魔族の国編 ⅣⅩⅤ
翌日。私は、昼の少し前くらいまで、惰眠を貪った。
正確には、気を失っていたのだけれど、この多幸感の前には些末な問題だ。
まだ、やや幸せ疲労感の残る体を起こして、伸びをし、深呼吸で肺の空気を入れ替える。
よし、少し体が軽くなった。
隣で、まだスースーと静かに寝息を立て、可愛いらしい寝顔を晒している甘噛みモンスターのシェリーちゃん。綺麗な彼女の薄桃色の髪を撫でると、ぴくんと、触角と、髪と同じ色の睫毛が動いた。が、直ぐにまたそれも眠りに落ちた。
昨夜は色々とやってくれた。首筋、うなじ、肩、腕、耳、などなどと、新しい扉を開かれた気がする……。確認できる範囲では歯型は付いていないみたいだけど……あ、キスマークはいっぱいあるな……。
と、昨夜のことを思い出したらまた変な気持ちになってしまうので切り上げる。
腰にしがみついて眠るユニエラちゃんの腕を優しく解いて、ベッドから抜け出す。
いつの間にか綺麗に畳まれているバスローブを羽織ると、見慣れた私服に着替えているシャルちゃんが、カートを押してやって来た。ルームサービスの、少し遅い朝食を運んできてくれたところだった。
相変わらず、起きるのが早い。ユニエラちゃんも珍しくお寝坊しているのに、シャルちゃんは変わらない。
「おはようシャルちゃん。相変わらず早いね」
「おはようディーちゃん。それはこっちのセリフかな? いつもは一番遅いのにね」
聞くに、シャルちゃんも、私より一時間ほど早く起きたそうで、そこまで早かったわけではないようだ。じゃあ、たまたま私が珍しく早く起きただけってことか。ふふん、何か良いことがある気がするねぇ。早起きは三モンの得って昔から言うしね。三モンが何かは分からないけど、得があるのは良いことだよね。うんうん。
シャルちゃんの提案に乗って、ご飯の前に朝風呂で汗を流して戻ると、着替えが用意されていた。持ってきた覚えのない、私の私服だった。まぁ、十中八九、シャルちゃんが家から持ってきたものだろう。用意がいいことだ。
シャルちゃんを見ると、得意げに親指を立てたので、私もとりあえず親指を立てて返した。
着替えていると、二匹の獣たちが上半身を起こして、大きく伸びをした。
獣のうちの一匹――ユニエラちゃんは、手の中に私がいないことに気づいて、周囲を見回すと、ワンピースから頭を出した私とちょうど目が合った。
「ああ! ディティス様がもうお目覚めに!? 寝顔にキスをする朝のルーティンが崩れてしまいましたわ!」
そんなことしてたんだね、ユニエラちゃん……。
「寝顔じゃなくて悪いけど、今からする?」
私のそんな提案は激しい首肯で可決されたので、背中のファスナーを上げてから、そばまで近づいた。
どうぞと顔を寄せると、唇を重ねられた。容赦なく舌まで入ってくる。てっきりホッペにされるのかと思っていたから、私は目を見開いて驚くことしかできなかった。
「はぁ……はぁ……。ほ、ホッペじゃないの!?」
解放された私は後退りしつつ、キスされながら抱いていた疑問を口にした。
「普段はそうなのですけど、起きているのならよろしいかと思いまして。お嫌でしたか?」
うるうるとあざとい瞳で見つめてきおって……。綺麗な人がそれやると可愛さが倍だな……ズルい。
「い、嫌ではないけど、予想と違ってびっくりしたから……」
「では、朝のサプライズプレゼント、大成功ということで!」
そういうことになった……。
「あ、あの……ディティスちゃん……」
羨ましそうな瞳を向けてくるシェリーちゃん。ええい、こうなればもう一人も二人も三人も一緒だ!
「シェリーちゃんもする? キス」
「……ええっと……」
シェリーちゃんはモジモジと遠慮がちなご様子で、何か言いたそうにしている。
私は覚悟が決まっているので、要望を可能な限り聞くとシェリーちゃんに告げると、パッと花のように明るい笑顔をして、それでもやや恥ずかしそうに口を開いた。
「え……と、キスではなくて……ですね……」
「なくて?」
「お互いに、首筋を噛み合いたい……です」
おおぅ……。思ってたよりもヘヴィーなのが来たな……。甘噛みモンスターは昼間も絶好調らしい。だけど叶えましょう、その要望を。
「歯型が残らないように……ね?」
「あ、はい。それはもちろん。――ですけどですけど!」
期待を込めた瞳で真っ直ぐ見つめながら距離を詰めてきた。
はいはいはいはい!? と、勢いにたじろぐ私。
「な、に?」
「わ、私側には、しっかりと歯型を付けて下さいませんか?」
「い、いいの――」
「はい! くっきりとハッキリと、見た感じ痛そうなくらいのヤツをお願いいたしますわ!」
食い気味に要望を伝えられた……。
「首筋と言いましたけれど、首の後ろ、髪に隠れるようなところでもよろしいですし、肩とか、普段は服で隠れているような箇所でも……むしろそれがよろしいです!」
剣幕ぅ……。
「噛まれた痛みを思い出して、肉眼でなり、鏡でなり、歯型を見るにつけ、ここに私がディティスちゃんのものだという証が刻まれている、その事実を感じられるのが幸せなんですわ!」
甘噛みモンスター、噛まれるのもお好きだった……。
え、本当にやるの?
いやいや、今更怖気づくわけにはいかない……。やるって言っちゃったんだから。女に二言は無いのよ、私。
一呼吸。
――よし。
シェリーちゃんの肩に手をかけると、シェリーちゃんはうっとりとした目で、私の肩にも手をかけた。そのままキスでもするかのように顔を近づけ、お互いの顔の横を素通りする。
ちろりと、生暖かくて湿った感覚が首をなぞった。シェリーちゃんが私の首を舐めたのだろう。そして次の瞬間には、首から脳天にかけて、痛気持ちよさの電流が走った。
はむはむと、絶妙な力加減で首筋が咀嚼されている。痛すぎないけど少し痛くて、けれど気持ちいいが勝る。時折、思わずに変な声が端々で漏れてしまう。まだ日は高いのに、私は何をしているのだろうか……。
というか、よく考えてみれば、噛まれている間は、私の方は噛めないな、姿勢的に。
三十秒ほどだろうか、実時間よりも長く感じる甘噛みタイムは、シェリーちゃんが付けた噛み跡にキスをして終了した。
そうだ、次は私だったと、期待する瞳を向けてくるシェリーちゃんを見て思い出した。
「思い切り噛んでくださいな! いっそ殺すつもりで!」
「そこまではさすがにしないよ!? でも、本当に強く噛んでいいの?」
「むしろお願いします!」
心の中で溜息を吐き、覚悟を決める。
「い、いくよ……?」
そうして私は、シェリーちゃんの白くて綺麗な首筋に噛み付いた。
「かっ……は……あぅ……くぅ――///」
――恍惚。
そう表現するのが相応しい。シェリーちゃんは私が顎に力を入れるごとに、苦しそうに息を吐きながら、その中に声を混ぜる。熱の籠もった艷付いた声を。
一歩間違えば殺してしまうんじゃないかと、私は戦慄しつつも、次第にその声に囃し立てられるように、顎に力を込めていく。『怖い』と『もっとこの声を聞きたい』が混在する脳内が、パニックを起こしそうだ。けれどそれがまた興奮を誘発していく。
口の中に鉄の味が混ざりだすまでは……。
瞬間、慌てて私はシェリーちゃんを解放した。
上気した顔で、興奮冷めやらないといった様子のシェリーちゃんの首筋には、ハッキリと噛み跡――歯型などとは烏滸がましいそれがあって、ツーっと、一筋の赤い線が、肩に向かって下りていた。
「ご、ごめん! シェリーちゃん! 血が! ち、治療しないと! シャルちゃ――ん」
頭の中が真っ白になりかけていた私の唇を、シェリーちゃんが己の唇で塞いだ。
そして、困惑の中、解放されると、シェリーちゃんは変わらぬ表情で言った。
「ありがとうございます、ディティスちゃん。大好きです!」
その後、シェリーちゃんは、シャルちゃんの治療を断り、いたく満足げな様子でお風呂へと消えていった。
私、もしかしたら、とんでもない人に好かれてしまったのでは? そう思わずにはいられなかった。
余談だけど、このあと、シャルちゃんにもキスをするか尋ねたら、「私は寝顔にしたから大丈夫。一番早起きの特権♪」と、謎のマウントをユニエラちゃんに取っていた。それに対して律儀にちゃんと悔しがるユニエラちゃんも可愛いのである。
それともう一個。
私がシェリーちゃんに怪我させるくらい噛んでしまったときに、なんで止めてくれなかったのかって二人に聞いたんだけど……。
「えーと、それは……ねえ、ユニエラさん?」
「ええ、シャルティ様……」
「「ちょっと、羨ましいなと思ってしまっていたので……」」
二人もその……なかなかに、なかなかだね!?
いや、ちがくて。
シェリーというか、カマキリ部族にとって、食事以外で「噛む」という行為がそもそもだいぶ性的なカテゴライズに置かれててぇ……。
パートナーに思い切り噛まれて血が出るなんていうのは、その人の物にしてもらえたという最上級の愛情表現という扱いであって、作者である私の性癖が強いとかそういうことではないんですよ。(ろくろを回す手)
いやだって、ここまで書いておいて言うと説得力皆無かもしれませんけどね、私ね、リョナとか血が出るの苦手なんですよ。
だからね、種族として必要な描写をしただけだとね、強く主張する次第ですよ、私は。




