咆哮
⚪︎八十八十一視点
雪墨の筆先から、車内の空気中にみるみる鮮やかな墨の龍が描き出されていく。――まったく、普段の素行や納期に関しては言いたいことが山ほどあるけれど、こと芸術家としての実力にかけては、あいつは間違いなく一流の腕を持っているんだよな。これで締め切りさえきちんと守ってくれれば、こちらも苦労しないんだが。
俺は思考を切り替え、懐から取り出した特製の紙に素早く文言を書きつけると、それを車の窓ガラスへとペタリと貼り付けた。次の瞬間、文字の霊力に反応してガラスが変形していく。現れたのは、小さな一挺の「斧」だった。無色透明で、柄の部分まですべてが透き通った美しい投擲用の斧だ。俺の能力は「一つの物体から一つしか生成できない」という制限があるため、車内の窓ガラスの枚数分だけ、投擲斧を用意する。
後ろを走る巨大な朧車は、いつまでも決着がつかないことに痺れを切らしたのか、さらにガソリンを焚くように急激にスピードを上げて肉薄してくる。その運転席からこちらを睨みつける生首の表情は、鬼気迫るものがあった。
――ふと、あの狂気的な顔をそのままイラストにして次の雑誌の特集ページに載せたら、インパクトがあって読者ウケが良さそうだな、などと編集者としての血が騒いでしまう。
「うわっ、なにそのめちゃくちゃ怒り狂った凄い顔……! よーし、今度の雑誌の表紙はこれで決まりだねっ!」
まったく同じクリエイター的思考に至ったらしい鈴々莉が、ふっと楽しげな笑みを零しながら筆を走らせる。
「おい矢木! もう十分だ、危ないから早く車内に入れ!」
ここまで敵を近くまで誘き寄せれば、もう十分だろう。これ以上あいつが外に張り付いたまま激しい攻撃を仕掛けたら、車の揺れで振り落とされてしまいかねない。俺は声を張り上げ、窓越しに矢木を車内へと引き戻した。びしょ濡れになった彼は、雨粒をポタポタと床に垂らしながら滑り込んでくる。
「わあ……これって、龍ですか!? すっげー……っ!」
車内の空間を優雅に泳ぐ巨大な墨の龍を一目見て、矢木が感嘆の声を上げる。
「すごいでしょー! これ、ウチの最高傑作なんだから!」
雪墨は得意げに胸を張って自慢するが、その手を休めることは一切ない。筆先から絶えず霊力を注ぎ込み続けている。
「――後ろ、来ます!」
涼の鋭い叫び声が車内に響き渡る。俺はタイミングをギリギリまで引きつけ、朧車が並走すると一気に自分の窓を全開へと開け放った。
「雪墨、頼む!」
「まかせて! ウチの渾身の自信作、たっぷり味わいなさいよっ!」
鈴々莉が筆を軍配のように大きく豪快に振り払う。その瞬間、空間に溶け込んでいた墨の龍がまるで本物の生き物のように凄まじい咆哮を上げ、一斉に窓の外へと飛び出していった。
――ガァァァンッ! と、耳をつんざくような凄まじい衝突音が夜の峠道に轟く。
雪墨の龍は一直線に突進し、巨大な朧車の頑丈な胴体を一撃で完全に貫通した。ぽっかりと空いた大穴の向こう側の景色が、そのまま向こう側へ通り抜けて見えるほどだ。あまりの出来事に、荷台にしがみついていた犬天狗どもも、一瞬動きを止めてぽかんと口を開けたまま固まっている。朧車は今まで聞いたこともないような、人間のような悲痛な絶叫を張り上げた。
「……今だ、逃すかよっ!」
俺はその致命的な隙を微塵も逃さず、あらかじめ車内に作りためておいた透明な投擲用の斧を次々と掴み取り、驚愕する犬天狗たちへと正確無比に投げつけて次々と撃れ落としていくのだった。




