6 ヒゲの花嫁(挿絵あり)
トールが偽の花嫁として、ロキがそのお付きの侍女として、それぞれ女装し。
ヤギに牽かせた車に乗って、ヨーツンヘイムのスリュムの家を訪れます。すると花嫁の到着を今か今かと待ち続けていた巨人スリュム、大喜びでトールたちを出迎えました。
「おおお、我が女神フレイヤたん! ようこそ我が家へ! ヨーツンヘイムへ!
こたびの婚礼祝いとして、まずは宴を催しましょうぞ! ささ、どうぞ中へ」
二人は家の中に通されると、そこには豪勢な料理が並んでいて、早速宴会が始まりました。
(トール……分かってるな?)
侍女に扮したロキは、トールにこっそり耳打ちしました。
(あくまでお前は今、女神フレイヤなんだ。くれぐれも怪しまれるような行動は――)
しかし、一週間の地獄の花嫁修業で、ロクに食事も摂れなかったトールは、酷い空腹に苦しんでいました。
そんな極限状態で、ご馳走を目の前にして理性など保てるはずがありません。
トールは花嫁衣装を着たまま、ものすごい勢いで料理を次から次へと平らげていきます!
「えっ……あっ、オイ! ちょ……馬鹿ッ!?」
ロキは止めようとしましたが間に合いません。
フレイヤに化けたトールは、たちまちの内に牡牛一頭、鮭を8尾も食べ尽くし、さらには樽3杯分もの酒を飲み干してしまったのです。
その凄まじい食欲に、スリュムや巨人たちも驚きで目を見開き、口をあんぐりと開けたまま固まってしまいました。
「フ、フレイヤたん……? いくら何でも食べっぷりが豪快すぎやしません?」
スリュムが恐る恐る尋ねると、慌ててロキが割って入り、笑いながら誤魔化そうとして言いました。
「フレイヤ様はあなた様のいる巨人の国に恋焦がれる余り、八晩もの間、食事も喉を通らなかったのですオーッホッホッホ!」
実際、ロキの言い分は全くのデタラメとも言い切れません。花嫁修業中のトールの食事は、スペシャルダイエットメニューであり、彼にしてみれば断食も同然の苦行だったのですから。
「……マジですかフレイヤたん……! ワシの国をそこまで……!?」
対するスリュムは素直なのか頭が悪いのか、ロキの苦し紛れの言い訳にあっさりと納得してしまいました。
「ならばフレイヤたん。このスリュムの嫁となる証として、誓いのキスを……!」
スリュムはそう言って、花嫁のヴェールに手をかけます。
するとその奥から炎のような鋭い目が見えて、睨みつけられました。さしものスリュムもこれにはビビり上がります。
「フ、フ……フレイヤたん? じょ、情熱的を通り越して、気のせいか殺意すら感じる恐ろしい瞳なんですけど!?
と、とても美の女神の目つきとは思えん……コレは数え切れないぐらい人殺しをしてる目では……!」
いくら花嫁衣装やヴェールで変装していても、中身はあの最強の雷神トールなのです。
これは非常にマズい、と感じたロキは再び、慌てて誤魔化そうとして言いました。
「えーっと……フレイヤ様はですね。あなた様のいる巨人の国に恋焦がれる余り、八晩もの間、一睡もできなかったのでございますよオーッホッホッホ!」
正直ロキ自身も苦しい言い訳だなぁと思いましたが、あながち嘘とも言い切れません。
花嫁修業(笑)のせいで空腹に苛まれ、トールはろくすっぽ睡眠も摂れなかったのですから。
「……マジですかフレイヤたん……! 食事はおろか眠れぬほどに……!?
このスリュム、ここまで慕われたのは生まれて初めてです! ああ、生きてて良かった……!!」
対するスリュムは単純なのか頭が悪いのか、ロキの無理がありすぎる言い訳にあっさり納得してしまいました。
(えっ、ウッソぉ……コレでダマされるの!? いくら何でもウブすぎないこのオッサン……!)
可愛らしい女の子ならともかく、いい年したヒゲオヤジでこの反応というのは……いかにロキといえどドン引きです。
「晴れて両想いと判ったからには、早いとこ式を挙げましょうぞ!
そして結婚した暁には、さっそくムフフでエッチな初夜を……!」
なるほど、ここに来てスリュムは疑念よりも欲情が勝ってしまったようです。
(こいつ、最初にボクと話した時は肉欲目的じゃないとか抜かしてたクセに……!)
そうこうしている内に、スリュムは召使いの巨人たちに命じて、雷槌ミョルニルを持ってこさせました。
今は使われていないので、真っ赤に燃えてこそいませんが……それでも凄まじい重さ故に、巨人数人がかりでようやく運べる代物でした。
「さぁさ、このミョルニルを使い、お互いの身を清めましょうぞ!」スリュムは言いました。
実はミョルニルは、ただドタマをカチ割る乱暴な武器、というだけではありません。
トールの飼っている二頭のヤギを食べた後、生き返らせる事もできましたし、今回のように結婚する二人を祝福する魔力も持っていたりするのです。
「知っての通り、ミョルニルは重いですぞフレイヤたん!
しかしこのスリュム、この日の為に身を鍛え、ミョルニルを持ち上げる力を得たのです!
という訳で、二人で一緒に持ち上げ、祝福を受けましょ――」
言いかけたスリュムを後目に、台座に置かれたミョルニルを――花嫁はヒョイと、軽く持ち上げました。
「なッ……フ、フレイヤたん……何故、そんな軽々とミョルニルを……!?」
「……知りたいか? 教えてやろう。俺はずっと……ずっとこの瞬間を待っていたんだァァァァ!!」
花嫁は自らヴェールと衣装を脱ぎ捨てました。
中から出てきたのは、やや痩せ衰えたといえど、迫力満点の無敵の雷神・トールの逞しい肉体です!
「げえッ!? トール!?!?」
ジャーン! ジャーン!! ジャーン!!!
それまでフレイヤだと思っていた花嫁が、いきなり凶暴なトールになったので、スリュムは今度こそ完全に腰が抜けてしまいました。
「馬鹿な……! お前、ワシをだます為に……フレイヤの首飾りと花嫁衣装まで……!? ま、まさかお前、そっち系の趣味が……!?」
「あってたまるかボケェッ!?
スリュムよ。花嫁とのエッチな初夜がお望みだったな?
叶えてやろう……ただし、エッチはエッチでも地獄の方だがなあーッ!!」
トールの怒りに呼応するかのように、握られたミョルニルは真っ赤に燃え盛ります。
力任せに投げつけられたミョルニル、狙い外さずスリュムの脳天を叩き割りました。さすが「必殺と書いて必ず殺すハンマー」、その威力は健在です!
惨劇は突然に。結婚式場はスリュムの血で真っ赤に染まりました。
その場に居合わせた巨人たちはどよめき立ちます。
「そんなッ……あの剛直なトールが女装なんて……! 信じられない!」
「こんな事をすれば、未来永劫笑い話として語り継がれるでしょうに……!」
巨人たちのヒソヒソ声が聞こえたのか、トールは血走った眼を彼らに向けて言いました。
「つまり口封じのために、お前たちもミョルニルで皆殺しにする必要があるって事だよなァァァァ!?」
『ヒギャアアアア!?』
激しい戦い――というか、一方的な虐殺が起こり。その場にいたスリュムの一族はトールによって皆殺しにされてしまいました。
こうして、トールは盗まれた雷槌ミョルニルを取り戻し、意気揚々とアスガルドに帰還したのです。
めでたし、めでたし。
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目撃者を皆殺しにしたものの、その場にはいたずら好きのロキがいました。
後はもう、お分かりですね?
彼の口から、トールの女装した様子は一部始終、事細かに後世に伝えられてしまい――トールとスリュムのお話は、北欧神話の詩の中でも屈指の笑い話として、皆を楽しませる事になってしまったとさ。
(おしまい)
作中のトールの挿絵は、貴様 二太郎サンに描いていただきました!
アリガトゴザイマス!!