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第12話   ダンジョン帰還

 拳一郎は金髪の少女から二百メートルほど離れた位置で立ち止まった。


「今度からは気をつけたほうがいいのかな」


 拳一郎は身体ごと振り返ると、金髪の少女がいた方角を見つめながらつぶやく。


「何のことや?」


 拳一郎にピタリとついてきたエリーがたずねてくる。


「さっきの金髪の子のことだよ。俺はあの子が危険だと判断したから助けに入ったんだ。でも、あの子には一人でも巨大鬼を倒せる何か策があったのかもしれない。それを邪魔されたからあんなに怒ったのかも……と思ってな」


「おいおい、何をへこんでんねん。誰がどう見てもあのガキは絶体絶命のピンチやったやん……ちゅうか、ホンマあのガキは腹立つのう。せっかく拳一郎が命懸けで助けてやったのに、礼の一つも言わずに噛みついてきよった。一体どんな親に育てられたんや」


 エリーは空中を飛び回りながら、何発も空突きを繰り出して怒りを露にする。


 一方、拳一郎は両腕を組んで小さく唸った。


 三十を過ぎている拳一郎にとって、十代の少女の気持ちを理解するのは難しい。


 たとえ本人にしかわからない理由があったとしても、善意で行った行為を面と向かって否定されると気持ちが落ち込む。


 とはいえ、金髪の少女の気持ちもわからなくはなかった。


 武装してダンジョンに潜っている以上、金髪の少女はシーカー協会から認められた立派な探索者だ。


 そんな金髪の少女はBランクの探索者に違いない。


 雰囲気がまさにBランクからの探索者のそれだった。


 仮にBランクだとしたら、限りなくAランクに近いBランクだろう。


 拳一郎は十年以上も魔道具関連の職種に就いていた経験がある。


 前職である『五味岡商店』の営業先でも、専属の探索者を抱えている企業はたくさんあった。


 それらの企業に営業へ行くと初心者マークが取れたぐらいのCランクから中堅と呼ばれるBランク探索者が多くいたものだ。


 そしてBランク以上の探索者となると実力に応じて矜持《プライド》も高くなる。


 武道で言うところの「独自流派」状態となり、自身の戦闘スタイルや探索戦略が固まって他人の干渉を嫌う傾向が出てくるのだ。


 もしも金髪の少女が本当にBランクの探索者であり、巨大鬼に対して逆転の奥義か秘策を出そうとしていたのなら、完全に拳一郎の善意は邪魔だっただろう。


 むしろ標的を奪われた怒りであのような発言が出てもおかしくなかった。


 拳一郎は小さくため息を吐く。


 もう二度とあの金髪の少女に会うことはないだろうが、せめてハイポーションをあげたことぐらいは余計なお世話でなかったことを願うばかりだ。


 などと考えていると、眼前まで飛んできたエリーが訊いてくる。


「そんで? お前はこのままダンジョンから帰還するんか?」


「ああ、そのつもりだ。一刻も早く家に帰って親父と母さんに事情を聞く……君の言っていることが本当かどうか確かめるためにな」


「何や、二十年も経つと疑り深くなるんやな。うちはお前に嘘なんてつかんで」


「社会人は疑り深くないとやっていけなんだよ」


 今はもう無職なので厳密には元社会人だったのだが、まだ味方かどうか不明な妖精にそこまで言うつもりはない。


「とにかく、俺は何とかして家に帰る。そして二度とダンジョンなんかには潜らない。俺は探索者にもDライバーにもなるつもりはないからな」


 本音だった。


 拳一郎は来たくてダンジョンに来たわけではない。


 三戦《さんちん》の型を行ったあと、〈転移石〉とやらに触れたら勝手にダンジョン内へ強制転移されただけだ。


「え~と、君の名前はエリーだったな。本当に俺は転掌《てんしょう》の型をすれば元の場所に戻れるのか?」


「それは知らん。せやけど、転移のキーワードと対をなす帰還のキーワードに心当たりがあるのならやってみればええ。それで帰れるのならええし、帰れんかってもこっちの人間たちが作った入り口がぎょうさんあるやろ。そこから帰ればええやん」


「……それは無理だ。たぶんシーカー協会が管理している〈迷門《ゲート》〉から帰ったら俺は犯罪者として逮捕される」


 現代の日本には各主要都市にダンジョンへの入り口――〈迷門〉がある。


 出現した〈迷門〉を守るようにシーカー協会が後から管理施設を建造し、今では探索者適性試験や探索者ライセンスの更新など役所的なことも行っている場所だ。


 そんな管理施設内の〈迷門〉には警護の人間が常駐し、探索者やDライバーの往来を厳重に管理しているのはダンジョン業界では一般常識である。


 なので正式な探索者ライセンスなしにダンジョンへ入った拳一郎は、事情はどうあれノーライセンスの犯罪者扱いになる可能性が非常に高い。


 ましてや実家の道場からダンジョンに来たとなると、これは自分一人の問題ではなくなるだろう。


 ダンジョンに通じる〈迷門〉は、ある日突然に日本のどこかに出現する。


 それが誰の所有権もない場所だったならいいのだが、きちんと土地の所有権を持っている場所に出現したのならすぐに役所を通して国に報告する義務があった。


 実家の敷地内に〈迷門〉はなかったものの、神棚に仕舞われていたのは自由にダンジョンを行き来できる特殊なアイテム――〈転移石〉だった。


 子供の頃に神棚を開けようとした怒られた経緯から、あの神棚には少なくとも二十年以上前から〈転移石〉が飾られていたはず。


(あのクソ親父に問い詰めないと)


 正式な〈迷門〉を通らずダンジョンに潜ることは重罪だ。


 それは特殊なアイテムを使って転移した場合も同じだろう。


 事と次第によっては世帯主の源次郎ばかりか自分や花緒にも罪が及び、最悪の場合は懲役刑も覚悟しなくてはならない。


「エリー、君はこれからどうするんだ?」


「どうするって何やねん。お前についていくに決まってるやろ」


 エリーは首を傾げながら平然と言う。


「ちょっと待て。さすがに妖精なんて奇怪な生物を連れて帰れないぞ」


「はあッ!? うちのようなキュートでプリティーな妖精族のどこが奇怪なんや!」


「ダンジョン内はともかく、地上世界には妖精なんてものは存在しないからだ!」


 そうである。


 人知を超えた魔物のような存在は、ダンジョンの中だけで生息しているというのが世間一般の解釈だ。


 間違っても地上世界に魔物や妖精なんて生物が現れたら大パニックになる。


「ああ、ようやく理解したわ。うちが他の人間に見られたら大変やからっちゅうことか。それなら安心しい。ダンジョンから出てもうちの力でこっちの世界の人間には認識できないようにするさかい」


「そんなこともできるのか?」


 まあな、とエリーは大きく胸を張る。


「せやけど、うちが魂の力を使って〈封体術〉を施したお前は別や。お前はこっちの世界でもうちのことをバッチリ認識できるやろう。何せ互いの魂が繋がっとる状態やからな。おかげでそれなりの距離が離れていても場所がわかったり声が聞こえたりするっちゅうわけや……まあ、ダンジョンの中だけやけどな」


 なるほど、と拳一郎はようやく腑に落ちた。


 ダンジョンに降り立ったあと、かなりの距離が離れていてもエリーの声が聞こえたのは互いの魂の一部が繋がっている状態だったからか。 


 ダンジョンに来る前なら一笑に付していたところだが、あまりにも色々なことがありすぎてこれぐらいなら簡単に受け入れることができた。


「そういうわけやから、くれぐれもこっちの世界でうちに話しかけるときは十分に注意せえよ。傍から見たら何もない空間に話しかけとるアホに見えるからな……わかったか?」


「……わかった」


 なぜかうまく丸めこまれた感はあるが、ともかく今は早く実家に帰りたい思いが強かった。


 なので拳一郎はさっそく転掌の型を始めた。


 最初は三戦と同じ姿勢と立ち方から動作を始めるが、力強い「剛」の型が三戦の型ならば転掌の型はしなやかな「柔」の型だ。


 攻撃技は底掌突きくらいなもので、空手の代表的な攻撃技である正拳突きや前蹴りなどは一切ない。


 ほぼすべての動作は受け技で構成されており、掛け受けや掬《すく》い受け、手刀押し受けや底掌押さえ受け、そして回し受けなどで構成されている。


 動きはゆっくりとしなやかに、それでいて《《ねばり》》を意識しながら呼吸とともに動いていく。


 そして拳一郎が転掌の型を終えたとき、信じられないことが起こった。


 数メートル前方の空間がグニャリと歪んだのだ。


 縦長の扉のような空間の歪みが。


「こ、これは……」


 拳一郎が動揺すると、エリーは空間の歪みへと飛んでいく。


「当たりやったな。お前のやったテンショーとやらが帰還のキーワードやったらしいわ。この空間に入れば元の場所に戻れるで」


「ほ、本当だろうな?」


「疑り深いやっちゃな。うちの言うことが信じられんのか?」


「まだ出会って一時間ぐらいの妖精を簡単に信じるほうがどうかしている」


 エリーは大きくため息を吐いた。


「じゃあ、どないするねん。このままずっとダンジョンにおるんか? うちは別に構わんよ。ダンジョンの中のほうがうちには快適やし」


 時間にして十秒ほど経ったときだろうか。


 拳一郎は覚悟を決めた。


 生唾を飲み込み、空間の歪みへと一歩ずつ噛み締めるように歩を進めていく。


 そんな拳一郎の肩にエリーは飛んできて腰を下ろした。


 どうやら本当についてくるらしい。


 やがて拳一郎とエリーは空間の歪みの中へと飛び込んだ。


     ♦♢♦♢♦♢


 空間の歪みに飛び込んだ拳一郎は、転移してきたときと同じ重力の消失を感じた。


 続いて襲ってきたのは縦横無尽な視界の回転だ。


 まるで巨大な洗濯機に放り込まれ、全身をかき混ぜられているような奇妙な感覚。


 拳一郎は無意識に両目を閉じ、心身を脱力させつつ流れに身を任せた。


 やがて狂っていた平衡感覚が正常に戻ってきたと思ったら、足裏にひんやりとしたマットの感触を感じた。


 直後、ズシッとした重力が全身にのしかかってくる。


「うおっ!」


 拳一郎は崩れそうだったバランスを何とか保ち、閉じていた両目を開けて周囲を確認する。


 見慣れた道場内の様子が飛び込んできた。


 間違いない。


 ここは実家の道場――仙武館の中だ。


 振り返ると〈転移石〉が収められている神棚があり、〈転移石〉は神々しくも不気味で黒々とした艶を放っていた。


「本当に帰ってきたんだな」


 開けっ放しの窓からは蝉の大合唱が聞こえてきて、田舎特有のけだるげな夏の空気が道場内の温度を高めている。


 ふと拳一郎は思った。


 ダンジョンの中の出来事は夢だったのだろうか、と。


 しかし――


「おお~、ここが《《チキュウ》》いう世界か。何や向こうの世界とあまり変わらんな。ちいとばかし空気が汚れとるぐらいか」


 エリーの声がすべてを吹き飛ばした。


 ダンジョンの中の出来事が夢ではなかった証拠として、妖精のエリーが道場内を自由気ままに飛び回り始める。


「……まあ、現実だったよな」


 拳一郎は自嘲気味につぶやき、自身が着ている空手着を舐めるように見る。


 空手着のあちこちには、乾きかけた血が付着している。


 自分の血ではない。


 エリーを助けたときに倒したゴブリンたちの返り血だ。


 地上世界で返り血を浴びている空手着を見ると、急に現実感が怒涛のように押し寄せてきた。


 凶悪な魔物だったとはいえ、自分はゴブリンや巨大鬼など生物の命を奪ったのだ。


 今でも両手に嫌な感触が残っている。


 この感触は当分の間は消えないだろう。


「これも全部あのクソ親父のせいだ」


 そもそも自分は実家の道場で空手の稽古をしたかっただけだ。


 なのに気がつけば〈転移石〉とやらのせいでダンジョン内に転移し、紆余曲折を経て魔物と闘う羽目になってしまった。


 どうしてなのかは明白だった。


 源次郎が道場の神棚に〈転移石〉などというアイテムを隠していたことが原因だ。


 拳一郎は入り口に向かって歩き出した。


 母屋にいるであろう源次郎に〈転移石〉を手に入れた経緯を問い質す。


 他にも源次郎には聞きたいことがあった。


 本当に自分は源次郎と花緒の息子ではなく、ダンジョンの向こうにあるという異世界の人間なのだろうか?


 入り口に向かう途中、拳一郎はサンドバッグの前で立ち止まった。


 150キロを超える大型のサンドバッグである。


 拳一郎はサンドバッグと向き合うなり、予備動作もなしに中段の回し蹴りを放った。


 ドオオオオオオオオンッ!


 軸足の返し、腰の捻転、スピードの三拍子が揃った蹴りがサンドバッグを「く」の字に凹ませる。


 それだけではない。


 以前は全力で蹴ってもビクともしなかったサンドバッグが、天井に向かって勢いよく跳ね上がったのだ。


「これは……」


 怒りに身を任せた蹴りだったが、ダンジョンに行く前と明らかに身体の感覚が違う。


 湿気で曇っていた窓ガラスが、向こうまで透けて見えるほど拭かれたような身体感覚の向上を感じた。


「お前に施していた〈封体術〉を解除した効果やな」


 眼前まで飛んできたエリーが告げてくる。


「そういえば〈封体術〉のことをきちんと説明していなかったな。〈封体術〉いうんは平たく言ってしまえば暗示やねん」


「暗示? 暗示って催眠術のことか?」


「サイミンジュツいう言葉は知らんけど、要はお前の頭の中に自身の身体機能と〈聖気〉の放出を抑制するように暗示をかけてたんや。特に念入りに施したのは戦闘状態と認識したときに心身に負荷が掛かるもんやった」


 拳一郎はダンジョン探索者と名乗った短髪の男のことを思い出す。


 あの短髪の男にやられる前に、拳一郎は心身が非常に不安定になった。


 呼吸の乱れ、筋肉の痙攣、そして体内の生命エネルギーがグチャグチャになっているような異様な感じ。


 自分の意思ではコントロールできない、まさに見えない鎖で肉体を縛られていると錯覚する不可解な現象だった。


 以前にも思ったことだが、この心身の縛りは実家を飛び出す前に始まったことだ。


「その〈封体術〉とやらが解除されたことと、地上の世界で身体能力が上がった理由に関係性はあるのか?」


「正確には上がったやのうて元に戻りつつある……ちゅうたほうが近いな。何度も言うけど〈封体術〉は肉体に掛かっとる負荷を取っ払って、一時的に身体能力を爆発的に上げるもんでな。それを源次郎の頼みで〈聖気〉の抑制も追加しとったから、それらが無くなったことで身体能力が上がったように感じてるんや」


 拳一郎はギリッと奥歯を軋《きし》ませた。


「どっちにしろ全部あの親父が関わっているってことだよな」


 だとしたら、サンドバッグを蹴って怒りを霧散させている場合ではない。


 拳一郎は空手着の上衣だけを脱ぐと、Tシャツに着替えて母屋へと向かった。


 源次郎の居所を知る、母親の花緒の元へ――。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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