背後に映るは
⚪︎日影映子視点
「それにしても、嫌な雨ですね……」
私はワイパーのスピードを一段階上げた。ワイパーは絶え間なく左右に動き、フロントガラスを激しく叩く雨粒をパタパタと弾き飛ばしていく。
「さい先が悪いな」
さすがのジョーさんも、今日は珍しく口数が少ない。彼は片手で煙草をくゆらせ、携帯灰皿にトントンと灰を落とした。無精髭を生やした気だるげな横顔。タバコをくわえるその姿は映画のワンシーンのように板についていて、心なしかすごくよく似合っている。
……そういえば昨日の夜も思ったけれど、十一さんも渋くてかっこいいし、涼くんはいわゆる塩顔イケメンって言うのかしら? きっとモテるだろうな。矢木くんもいかにも健康優良児って感じで引き締まったいい身体つきをしているし。こうして周りを見回すと、私の脳内妄想がどうしてもはかどってしまうのも仕方がないよねえ。
それに、私以外の女性陣はみんな麗しい美系ばかりだし、男性陣だって本気を出せばモデルとして余裕で通用しそうな人たちばかりだ。それに比べて自分はどうよと、見劣りしてちょっと惨めな気持ちになってしまう。さっき菊ちゃんが「私みたいな優しいお母さんが欲しかった」なんて可愛いことを言ってくれたけど、実際の私じゃとても務まりそうにないな……なんて、ついつい激しい自虐の沼にハマりかける。
その時、ふと視界の端に入ったバックミラーに、後方の暗がりからチラリと何かが映り込んだのが見えた。しかし、それはすぐに背後の急カーブへと消えていく。
「ジョーさん、いま後ろに何か変なものが映ったような気がするんですけど……」
私の言葉に、ジョーさんはすぐに助手席の窓をガラリと開け、身を乗り出すようにして後方を振り返る。だが、あいにくの激しい雨足と次々に続くタイトなカーブのせいで、肉眼で確認することはできなかったらしい。
「ちっ……視界が悪くて見えねえか。おい映子、後ろにカメラを飛ばせるか?」
「分かったわ!」
ジョーさんはすぐにシートベルトを外し、後部座席の荷物置き場へと身を乗り出すと、使い慣れたビデオカメラを取り出した。私は、それに霊力のコードを素早く繋いで空中へと放り投げる。車内のダッシュボードにモニターを設置し、ちょうどフロントガラスに外の様子が重なって映し出されるように角度を調節する。
「この峠の通行止めに入った不法侵入者(俺たち)に気づいた、地元の警察車両とか保線用の工事車両とかだったらまだいいんだがな」
「本当に、そうだといいんですけどね……」
私たちは気休めな言葉を口にする。内心では、そんな都合の良い確率が極めて低いことくらい、お互いに痛いほど分かっていたけれど。
やがて、ダッシュボードの小さなモニターに、背後を追う不気味な影の映像がハッキリと映し出された。
そこにいたのは、まるで室町時代の絵巻物に出てくるような、古めかしい「牛車」だった。しかし、決定的に違うのはその車体の全面だ。木製の車体の真ん中に、血走った目を剥き出しにした巨大な人の生首のようなものが貼りついている。ザンバラ髪を振り乱したその化け物は、脇目もふらずに狂ったような速度で私たちを追いかけてきていた。
さらに牛車の方へとカメラの焦点を合わせると、その周囲にはおぞましい光景が広がっていた。乗っているのは、犬のような頭部を持ちながら二足歩行する異形の化け物――黒い毛並みを逆立て、まるで狼のように凶暴なその姿は、人間に近い知性を漂わせている。下級の天狗の狗賓だ。しかもその狗賓たちは、器用に戦闘用の弓矢を構え、矢の調整を行っているところだった。
「……『朧車』に、犬の天狗か。たしか『狗賓』ってやつだな。やけに足が速い」
ジョーさんは眉間に深いシワを寄せると、上着の懐から愛用の銃をすっと取り出し、手慣れた手つきで素早く弾を込め始めた。
「ジョーさん、止まって迎え撃ちますか?」
「いや、こんな狭い峠道で下手に車を止めちまって、車体をめちゃくちゃに壊されたら後が厄介だ。相手は知能の高い天狗だ、それくらいのいやらしい戦法は百も承知だろう。――映子、アクセル全開で振り切れるか?」
「了解!」
私は力強く頷くと、ステアリングから片手を離し、クラクションを何度も激しく鳴らした。そして助手席の窓から思い切り腕を外へ突き出し、前方の車に向けて「もっとスピードを上げて!」と大きく合図を送る。
前の車に乗っていた涼くんも、ただならぬ私たちの気配をバックミラー越しに察知してくれたのだろう。前方の車のスピードがみるみるうちに跳ね上がっていく。
それに合わせて、私も愛車のアクセルペダルを床まで一気にベタ踏みするのだった。




