母のように
⚪︎日影映子視点
「菊ちゃん、まだ食べたいものとかあったら遠慮しないで言ってね」
「ありがとうございます。えーと……」
「日影映子よ。映子でいいわ」
私は菊ちゃんに優しい笑みを向ける。最初は初対面の子にちゃん付けで呼ぶのはどうしたものかと思ったけれど、この『幽玄堂』の女性陣はみんな気さくにちゃん付けで呼んでいるし、まあいいか。
「何と言っていいか分からないけど……菊ちゃん、本当に大変な人生を歩んできたんだね」
「そんなことないんですよ。村の危機を救うことができましたし、それに私には弥一さんがいてくれましたから」
弥一さんについて語る菊ちゃんの表情は、どこまでも柔らかく、そして誇らしげだった。
弥一さんとは幼馴染だったこと、幼い心ながらも結婚の約束を交わしたこと、自分が生贄になることに弥一さんが最後まで猛反対してくれて、あわや駆け落ちまで計画してくれたこと、そして自分の死後には山伏の修行を修めて、ずっと霊となって寄り添い続けてくれたこと――。
その語り口からは、お互いがどれほど深く愛し合っていたのかが痛いほど伝わってきた。
「私だけ、こんなに温かくていい思いをしていていいのかなって……」
ふと、菊ちゃんの表情がぐっと歪む。堪えきれなくなったのか、きらりと光る涙が頬を伝い落ちた。
私は迷わず、その小さな体をそっと優しく抱きしめた。
「いいのよ。何も心配いらないから、大丈夫」
私の胸の中でポロポロと涙を流す菊ちゃんの背中を、ポンポンと優しくさすりながら声をかける。その健気な姿に、私まで釣られて鼻の奥がツンとし、涙がこぼれ落ちそうになる。
「弥一さんには直接会ったことはないけれど、菊ちゃんの話を聞く限り、そんなことであなたの幸せを妬んだりするような人じゃないと思うな。きっと、菊ちゃんが今こうして救われようとしていることを、心の底から喜んでくれるんじゃないかな?」
「そう……でしょうか?」
「もしもの話だけどさ。もしも菊ちゃんと弥一さんの立場が逆だったら、菊ちゃんは弥一さんを恨んだりする?」
「それは……たぶん、絶対にしないと思います」
菊ちゃんは潤んだ大きな瞳で私の顔を見上げながら、力強く首を横に振る。
「でしょ?」
私は菊ちゃんの両肩をしっかりと掴み、その真剣な顔を見据えた。
「私たちも、弥一さんの解放のために全力を尽くすから。だから、いつかあっちの世界で弥一さんと再び一緒になれた時に、この思い出話をたくさん持って行ってちょうだい」
そう言って微笑みかけると、菊ちゃんは少しだけ安心したように表情を緩ませた。
「菊ちゃんって、本当に健気で可愛いよねえ……。ウチもそんなふうに見習って頑張るよーっ!」
その時、すっかりいい気分で酔っ払った鈴々莉ちゃんが、唐突にボロ泣きしながら菊ちゃんにガバッと抱きついた。
「こら、鈴々莉ちゃん! 菊ちゃんが苦しそうだから離れなさいってば!」
私は慌てて、鈴々莉ちゃんの服を掴んで引き剥がす。
「お昼に話を聞いたときにも思ったけどさあ、ほんと純愛って感じで最高だよねえ。ウチもそんな素敵な恋愛したーいっ!」
鈴々莉ちゃんがうっとりした様子で大声でわめき散らす。その瞬間、リビングにいた全員の視線がなぜか一斉に十一さんへと向けられた。もっとも、十一さん自身もすでに結構ないい酔い加減だったせいで、周囲からの熱い視線に全く気づいていない様子だったが。
「大丈夫よ、鈴々莉ちゃんなら美人だし、きっとすぐに運命の相手が見つかるって。案外、灯台下暗しですぐ近くにいたりしてね」
私は苦笑しながら、鈴々莉ちゃんの頭をよしよしと優しく撫でてやる。すると彼女はそのままコテンと力を失い、その場でスヤスヤと眠り込んでしまった。
「……映子さんは、本当に優しいんですね。私、もし生きていたら……こんな映子さんみたいな優しいお母さんが欲しかったな……」
その穏やかな光景をじっと見つめていた菊ちゃんが、どこか恥ずかしそうに、けれどしみじみとした声でそう呟いた。
「ふふ、ありがとう、菊ちゃん」
私はそれに対して、満面の笑みで言葉を返す。
――母か。せめてお姉さんと言ってほしかったな、お姉さんと!
ごめんね菊ちゃん、実は私、彼氏いたことない歴イコール年齢の筋金入りの喪女なのよーーっ!
しかも、BLとか大好きで、全然その手の話は縁が無いのーーっ!
家事とかダメダメで、母親に求められるスキルなんて、壊滅的に備わってないのーーっ!
菊ちゃんの純粋すぎる言葉が、私の胸にグサリと突き刺さる。
私は顔では優しく微笑みながらも、内心では大号泣でボロボロに泣き叫ぶのであった。




