異世界の妖精さんと会ったんでしょう?」
「おお~、源次郎からうちのことを聞いとったんか」
エリーは嬉しそうに居間中を飛び回り始めたが、花緒にはエリーの声どころか姿も見えていないのだろう。
ただ拳一郎の顔をじっと見つめ返してくる。
「親父はどこにいるんだ?」
拳一郎は腰を据えて訊くために、花緒の対面の席に座った。
「ごめん。寄合に行っているなんて嘘なの。本当は自分の使命を果たしに行ったのよ」
「意味がわからない。急にどうしたんだよ。何だよ使命って?」
拳一郎はずいっと前のめりになる。
「たかが片田舎の、弟子もいない弱小空手道場の館長じゃないか。そんな親父に何の使命があるっていうんだよ」
花緒はしばらく無言を貫いた。
しんと静まった居間の中で、扇風機の風音だけが虚しく鳴っている。
「あの人の使命。それは――」
やがて花緒はゆっくりと口を開いた。
「あの人が過去に壊滅寸前まで追い込んだ〈アルカナ創生会〉――いえ、今は〈アルカナ創魔会〉と名乗っている宗教団体の壊滅よ」
♦♢♦♢♦♢
「…………は?」
拳一郎は瞬きを忘れ、素っ頓狂な声を上げた。
〈アルカナ創魔会〉。
この宗教団体の名前は拳一郎も知っている。
武蔵野市にダンジョンが出現する前には〈アルカナ創生会〉と名乗り、日本中でテロ事件を起こしたことで史上最大最悪と呼ばれた武装カルト宗教団体の名前だ。
そして警察によって組織が壊滅状態になると、武蔵野市に出現したダンジョン内に逃げ込んで〈アルカナ創魔会〉と名乗り、今でも教祖代行や幹部たちはシーカー協会から最高ランクの懸賞金が懸けられているという。
「どうしてそんな危険な連中と親父が関係しているんだよ? それに親父が〈アルカナ創生会〉を壊滅寸前まで追い込んだって……〈アルカナ創生会〉を壊滅寸前まで追い込んだのは警察だろう?」
これはダンジョンに関係している職種以外の人間も周知の事実だ。
警察に追われた教祖と信者たちはダンジョンに入り、やがて教祖はダンジョンの中で大病を患い死を迎えた。
生き神と崇めていた教祖を失った信者たちは投降するどころか〈アルカナ創魔会〉を立ち上げ、今では一般人の往来も許可しているダンジョン街で悪事を働いているというのは有名な話だ。
花緒は小さく首を振った。
「本当は〈アルカナ創生会〉の教祖は病気で死んだんじゃないの……あなたを守るために源次郎さんが教祖の命を奪ったのよ」
「――――ッ!」
開いた口が塞がらないとはこのことだった。
最初は何かの冗談かと思ったが、花緒の顔は真剣な表情そのもの。
そんな花緒は死を覚悟したサムライのような雰囲気で過去のことを話し始める。
三十代だった源次郎は沖縄で古流の空手を学んだあと、中国大陸や台湾に渡って土着の拳法や仙道を習得。
帰国したあとは東京で自らが創始した仙武流空手の道場を始めた。
折しも武蔵野市にダンジョンが出現して数年後のことだ。
警察や自衛隊が近代装備を駆使しても歯が立たなかった魔物相手に日本政府が迷宮探索庁を設立し、民間団体であるシーカー協会を設立したときだったらしい。
そして一般人だった源次郎は自身の空手修行のため単身でダンジョンに入り、素手素足の空手着のまま凶悪な魔物をことごとく倒してのけた。
これに注目したのが当時の迷宮探索庁とシーカー協会だという。
なぜ警察や自衛隊の銃器が通用しない魔物相手に、素手の源次郎が圧倒的な武力を発揮できたのか。
この解明の任に当たったのが漆原花緒。
迷宮探索庁からシーカー協会に出向していた、源次郎と結婚する前の花緒だった。
やがて源次郎はシーカー協会に所属し、花緒と仕事上のパートナーとなってダンジョンの魔物の生態について調べるようになった。
そこでわかったことは、源次郎が古流空手と仙道の特別な呼吸法から得た超常的な力を以て魔物に甚大なダメージを与えていたということ。
他にもダンジョンの魔物たちは中世ヨーロッパ時代の武具を異様に恐れていることが判明した。
西洋風の武器で攻撃すると凄まじいダメージを与えられ、一方で西洋風の鎧を着ていると魔物たちの攻撃を予想よりも高く防げる。
この発見が、後の日本を大きく変えることになる。
生物学の専門家たちは、ダンジョンの魔物についてある仮説を立てた。
ダンジョンは中世ヨーロッパ時代に似た異世界に通じている。
そのためダンジョンの魔物たちに中世ヨーロッパ時代の武具が有効なのではないか、と。
そうしてダンジョンの研究が進むうちに〈魔法石〉が発見され、人類は魔法薬の製薬に至って架空ファンタジーのような魔法を使えるようになった。
「そこからよ。源次郎さんがシーカー協会からの脱会を考えるようになったのは……」
魔法使いの魔法攻撃は西洋の武具よりも魔物にダメージを与えられたことで、さらに〈魔法石〉の採取・研究のために探索者制度が導入されていったという。
「あの頃の協会は今よりずっと浅はかだったわ。信じられないでしょうけど、人の命より利益や話題性ばかり追っていたの。ダンジョンから得られる恩恵を最大限にするために……」
シーカー協会はさらなる資源採掘のため、魔法の適性さえあれば一般人でもダンジョン探索で金稼ぎや有名人になれるという触れ込みで探索者を多く募った。
ダンジョン内では命の重みなど紙切れ一枚に等しいことを知りながら。
それでも不景気の煽りもあってか日本はゴールド・ラッシュならぬダンジョン・ラッシュ状態となり、現在の日本のエネルギー産業を支えている〈魔鉱石〉の採取も活発化。
東京以外の全国の主要都市にもダンジョンが出現したことで、一気に日本は新しい高度経済成長期へと突入した。
その貢献に多大に尽力した源次郎に対して、シーカー協会からは役員としてのポジションが用意されていたらしい。
しかし、源次郎はこの誘いを断った。
自分は強さを愚直に求める一人の空手家だから、と。
そして仕事上のパートナーだった源次郎と花緒は、心を深く通じ合わせていたことでプライベートでも生涯のパートナーとなった。
やがて魔法の適性さえあれば一般人でもダンジョン探索で金稼ぎや有名人になれるという方針に変わっていったシーカー協会や迷宮探索庁の方針に嫌気が差した二人は、シーカー協会と迷宮探索庁を辞めて源次郎の故郷だった福井県に来て花緒は拳一郎を出産……とはいかなかった。
「俺はダンジョンの中で親父に拾われたのか?」
胸の奥がざわつき、言いようのない不安が込み上げてくる。
こくりと花緒はうなずく。
拳一郎は二人の息子ではなく、源次郎がダンジョンの中で発見した赤ん坊――それが拳一郎だった。
誰の子かは不明で、最初は源次郎も大いに戸惑ったらしい。
だが、その赤ん坊を置いて逃げることは源次郎はできなかった。
「ちょうどあなたを拾う前、わたしと源次郎さんの間に子供ができていたの……でも、流産してお腹の子はこの世に生まれることができなかった。そしてわたしが二度と子供を産めない身体になったこともわかり、わたしたちがひどく悲しんでいたときよ。源次郎さんがダンジョンであなたを見つけたのは」
花緒は顔を下に向け、今にも泣きそうな表情で語りを続ける。
「だから源次郎さんがあなたをダンジョンで拾ったとき、まるで自分の子供が生まれ変わってきたように感じたと言っていたわ」
源次郎は当時のシーカー協会を通じて、魔物の生態についての戦闘記録を日本政府に報告することで、身元不明の拳一郎と養子縁組することを認めさせたという。
拳一郎は両手の拳を固く握る。
「事情はわかった……だけど、それと〈アルカナ創生会〉の教祖を親父が殺したことと何の関係があるんだ」
「源次郎さんの話によると、〈アルカナ創生会〉の教祖は赤ん坊のあなたを狙っていたらしいの」
花緒が言うには当時の〈アルカナ創生会〉は表向きは無病息災、健康促進、現世解脱を謳って信者を集め、裏では非合法な人体実験を行っていると黒い噂が立っていた新興カルト宗教団体の一つだった。
そんな〈アルカナ創生会〉は教祖が科学者で東西のオカルトに通じていたこともあり、シーカー協会や迷宮探索庁よりも早く〈魔法石〉による魔法薬の製薬に成功させたばかりか、探索者たち次々と誘拐して非道な実験を繰り返していた。
おそらく、赤ん坊だった拳一郎も人体実験のモルモットとして目をつけられたのだろう。
ダンジョンで発見された赤ん坊ならば、魔法適性に優れたレア個体として価値があるかもしれない、と。
もちろん、事情を知った源次郎は〈アルカナ創生会〉の蛮行を阻止しようとした。
正義感の塊みたいな男だった源次郎は、赤ん坊だった拳一郎を守りながら〈アルカナ創生会〉の魔法使い相手に文字通り死力を尽くして闘ったらしい。
けれども〈アルカナ創生会〉の魔法使いたちは狂気を逸していた。
戦闘能力は未熟だったものの、教祖の命令に死んでも応えようとする執念が凄まじく、何より魔法で攻撃してくる様はそれこそ爆弾を持って突進してくるような狂人に見えたらしい。
そこで源次郎は悩みに悩んだ末、赤ん坊を最後まで守るという覚悟を決めた。
結果、源次郎は諸悪の根源である教祖の命を奪うことになったという。
教祖を殺せば〈アルカナ創生会〉が根本から瓦解すると信じて。
チリンチリン――
風鈴の涼やかな音が、張り詰めていた場の雰囲気をふっと溶かした。
「源次郎さんの教祖殺害を当時のシーカー協会や迷宮探索庁は黙認したわ。日本政府も巻き込んで、表向きは正当防衛や緊急避難として超法規的措置が取られたの。それほど〈アルカナ創生会〉は日本にとって危険な存在だったから」
拳一郎はここ最近のダンジョン・ニュースを思い出してハッとする。
ダンジョンに潜った探索者やDライバーの連続行方不明事件。
イレギュラーの大量出現。
これらの裏に〈アルカナ創魔会〉が深く関わっているとしたら――
「親父は俺のために〈アルカナ創魔会〉を壊滅させに行ったのか?」
花緒は唇をキュッと固く結んだ。
それだけですべてを理解した。
今までネットだけで話題になっていた〈アルカナ創魔会〉が、再び現実の脅威として表舞台に姿を現すようになったのは誰の目にも明らか。
それを知った源次郎は、実家を飛び出した血の繋がりのない自分のために老体に鞭を打ってダンジョンに潜った。
〈アルカナ創魔会〉を完全に壊滅させるために。
「――クソ親父が!」
拳一郎は立ち上がり、血が滲むほど両手の拳を握り締めた。
「いい歳した老人が無茶しやがって! 俺はともかく、母さんを残して危ない真似なんてするんじゃねえよ!」
「拳一郎……」
涙をためていた花緒を見下ろしながら、拳一郎は「母さん、安心しろ」と言い放つ。
「俺が親父をダンジョンから連れ戻す。絶対に必ずだ。俺は母さんたちの息子だからな」
こうして拳一郎は源次郎を捜索するため、探索者ライセンスが取得できるシーカー協会・福井支部へと向かう決意をしたのだった。
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