天狗山
⚪︎司涼視点
車を走らせてから、だいたい一時間ほどが経った。菊ちゃんに細かく道を案内してもらいながら、私たちは深い森の中を抜けていく。まるで緑の木のトンネルという言葉がそのまま当てはまるような細い道で、真夏の昼間だというのに周囲はどこか薄暗かった。
「菊ちゃん、この方向で間違いありませんか?」
「はい。合っています……この道のずっと先です」
この先は、険しいカーブが連続する狭い峠道へと続いている。地元では「天狗山」と呼ばれているらしい。ただ、その名前の由来を知る人はもうおらず、ただ昔からの古い名前だけがポツンと残されているのだそうだ。ふだん、この道を通る車は少ないらしい?二つの街を繋ぐ隠れた抜け道として使用される他、紅葉の季節にはちょっとしたドライブコースになることもあるようだ。けど、今の季節は通り過ぎる車影もまばらだ。
そして、この道の拡張工事を行っている最中に、山を守るための「守り石」を誤って破壊してしまったのだという。現在は、その直後に起きたとされる土砂崩れの影響で、完全に通行止めとなっていた。
――もっとも、その土砂崩れ自体がただの天災なのか、それとも怒った天狗たちの仕業なのかは定かではないけれど。
そんなことを考えていると、フロントガラスを叩くように、ポツリポツリと冷たい雨が落ちてきはじめた。昨日の夜はあんなに雲ひとつない美しい晴天だったというのに、まったく山の天気は変わりやすい。私は慌ててワイパーのスイッチを入れ、念のためヘッドライトを点灯させた。
「お天気がよかったら、ここからの景色も綺麗やったんやろけどなあ。あいにくの雨でちょっと残念やわ」
助手席の窓から眼下の景色を見下ろしながら、琴さんが小さく呟く。細くクネクネと曲がりくねった峠道のすぐ脇は、ガードレールの向こう側が断崖絶壁になっており、下には濁った川が流れている。琴さんの言うとおり、もし天気が良ければ、この広大な山々を彩る豊かな自然が一望できたはずだ。
やがて、道路の真ん中に「通行止め」と書かれた赤い看板が立ちはだかっているのが見えてきた。私はその手前でゆっくりと車を停止させる。
「菊ちゃん、この先のルートで間違いないですね?」
「はい。ここからしばらく歩いた先に、壊された守り石と……弥一さんがいます」
菊ちゃんがしっかりと頷きながら断言する。その表情には、愛しい人を思って向かう強い決意と、どうしても拭えない不安の色が入り混じっていた。
「じゃあ、俺が看板をどけてきますよ!」
そう言って声を弾ませたのは、後部座席に乗っていた矢木くんだ。彼はパッと車のドアを開けると、土砂降りの雨の中を迷うことなく看板の方へと駆け出していく。簡易な立て看板をひょいと脇に退かすと、手際よく私たちの車を誘導し、もう一台の車も含めて二台を無事に通してくれた。そして再び看板を元の位置に戻すと、濡れ鼠になりながら小走りで戻ってくる。
「うへー……すっかり本降りになっちまったな」
顔中から大粒の雨の雫をポタポタと垂らしながら、矢木くんが助手席の後ろから乗り込んできた。
「矢木くん、ありがとう。よかったら、これ使って」
小夜さんがすかさずバッグから清潔なタオルを取り出し、矢木くんに差し出す。「サンキュー」と元気よく礼を言いながら、矢木くんは自分の頭や濡れた体をゴシゴシと拭き始めた。
その瞬間、頭の真上でピカッと空が鋭く割れ、轟音とともに激しい雷鳴が響き渡る。
「……なんだか、いかにもな天気になってきたな」
「そうだね……。何も、よりによって今日このタイミングで降らなくてもいいのに」
十一さんの渋い呟きに、後部座席の鈴々莉さんがやれやれといった様子で同調する。
私たちはさらに気を引き締め直し、雨に煙る険しい峠道を進んでいくのだった。




