魔族の国編 ⅣⅩⅥ
シェリーちゃんとユニエラちゃんが、お風呂から戻ってきてから、私たちは、時間的に昼食になった朝食を摂った。
そして、今日はまだ空き日で、やることは決まっているのだ。
――そう。
「海だああああ! 広おおおい!?」
「独特な匂いがするね。それに、風が粘っこい気がする? どうしてだろう?」
「ていうか、これ全部水なの!? すっごーい!」
などと交互にはしゃぐ、私とシャルちゃんである。
昨日から決めていた海観光。道を聞きながらバスを乗り継いで約二時間。私たちは港町にやってきていた。
八十年前は別の町だったという、この港町とジオロジィ。今では拡大した王都に飲み込まれて、一つの街になったというのだから驚きだ。魔物に遭遇することもなく、別の町に着いてしまったと思うと、歴史を感じさせられる。
陽光でキラキラと海面が輝いている。池や沼とは綺麗さが違う。川ならぎりぎり対等な勝負になるかも?
まぁそれでも、この広大さ。見渡す限りすべて水というこの景色は、何物にも替えがたく、比べられるものではない。
一体、どこまで続いているのだろうかと、深淵を覗くような疑問を頭に思い浮かべては、頭を振って追い払う。前人未到な果ての果てのことを思うと、自分という存在のちっぽけさを感じて、寂しいような怖いような、そんな感覚に襲われる。
隣に目をやると、水面のようにキラキラと赤い瞳を輝かせるシャルちゃんの綺麗な顔があった。発作的に手を繋ぐと、こちらをちらりと見て握り返してくれた。少し肌寒い海風を浴びる中、私たちの手だけが温かい。
遠くに、船がいっぱい見える。漁船だろうか。ここからだと小さく見えるそれらも、きっと川で使うものとは比べるべくもない、大きな船なのだろうことは、想像に難くない。
そんな船からみても、明らかに巨大な魚が跳ねたのが見えた。
「「何あれ!?」」
「あれはクジラよ。美味しい上に、あの大きさだから食いでがあって、家計の味方なのよ」
シャルちゃんと一緒に驚いて、誰ともなく尋ねる声を上げると、通りがかった女の人が教えてくれた。
へぇ~。クジラっていうのか……。
「え!? あれ捕まえられるんですか!? ――え?」
未知の巨大生物が捕獲可能ということに驚いて振り向いた私は、教えてくれた人の顔を見たことで別の驚きが発生してしまって、声が溢れた。
一緒に振り向いたシャルちゃんも、そして女の人も。私たちは顔を見合わせて言葉を失った。まるで時間が止まったみたい。
そんな私たちの様子に困惑するのは、何も知らないユニエラちゃんとシェリーちゃんだけだ。
「お二人とも、どうされましたの? この方は……?」
お知り合い? そう私たちに尋ねるユニエラちゃんに、シャルちゃんは、答えるという意思も無く、ただ目の前に現れた人物を呼ぶために、質問の答えを口にした。
「お母、さん……」
「……シャルティ」
そうシャルちゃんの名前を溢すと、シャルちゃんのお母さん、シーラさんは脱兎のごとく逃げ出した。
「――待って!!」
シャルちゃんは直ぐに羽を出して飛び上がり、シーラさんを追いかけた。そして私たちは、そんなシャルちゃんを追いかけて走り出した。
追いかけっこは、それほど時間を経ずに終わった。
空から一直線のシャルちゃんと、人の波を掻い潜りながらのシーラさんとでは、そもそも出せる速度が違った。しかもシャルちゃんは、自己強化の魔法までかけていたようで、その身体能力が引き上げられていたというのもあった。
でも、見様見真似の関節技までかけて取り押さえるのは、さすがにどうかと思うな私……。
などと考えたのも束の間、パキッと音がして、シーラさんが拘束を解いたではないか!?
「関節を外しましたわね」
冷静な分析をありがとう、ユニエラちゃん。
二本の角を額から出し、シャルちゃんと取っ組み合いを始めるシーラさん。
片や逃げようと、片や引き留めようと、お互いに藻掻く。
騒ぎを避けるように、周りの人たちが避けて輪ができた。その中央で、似ても似つかぬ親子の喧嘩が行われている。
「お母さん! どうして逃げるの!?」
「お母さんなんて、もう呼ばないで、シャルティ! 私には、もうそんな資格なんてないのよ! 私たちは、今日出会わなかった。もうそれでいいでしょ?」
「嫌だ! せっかく再開できたんだから……。私には、いっぱい、いっぱい! 話したいことがあるの!」
「私には! 私には……話すことなんて……貴女に会わせる顔なんて……無いのよ……。貴女を捨てた私に!」
「そんなことない! お母さんはお母さんだよ! 私のお母さんは、お母さんだけなの!」
「本当の親子でもないのに……」
「関係ない!!」
「私……私は! クレッグの醜態をあれ以上見たくなくて、あの人を殺して、思い出の中で生きようと逃げたのよ……。貴女を捨てて! あれだけ酷いことを言われたのに、殺してやるとまで言われたのに、私を愛してなかったってはっきり言われたのに、私は、あの人を選んだのよ! 貴女じゃなくて! ……ね? こんな最低な人間、母親失格でしょ? だから……お母さんなんて、もう呼ばないで……シャルティ……」
周りの目など気にも留めず、言い合い、掴み合い、引っ張り合った二人は、次第に勢いを失っていき、最後には、お互い、両手を握り合ったまま、シーラさんが、膝から崩れ落ち、項垂れたところでようやく止まった。
手を離すと、シーラさんは顔を覆って、嗚咽した。シャルちゃんは……シャルちゃんも、涙を流しながらシーラさんを抱きしめた。
「もう……放っておいてよ……」
「絶対に、嫌」
この雰囲気の中で二人に話しかけるのは、なかなかに勇気が要るけれど、ここでああして泣きながら抱き合っているだけじゃ、話は進まない。というかね、周りの視線がね……。このまま二人を見世物にしておきたくないから、私は意を決して声をかけた。
「えっと、お久しぶりです、シーラおばさん……」
「ディティスちゃん……久しぶりね。……貴女がシャルティと村を出て行くなんて言い出したばかりに……」
そ、それを言われると弱いんだけど……。
咳払いをして誤魔化しながら、話を進める。
「あの、とりあえず……一度、ちゃんとシャルちゃんと話をしませんか? ここじゃあなんですから、場所を変えて……私も話したいこと、あるので……話をしただけで死ぬわけじゃあるまいし……」
「お母さん……」
申し訳なさそうな目でシャルちゃんを見るシーラさんは、根負けしたように大きく溜息を吐いた。
「分かったわ……。話をするだけ。それきりよ。金輪際、貴女たちには会わない。それが条件」
「お母さん!?」
「条件を飲めないなら、放してちょうだい。ここでさよならよ。それとも、まだここで押し合い圧し合いでもする?」
そんな辛そうな顔で言われても説得力が無い、とは口が裂けても言えない。
シャルちゃんを促して、私たちは条件を飲んだ。
「じゃあ、行きましょう。個室があるカフェを知ってるの」
そう言って歩き出すシーラさんを追いかけ始めると――
「私たちは外しましょうか?」
と、所在なさ気なユニエラちゃんとシェリーちゃんが声をかけてきた。
家庭の話だしね。部外者は確かに……。
いや、部外者か? 私たちは将来を誓っているわけだし、もうお互いの全身のホクロの数とか知ってるわけだし、二人を除け者にするのはなんか違う気がする……。
うん。二人にも同席してもらおう。この際だし。あと、第三者の視点が欲しくなるかもだしね。
「いや、二人も来て」
「どっちでも良いから、来るなら来なさい。二人も四人も一緒よ、この際」
鼻をすすりながら、ぶっきらぼうに言い放つと、シーラさんは踵を返してまた歩き出した。ちゃんと待ってくれているあたり、人の良さが隠しきれていない。
私たちはシーラさんにバレないように微笑むと、彼女を追いかけた。




